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<title>日曜新聞書評欄簡単レビュー：三室　勇</title>
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<description>実に多くの本が出る。朝、毎、読、日経、産経、京都の６紙の新聞書評に各10点として60点、これはほんの一部でしかない。毎週の新聞書評から４、５点、多くて６、７点取り上げるのがせいぜいだ。偏りが出てくるのは当然だが、その偏りをみてもらうしかない...</description>
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<![CDATA[<p>実に多くの本が出る。朝、毎、読、日経、産経、京都の６紙の新聞書評に各10点として60点、これはほんの一部でしかない。毎週の新聞書評から４、５点、多くて６、７点取り上げるのがせいぜいだ。偏りが出てくるのは当然だが、その偏りをみてもらうしかない。</p>

<p>朝日――<br />
<strong>松森奈津子『野蛮から秩序へ　インディアス問題とサラマンカ学派』</strong>（名古屋大学出版会、５２５０円）、評者・苅部直。20行ほどの短評だが注目した。ヨーロッパの近代国家論はホッブスに代表される。しかし、もう「１つの国家論」がスペインで展開されていた。それがサラマンカ学派だ。「国家の統治者もまた、人類普遍の規範に従うものとされ、異文化地域に対してそのようにかかわるかといった、現代風の課題もいち早く論じられていた」（評者）。その１つが植民地支配の問題である。ラス・カサスの『インディアスの破壊についての簡潔な報告』にもある通り、スペインは先住民（インディオ）の大殺戮を行った。こうした支配に仕方に異を唱えた政治思想があったということである。当時、傍流であったこうした考え方に光を与えた本のようだ。</p>

<p>毎日――<br />
<strong>ラス・カサス『インディアス史　全７巻』</strong>（岩波文庫、８４０～１１５５円）、評者・池澤夏樹。長文書評で、締めの言葉に「われわれは1492年に戻って世界史を読みなおさなければならない」と書く。1492年、コロンブスが新大陸を発見する。同時代の歴史家ラス・カサスはその10年後に18歳でインディアス（新大陸のカリブ周辺の地名）に渡る。そこでスペイン人たちの原住民に対する暴虐の様をみる。その後帰国し、30歳をすぎて司祭となり、再びインディアスへ赴任。先住民を財産として植民者の分配するレパルティミエント制度に反対の立場を取った。82歳で没するまで先住民の立場に立った人物で、1492～1522年までの30年間のインディアスの歴史を書き残した。評者は、近代史を考える土台として考えなければならないことに、異文化接触の際に起こる悲劇、全てとはいえないが事実あったことを重視する。ラス・カサスは「全土を恐怖に巻き込んで降伏させるために、残虐と破壊のかぎりを尽くすことだった」と報告している。善良な原住民はその善良さ故に「攻撃誘発性（ヴァルネラビリティー）」を喚起する。今風に言えばそうともいえると評者は書く。弱いものは過酷な目にあってもしかたがない、とでもいうような考え方が、どうも打ち消しがたくあるのだろうか。近代とは、その土台の上に築かれたとすれば、口をぬぐって済ますわけにはいかないはずだ。</p>

<p>毎日――<br />
<strong>橋本淳司『世界が水を奪い合う日・日本が水を奪われる日』</strong>（ＰＨＰ研究所、１６８０円）、評者・森谷正規。地球規模で水不足が起こると言われている。その深刻さを実感していないが、これが食糧問題とつながって深刻な事態になることは予想できる。オーストラリアでは水泥棒が頻発し、水殺人も起こっているという。米国の穀倉地帯では大量の地下水のくみ上げて枯渇が心配され始めた。ヨルダン川を巡るアラブとイスラエルの争い。東南アジアを流れるメコン川の源流はチベット、中国はこの水資源を手放さない。そこに大規模ダムをつくるために、下流域では漁獲が減り、水不足で穀物生産が頭落ちだという。日本は、食料を輸入に頼っているため、水不足による食糧高騰の餌食になるといわれている。二酸化炭素排出権が市場取引される時代、水も市場化される日が近いことがわかる。</p>

