2009年5月27日
「日韓 食の交流史」1
「日韓 食の交流史」について2つのテーマから迫る。各4回で、1テーマ終えればまとめて掲載する。
朝鮮通信使と在日コリアンの影響力(1)
食文化において、日本と韓国はそれぞれの風土に根ざした独自の発展を遂げたが、両国は一衣帯水の関係にあることから、人の往来を通して食の交流もいろいろと見受けられる。とりわけ、江戸時代には朝鮮通信使が大きな役割を果たした。通信使をもてなす饗応(きょうおう)料理を作る際、沿道の各藩は、対馬藩の助言を得て、朝鮮人が好きな食材を集めて料理をし、饗応膳に盛った。長崎・出島のオランダ商館から入ってきたカステラ、コンペイトウなどを茶菓子として提供した。一方、通信使は朝鮮の特産、人参を持参して、沿道の藩主、将軍に献上品として贈った。朝鮮人参は日朝貿易で大きな位置を占め、薬剤として日本では神薬としてもてはやされた。朝鮮人参には、密貿易、殺傷事件などがからんでおり、日朝の「光と影」が刻印されている。「日韓 食の交流史」としては通信使をもてなした饗応膳、サツマイモ(韓国ではコグマ)、焼き肉(カルビ)は欠かせない。
★海峡を越えたサツマイモ
サツマイモは対馬から朝鮮に伝わった。伝えたのは、1764(宝暦14)年の朝鮮通信使で正使を務めた趙曮(チョオム)。往路、対馬北端の佐須奈で甘藷(かんしょ、サツマイモのこと)をはじめて見て、「甘藷を見てその数斗を求めて故国の釜山鎮に回送してその種子を得させた」。対馬では、農政学者の陶山訥庵(すやまとつあん)が原田三郎右衛門(はらださぶろうえもん)の力を借りて、薩摩(現在の鹿児島県)から種子を取り寄せ、移植して、1732(享保17)年の大凶作のとき、島民を救った。痩(や)せた土地にでも育つ重宝な作物だったことから、「百姓孝行(こうこう)の芋」といわれ、一般的に「孝行芋」としてもてはやされた。宝暦の通信使に書記として随行した金仁謙(キムインギョン)は『日東壮遊歌』(高島淑郎訳注、平凡社、東洋文庫)のなかの対馬見聞録には、次のように書いている。
「この島は土地が痩(や)せており ろくなものが穫(と)れないから 孝行土卵(注・土卵は里芋のこと)を植えて それで飢(う)えを凌(しの)ぐという 米三升を持って行き 買ってきて蒸して食べてみると姿形は何首烏藷(かしゅういも)に似ている まことに美味 長芋のように柔らかいが 甘みははるかに勝っている この種を持ち帰り 我が国にも植えつけ 貧しい百姓らに 飢饉(ききん)の年に食べさせれば まことに結構だと思われるが 時季がいかにも悪く 持ち帰るにも困難とのこと 種を採るのは難しそうだ」
サツマイモを、韓国語では「コグマ」という。趙曮は「甘藷或(ある)いは孝行麻と謂う。倭音で古貴為麻」と聞いたと『東槎日記』に記している。孝行芋がなまって、「コグマ」になったことが定説となっている。
2009年5月27日 23:17
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