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2009年6月23日
メソジストの伝道師、曾田嘉伊智(そだ・かいち)を紹介します。連載の最後では新たな人物を韓国人本外交官(現・大学教授)からの取材で知った人物である。
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◆朝鮮人に死を惜しまれた日本人
メソジストの伝道師、曾田嘉伊智(そだ・かいち)をご存知だろうか。「朝鮮孤児の父」として有名な人である。
1867年、山口県生まれ。かつて台湾で生き倒れていたとき朝鮮人によって助けられた。その恩人の母国に心を引かれて、1905年に朝鮮へ渡った。朝鮮で曾田は伝道師となり、1919年の三・一独立運動に際しては、逮捕された朝鮮人の救援に尽力した。1921年、鎌倉保育園の京城支部長となり、以来、朝鮮孤児の養育にあたった。1945年の敗戦後も、特に韓国残留を許された。47年、日本での伝道のため帰国したが、日韓国交樹立以前の1961年、韓国政府の特別のはからいで韓国に戻り、翌年、韓国で亡くなった。葬儀は韓国社会団体連合葬として盛大に行われ、政府・社会団体関係者や市民二千人が参列した。新聞は「国境と民族の壁を越えた真実の愛と奉仕」と大きく報道した。ソウルの楊花洞外人墓地に葬られている。なお、韓国政府は62年、曾田に文化勲章を贈った。日本人への授章は初めてで、日韓正常化前の当時としては、異例のことであった。
以上の話には、長崎県立大学シーボルト校の徐賢燮(ソヒョンソプ)教授から聞いたものを一部、盛り込んだ。徐氏は曾田の眠る墓地を訪ねた。ソウルの漢江沿い、楊花津(ヤンファジン)にそびえる岩場、切頭山(チョルトサン)に隣接するソウル外国人墓地公園に、曾田夫妻の墓があるという。墓には「孤児の慈父」という碑文が刻まれている。
「皮肉なことに、日韓の交流が盛んとなった現在、曾田嘉伊智を知る人は逆に少なくなった。私は『曾田の伝道師になるぞ』と心に決めて黙祷(もくとう)し、夕闇せまる墓地を後にした」(2008年10月31日付、長崎新聞掲載「海風だより」より)
かつて韓国の外交官として活躍された徐氏とは、駐福岡韓国総領事を勤めておられた1998年から親交があり、大学で教えている日韓交流史、外交史の話を時々、メールでいただく。1990年、来日した盧泰愚大統領が宮中晩餐会の答礼で雨森芳洲を紹介したが、その草案は徐氏によって書かれた。徐氏は、韓国ではベストセラー『イルボヌン イッタ(日本はある)』=日本語版『日本の底力』光文社=の著者として知られている。大変な読書家であり、現場主義にたった徐氏の書きものから常々刺激をもらっている。
朝鮮人によってこれほどまでに死を惜しまれた日本人としては、ほかに、水原でキリスト教を伝道した乗松雅休(まさやす)、朝鮮の孤児を育てた田内千鶴子、朝鮮人朴烈(パクヨル)の妻であった金子文子がいる。
2009年6月23日 00:13
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