豊里友行の「沖縄通信」

2009年11月 1日

今週の一枚「新聞配達をしていた頃の配達ルート」:豊里友行

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(恵比寿)
 この風景は私が新聞配達をしていた恵比寿ガーデン・プレイス内のビルから撮った光景である。
配達ルートの丁度夕刊配達の時に少し一休みのコーヒーを飲みながら夕日を眺めるのが贅沢に思えた。

 2009年11月2日の明日から下記で「東京ベクトル」豊里友行写真展が開催されます。

 失われゆく沖縄の原風景を想う時、私は、日本の首都である東京を想わずにはいられなかった。というのは東京というエネルギーの方向性を必死で視ようとした私自身の都市の記録をこれまで温めてきたからだ。

会場:中部写真館ギャラリー(沖縄市中央1丁目30番13号)
会期:2009年11月2日(月)~11月30日(月) *日曜日休館

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2009年10月 4日

今週の一枚「野宿者たちの唄」:豊里友行

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「アオカン」(上野)

 彼らとの最初の出会いは酒盛りの記念写真だった。
僕たちは、陽気な笑顔の裏側にどれだけの人生をみるだろうか・・・。

 それから彼らにホームレス問題の報道をさせてほしいというお願いをした。
その友達はやがて仕事を見つけ社会復帰していった。
体調を崩し入院した者もいた。
最後に残った者は、さみしくて話し相手になってほしいと懇願するが、僕には限られた時間しかなかった。
その最後の友達のいたテントは、次に来たときには跡形もなくなっていた。
それが、彼らの言っていた「山狩り」(保健所)というものだった。

 それから時間のある限り野宿者たちの話を聞きながら写真を撮らしてもらう。
年金暮らしでホームレスのテント村暮らしの人。
職業に就けなくて路上に座り込む人たちもいる。

 野宿者は、自分の食料確保を「餌獲り」といった。
「働かない」という事は、自他ともに差別意識を芽ばえさせる。
彼らの心身ともに脅かされた現状を考えたい。
「うつ病」の深刻な症状に至る場合もある。
野宿者の深刻な社会復帰の難しさにも猶予が必要だ。 

そこには彼らの深刻な「基本的人権」の確保の難しさがある。 

 「ホームレス自立支援法」のよりよい改善と野宿者の「基本的人権の確保」をするためにも彼らの置かれた現状をより多くの人たちに身近な問題として知ってもらい、野宿者たちのさまざまな現状を改善していく手がかりになれたらとせつに願います。

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2009年9月27日

今週の一枚「顔のない人」:豊里友行

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頭をもたげ肩を落す後姿のサラリーマン。
1998年頃だが某大手証券会社や銀行などの倒産が相次いでいた。
首を切られるリストラにあった人々を思う。
撮影場所は私の住んでいた恵比寿である。
いたるところで写真のように首のないサラリーマンを見受けた。
あれから十一年が経つがリストラなどの方々も転職なりして元気にやっていてほしい。

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2009年8月 3日

今週の一枚「最後のホコ天」:豊里友行

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1998年原宿の最後のホコ天。
どんどん交通網の拡大によって歩行者天国が肩身の狭い思いをしている。
秋葉原のホコ天の無差別殺人でホコ天も賛否両論であろうが、人間様の道はどうなって行くのだろうか。
ゆとりある人生を歩むためにもホコ天の賑わいを消すまいと思う。


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2009年7月 4日

今週の一枚「東京電車」:豊里友行

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北千住(1998年)

僕が東京で最初に目にしたカルチャーショックは、電車という鉄の塊だった。

 《 ジュズノヨウニムカデニナルツウキンラッシュ 》

 僕は大都市を分きざみに移動する無数の鉄の物体に驚き、魅了された。
僕の住み込みの新聞販売所から写真学校までは、一駅しかないが定期券を購入した。
そしてJR山手線の座席に座り、何周もぐるぐる回った。
時間帯で刻々とうつろうさまざまな人間模様。
車窓は映画のスクリーンのように大都市の表層を映し出す。
上京するまでに僕は、通信大学のスクリング講座で単位修得するために東京を数回訪れた。
その時の旅人の目で見た僕の東京詠。

 《腹話術のダック臍(へそ)に飼う群衆の砂》

 《異郷の風巻いてどれも象の耳》

 《じゃんと語尾笑う母を忘れてら》

 《月はたかくさみしい獏(ばく)の匂い》

 《缶詰電車ストローから吐く白い影》

 僕は上京してからどっぷりと都会の生活につかり、青春をおう歌した。
肌身離さずカメラを持ち歩き、時間をみつけては東京散策をした。
電車の風景にも親しみを覚えた。
しかし、僕の東京生活は僕自身さえ蝕(むしば)んでいった。
いつの間にか疲れたという言葉が口癖になっていた。

 《欲望飼いならすじんじんと熱い釘》

 その心の疲労感を癒してくれたのが東京の下町だった。
伝統文化を現代にうまく生かした人間模様。
何故か懐かしさを覚え、下町にひかれていった。
都会と下町の両極を撮り続ける事になる学生時代の僕は、気になったものをがむしゃらに撮り続けた。
都会の断片をカメラで切り取る。
写真学校の講師陣は、プロのカメラマンや写真関係の職種の人ばかりで、皆それぞれに個性派ぞろいだ。
その講師陣からいろいろな写真の方法論を学んだ。
時にその個性に振りまわされ、自分を見失う事もあった。
それでも僕は、東京を写真という映像で詠い始める事になった。

 《影のない藻になる煩悩の電車》


『東京ベクトル』豊里友行写真集
= http://toyoanneru123.ti-da.net/e2592718.html

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2009年6月 7日

今週の一枚「新聞奨学生」:豊里友行

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私の写真学生としての東京での暮らしを支えてくれたのが新聞販売所だ。

そこで働きながら学校を卒業した。

つまり新聞奨学生だ。

豊里友行という写真家の育て親は新聞販売所でもあるのだ。

新聞販売所= http://toyoanneru123.ti-da.net/e1417075.html


『東京ベクトル』豊里友行写真集
= http://toyoanneru123.ti-da.net/e2592718.html

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