'."\n" ?> 夏史邦の「こりあ・とーく」:夏史邦の「こりあ・とーく」/『坂の上の雲』のテレビドラマ化
夏史邦の「こりあ・とーく」

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2009年8月14日

夏史邦の「こりあ・とーく」/『坂の上の雲』のテレビドラマ化

rekishikan.gif 司馬遼太郎の『坂の上の雲』がNHKでテレビドラマ化され、この11月から3年間にまたがって放送されることになったという。
 日露戦争を舞台回しに、明治の日本人のメンタリティーを「坂の上にかがやく雲に向かっていくような...」とたとえた長編小説である。むかし、「明治日本の基礎知識」として一読したが、そこに登場する朝鮮があまりにもみじめで、どこか、あと味の悪さがのこったことを覚えている。

 この作品の映像化については司馬自身、「誤解を招く恐れがある」と拒否するようなことを語っていたのをどこかで読んだ記憶がある。それをNHKが今回、「映像化が許された」(NHKのホームページ)のだという。いったい、どんなものができるのか...。
 と、そんな思いでいたところへ、この作品に現れた「司馬史観」の問題点と、いまこの時点でテレビドラマ化することの危うさを明快に指摘した本が出版された。
 朝鮮史研究の第一人者、中塚明・奈良女子大名誉教授著の『司馬遼太郎の歴史観―その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問う』(高文研、本体1700円)である。
 『坂の上の雲』で、司馬が展開しているのは「明治栄光論」だ。日露戦争(1904~05年、明治37~38年)を「祖国防衛戦争」と位置づけ、一方で、その日露戦争後に日本の「痴呆化」が始まり、それが「昭和の暴走」へとつながり、太平洋戦争における、あの惨憺たる敗北を招いていったと説いていくのである。日本の近代史を日露戦争を境にその前と後で区切り、最後に行き着いた太平洋戦争の敗北を「明治の遺産」ではなく、「明治への背信」ととらえる史観である。
 中塚さんの著書は、それに異を唱える。司馬が言うところの「日本の痴呆化」は、なにも日露戦争後に始まったわけではない。それ以前に、日清戦争(1894~95年、明治27~28年)の段階ですでに暴走の萌芽があった。日清戦争で、日本は朝鮮において何をしたのか。『坂の上の雲』には、日本の「明治の栄光」は、朝鮮の犠牲の上に成り立っていたという視点が欠けている――というのである。
 日清戦争は「日本の勃興」と「朝鮮の没落」を決定づけた。中塚さんは、自らの半世紀におよぶ日本近代史研究の中で掘り起こした数々の史料をもとに、その日清戦争を読み解く「3つのキー」を提示し、具体的かつ実証的、そして何よりも分かりやすいことばで、その実態を淡々と暴いていく。かいつまんで言えば、次のようのことだ。
 ▽朝鮮王宮の占領
 日清戦争における日本軍の「第一撃」は朝鮮の王宮、景福宮の占領で始まった。「清国を追い出してくれ」とする朝鮮国王の公式文書を手に入れるためだった。
 ▽東学農民軍蜂起と皆殺し作戦
 日本で「東学党の乱」といわれた朝鮮の農民軍の、1894年秋からの第2次蜂起は大規模な抗日民族闘争であり、日本がその後、アジア各地で直面する民族的・大衆的な抗日闘争の最初のものだった。日本軍はそれを皆殺しにする作戦に出、それによって3万人以上が犠牲になった。
 ▽王妃(閔妃)殺害
 下関条約調印から半年後の1895年10月、景福宮で起きた閔妃惨殺事件は、川上操六・参謀次長ら日本の政府・軍部総がかりで起こしていた。

 詳細は著書に譲るが、中塚さんの問いかけの中で、とくに心に刻んでおきたいのは、いまなぜ、『坂の上の雲』なのか、ということだ。
 この小説の連載が産経新聞紙上で始まったのは1968年4月だった。折しも、その半年後の同年10月には「明治改元以来100年にわたる日本の近代化の成果」をたたえる政府主催の「明治百年記念式典」が催されたのだった。新聞の連載は72年8月まで、足かけ5年間にわたり、その「栄光物語」は、日本の高度経済成長の気分とオーバーラップしていったのだった。
 来年、2010年は日本による「韓国併合」100周年にあたる。NHKはそれにぶつけるように、この『坂の上の雲』を放送しようというのである。
 NHKのホームページによると、「スペシャルドラマ」と銘打ち、11月29日(日)に第1回の「少年の国」を放送。以後、12月27日まで日曜日ごとに年内に5回、毎回90分ずつを予定。来年以降も続け、3年間で計13回を考えているという。
 中塚さんは著書の中で、この作品の映像化を嫌った司馬遼太郎の次のような発言も紹介している。
 「なるべく映画とかテレビとか、そういう視覚的なものに翻訳されたくない作品でもあります。うかつに翻訳すると、ミリタリズムを鼓吹しているように誤解されたりする恐れがありますからね」(NHK出版『「昭和」という国家』)
 司馬遼太郎が生きていたら、いま、テレビドラマ化を認めたか、どうか。中塚さんは、司馬には生前、在日韓国・朝鮮人の学者・文化人との交遊があったことを指摘する。89年、訪韓して盧泰愚大統領(当時)と対談した際、通訳をつとめた姜在彦さんもその一人で、対談内容も引用している。
 「私なども、李氏朝鮮が日本の悪しき侵略に遭う(1910年)まで朝鮮といえば朱子学の一枚岩で、そこには開化思想や実学(産業を重んじ、物事を合理的に考える学派)などはなかったと思っていた。いまは、だれもそうは思っていない。この功の多くは、ときに少年のような表情をする姜在彦教授(京都・花園大学)に負っている。...」(『文藝春秋』89年8月号)
 そして中塚さんは、次のように推測する。
 ――(盧泰愚大統領との対談で示された)この認識は、『坂の上の雲』で書いた「韓国自身の意思と力でみずらかの運命をきりひらく能力は皆無といってよかった」というのとは、明らかに違う。司馬が映像化を欲しなかったのは、こうした在日韓国・朝鮮人との交遊やそれによる彼自身の朝鮮認識のゆらぎもあったからではないか、などと思うのは私の深読みか?

 NHKは、司馬の気持ちにどこまで思いを致し、どんなドラマに仕立て上げようというのだろうか。

2009年8月14日 16:41

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