2009年10月11日
日曜新聞書評欄簡単レビュー:三室 勇
恒例の日曜新聞書評欄からの紹介。今日は京都新聞から。
今中博之『観点変更 なぜ、アトリエインカーブは生まれたか』(創元社、1680円)、評者・山本和宏。大阪平野区に通所型福祉施設「アトリエインカーブ」がある。ここでは在籍する知的障害者をアーティストとして位置づけ、制作環境を整え、独立することを支援する芸術と福祉を融合させた施設である。「驚くべきはその高いクリエティビティー」と評者が賞賛するとおり、現代美術・デザインの世界からも高く評価されている。作品の一部はアトリエインカーブにアクセスすればみられる。この社会福祉法人の理事長である著者は、もう1つデザイン事務所も経営している。彼自身がアートディレクター、一級建築士であり、軟骨無形成傷害というハンディを持っているのだ。著者はニューヨークと大阪を拠点に多彩な活動をしている。今中の信念は、「デザインとは「社会的な企て」であり、すべての人々の平等で幸福な社会の実現を目指すもの」だという。著者自身、身体の障害を持ちながらも内面の健常性を併せ持っている。この二つを同時に生きる視点として「観点変更」という考えにいたる。こうした著者だからこそ障害者の持つクリエティビティーを引き出すことに着目したといえる。障害者美術をアウトサイダーアートを呼ぶ人たちがいるが、これには与したくない。健常者のアートと分けようとする下心が見える。障害者を社会が保護対象として見るのではなく、彼らのもつクリエティビティーが社会に還元される、そうした社会がめざされるべきだろう。
朝日――
篠田武司、宇佐見耕一(編)『安心社会を創る ラテン・アメリカ市民社会の挑戦に学ぶ』(新評論、2730円)、評者・南塚信吾。ラテンアメリカも新自由主義の影響をうけ、「新たな貧困」が問題視されている。その中で1990年代から、これを克服するための市民運動が起こってきた。NPO、NGOなどが福祉、環境保護、地域づくり、文化・教育とさまざまな分野で「安心社会」の構築に向けた活動をはじめたという。メキシコの貧困化する女性を支援する活動、ブラジルでは学校へ行けない子どもたちのために「路上教育」を行う社会運動など。エクアドル、アルゼンチン各国で住民参加による「安心社会」づくりを紹介している。しかし、日本の市民活動による「安心社会」づくりは、いまだ大きな動きになってはいない。
広田照幸『格差・秩序不安と教育』(世織書房、3780円)、評者・耳塚寛明。「1990年以降、教育政策が迷走を繰り返して日本的教育システムが崩壊したことに多くの人々が気づいている」(評者)ではその底流に何があるのか。教育の歴史社会学の視点からまとめたものという。70年代までの保革対立から複雑化し、三極化(①規制による質保障:文部省、族議員、②市場原理による質保障、新自由主義的改革派、③現場の自律性を重視したリベラル社民勢力)時代つづき、90年代に新自由主義的改革論がヘゲモニーをとるといった流れがあった。今後どう進めていくのか。「根拠なき新自由主義が歴史の必然ではなく選択の結果であったとすれば、私たちは別の未来を構想することができるはずだと著者は説く」、そのとき不透明な未来社会にあって政治的判断を下せる市民の育成が教育、教育学の使命だという。前述のラテンアメリカの例と比較して考えてみると、どうも頭の中だけの議論のようにも見えてしまう。
柳川喜郎『襲われて 産廃の闇、自治の光』(岩波書店、2205円)、評者・松本仁一。1996年に岐阜県御嵩町の町長が暴漢に襲われて殺されかけた事件があった。その町長自身が裁判記録などをもとにこの事件を綴ったものである。襲ったのは元暴力団組員で産廃処理場計画をしていた業者から4千万円の金が渡っていたという。日本は産業廃棄物処理に関して明確な政策を持っていないという。そのため企業は大金を払い、産廃業者が確保した埋め立て土地に依存する、そんな構図である。その土地確保に、脅し、暴力、金がつきまとう。反対住民には暴力団の脅し、町議会場に押しかける戦闘服の右翼集団。そうした中で御嵩町住民も町議も耐え抜いた。しかし、県では不備だらけの申請をやすやすと通してしまう。元建設官僚の知事は業者の代理人のようになってしまっている。県警も動きが悪い。県警OBが業者の会社に天下りしているからだ。評者は、同様な問題が日本各地に起こっている、と締めていた。
日経――
クリストファー・レーン『乱造される心の病』(河出書房新社、2000円)、評者・滝順一。米国の精神医学界では「内気は病気」であり、「社会不安」「回避性パーソナリティー傷害」と立派な病名がつき、向精神薬が処方される。今世界には4億5千万人の精神障害者がいる。この精神疾患と診断するために基準となる疾患分類はWHOのICD-10があり、米国精神医学会の統計的診断診マニュアルDSM-Ⅳが広く使われている。日本の精神医学でもDSM-Ⅳが利用されている。DSM-Ⅳは米国の精神科医の診た患者の精神症状から推論した診断名を統計処理して分類されたもので、米国基準であり、医師の主観も入っている。結局、原因がわからないものが多いためにそうせざるを得ないところもある。そこが危険と言えばいえないことはない。だから専門医でなければ診断してはいけないことになっている。先の内気は日本ではべつに病気とは思われていない。しかし、こうしたことも今の日本では「ひきこもり」として病気に扱われることもあるかもしれない。所属文化と時代によって精神疾患は変容することを考えておくべきだろう。この本は評者の紹介によると、1980年代に米国精神医学会が精神疾患の再定義を行う際にフロイトの流れをくむ精神分析医と確執があったことなどが書かれているようだ。それも興味深い話だ。脳科学の進展で、新たな診断基準が将来、現れるかもしれない。
ジル・プライス、バート・デービス『忘れられない脳』(ランダムハウス講談社、1900円)、評者・茂木健一郎。評者は以前読売で書評を書いていたが、今度は日経に移ったらしい。この本は面白い。「ハイパーサイメスティック・シンドローム(超記憶症候群)」の話である。今年44歳になるジルは人生に起こった事柄を皆記憶している。たとえばテレビの番組まで事細かに覚えている。そんなジルがメールで相談した医師ジェームズ・マゴーとの出会いがあり、この診断名につながったわけだ。彼女は記憶研究の脳学者から歓迎される。彼女の面白いところは単純な暗記物は苦手ということだ。記憶のメカニズムの謎を解き明かすにはこうした特異な人が役立つのかもしれない。評者は、「脳の働きの個人差は、科学的にはまだまだ未知の分野。私たち一人ひとりの脳の中に、驚くべき個性が気付かれないままに潜んでいるかもしれない」と書いている。
2009年10月11日 11:30
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