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2009年10月31日

「日韓あわせ鏡の世界~韓国の中の日本、日本の中の韓国~」1;嶋村初吉

 好評連載の嶋村初吉さんの「日韓あわせ鏡の世界~韓国の中の日本、日本の中の韓国~」を「植民地時代の政略結婚」と題してお送りします。8回連載で、最後に今回の連載全てまとめて掲載します(事務局)。


   植民地時代の政略結婚
          李王朝最後の皇太子、李垠と梨本宮方子

                                   
★李王家に嫁いだ日本の皇族、梨本宮方子
韓国の李王朝最後の皇太子、英親王・李垠(イウン)殿下に嫁いだ日本の旧皇族、梨本宮家の方子(まさこ)妃(成婚後、李方子妃となる。梨本宮家は、昭和天皇の香淳皇后のいとこ筋にあたる)をご存知だろうか。韓国を植民地支配していた時代に、二人は政略結婚させられた。時代に翻弄させられながらも仲睦まじい生活を送り、戦後は韓国に戻って逝去。現在、ソウル郊外の南楊州市にある陵墓「英園」に眠っている。
今年は方子さんの没後20年にあたり、5月10日行われた墓前祭は、ゆかりの人たちにとって思い出深い日となった。しかし、日本の皇族であり、韓国では慈善活動に尽された方子妃の存在は両国の人々の記憶から忘れ去られる、影の薄い存在となっている。
 方子妃の略歴をひも解いてみた。

1901年 11月4日、元日本国皇族、梨本宮守正王の第一王女として誕生
1920年 4月28日、勅命により韓国第28代王世子(皇太子)、李垠殿下と成婚、李方子(イバンジャ)妃となる
1945年 8月15日、朝鮮解放独立、朝鮮半島の南半分が大韓民国となる
1947年 臣籍降下し、在日韓国人となる
1963年 11月、朴正熙政権下、夫君垠殿下と共に韓国に帰国
1970年 垠殿下、ソウルにおいて逝去。ソウル市鍾路に明暉園が発足
1972年 水原(京畿道)に慈恵学校完成。ソウル特別市より文化章を受章
1974年 明恵会館が完成
1978年 大邱社会事業大学より名誉文学博士受位
    (途中、省略)
1989年 87歳で逝去

夫・李垠殿下の亡き後、障害者福祉活動に尽力し、日韓親善にも貢献された。方子妃の墓碑には、「懿愍(イビン) 皇太子妃」と表記されている。懿愍とは「一生いばらの道を歩まれた方」という意味である。
来年、2010年は、日本が朝鮮半島の植民地化を完成させた日韓併合から100年という大きな区切りの年にあたる。韓国の李明博大統領は、「両国関係の距離感をなくし、終止符を打つという意味」(2009年9月16日付、朝日新聞・朝刊)から、天皇訪韓を希望すると表明した。アジア重視を掲げる鳩山新政権とあわせて、韓国政府は対日関係を強固にしたいという期待感の表れといえよう。植民地時代に、日朝の懸け橋となった人たちがいた。日韓の皇族たちである。現在、歴史の風化にさらされている当時の政略結婚の話を紹介したい。

2009年10月31日 11:05

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