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夜間中学教師からの「夜間中学その日その日」

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2009年10月17日

夜間中学その日その日(83); 守口夜間中学  白井善吾

夜間中学その学び ④
夜間中学生の横に座り、夜間中学の授業を体験した高校生が印象的なことを言っ

夜間中学の授業には「学び」がある。自分たちの授業は「習い」ばかりであった。「学び」には能動性があり、「習い」は受身だ。二つあわせて学習だ。これから、夜間中学で体験した「学び」の姿勢で頑張ってみると。おそらくこの高校生にとっては目から鱗が落ちる体験だったと思う。
これまで、勉強なんて面白いと思ったことはない、しかし夜間中学生の人は勉強が面白い、好きだという。驚いたように、こう、言ったのは昼の中学生だ。先月17日、修学旅行で守口夜間中学を訪れ、夜間中学の授業を体験した中学生も「あっという間に時間が来てしまった。帰りたくない、もっと一緒に勉強がしたかった」とお礼の手紙に書いていた。
教育関係者は「教育の原点」という言葉で語る部分かもしれないが、この語彙を用いず夜間中学の学びを考えてみたい。
学校教育はとかく「分かっている」教員が、「分かっていない」子どもに教え指導して「分からせて」「教えたようにやらせる」という仕組みになっている。そして「評価」するという仕組みといわれる。この仕組みに慣らされ、疑問をはさむこともなかった子どもや教員が夜間中学の授業を見たとき、新鮮に映ったと考える。
夜間中学生は授業が始まると、今学んでいることは、これまでの自分の体験、経験集の何ページのことに関係する学習だ。そのときのことを想起しながら、準備態勢を整えている。ヒットしなければ、手繰り寄せるため、質問をしてくる、そして各自の経験集の分厚いページを繰り始めている。授業の始まりはこんな状態だと私は理解している。授業が進んでくると、夜間中学生の体験、経験した、そのときの疑問点が質問として出てくるようになる。批判的な観点からの質問、意見も出てくる。それらを束ねて学習が展開されていく。そのときには、役割交代である。流れと方向を押えて、授業者は一人の学習者になる。こんな中に身をおいた高校生、中学生のコトバであると考えている。
夜間中学生の質問攻めにあい、立ち往生し、組み立てを余儀なくされた授業も多い。夜間中学生の導きに任せ、新たな地平を見いだした授業もある。
どのような生き方、社会のあり方を目指した学習なのかということも夜間中学の学びとして重要だと考えている。夜間中学生の人生で、自分たちを痛めつけてきた、能力主義・能率優先・競争・高速化・大量生産・大量廃棄・といったものの考え方に対し、暮らしている地域にこだわり、助け合い、持続可能で自然循環型のものの考え方をめざす学習をと考えている。後でわかったことであるが、52次日教組教研理科分科会(2003年2月)では、この考え方を「ハードパス」から「ソフトパス」へ、との議論を展開されていた。
多量のエネルギーと資源を消費し、生産を上げ、進歩発展こそが人類の未来であるとするハードパス(ごりごり路線)。これに対し、資源の枯渇・エネルギーの危機を全地球の問題と考え、環境に負担をかけないようにし、人間の叡智で対処するとするソフトパス(ほどほど路線)の考え方である。
学校の教育は「教育をする」側から論じられることが多かった。真理や知識の断片を、子どもたちに注入する「貯金型教育」を行ない、それを測定できる物差しで計り、序列化する。これに対峙する学び、これが夜間中学の生命線だと考える。
髙野雅夫さん(東京荒川九中夜間中学の卒業生)は次のように指摘している。高度経済成長のささやかなお恵みを受けた夜間中学生たちが「文字とコトバ」を奪われた、「空気」を奪われた怒りを再び奪い返されて、「知識」を詰め込むことが〈勉強〉だと信じこみ、詰め込ませることが〈教育〉だと信じている教師が生まれていた。(『夜間中学生タカノマサオ』解放出版社)このように、「教育をする」位置に夜間中学を置いている問題性を指摘している。


2009年10月17日 18:09

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