2009年11月 8日
日曜新聞書評欄簡単レビュー:三室 勇
日曜日恒例の新聞書評欄紹介。朝毎読日経産経地方紙の6紙の中から。
フランスの文化人類学者・思想家のレヴィ=ストロースが亡くなった。私たちの意識がつくり出している世界の背後に隠れた精緻な数学的な構造があることを、『親族の基本構造』などで解き明かし、構造言語学者のローマン・ヤコブソンとともに思想界に「構造主義」と呼ばれる潮流をつくりだした人物である。各紙の報道をみると、亡くなった日が微妙にちがう。30日と書いているところが多いが、ロイターは31日と書き、共同通信は31日から1日にかけての夜と書いているが...。
毎日から
W・P・ブロッカー、R・クンジグ『CO2と温暖化の正体』(河出書房新社、2520円)、評者・海部宣男。2007年のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の第4次評価報告では、温暖化は明らかに人類の活動が直接関与していること、気候変動は深刻な影響を及ぼすこと、これを遅らせる、さらに逆転させるには現世代のみが可能であることを、世界の数千人の専門家集団の共通認識として出した。近代・資本主義は欲望機械をフル稼働して生命を生み出した地球そのものを追い詰め、地球の気象現象に知らぬ間に介入し、人類の未来を破綻の縁まで追いやってきたということであろうか。
本書は、氷河期を中心とする気象学者の巨人といわれているブロッカーとサイエンスライターのクンジグの共著で、温暖化の科学的背景を数々の証拠を挙げて明らかにしている。ブロッカーももちろん人為的起因説にたつ。温暖化懐疑論はトンデモ本以外にも日本の書店に行けば多数出ているが、まず本筋を抑えてからでないと、議論にならないのではないだろうか。
藤田志穂『ギャル農業』(中公新書ラクレ、735円)、短評。「ノギャル」という言葉を初めてみた。農業をするギャルのことらしい。派手な厚化粧で田植えに出たり、稲刈りをする話がテレビニュースになったらしい。その仕掛け人が著者である。彼女はギャル風体で就職活動をしたが、ギャル、ギャルとバカにされる。そこで就職を止め、ギャル相手に起業して成功する。次は一念発起で「ノギャル」農業へ転身。若者に食と農を考えてもらいたいと取り組んだという話だ。
日経――
レオン・ヘッサー『ノーマン・ポーローグ』(悠書館、2000円)、評者・最相葉月。副題に「"緑の革命"を起こした不屈の農学者」とある。ポーローグは1970年ノーベル平和賞をもらっている。「高収量で病気に強い米や小麦、トウモロコシなど"奇跡の品種"を開発し、数億人を飢えから救った『緑の革命』」で知られる人物である。かれは1929年の大恐慌で飢餓が人間を変えることを知り、植物病理学を学び、ロックフェラー財団の科学者チームに参加し、穀物類の品種改良に取り組んだという。後年は遺伝子組み換えに賛成の立場に立ち、批判されている。評者は「ハイブリッド種子や化学肥料を用いる手法は大型資本による種苗や農地の独占を招き、地域が対立、農村自給率が低下したという現状報告はポーローグを打ちのめしたはずなのだ」と書いている。実は「緑の革命」には化学肥料、除草剤などが大量に投入された「化学薬品の革命」でもあったという批判がある。このあたりは別の視点で精査してもらいたいものだ。
S・M・ボードイン『貧困の救いかた』(青土社、2400円)、短評。厚労省は先月、日本の貧困率は15.7%と初めて公表した。自民党政権時代はなかった発表である。これを明らかにしないと改善度も明らかにならない。自民党政治はだれのための政治だったのかがわかる。著者は米国の貧困の研究者。出版社の宣伝文は以下の通り。「大航海時代をさかいに世界経済が統合され、貧困はその姿と意味を変えた。グローバリゼーションが拡大するプロセスとともに、貧困の変貌とその救済の歴史をさぐり、現代の国家規模の貧困救済や世界規模の福祉政策のありようまでを考察する画期的著作」。発展途上国だけでなく先進国にも貧困はある。本書は目次をみると、歴史を追いながら貧困の原因とその対策を追うかたちに構成されているようだ。まとめの「なぜこれほど楽観的なのか?」はぜひ手にとって読んでみたい。政治家にはぜひ読んでもらいたい本である。
