2009年7月31日
プルーストの描いた恋愛小説:豊里友行
私は高校2年生の夏を費やしてマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の大作を読破した。
その内容の消化は正直いえば無い。
ただ私は初めての長編小説を読み切ることに閉口しながらも専念していた。
だがこの小説の描写力には高校2年生の私にとって驚きの一言だった。
特に紅茶とマドレーヌを浸して食べる(?)描写に驚かされそれ以降高校生活でミルクティーを舌で転がすように味わうようになっていた(笑)。
どこかで読み違えたのか私自身の想像だったかプールストの主人公が一目ぼれの恋に生涯を費やしていくあたりにいたって感銘を受けた覚えがある。
私自身そのあたりの私の記憶を表現してみたいと思う。
高校生の頃の私は、小説家志望であった。
源氏物語やロミオとジュリエットの物語などを書きたいと思っていた高校生時代を思い出す。
こんなことを思い出したのも最近私の片思いの恋を思い出した夢物語からだった。
創作は生産的な行為だと思う。
ただこの生産的な行為に正しい値段がつけられるかは時代の眼が決めることである。
死んでから認められる作家もいるが、やはり自分からしっかりアピールして認められるようでありたい。
これは恋愛にもいえるかもね。
ふりむけば源氏とロミオ葉桜か 友行
与えるも奪うも愛の雪月花 友行
マルセル・プルースト
= http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88
2009年7月30日
辺野古の軍人さん:豊里友行
辺野古の飲み屋街の夜は長いようだ。
基地の仕事を終えた米軍属の仕事をしている日本人たちが次々ゲートから出てくる。
それから米兵たちも私服に着替え辺野古の街に遊びに出かける。
この土曜日はリフレッシュ期間らしい。
米兵たちが街中うろうろしている中、地元の中学生たちも春休みなので夜暗くなるまで街でたむろっている。
私はあの女子中学生の暴行事件を思い出し、早く家に帰りなさいと彼女らに一応声をかける。
正直飲み屋に持ち金も少ないのに入るのには勇気がいる。
店の前に出て来た米兵に写真を撮らしてほしいとお願いする。
快く彼は案内役を買って出るが・・・。
バーのママが休みの日で撮影は駄目だとお店のチーフ・ゆきさんに断られる。
しかたなく五百円のビールを飲んで帰ろうとカウンターに腰を降ろす。
店の入口で撮らしてもらった米兵の口利きで私へもう一人の店員からお声が掛かる。
チーフのゆきさんも特別だねと首をかしげる。
今週カリフォルニアからキャンプシュワブに配属された彼等はどんどん酒を注文する。
辺野古の軍人さんは海兵隊だ。
ここで訓練を受けてまた戦場などへ赴任する。
独身者が多いらしい。
だからじゃんじゃんお金を使える。
といっても昔に比べれば米兵もお金を使わなくなっている。
新顔の若々しい米兵はカントリーな曲を漠然と聴いて酒さえ飲もうとしない。
私は始めて異国の地にやって来た沖縄の軍人たちを意識した。
ここ沖縄が兵隊としての勤務先であり、アメリカからの転勤先なのだ。
沖縄に慣れるまでは彼らアメリカ人は異郷の地で何を思っているのだろうか。
多分周囲の飲み屋が数軒あるだけで潰れたお店も多いので、ペイデイ(月に2回軍人には給料日がある)のこの日は特別なのだろう。
店の壁には所狭しと日米親善のお祭りの綱引きの写真などが並ぶ。
その合間にお決まりのドル紙幣に書かれたメッセージと軍帽などが飾られる。
「ヘーイ、ボンジョビ!」
私の大好きなボンジョビがリクエストされる。
米兵たちも画面に釘付けだ。
なぜかその後またまた私の好きなエアロスミスが流れ一気に酔った。
何故(?_?)