<p>日経――<br />
<strong>青山浩子『強い農業をつくる』</strong>（日本経済新聞出版社、１６００円）、短評で評者の氏名なし。著者は農業ジャーナリスト。６月に企業が農業に参入する法律、改正農地法が成立した。日本の農村再生はいかにするか。「農業に魅力を感じている若者は多いが、問題は生活できる収入がえられるかどうかだ」。そこでの提言なども本書にはあるようだ。これからの農業と日本の食料問題は大きい。その割にはその道のジャーナリストは少ないようだ。</p>

<p>毎日、朝日――<br />
<strong>カズオ・イシグロ『夜想曲集』</strong>（早川書房、１６８０円）、評者・毎日＝丸谷才一、朝日＝鴻巣友季子。著者は日系イギリス人で数多くの小説があるが、短編集の翻訳ははじめてのようだ。副題に「音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」とある。毎日評は文字数が多く、短編の簡略な紹介をして、感想を述べるという紹介だ。なかでも評者・丸谷は「チェリスト」に感銘を受けたと書く。観光客相手のサキソフォン吹きがバンド仲間の若いチェリストと出会い、その才能を有望とみてホテルのホールのバンドを紹介する。ところがそのチェリストに目をつけた女がさらっていく。そんなどこにでもありそうな話を出会いと、別れの話に仕立てるわけだ。その後のつかの間のふたりの再会の場面の切なさがいいと書く。朝日評は、音楽という才能、それを持つもの同士に「壁」があり、それが物語として書かれていると捉えている。なるほど、そう読めそうでもある。カズオ・イシグロは好きな作家の一人なので、これは読むしかないだろう。<br />
</p>]]>
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<dc:date>2009-07-26T09:20:58+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://j-net.obei.jp/mimuro/2009/07/post-1.html">
<title>コラム「風」コラムの筆法</title>
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<description>▼新聞には２つの読み方があるという。まんべんなくすべてに目を通す人と、まずコラムを読んで、好きな記事を拾い読みする人、後者は女性に多いらしい。新聞のニュース記事が主食の料理とすると、コラムは箸休めのようなものかもしれない。口の中をさっぱりさ...</description>
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<![CDATA[<p>▼新聞には２つの読み方があるという。まんべんなくすべてに目を通す人と、まずコラムを読んで、好きな記事を拾い読みする人、後者は女性に多いらしい。新聞のニュース記事が主食の料理とすると、コラムは箸休めのようなものかもしれない。口の中をさっぱりさせる酢の物のような。<br />
</p>]]>
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<![CDATA[<p><br />
▼毎日新聞の論説委員、編集委員を務めた池田知隆さんは今年３月に定年退職し、毎日新聞に書いていたコラム「余録」を集めた本、『ほんの昨日のこと　余録抄2001-2009』をみずのわ出版から出した。さりげないタイトル、『暮らしの手帖』を思わせる装丁、巻末に21世紀年表を付した瀟洒なエッセイ集である。</p>

<p>▼今年の１月４日のコラムに「ブライユ生誕二百年」を書いている。書き出しは正月らしく「琴の海」の作曲者、宮城道雄の話題から入り、点字読書から作曲の想を得たことにふれて、点字の発明者、ブライユの生誕二百年へとつなげる。一転して、最近、携帯、パソコンの音声にたよる盲人がふえて、「点字離れ」が起こっている話題を取り上げる。点字は横２列、縦３列の６点で文字変換するわけだが、少ない材料で豊かに表現できるその効用説く。ふたたび、失敗を苦にせず明るく笑う宮城道雄のエッセイに励まされると書いて、最後に「琴の海」の作曲が80年前の大恐慌時代であったことを思い起こし、「不況で視界ゼロのような年明けだが、どこでも光はあると教えられた」と結ぶ。</p>

<p>▼ここにコラムの筆法がある、とみた。まさに「起承転結」、800字前後の文字数で、時節と時代を取り込み、最後に読むものに向日性の気分をもたらして、文章を閉じる。音楽でいえばソナタ形式にも似ている。第一主題、第二主題の提示部があり、展開部があって、再現部がある。そういえば、このコラム集では、パブロ・カザルスなど音楽にもふれていた。</p>

<p>▼炭鉱の話、毎日記者であった作家、井上靖の話、フィランソロピーの話などがたびたび出てくる。しかし、この間にあったさまざまな事件をさりげない言葉で扱っている。新聞コラムニストの立ち位置、目線は低くして平行で、仰角でも俯角でもない。多くの読者を相手にするとき、この目線は大事になると感じた。</p>

