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2009年11月 3日
「日韓あわせ鏡の世界~韓国の中の日本、日本の中の韓国~」3;嶋村初吉
日本にいては朝鮮の王族も、日本の皇族と同様に、男子は特別の身体の事情で陛下のお許しがある場合を除き、陸海軍いずれかの道を選ばなくてはならなかった。英親王は、近衛隊付に補せられた、陸軍で鍛えられ、昇進していく。
その間、伊藤は李垠殿下を伴って東北、北海道の各地を訪ねている。教育係りとして慕われた伊藤が、ロシアとの関係調整のために出掛けたハルピン駅頭で、義兵将・安重根の凶弾に落命する。1909(明治42)年10月26日午前10時。訃報を聞いた李垠殿下は、「伊藤公は実に誠実に世話してくれた。そして将来、私が勉学を終えて新しい知識を韓国に持ち帰り、故国に役立てることを期待して、そのような構想を考えておられたと思うが、その伊藤公が暗殺されたことは、韓国の運命を変えてしまったのではないかと思う。いたずらに軍国的な軍人総督によって、英国植民地政策の真似をしたようなことになって残念でならない」と晩年、方子妃に回顧している。
1917(大正6)年12月25日、李垠殿下は陸軍少尉に任官される。その翌日、彼はかつての伊藤博文の墓前に任官の報告をしている。
安重根(アンジュングン、1879-1910)
愛国烈士。黄海道・海州の名門両班の出身。幼いときから尚武的性格を持ち、甲午農民戦争では若干16歳で父の安泰勲に従い農民軍鎮圧に加わった。1905年の乙巳保護条約を契機に民族運動に目覚め愛国啓蒙運動に参加した。1909年、ハルビン駅で同志とはかって伊藤博文を射殺した。彼はその場で逮捕され、翌年3月26日処刑された。裁判では終始義勇兵であることを強調すうするとともに、鋭い舌鋒で東洋平和を乱したとして伊藤を非難した。 (『朝鮮人物事典』大和書房より)
★韓国併合
英親王李垠殿下12歳のとき、祖国の運命のときを迎えた。韓国併合である。
寺内正毅統監と李完用総理の間で、併合条約の調印が行われた。
韓国併合条約
第一条 韓国皇帝ハ、韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全カツ永久ニ日本国 皇帝陛下ニ譲与ス。
第二条 日本国 皇帝陛下ハ、前条ニ掲ゲタル譲与ヲ受諾シ、且ツ全然韓国ヲ日本帝国ニ併合スルコトヲ承諾ス。
第三条 日本国 皇帝陛下ハ、太皇帝陛下並ニ其后妃後裔ヲシテ、各其ノ地位ニ応ジ、相当ナル尊称威厳及名誉ヲ享有セシメ、且ツ之ヲ保持スルニ十分ナル歳費ヲ供給スベキコトヲ約ス
第四条 日本国 皇帝陛下ハ、前条以外ノ韓国皇族及其ノ後裔ニ対シ、各相当ノ名誉及ビ待遇ヲ享有セシメ、且ツ之ヲ維持スルニ必要ナル資金ヲ供与スルコトヲ約ス。
第五条 日本国 皇帝陛下ハ、勲功アル韓人ニシテ特ニ表彰ヲ為スヲ適当ナルト認メタルモノニ対シ、栄爵ヲ授ケ且ツ恩金ヲ与フベシ。
(第六~八条は省略)
次回は11月9日です。
2009年11月 3日 01:15
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