ロックはこんなに刹那を駆り立てるのだろう。
沖縄で訓練をした米兵が何時戦地に行かされるか分からない。
ある種の刹那を駆り立てる。
ひと昔前に基地の街で米兵たちは戦場へ行く前に飲み屋街でたくさんのお金を落としていったという。
私はシャッターを切りながら街に金を落としている彼等を見ていなかったのかもしれない。
それに変わりうる生産的な仕事を思いつかなくては・・・。
どんな仕事でも仕事なのだ。
金がなく仕事として軍隊に入団する彼等に、基地反対だけをとなえているだけでは平行線をたどる。
できるならアメリカは生活の糧になる他の仕事を与えてくれないだろうか。
私に写真を撮ろうと言う彼等に私は異国の記念写真とある種の証拠写真を残す。
快く写真を撮られる行為が、撮る側を許す行為であることを気付かせてくれた。
逆に私が撮る時に大げさにいえばアメリカ代表の親善の意味もあるのだと考えているのかもしれない。
日米親善事態は私たちだって良くしていきたいのだ。
私は軍隊の本文を認めない。
絶対兵隊は要らないと信じて疑わない。
だが北朝鮮のミサイル(?)発射が今日か明日かと言うときに米兵の陽気さが陽気過ぎた。
それでも北朝鮮にとって軍隊事態が凶器なのだ。
かと言って必ずしもアメリカ人自体を毛嫌いする気にもなれない。
貧しい土地ほど仕事を選べないのは、沖縄だって同じだ。
だから私は酔っ払いながら新しい地域の仕事を考えてみる。
世界不況のどん底といわれるけれどジンブンを絞り出しなんとか軍人ではない職種を作りださないといけない。
基地に付随する仕事も多い沖縄だけに国へきちんとした街作りのプランを打ち出していかないといけない。
主張しないということはこの国において日本国憲法の放棄にもつながっている。
どんなに正論を並べても食っていかなくてはいけない。
世の中、食えるぐらいのお金があってやっと自分の生活のゆとりができる。
まして世界平和なんてマジで考えて実行している写真家はごくわずかだ。
私自身の歩いた跡に道ができている、というぐらいの気概をもたないといけないと私はつくづく思う。
2009年7月28日
沖縄問題に関心薄い「民主党のマニフェスト」:豊里友行
民主党が衆院選マニフェスト(政権公約)に米軍普天間飛行場の県外移設を盛り込まなかったのは、現実的に難しいと判断したからだろう。
基地問題は、日米両政府の外交の大きな壁があることを実感する。
自民党にしろ民主党にしろ沖縄の基地問題を取り上げられる政党が実際にあるのか疑問だ。
琉球新報においては下記のように述べている。
講演や演説などで「県外移設を目指す」と公言する一方、政権を取った際の国民への約束を記す政権公約に「県外移設」の文言を盛り込まないのは、有権者には分かりにくい。
沖縄の小さな村の辺野古への「普天間飛行場」代替移設は、少数派である沖縄への日米外交の大きなしわ寄せである。
沖縄問題に関心薄い「民主党のマニュフェスト」は、過疎の村への「原発誘致」と同じような現状の国策の少数派へ少数派へのしわ寄せでもある。
2009年7月27日
比嘉清眞の世界:豊里友行
比嘉清眞写真展「〜ハジチのある風景〜」(那覇市歴史博物館)を鑑賞する。
老人をテーマにしている比嘉清眞さんの力作に唸る。
私はテーマ性の力強さとブリントのシャーブさに目を見張った。
気になる感想をある方から聞いた。
ハジチの写真を汚いと言う。
「身内の人が見たら怒られないかね・・・」
これは私自身気にかかっていることと関連するのだが自分自身の出身の風俗を汚いと感じてしまうのは悲しいことではないか。
この場合撮影者の超リアリズムについて話が及ぶ。
正直にハジチのある風景を写し取った手法が悪いわけではない。
現代に比べて昔の貧しさが写っているという意見なのだろう。
あまりにもシャープにハジチを映像的に捉えている。
この場合ハジチを美化する撮影でない。
つまりハジチを含めた貧しい時代の風景を率直に汚く撮っていると、この発言者は感じたらしい。
正直に言うと私は自分自身も使う沖縄の方言を汚いと感じる時がある。
沖縄文化の生きた言葉を汚いと思えるとしたら、その民族文化を消去する意識が意識の根底まで根を張っているように思う。
(ヤーシナサリンドー、フリムン、ワーヨー、ダバーヨー、アギジャビヨ!などなど極端な例だが・・・)
それに似た感覚をハジチの写真を見て感じたのではないかと私は危惧する。
つまりハジチを撮ることで汚く撮られたと考えてしまうことが、根本的に沖縄文化の根っこを枯らしてしまう要素があるのではないどろうか。
すでに私たちは本土化している美意識の元に沖縄文化の根源を知らず知らずに消去してきていないか。
本当はこの発言者は、ハジチが汚いのではなく、沖縄的な貧しさを汚いと思い、それを写し取る行為を危惧しているのではないだろうか。
もうすでにこのハジチをした人々はこの世に居ない。
そのハジチの遺族からみたらどう見られるだろうか。
昔の貧しい時代を写し取ったこの名作を汚いと感じたとしたら・・・・。
(汚いから取り下げてくれとクレームがついたらどうなるか・・・)
これがあのユージン・スミスの『水俣』のように発禁本となるとしたら写真界において大きな問題ではないか(この本は水俣の遺族の心情を考慮して発禁本になったらしい)。
ありのままを写し取る行為(リアリズム)の危機を感じる。
つまりは意識の根っこにハジチや荒い地方方言を汚いという羞恥心で隠し、消し去る。
それらを見られたくないという考えにいたる。
沖縄の風俗を汚いと沖縄の人たち自身が感じること。
それ自体が現代文明に浸りきった私たち自身の豊かさの意識にあるとしたら・・・。
それはさみしい同一化の産物だよ!!