徳永恂『現代思想の断層』(岩波新書、780円)、評者・清水太吉。本書は、ウェーバー、フロイト、ベンヤミン、アドルノらが取り上げられている。評者は冒頭で「過ぎ去った20世紀の諸思想は、未完成だが『大きな物語』を述べたものが多かった。この本は4人の思想家の断面を切り開き、彼らの思想の何が未完成であり、何を今日に問うているのかを尋ねようとしたものである」とかく。大きな物語に挑んだ思想家の営為、その雄々しいまでの勤勉さがあった。そうさせたものは何か。また、しかし中断(未完に終わった書物)せざるを得なかったその思考の中止点にはどんな断層をみることができるのか。まずそれをしっかり見つめることでしか、いまある思想の混沌を切り開くことはできない。そんな凛とした姿勢が伝わってくる。評者・清水は「著者によると、形式的情報化と実証主義的小心さの21世紀諸思想は、以上のような未解決の問いに向き合おうとしない、という。現代思想への痛烈な批判の書」と評している。
京都――
ポリー・トインビー、デイヴィット・ウォーカー『中流社会を捨てた国』(東洋経済新報社、2100円)、評者・暉峻淑子。この国は米国、英国をさしている。米国は1980年代、最高経営責任者(CEO)の平均収入は肉体労働者の42倍だった。それが2000年に531倍になり、2007年に660倍になった。英国でも同様に富裕層との格差が大きく開いたという。日本でも小泉時代から格差が問題になった。こうした社会は社会的一体感が喪失し、貧困に陥った人々に人間の尊厳にかかわるストレスが生まれ、病気の発生率、死亡の発生率を貧困層で高める結果につながる。また子どもに貧困のしわよせがいく。子どもの言語環境調査によると、専門職家庭の子どもは4歳までに5000万語の語彙を親から聞くが、福祉家庭の子どもは1200万語にとどまるという。語彙も前者は肯定的な内容、後者はそれに比べて否定的な内容が9倍高い。評者はその処方箋として本書の主張、「累進課税の強化。税の透明化による所得の再分配。特に子供の育つ環境と教育への配慮」を紹介している。
2009年11月 3日
編集局からの手紙 新型インフルエンザによる死 三室勇
▼11月2日東京都で1人、兵庫県で2人、新型インフルエンザによる死者がでたと発表した。全国で46人目(疑いも含む)になる。東京は72歳の女性で肝硬変の持病があったという。29日の40度の熱を出し、緊急入院し、インフルエンザA型陽性でタミフルを処方したが、夜には呼吸不全となり、31日に死亡した。兵庫県は神戸市の30歳男性(悪性リンパ腫治療中)と姫路市の80歳代の男性(糖尿病)である。
▼厚生労働省は1日、岩手、兵庫、京都で3人が死亡したと発表した。盛岡市の女児(2歳)、伊丹市の女児(8歳)、京都市の会社員女性(30歳)で、盛岡市の女児は29日の夜8時頃に高熱を出し、1時間半後に呼吸ができなくなり、1日午前6時に多臓器不全で亡くなった。伊丹市の女児も31日朝に発熱し、午後には心肺停止状態となり、心不全で亡くなった。京都市の女性は30日に発熱し、呼吸不全となり、1日朝亡くなっている。ここ数日で死亡が一気にふえているようだ。
▼京都市の女性の場合、30日昼発熱37.4度、近医へ受診、夜38~39度。翌31日夕方、市民病院へ受診、40度、簡易検査でA型陽性でタミフル処方。帰宅後、歩行困難になり、救急搬送され、精神症状が現れ、呼吸症状悪化し、呼吸停止。CT検査で脳浮腫が認められた。1日未明状態悪化、午前六時過ぎに死亡している。(厚生労働省のpress releaseより)
▼新型インフルエンザは実に短時間に炎症が肺全体に広がり、呼吸不全に至ることがわかる。その炎症の拡がりは数時間で肺全体におよび手の施しようがなくなるのではないかと思われる。またそうした臓器侵襲が全身に拡大し、多臓器不全に陥るケースもみられる。しかし、こうした死亡例は全体から見ればほんのわずかである。死亡率は季節性インフルエンザで0.1%、新型インフルエンザで0.4%といわれている。しかし、これから感染拡大が更にみられると思われる。広がればその率で死者も増加する。なにしろ早い対応が必要で、明日医者では間に合わないこともあることを十分に承知しておきたい。それと簡易検査で陰性であっても医者にはタミフルを要求することが必要である。
