2009年8月 7日
沖縄の心の開花を:豊里友行
たんぽぽは思い切り背伸びし綿毛を風に乗せる。
私も二十歳に周囲の反対を押し切って、東京へ写真技術を学びに旅立った。
あれから十数年が過ぎ思うに逆に東京という私の青春の大舞台は、写真家としての故郷となっている。
沖縄ブームもあってか本土からの沖縄への移住者が増えている。
本土に比べ温暖な気候と若干物価の安さなどにつけて日本の競争社会より比較的緩やかな地域が住み易いようだ。
とはいえ仕事がなくウチナーンチュ(沖縄の人)は本土に出稼ぎに出るという皮肉なケースも少なくない。
沖縄は大部分が零細企業だし、かといってベンチャー企業は少くない。
島国のせいではないようだ。
本土から来た人のことをナイチャー(本土の人)と区別する。
ときに蔑みを込めた使い方もする。
もちろんイチャリバチョーデー(出会えば兄弟)という言葉もある。
そういう意味ではヤマトンチュー(大和の人)という沖縄の方言が無難だ。
だがナイチャーという言葉の裏には沖縄を本土から外の地にあるという意味を含んでいる。
私は日本国の一地方として生まれ育ったと認識している。
だから意識の根っこに沖縄の卑屈な精神があってはこまるのだ。
というのも薩摩支配下の琉球,そして明治政府の琉球処分、太平洋戦争での軍事的に捨て石にされた。
そして長い米軍統治下に置かれた。
こうした歴史的経緯がある。
だからとはいえ特別扱いされるわけにもいかない。
甘えすぎて骨抜きにされても困る。
世界中に飛び出していった世界のウチナーンチュのように力強く生きた先人もいて、四年に一度開催される「世界のウチナーンチュ大会」で沖縄県系人に会える。
もちろん本土へ移住したウチナーンチュたちも多い。
これからの沖縄も卑屈な心を鍛えるくらい必死に自己を開花させ、自然を切り売りしない、豊かな沖縄の心を持ってほしい。
2009年8月 7日 19:18
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