2009年7月27日
日本の大学のあり方-OECD報告から-:南亭駄樂
2009年5月13日の読売新聞は<「日本の大学さらに改革を」OECDが報告書>という見出しで、OECD(経済協力開発機構)が日本は大学改革をさらに進めるべきだとする報告書をまとめた、と報じた。これは2006年5月における訪日調査や文部科学省の資料によるものという。
<Yomiuri Online>http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20090513-OYT8T00283.htm
●OECDの報告書
それによると、2004年の国立大学の法人化以降日本の大学がどう変わったかを調査し、批判的にまとめてあるという報告書の内容は次の通りである。
1)大学の自立性は高まったが、定員や授業料、学部・学科の再編については、文科省がまだ実質的な権限を維持している。
2)文科省が標準額を設定して授業料を抑える現行の仕組みを批判して、自由化を提案した。
3)日本の高等教育分野での公的支出割合の低さにも着目。高等教育から貧困層を排除しないよう、奨学金の仕組みを改め、卒業後の所得に応じて返済額を決める方法を示している。
●大学は自立しているのか
1)については、国立大学が法人化によって変わったかどうかを指摘しているようだが、学長の権限が強まったものの予算は文部科学省に握られており、一律毎年1%ずつ削減されている。昨年国立大学の教員から、それが3%削減になり、これまではワークシェアでやりくりできたが、今度は頭数を減らさなければならなくなると聞いた。実際今年度どうなったかは確認していないが、文部科学省は競争的資金や外部資金の導入をして経営しなさいという姿勢なので地方の国立大学は四苦八苦しているのが現状だ。そこで国立大学間の格差が大きくなっている。
先日、京都大学・大阪大学・九州大学の学長の話を聞く機会があったが、そこでは大阪大学の学長は法人化後の経営が大変だと強調したのに対して京都大学の学長は「いい面と悪い面がある」とさらっと言ってのけた。そこには国と社会からお金をどれだけ呼び込めるかの差が現れている。自立性とは自力でカネを集めることが前提なのである。しかし、それでも学費の変更の幅は決められている。
学部・学科の設置や再編は逆に厳しくなっている。1991年の大学設置基準の大綱化では当時の文部省は、それまでの護送船団方式をやめ、大学・学部・学科の設置や教育課程の編成を自由化する代わりにつぶれても知らないよ(学生の救済はするけど)、となった。それで教養部は解体され、株式会社立の大学も現れた。だが、それによっていい加減な大学ができ、大学生の学力も低下した、などの批判が起き、反動でいまは審査が厳しくなっている。規制緩和で事前指導がなくなり、自由にしてもいいと言われても困ると文部省に泣きつく私立大学が多かったのも元に戻った原因の一つだと私は思っている。
私の判断では、日本の大学は必ずしも自立性が高まってはいない。もちろん文部科学省は個性を出しなさい、と言っており、各大学は高校生に選択してもらうように独自性を打ち出してはいるものの、文部科学省はFD(授業改善など教員の資質向上)活動を義務化し、授業公開をしなさい、シラバス(授業計画)を詳しくしなさい、予習・復習をさせなさい、双方向型の授業をやりなさい、到達目標を示し、達成度を公表しなさい、とこれまで小学校に言ってきた内容を大学に対して細かく指導している。また、それに従わないと助成金をもらえない状況になっている。
●国立大学の学費は高くていいか~格差の拡大
OECDは授業料の自由化を提案している。国立大学は授業料値上げになるがその理由は次の通りだという。
「主要な国立大学には裕福な家庭の子弟が多く、卒業生の収入も多いと指摘。学科の違いや、教育にかかるコストを考慮して授業料を値上げすれば、大学は経営基盤を強化できるとしている。」
これは国立大学生と私立大学生の格差を是正するという面では正しい考えである。しかし、いまの日本で国立大学の授業料を値上げした場合、いくら勉強して成績をよくしても所得の低い家庭の子どもは大学に進学できないということが出てくる。むしろ格差が拡大するのだ。医学部でも工学部でもいまは文系学部とほぼ同じ授業料だが、受益者負担にすると医学部の授業料はぐんと跳ね上がり「貧乏人の子どもは医者にはなれない」ということにもなるだろう。また、人気の低い地方の国立大学は値上げができず、経営が悪化して人気の高い都市の大学と統合、地方から国立大学が消えるということもあり得る。地域格差が拡大する。
奨学金制度でカバーすればいいという議論もある。また、国立大学も私立大学も授業料はすべて無料とし、税金で負担するという案もあるだろう。しかし、財政難の状況で現実的かどうか。かなり議論を重ねないと混乱を招きそうだ。
OECD報告書は、日本の高等教育に対する公的支出は加盟国平均が76%なのに、日本は韓国に次いで低い40%に過ぎない点が問題視しているという。日本の高等教育費に占める学生本人や家族の負担割合は、OECD加盟国で最も高い60%(平均は17%)なのだ。
そこで3)の提案となっている。授業料は値上げするものの奨学金制度を改善し、卒業後の所得に応じて返済額を決めるようにすべきだというのだ。もしそうするなら、奨学金を受ける学生の数を大幅に増やさなければならないし、下宿生と通学生の格差をなくすために生活費を含む額の支給額も考えるべきだ。バイトに忙しくて勉強できなかったという学生を作るべきではない。
いま格差が拡大している社会の中で、ワーキングプアの子どもは教育が受けられずにワーキングプアになってしまうという"教育の世襲化"が問題になっている。また、「主要な国立大学には裕福な家庭の子弟が多く、卒業生の収入も多い」(OECDの指摘)という状況はどういうことなのだろうか。我々は、日本社会は真剣に考えているだろうか。
●国立大だけが国のために働く人材を養成しているのか?
読売新聞によると、今回のOECD報告書に対して、文科省国際企画室の氷見谷直紀室長は、「国立大には将来、国のために働く人材を養成するという側面がある。単純な受益者負担の考えはなじまない」と反論し、従来通り、授業料の抑制で教育の機会均等を実現するべきだと主張している、という。
しかし、この反論はずれていないだろうか。国立大学が育成する"国のために働く人材"とはどのような人材なのだろう。私立大学の卒業生は国のために働かないのだろうか。
●現実的な議論を
日本の大学はどうあるべきか、実際に議論されていないというのが現状だろう。なのに、文部科学省はカネをえさに細かい指導をしている。
今回の報道に接して、OECDも文部科学省も本来なすべき教育論議からずれているような気がした。 高等教育が大衆化している中で、大学制度はどうあるべきなのか、大学はどのような体制で教育を行っていくべきなのか、教育行政関係者だけでなく、広く社会全体で議論し、決めていかなければならないと思う。
2009年7月27日 05:47
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