2009年10月27日
金大中氏の最後の講演 三室 勇
『世界』11月号に故韓国大統領金大中氏が6月11日、「6・15南北共同宣言記念式」での特別講演「行動する良心たれ!」が掲載されている。この講演は生前最後のもので2000年の「6・15南北共同宣言」と2007年の「10・4南北関係の発展と平和繁栄のための宣言」を記念した集会で行われたものだ。
講演冒頭は、今は亡き前大統領盧武鉉氏の思い出から語り出す。金大中氏は盧武鉉氏とは境遇が実に似ていたことを語り、時代は違うがともに時の独裁政権と闘ったこと、そして本業を捨てて政治の世界に飛び込んだこと、どこか縁で結ばれていた。もしや前世で兄弟ではなかったかと話す。それは盧武鉉氏の非業の死をいたわる気持ちが伝わる。後段で盧武鉉氏の死を悼み500万の人が弔問したが、確たる証拠もない追求、連日の報道におかしいやり方だと50万の人が声をあげていれば死ぬことはなかったはずだとも語っている。
二人でともに進めた北朝鮮に対する太陽政策が現政権によって覆されようとしている。李政権は時代に逆行していると訴え、金正日総書記には北朝鮮が多くの無念を抱えていることは理解する。また実際にアメリカは約束を反故にしてきたのだから。であっても一日も早く六カ国協議に復帰し、アメリカと対話し、核問題を解決し、朝鮮半島の非核化を進めるべきだと語る。そしてオバマ大統領には北朝鮮を無視せずに対話を進めよと促す。
李明博大統領に民主主義に逆行するこのままの歩みを続けるなら国民は不幸になり、李政権も不幸になると厳しく迫る。
そして韓国の人々に向かって――
「最後に、皆さんにも切にお願いします。(しばし沈黙)心から血を吐く心情で申し上げます。『行動する良心』になりましょう(拍手)。行動しない良心は、行動しない良心は、悪の味方です(拍手)。
独裁政権は剣を振りまわして光州で百数十人を殺し、人民革命党事件で殺し、その他にもどれほど多くの人々を死に至らしめたでしょうか。彼らの死に報いるために、私たち国民が血と汗で勝ちとった民主主義を守るために、私たちは為すべきことを為さねばなりません。...」
韓国の民主主義の重みが振り絞るような金大中氏の最後の演説から胸に響き伝わってくる。
「故韓国大統領金大中氏を追悼する集い」
呼びかけ人 土井たか子・河野洋平・清水澄子・山室英男・若宮啓文・古野喜政・岡本厚・東海林勤・深水正勝・石坂浩一・伊藤成彦・姜尚中・小中陽太郎・佐々木秀典・徐勝・高崎宗司・古田武・前田憲二・吉松繁・和田春樹
記
1、故韓国大統領金大中氏を追悼する集い
2、日程 2009年11月13日(金)
午後5時献花 6時追悼の言葉 8時30分閉会
3、会場 浜離宮朝日ホール(小ホール)
〒104-8011東京都中央区築地5-3―2(都営地下鉄大江戸線築地市場駅徒歩3分)
4、金大中李姫鎬夫人、朴智元秘書室長、韓勝憲弁護士が来日され、参加して下さいます。
2009年10月25日
日曜新聞書評欄簡単レビュー:三室 勇
日曜日恒例の新聞書評欄紹介。朝毎読日経産経地方紙の6紙の中から。
産経――
恵隆之介『昭和天皇の艦長 沖縄出身提督 漢那憲和の生涯』(産経新聞出版、1890円)を佐藤優が評を書いている。漢那憲和は沖縄出身の軍人であるが、琉球王の娘と結婚しており、沖縄の保守思想を引き継ぐ人物で、もちろん天皇主義者である。その生涯を紹介した本だが、評者は、今沖縄は普天間基地移設問題、日米地位協定見直しなどを巡り政治的に揺れているが漢那憲和のような人物に光をあてることで、「沖縄には多様な意見があることを知ることがわが国家体制強化に貢献すると信ずる」と本書を推奨している。佐藤という人は国家主義者であることを自認している。佐藤優はいかにして国家主義者になったのかは彼の一連の書籍を読めば一様は理解できる。