ここでTカメラマンの話をだそう。
ある未開の村へ某カメラマンが素直に写真を撮って歩く。
それがとても自然で良いと(?)写真界で高い評価を受けた。
だがもうこのカメラマンはこの村では大変怒りを買ってしまう。
なぜなら「どうせ写真を撮るなら何故もっと綺麗なスガイ(身なり)の時に撮らない」と村人たちは怒ったのだ。
そう村人たちにとって営業写真館以外の写真は「盗み撮り」でしかなかったのだ。
だからこそプロの写真家である私は、比嘉清眞さんの「ハジチ」シリーズを名作と呼ぶ。
なぜなら写された方々にきちんと写っている写真をプレゼントしているからだ。
その行為を持ってきちんと了解を得ているのだ。
それはもう「盗み撮り」とか言われるわけがないのだ。
そういう過程まで含めて私は、写真家はジェントルマンであるべきだと言いたい。
写真家=ジェントルマンであるかはそれぞれの写真を撮る側の良心とマナーとかモラルに委ねられているのだ。
それらの信頼を積み上げてきたか、カメラマンの信頼を崩してきたか、個人個人の問題に任せられているが、写真の世界の信頼性にもつながっている。
というわけで比嘉清眞さんの写真は、(私の心の中で)非常に優れた名作であった。
2009年7月26日
沖縄は環境保護と「自然」の維持費への転換が急務だ:豊里友行
読売新聞(夕刊)2006年5月15日 のあるコラムに沖縄でも他人事じゃないなと思えた。
(水俣)海底からヘドロをくみ上げた埋立地の護岸の寿命は、50年とされているらしく、護岸の劣化でそのヘドロ(水銀を含む)が海に流出する恐れがあるという。
きれいに整備され水俣の過去のイメージはないが、こういった埋立地の管理と維持は常に出てくるようだ。
沖縄の埋め立て事業率の高さもあるし、他人ごとではない・・・。
沖縄の元来ある自然の海と公共工事の護岸とをどちらを残すか大きな違いがある。
沖縄市泡瀬干潟や名護市辺野古、浦添市の海の埋立工事をこのまま論議もなく推し進めていいのだろうか?
