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2009年7月29日

「日韓あわせ鏡の世界~韓国の中の日本、日本の中の韓国~」13:嶋村初吉

百済の遺民、山上憶良と鬼室集斯」5

★近江商人

江商人は、朝鮮渡来人の血を引いているといわれる。菅野和太郎著『近江商人の研究』には、次のようにある。

「商人的素質をもつ高麗の帰化人が中部(蒲生郡、坂田郡、愛知郡、犬上郡、野洲郡)に移住し、本国の制度でならって市(いち)を開設したが、後に延暦寺(叡山)と結んで市の専売権を確立し、商権を拡張して一大飛躍をとげた。この訓練をうけた住民は、農民、武士よりの転向組に加え、全国の行商行脚に力をのばした」

江商人は阪神で成功して芦屋をひらき、今日の高級住宅街のはしりとなった。伊勢商人も、もともとは近江商人が基となった。戦国武将、蒲生氏郷が根拠地の近江日野から伊勢12万石に転封となり、これに伴い日野商人がごっそりと伊勢に移住した。伊勢商人として大成した三井氏は、もとは近江蒲生郡の地侍、三井越後守高安である。彼は武士から商人に転じた一人である。近江商人の結束力は堅く、奉公人は近江から呼び集め、さらには丁稚を育てるために地元で寄宿舎訓練を行っている。また、屋敷の女中にも近江の女性を雇った。聡く、上品で、律儀だというのが富商たちの評価であった。

こで帰化人の「帰化」という意味を確認しておきたい。1960年代、上田正昭・京都大学教授が『帰化人』(中公新書)を刊行したとき、一部批判の声があがった。帰化という意味には、徳を慕って服属するという意味があるからだ。古代、朝鮮渡来人は祖国を離れざるを得ない事情が生じて、日本に渡ってきた人たちであり、何も日本を慕ってきたわけではない。現代、帰化とは外国籍の人が日本国籍を取得することをいう。国籍取得を古代にもってきても、当時、国という意識が未成熟であったから、帰化という言葉は疑問である。やはり、朝鮮半島から渡ってきた朝鮮人を「渡来人」と規定した方が相応しい。
それはともかく、上田氏は、同著のまえがきで、こう記している。

「日本へきた人々ならびにその後裔たちは、あるいは役人となり、あるいは農民や手工業者となって、古代日本のなりたちに少なからぬ影響をあたえていた。飛鳥文化や天平文化の背景には、彼らのもたらした新技術や新知識が渦巻いており、いわゆる『帰化人』の力は、古代日本人の生活におおきなはたらきをおよぼしている。もっと端的に表現するなら、日本古代国家の形成それ自体が、これら渡来者たちの母国の動向と付加いいつながりをもっていたのである」

2009年7月29日 21:35

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