谷沢永一『日本の運命を決めた「坂の上の雲」の時代 立志編・風雲編』(李白社・1470円)、評者・渡部昇一。冒頭の書き出しがふるっている「かつてある書評に、私よりも反左翼的な人物がいると書かれたことがある。その人物は産経新聞に『坂の上の雲』を連載していた司馬遼太郎である」。次いで、岩波、朝日、NHKの「敗戦利得者史観」に抗する姿勢が司馬遼太郎にはあった、とつづく。11月から始まる3年かがりのドラマ「坂の上の雲」は、日本による「韓国併合」100周年にあたる今年からスタートする。司馬は生前この小説のテレビ化を拒んでいたという。その理由などはジャーナリスト・ネットの夏史邦氏の「『坂の上の雲』のテレビドラマ化」をお読みいただければと思う。NHKのドキュメント「ジャパン・デビュー」も今後どう展開するかが見物である。
真鍋智治・チームカワイイ著『カワイイパラダイムデザイン研究』(平凡社、2940円)、評者・篠原知存。著者は建築が専門という。デザインとしてカワイイ、カワイクナイの境界がどこのあるのかを探ろうする。「カワイイ」とは、まず、こどもっぽさが頭に浮かぶ。それは完成度が低い、ゆるい、やわらかい、小さい、不揃いである、なつかしい、アナログ...。そこで水玉を均間隔なものからゆらぎをもたせ、不規則なものまで順に並べると、カワイイの臨界点が存在することがわかる。今確かに「カワイイ」文化がある。それは何を示すのだろうか。
読売――
小沢信男『東京骨灰紀行』(筑摩書房、2200円)、評者・松山巌。著者は82歳、東京に生まれ、東京に暮らしてきた。その著者は「骨灰」を求めて東京中を歩き回る。地表の下には死者たちが累々と堆積している。その印に大量に亡くなった場所などには追善の石碑が刻まれている。それを探し求めて歩く。まずは浅草の回向院へ。そこには江戸時代の大火で多数の死者が出たことを記した石碑が建つ。日本橋の牢屋敷跡、千住吉原の遊女が投げ込まれた浄閑寺...。評者は文章は暗くない。ユーモアがあり、あきれたり、哀れんだり、笑ったりしながら、読者に語りかけてくるらしい。小沢節である。どうも人はこんなふうにして死ぬとはおもわなかった、というようにして死ぬのではないか。そんなことを思わせてくれる。
岡谷公二『原始の神社をもとめて』(平凡社新書、880円)、評者・小野正嗣。著者は80歳。島や森に惹かれ続けた人のように思う。日本、沖縄、済州島をめぐり古代人の聖なる場所をめぐり、思索した本だ。済州島の堂と沖縄の御獄(うたき)の相似性など文化や歴史におもいをはせて、古代神社のありようを探ろうとする。評者は、「音のしない葉むらのそよぎ」を思わせる静謐で美しい文章、と書いているが、そうした文章をぜひ読みたいとおもう。
日経――
有川浩『フリーター、家を買う。』(幻冬舎、1470円)、評者・小西聖子。著者は『図書館戦争』などのベストセラー作家らしい。この話は、会社を3か月でやめ、フリーターで暮らす、努力嫌いで傷つきやすく、プライドだけは高いというダメ青年がいかにして家を買うまでに至ったかというセクセスストーリーである。そこには家族との葛藤があるわけだが、一念発起して夜間道路工事のバイトに励むようになるかは、読んでのお楽しみだが、評者はこの本の効用として、履歴書の書き方、面接のコツ、オヤジ世代には若い者との接し方のノウハウが得られそうである。
島崎治道『食料自給率100%を目ざさない国に未来はない』(集英社新書、714円)。短評だが、どきっとさせられる。米仏は120%、英国で70%。日本は40%で、農地・農家が減ってきている。日本は世界の全穀物輸出量の9%を輸入している。これだけでも不安になる。小麦、大豆の生産からまず始めよと本書は提言する。
2009年10月17日
コラム「風」 スキャンダルとメディア 三室勇
▼今年3月、小泉・竹中構造改革路線を実際に軌道に乗せ、郵政民営化など担当していた高橋洋一元財務官僚が窃盗容疑で捕まった。それも日帰り温泉施設の脱衣所で時計と財布を盗んだ疑いをかけられて、それが報道され、一瞬のうちに大学職などを失った。
▼最近刊行された『恐慌は日本の大チャンス 官僚が隠す75兆円を国民の手に』という本の序章で、その事件の顛末を本人が書いている。要はロッカーの先客の忘れ物をあとで届けようと思ったが、予約していたマッサージに行き、その最中に眠り込んで、届けることを失念してしまった。自分のミスには間違いないが、取る気などさらさらなかったというわけである。