<p>▼「あとがき」にロセッティの詩The Windの一節「誰が風をみたのでしょう」が引かれていた。見えない風、時代の風に吹かれて、揺れる木の葉を書き留める、そんな思いが記されていた。ここ数年、「余録」をみると、池田さんかなと思ったりした。それがないのが寂しいが、きっとどこかでつづきを書いてくれるものと期待したい。</p>]]>
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<dc:date>2009-07-19T16:41:44+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://j-net.obei.jp/mimuro/2009/07/post-3.html">
<title>日曜新聞書評欄簡単レビュー：三室　勇</title>
<link_daily>http://j-net.obei.jp/mimuro/2009/07/12/</link_daily>
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<description>  今回の新聞書評では小説をとりあげてない。なにか自分の関心が赴くままに選び並べたものになった。...</description>
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<![CDATA[<p>  今回の新聞書評では小説をとりあげてない。なにか自分の関心が赴くままに選び並べたものになった。</p>]]>
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<![CDATA[<p>産経から<br />
相田和弘『精神病とモザイク――タブーの世界にカメラを向ける』（中央法規出版、１４７０円）、評者・戸津井康之（文化部記者）。著者はドキュメンタリー映画監督で二作目『精神』を撮り、海外の賞をいくつもとっている。この夏、公開が始まったところだ。精神病者たちをモザイクなしで描ききった映画のメイキング本で、一見わかりにくいこの本のタイトルにもつながる。社会には健常者と精神病者を隔てるカーテンがある。それは何かをみつめようとする。彼のドキュメント手法は「観察映画」と呼ぶらしい。ある面では科学映画のように撮るということか。評者の言では、ナレーションもテロップもＢＧＭも一切使わない手法から、そう呼ぶらしい。岡山の精神科診療所の患者と医師を撮った観察映画が『精神』である。監督にはこの映画を撮る、切実な事情があった。評者の紹介によると、監督はこれまで２度精神科に受診した経験がある。１つは東大に合格後、受診したとき、医者から「燃え尽き症候群」といわれた。２度めは映像作家となり、テレビドキュメンタリーを編集していた時期、昼夜逆転の過酷な生活が２か月続いた。そのうえプロデューサーから大声で罵倒される日々に精神がやみかけた。「相田は『過労死』や『ひきこもり』が多い日本は文化全体が病んでいるのではないかと疑問を持つ」（評者）。そしてこの映画を撮ろうと決意を固めたという。自殺者３万人が十数年続く日本社会、弱い者いじめが横行する日本社会、その根はどこにあるのか。今後の監督に期待したいし、応援したい。「観察映画」とは、実は偏見を持ち込まない、色眼鏡なしでみつめることである。<br />
この映画の紹介サイトは下記の通り。<br />
http://laboratoryx.us/mentaljp/index.php</p>

<p>読売、京都から<br />
草森紳一『中国文化大革命の大宣伝　上下』（芸術新聞社、各３５００円）、読売評者・片山杜秀、京都評者・辻康吾。著者は昨年亡くなったが、面白い人だった。中国文学を収めながら広告世界の評論を書く人だった。筆者は昔『悪のりドンファン　テレビコマーシャル２０年』という本を編集し、草森さんにつきあったことがある。その著者が文革について宣伝という視点から書いたとなると見逃せない。毛沢東は工業化を急いだあまりに農村が疲弊し、飢餓が大量に出て、政治的危機にあった。反対派を追い落とす起死回生の大ばくちが文革だったともいえる。そこで大宣伝を打つ。「人民の巨大な渦に向かってそれらしき宣伝文句が連射されはじめる」（評者・片山）。たとえば「革命者は孫悟空である」（当時の精華附属中学校の紅衛兵壁新聞に確かにそう書かれていた。「～だから棒を振り回して神通力を発揮して法力を放ち、旧世界をひっくり返し～」と続く）。悟空は子供のイメージがあり、大人をやっつける。それが紅衛兵となって実現していく。そして「四旧打破」という。旧文化、旧思想、旧風俗、旧習慣を一掃せよ。四旧の担い手は「牛鬼蛇神」、妖怪とされる。だから孫悟空の出番である。「要するに、孫悟空の妖怪退治だ。イメージ明快。といっても四旧が何で「牛鬼蛇神」が誰なのかは必ずしも具体的ではない。中身は曖昧。受け手が勝手に解釈できる余地をたっぷり与えておく」（評者・片山）。大宣伝の極意といったところだ。極めつきが「造反有理」だ。よく考えるとこの言葉はなんでもＯＫと捉えられる語句だ。私たちはいつ何時、この大宣伝の餌食にされるかもしれない。評者・辻は中国国内では文革研究は皆無らしい。いやできない、タブーなのだ。文革研究は海外が主流で、その点この仕事は貴重と書いていた。もう一点、文革の背後にあった暴力については本書では触れられていないと指摘している。紅衛兵によって教員が数多く殺されたという。</p>