これからの時代「自然」の維持費が必要だ。
沖縄県は琉球列島の豊かな自然の恵みを活かしきれていない。
むしろ自然はお金にならないという考え方さえあるくらいだ。
沖縄県は軍事基地の代償として莫大な補助金を獲得してきた。
その金による公共工事という名の環境破壊を目一杯繰り広げて来た。
公共工事の役人はどれだけその毎年の予算を消費できるかで優劣が決まる。
そういった沖縄県の補助金をこれまでの環境破壊を直す費用や自然を守り育てる維持費用に当てるべきだと私は思う。
公共工事は今までの公共工事という名の環境破壊から環境保護と「自然」の維持費への転換が急務だ。
2009年7月24日
お金思想の果てに辺野古という村は分断される:豊里友行
「遠いトコロヘ仕事に行くほうが儲かるんだって」
沖縄県名護市辺野古の子供たちは仕事のことをそう親から教わる。
名護市が遠い日本という国から引き出した多額のお金を想うと何故地元でその多額お金が活用されないのか疑問が残る。
地場産業のほとんどない沖縄では大企業のある本土企業に出稼ぎに出る。
昨年話題になった派遣切りの多くは出稼ぎに出ていた沖縄関係者の人や外国人労働者たちがいたようだ。
就職面でいえば沖縄の小さなムラの置かれた現状はさらにキビしい。
基地誘致の代償として多額のお金が降ってくる、ように私は勘違いしていた。
辺野古や高江という小さなムラにヘリ基地が押し付けられていく。
多額のお金は軍用地主や基地従業員、米兵相手の飲食店など限られた人たちにしか分配されない。
だからといってお金にならないどころか村はじきにさえあう基地反対など声を出せるわけがない。
だから名護市の住民投票で基地建設NOの声が上回ったを国や沖縄県は反映しなければならないのだ。
子供たちのために遠くへ職を求める親たちは沖縄に何を思うだろう。
ひょっとしたらそんな国や県の思惑など関係ないのかもしれない。
しかし村お越しをしなければならない村は日本国に多くあるのに基地建設とがんじがらめ
に押し付けてくる今の日本政府のやり方を許してはならない。
お金思想の果てに辺野古という村は分断される。
しかし村人たちの本質的な豊かさにうまくつながっていない。
私たちは声なき声をつむぎ聞いていく必要があるのではないだろうか。
今全国の中で沖縄の小さな村々に押し付けられる基地をどうにか日本国民の問題として考えるべき時にある。
2009年7月22日
泡瀬干潟の行方:豊里友行

渡り鳥のムナグロが羽を休める(後方に泡瀬の埋立て工事が進む)
二〇〇五年から、うつ病の休養も兼ねて沖縄市泡瀬の海へ毎日通う。私は海がはぐくむ生物に、これからの自分の生き方を見いだせないか試みた。だが、そこでは水平線を食いつぶすように消費社会の泡瀬の埋め立て工事がじわじわと押し寄せて来た。自民党にしても革新政党にしても開発という環境破壊は止まらない。屋良朝苗琉球政府の行政主席は金武湾(CTS闘争)、大田昌秀前沖縄県知事は大国林道、そして東門美津子沖縄市長は泡瀬の埋め立て工事など革新政権においても、環境問題は軽視されて来た。そんな心の焦燥感を打ち消すように、海の生命体に魅せられていく心地よさに満たされていった。
今、泡瀬の埋め立て工事によって百年かかって育った珊瑚礁の森がつぶされている。多くの生物のすむ泡瀬の海を埋めるのはあまりにも横暴な行為といえる。貝だけで三百八種類、野鳥も百五十種類以上、海草も十一種類も見られる。貴重な種類、新種も次々と発見されている。県内最大の渡り鳥の飛来地でもあり、県の作成する「レッドデータおきなわ」に、泡瀬では絶滅の恐れのある海洋生物(貝類、甲殻類、魚類)が百二十一種も記載されている。この埋め立て工事は、この豊な沖縄の「自然の美術館」を無残にも壊してしまうことになる。ラムサール条約を推し進めている「泡瀬干潟」は、琉球諸島の世界自然遺産候補地の一つでもある。埋め立て工事によりラムサール条約への登録や琉球諸島の世界自然遺産への道も遠のく。
私は泡瀬干潟のカニの撮影をしながら泡瀬の海に分布するカニが八重山諸島、琉球諸島近辺のアジアに生息するものであることを『沖縄海中生物図鑑』で知る。琉球諸島の多様な生き物たちは、海流また台風などの自然現象によりはるか遠く水平線の向こうにあるとういう理想郷・ニライカナイからこの泡瀬の海に漂流し、この自然環境になじんできたのではないかと想像した。これらはもちろん沖縄の島々にも言えることで多様な生物や文化の根源は、ニライカナイからの贈り物による影響もあったのだと考えられる。私はそれらのニライカナイの贈り物を写真に記録し、写真の分布から「ニライカナイの地図」が見えてこないかと期待しているのだ。つまり海に囲まれた島ならではの人間の生活や自然は、豊かな精神世界を構築してきたし、二ライカナイの宝物を享受することにより、より身近な世界としてニライカナイを感じられてきただろう。そのニライカナイの豊かな精神世界を今、埋立工事によって失くししまっていないだろうか。地球温暖化などのエコ推進の潮流の中で私たちウチナーンチュ(沖縄の人)は、沖縄の本来持っている豊かな精神世界さえも売り渡してしまっているのではないだろうか。