▼当時のテレビニュースをyoutubeで確認してみた。女子アナは、高級時計ブルガリ、財布など約30万円の窃盗容疑と報じ、警察の話によるとと前置きして、容疑者は前から時計には興味があったと説明していた。ところが本人は、自分は時計になど全く興味などはないことを、繰り返し書いている。
▼この発覚は脱衣所の監視カメラだったが、警察で聴取されたとき、本人はマスコミに漏れるとまずいな、と感じたという。名の通った人間としてはあたりまえだろう。警察も外にはもらさないという。後で返すつもりだったと抗弁しても、なにか大人げないと感じたこともあっただろう。結局はいったんは自分のポケットに入れたわけだから、それを認めたわけだ。
▼結局、書類送検されると一斉にマスコミが報じた。なぜ一斉報道になったか。ここらあたりが謎である。ただ、『さらば!財務省』『霞ヶ関をぶっ壊せ』と威勢よく、官僚批判をしていたことが、気に入らない人たちがいたことは確かだ。
▼放送メディアは権力とむすびついている。総務省が許認可権をもっているからだ。ここらあたりを切り離さないと、いつも視聴者は鼻薬をかがされつづけることになる。
2009年10月11日
日曜新聞書評欄簡単レビュー:三室 勇
恒例の日曜新聞書評欄からの紹介。今日は京都新聞から。
今中博之『観点変更 なぜ、アトリエインカーブは生まれたか』(創元社、1680円)、評者・山本和宏。大阪平野区に通所型福祉施設「アトリエインカーブ」がある。ここでは在籍する知的障害者をアーティストとして位置づけ、制作環境を整え、独立することを支援する芸術と福祉を融合させた施設である。「驚くべきはその高いクリエティビティー」と評者が賞賛するとおり、現代美術・デザインの世界からも高く評価されている。作品の一部はアトリエインカーブにアクセスすればみられる。この社会福祉法人の理事長である著者は、もう1つデザイン事務所も経営している。彼自身がアートディレクター、一級建築士であり、軟骨無形成傷害というハンディを持っているのだ。著者はニューヨークと大阪を拠点に多彩な活動をしている。今中の信念は、「デザインとは「社会的な企て」であり、すべての人々の平等で幸福な社会の実現を目指すもの」だという。著者自身、身体の障害を持ちながらも内面の健常性を併せ持っている。この二つを同時に生きる視点として「観点変更」という考えにいたる。こうした著者だからこそ障害者の持つクリエティビティーを引き出すことに着目したといえる。障害者美術をアウトサイダーアートを呼ぶ人たちがいるが、これには与したくない。健常者のアートと分けようとする下心が見える。障害者を社会が保護対象として見るのではなく、彼らのもつクリエティビティーが社会に還元される、そうした社会がめざされるべきだろう。
朝日――
篠田武司、宇佐見耕一(編)『安心社会を創る ラテン・アメリカ市民社会の挑戦に学ぶ』(新評論、2730円)、評者・南塚信吾。ラテンアメリカも新自由主義の影響をうけ、「新たな貧困」が問題視されている。その中で1990年代から、これを克服するための市民運動が起こってきた。NPO、NGOなどが福祉、環境保護、地域づくり、文化・教育とさまざまな分野で「安心社会」の構築に向けた活動をはじめたという。メキシコの貧困化する女性を支援する活動、ブラジルでは学校へ行けない子どもたちのために「路上教育」を行う社会運動など。エクアドル、アルゼンチン各国で住民参加による「安心社会」づくりを紹介している。しかし、日本の市民活動による「安心社会」づくりは、いまだ大きな動きになってはいない。
広田照幸『格差・秩序不安と教育』(世織書房、3780円)、評者・耳塚寛明。「1990年以降、教育政策が迷走を繰り返して日本的教育システムが崩壊したことに多くの人々が気づいている」(評者)ではその底流に何があるのか。教育の歴史社会学の視点からまとめたものという。70年代までの保革対立から複雑化し、三極化(①規制による質保障:文部省、族議員、②市場原理による質保障、新自由主義的改革派、③現場の自律性を重視したリベラル社民勢力)時代つづき、90年代に新自由主義的改革論がヘゲモニーをとるといった流れがあった。今後どう進めていくのか。「根拠なき新自由主義が歴史の必然ではなく選択の結果であったとすれば、私たちは別の未来を構想することができるはずだと著者は説く」、そのとき不透明な未来社会にあって政治的判断を下せる市民の育成が教育、教育学の使命だという。前述のラテンアメリカの例と比較して考えてみると、どうも頭の中だけの議論のようにも見えてしまう。