<p>京都――<br />
加藤俊秀『メディアの発生』（中公論新社、３１５０円）、評者・中野順哉。著者は社会学者で数多くの著書がある。最近は『隠居学』など出して悠々自適のようだが、この本は五年かかって書かれた日本国内の旅を下敷き書かれたようだ。メディアとは媒介のことで、日本文化のなかでは異界とこの世をつなぐ仲立ち、それを探った話である。だからイタコや踊り念仏、浄瑠璃、説教節が解き明かされる。大衆文化論やコミュニケーション論を論じていた著者が「自国文化の深さ、そこに内在する「異界」の魅力を再確認することになる」（評者）読み物といってよい。よく考えると先の「孫悟空」の話もそうだが、文化の中の「異界」を操るメディアとは、今の新聞・放送のメディアとどこが違うのかと思う。読者・視聴者が見ることができない世界を記者が代わりに観たことのように伝えるわけだが、政治などはまさに「異界」そのもので、実はメディアが力を持ってしまう、その恐ろしさも感じる。</p>

<p>日経―<br />
安藤礼二『霊獣　「死者の書」完結編』（新潮社、１６００円）、評者・藤井貞和。著者は文芸評論家で、2000年に「神々の闘争―折口信夫論」で群像新人文学賞優秀作を受賞している。評者は副題の「死者の書」完結編とあるように、「『死者の書』のさいごの主人公を空海だと喝破する。折口の単行本『死者の書』はいわば正編で、それの女主人公は中将姫。続編は藤原頼長を主人公にして、草稿が二種ある。その奥にさらなる『死者の書』を幻視する」（評者）。その主人公が空海だというのだ。この著者は奇しくも折口に魅入られ、折口の世界を旅する人のように思われる。折口こそ日本の伏流水のように潜む隠れたメディアではないかと思われるが、いったん捕まれると深みに引きずり込まれる怖さがある。</p>

<p>朝日――<br />
末木文美士『仏典をよむ――死からはじまる仏教史』（新潮社、１８９０円）、評者・石上英一。仏典を思想書として読む。そんな視点で書かれた本のようだ。仏教の長い歴史はブッダの死から始まる。北伝の「無量寿経」は王位を捨て出家した法蔵が誓願成って無量寿（阿弥陀仏）となり極楽浄土を実現する。ここからブッダ亡き後、無数の仏たちが存在する世界が生まれてくる。修行により仏になれる道が開かれ、死んで別世界に渡れることが可能となり、救済の道が開かれたわけだ。また「空」の思想が理論化される。存在は他の存在に依存していないものはない。だから自ずから他を排して自存するものなどない。なれば自存になぜ執着し、苦しむのか。無自性こそが「空」の立場ということである。こうした北回りの仏教が日本に入ってくる。そして土着文化と混交して鎌倉仏教へと発展していく。壮大な思想史である。評者は「生と死、自己と他者を巡る思索を試みたくなった」と書いていた。ブッダは自身の言葉で極楽など説いていない。ブッダが説いたのは四つの真理、生きることは苦しい、苦は人間の執着によって起こる、苦を滅するところに悟りがある、その悟りにいたる方法、道が仏の道である、と。その方法の１つに八正道があるわけだが、要は、心と身を整え、智慧を活性化する方法といってよいかもしれない。苦の多い時代、智慧をもたらすものとしての仏教は見直されてよいと思う。</p>]]>
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<dc:date>2009-07-12T15:33:11+09:00</dc:date>
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