2009年7月21日
『バーコードの森』関連記事:豊里友行
僕は、高校卒業のころから本格的に俳句を始めた。
僕の写真家としての姿勢も俳句から学ぶ点が多い。
「バーコードの森」豊里友行俳句集の関連記事を掲載しておきます。
どうか俳句鑑賞も試みてください。
2009年7月20日
金のなる土地と幸せを呼ぶジンブン(知恵):豊里友行
ある軍用地主の87歳のお婆さんの話し。
お婆さん「お爺さんは気持ちがまっすぐな人だったからなかなかすぐは(遺族)年金をもらえなかったさぁ。」
2009年7月16日
特集「麻生政権の終焉、そして・・」 日米地位協定見直しを :豊里友行
7月21日衆議院解散8月31日投票で与党合意。
いよいよ選挙です。
私としては自民党の沖縄無関心・腐敗政治をもうよしてほしい。
つまり政権交代を願うのみです。
しかし肝心の民主党ですが、もっと明確にいろいろな日本国内外問題への政策を打ち出す必要があると思う。
特に沖縄問題では自民党の無関心な態度とは違う、行動ある改革を行ってほしい。
2008年3月23日北谷町で開催された「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」では、日米地位協定見直しを沖縄県民が訴えた。
その訴えの内容をどうしても「麻生政権の終焉」において改善してほしいので下記に記しておく。
この日、日本国民一人ひとりの問題として日本国憲法の基本的人権を考え守る必要性を再確認、基地被害により県民の人権は侵害され続けている、として、1995年の米兵暴行事件後に約束された再発防止策が守られず、県民の悲願である在沖米軍基地の整理・縮小がなされていないことを批判。日米両政府に①日米地位協定の抜本改正②米軍による人権侵害根絶のための政府の実効ある行動③米軍人の綱紀粛正と実効性のある再発防止策の提示④米軍基地の整理縮小と海兵隊を含む米軍兵力の削減-を求める大会決議を採択した。
その後も08年6月20日付け琉球新報によると「地位協定見直しを 連合沖縄、47万署名提出」という記事が載っているが、自民党政権においては、ほどんど問題として取り上げてもらえていない。
沖縄住民の根気強い請求権、沖縄問題への抵抗権も必要だが、政治におけるしっかりと公約に掲げた「行動ある政治」が、「麻生政権の終焉」において叫ばれ訴え続ける沖縄問題のひとつである。
2009年7月 4日
今週の一枚「東京電車」:豊里友行

北千住(1998年)
僕が東京で最初に目にしたカルチャーショックは、電車という鉄の塊だった。
《 ジュズノヨウニムカデニナルツウキンラッシュ 》
僕は大都市を分きざみに移動する無数の鉄の物体に驚き、魅了された。
僕の住み込みの新聞販売所から写真学校までは、一駅しかないが定期券を購入した。
そしてJR山手線の座席に座り、何周もぐるぐる回った。
時間帯で刻々とうつろうさまざまな人間模様。
車窓は映画のスクリーンのように大都市の表層を映し出す。
上京するまでに僕は、通信大学のスクリング講座で単位修得するために東京を数回訪れた。
その時の旅人の目で見た僕の東京詠。
《腹話術のダック臍(へそ)に飼う群衆の砂》
《異郷の風巻いてどれも象の耳》
《じゃんと語尾笑う母を忘れてら》
《月はたかくさみしい獏(ばく)の匂い》
《缶詰電車ストローから吐く白い影》
僕は上京してからどっぷりと都会の生活につかり、青春をおう歌した。
肌身離さずカメラを持ち歩き、時間をみつけては東京散策をした。
電車の風景にも親しみを覚えた。
しかし、僕の東京生活は僕自身さえ蝕(むしば)んでいった。
いつの間にか疲れたという言葉が口癖になっていた。
《欲望飼いならすじんじんと熱い釘》
その心の疲労感を癒してくれたのが東京の下町だった。
伝統文化を現代にうまく生かした人間模様。
何故か懐かしさを覚え、下町にひかれていった。
都会と下町の両極を撮り続ける事になる学生時代の僕は、気になったものをがむしゃらに撮り続けた。
都会の断片をカメラで切り取る。
写真学校の講師陣は、プロのカメラマンや写真関係の職種の人ばかりで、皆それぞれに個性派ぞろいだ。
その講師陣からいろいろな写真の方法論を学んだ。
時にその個性に振りまわされ、自分を見失う事もあった。
それでも僕は、東京を写真という映像で詠い始める事になった。
《影のない藻になる煩悩の電車》
『東京ベクトル』豊里友行写真集
= http://toyoanneru123.ti-da.net/e2592718.html

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