'."\n" ?> 豊里友行の「沖縄通信」:写真家 平敷兼七さん逝く:豊里友行
豊里友行の「沖縄通信」

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2009年10月13日

写真家 平敷兼七さん逝く:豊里友行

中学の同級生主催の婚活ならぬ合コンに行って帰るともう朝刊が配達されている。
何気なく目を通そうとして目を疑う。
つい先日電話で写真展会場について平敷兼七さんとは話をしたばかりだった。
それより自分の世界、(ニコンのユーナにポトンした作品を)私だって一回はポトンしたんだからとホロ-を入れながら、もっと煮詰めて見たらと私を叱咤激励してくれていた。
お体大切にしてくださいよと私は余計なことをいうと彼は気持ちだけもらっておくと言う。
君には関係ない世界だよと軽くいなされた。
その時は気づかなかったが新聞の訃報記事がポツリと私の目にとまると不思議とわかるような気がした。
写真の正念場に私はいる。

平敷さんの写真学校同期の友人・勇崎哲史さんからケータイに連絡がきた。
私は手伝いをしようと平敷さんの自宅へ一身に向かう。
ついて見て気づく。
自宅ではないだろうが!(平敷さんが生きていたら叱られていただろう・・・)
それからケータイで葬祭場の名前を聞き告別式へ向かう。
家族のみの葬儀と記事に書かれていたが多くの関係者が来たと思う。
みんな平敷さんと話をしたいことがあるように思えた。

長年温めていたテーマのユタの世界を「ユタ巡礼」のシリーズとしてまとめてもいいと零していたじゃないか・・・。
「沖縄の文化人」シリーズも本にまとめたがっていたのに・・・。
南風原文化センターで写真展をしたいなら館長を納得させる作品をと言ってくれたじゃないか。たしか彫刻家 金城実さんともつながりがあるよと教えてくれた。
うつ病がキツイ時に(フイルム現像が一年以上溜まった)数十本のフィルム現像を(一本350円で)手伝ってくれたね。フィルム現像の作業を見守られながら体と心の弱った私は、腰かけに座ると彼に怒られた。その頃の積もり積もったストレスと写真作業。その中には重大な作品になりうるものもあった。
若くても心はよれよれだった私は、平敷兼七さんの写真アトリエで写真のエッセンスをいっぱい頂いた。
土田ヒロミ氏が平敷さんのブログ担当の私に彼との関係は聞いたら、写真仲間ですと答えた。年を考えれば師弟関係かと勘違いしかねないが私のことをライバルだよとまだ若造の私を平敷さんは写真家として対等に見てくれていた。
何故こんなに早く逝ってしまったんだ。

江成常夫氏が沖縄にいらした時、私は夕飯をおごってもらう。
その際に平敷兼七さんの話をしていて、私は平敷さんの写真は坦々と撮られる記録写真が時代の醍醐味だというようなことを話すともっともだと江成氏もうなずいてくれた。
写真の記録の部分を重んじて丁寧に撮影されている平敷さんの姿をみて私も姿勢を正していたものだ。
とくに彫刻家 金城実さんの撮影では平敷さんも撮影していて記録も大切だと私の記録写真『金城実の世界』を楽しみにしていたので残念だ。
私も記録写真を大切に歴史に遺して行きたい。
若い写真家や多くの人々に好かれていた写真家 平敷兼七さんのご冥福を祈るばかりだ。

2009年10月13日 20:29

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