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夜間中学教師からの「夜間中学その日その日」

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2009年10月10日

夜間中学その日その日(84); 守口夜間中学  白井善吾

夜間中学のある日の出来事に関連させて、考えていることを書いていこうと思う。執筆者は持ち回りで,変わっていく。
夜間中学資料 解題 ① 
塚原雄太著『夜間中学-疎外された「義務教育」-』社会新報社1969年9月

「鬼の塚原、仏の桜井、神様の見城」と東京荒川九中夜間中学生から慕われた、塚原雄太さんの著書である。夜間中学に関する本で私がはじめて手にした書籍だ。
 塚原さんは新しく併設される夜間部に移ったいきさつを次のように書いている。「当時の校長が「誰か夜間学級の専任になってもらえないだろうか」と職員会議で発言したときの沈黙の重さが私にはたまらなかっただけのことであった」「結果は夜間学級に移ってよかったと思う。教育的にも、人間というものについても夜間学級は宝の山であった」と記している。
 1965年頃の夜間中学生、44人を登場、実態を記している。内訳は12歳-1人、13歳-8人、14歳-11人、15歳-8人。学齢超過者10代-12人、20歳代-4人。最高齢は26歳の2人である。
 神戸市立駒ヶ林中学校に最初の夜間中学を開校した経緯を次のように記述している。駒ヶ林の教員、校長は「昼間は仕事をしているから登校できないが、仕事が終わってからの夜間なら、何とか出席できるという生徒たちの悲痛な叫びをくみ取った、やむにやまれぬ唯一の手段だった」(1949年2月)。
 東京都ではじめての夜間中学・足立区立第4中学の開設も8㌻にわたって、記述している。東京都から開設にあたって、つけられた7項目の条件の中で、「生徒の健康に留意することについては私が最も腐心したところである」と伊藤泰治校長(当時)は述べている。そして、「都立の定時制高等学校の生徒と同様に学校給食が実施せられねばならない」と記している。夜間の学習と学習環境、健康と給食制度は不可分なのだ。
 1968年頃の文部省の夜間中学校観は参議院予算委員会の議事録に現れている(1968年4月12日)。質問者は山高しげり議員である。灘尾弘吉文部大臣など、政府委員の答弁を詳細に分析している。当時の文部省は「夜間中学を認めるのかどうかはっきりしない。心情的には認めるが、建前としては認められない」。一方で文部省は「夜間中学に入るような生徒はなくならない」と答えている。
 髙野さんがドキュメント映画「夜間中学生」をつくる経緯について塚原さんは次のように書いている。
 「先生、先生は行政管理庁の勧告をどう思いますか」髙野雅夫は、ていねいに、しかも重い口調で、私にこう聞いた。1966年12月も押し迫った日。東京・池袋の本屋の地下室の喫茶店。髙野雅夫には、決意がある、と私は思う。目がぎらっとしたからだ。「君の方は?」「あります。協力していただけますか」「どんな協力?」「キャメラを回してもらいたいんです」「映画を作るのか」「ええ」「夜間中学生の現実の姿を、ぶつけてやりたいんです」彼はこの映画を証言映画にしたいという。夜間中学校の必要性を証言したいという。
 夜間中学を卒業後も夜間中学につながり、夜間中学の存在する意味を追及する。教育、社会に突きつけていく、髙野さんの並々ならぬ決意が伝わってくる。
 1968年10月11日からの「大阪冬の陣(夜間中学開設運動)」について、髙野さんの毎日の活動は「わらじ通信」と名づけたはがきで母校に届けられた。その数450通にもなる。塚原さんはこの「わらじ通信」を引用、髙野さんの活動を記述、紹介している。
1969年2月6日、大阪で夜間中学設置を計画しているとの新聞報道があっても、「あと一歩、だぞ、このあと一歩が危ない」と「「沈黙は死」と生き証人発掘に活動をゆるめない」と髙野さんの姿を紹介している。
本のおわりの部分で3㌻にわたって、夜間中学の入学案内がひらがなで書いてある。
あなたも やかんちゅうがっこうで べんきょう しませんか。
もっていくのは、「べんきょうしたい」という「きもち」でけでよいのです。
「やかんちゅうがっこう」のあるところを かいておきますから、だれかにたのんで「てがみ」をかくか、「でんわ」をかけてください。いつでもかまいません。いつでも「にゅうがく」できるはずです。もし、なにかの「てちがい」で、「にゅうがく」をことわられたら、つぎのところに、「てがみ」か「でんわ」をしてください。と書き、最後に髙野さんの住所と電話番号を掲載している。
私が夜間中学に勤務し始めた1987年頃、12月頃の入学生があった。まさに「校門をくぐったときが入学式」だ。夜間中学にたどり着く人たちには、制度的にこんな度量を持っておかないといけない。たどり着いた人たちにどのように話を聞くか、夜間中学の姿勢が問われているのだ。
夜間中学生の発する文字とコトバと語りに、耳を傾け、実践を続けた。こんな歴史をもった、今の夜間中学がある。その思いを強く持った。

2009年10月10日 06:24

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