柳川喜郎『襲われて 産廃の闇、自治の光』(岩波書店、2205円)、評者・松本仁一。1996年に岐阜県御嵩町の町長が暴漢に襲われて殺されかけた事件があった。その町長自身が裁判記録などをもとにこの事件を綴ったものである。襲ったのは元暴力団組員で産廃処理場計画をしていた業者から4千万円の金が渡っていたという。日本は産業廃棄物処理に関して明確な政策を持っていないという。そのため企業は大金を払い、産廃業者が確保した埋め立て土地に依存する、そんな構図である。その土地確保に、脅し、暴力、金がつきまとう。反対住民には暴力団の脅し、町議会場に押しかける戦闘服の右翼集団。そうした中で御嵩町住民も町議も耐え抜いた。しかし、県では不備だらけの申請をやすやすと通してしまう。元建設官僚の知事は業者の代理人のようになってしまっている。県警も動きが悪い。県警OBが業者の会社に天下りしているからだ。評者は、同様な問題が日本各地に起こっている、と締めていた。
日経――
クリストファー・レーン『乱造される心の病』(河出書房新社、2000円)、評者・滝順一。米国の精神医学界では「内気は病気」であり、「社会不安」「回避性パーソナリティー傷害」と立派な病名がつき、向精神薬が処方される。今世界には4億5千万人の精神障害者がいる。この精神疾患と診断するために基準となる疾患分類はWHOのICD-10があり、米国精神医学会の統計的診断診マニュアルDSM-Ⅳが広く使われている。日本の精神医学でもDSM-Ⅳが利用されている。DSM-Ⅳは米国の精神科医の診た患者の精神症状から推論した診断名を統計処理して分類されたもので、米国基準であり、医師の主観も入っている。結局、原因がわからないものが多いためにそうせざるを得ないところもある。そこが危険と言えばいえないことはない。だから専門医でなければ診断してはいけないことになっている。先の内気は日本ではべつに病気とは思われていない。しかし、こうしたことも今の日本では「ひきこもり」として病気に扱われることもあるかもしれない。所属文化と時代によって精神疾患は変容することを考えておくべきだろう。この本は評者の紹介によると、1980年代に米国精神医学会が精神疾患の再定義を行う際にフロイトの流れをくむ精神分析医と確執があったことなどが書かれているようだ。それも興味深い話だ。脳科学の進展で、新たな診断基準が将来、現れるかもしれない。
ジル・プライス、バート・デービス『忘れられない脳』(ランダムハウス講談社、1900円)、評者・茂木健一郎。評者は以前読売で書評を書いていたが、今度は日経に移ったらしい。この本は面白い。「ハイパーサイメスティック・シンドローム(超記憶症候群)」の話である。今年44歳になるジルは人生に起こった事柄を皆記憶している。たとえばテレビの番組まで事細かに覚えている。そんなジルがメールで相談した医師ジェームズ・マゴーとの出会いがあり、この診断名につながったわけだ。彼女は記憶研究の脳学者から歓迎される。彼女の面白いところは単純な暗記物は苦手ということだ。記憶のメカニズムの謎を解き明かすにはこうした特異な人が役立つのかもしれない。評者は、「脳の働きの個人差は、科学的にはまだまだ未知の分野。私たち一人ひとりの脳の中に、驚くべき個性が気付かれないままに潜んでいるかもしれない」と書いている。
2009年10月 6日
編集局からの手紙 くすぶる鳩山献金問題 三室勇
鳩山献金疑惑が再度浮上し、野党自民党の恰好の攻撃材料になるにちがいない。しかし、何が問題になっているのか。謎の団体「鳩山由紀夫を告発する会」が7月に東京地検にこの件で政治資金規正法違反容疑で告発したことから、10月に入り、東京地検特捜部が本格捜査に入るという。
2009年9月27日
日曜新聞書評欄簡単レビュー:三室 勇
恒例の日曜新聞書評欄からの紹介。今日は読売新聞から。
村山富市、佐高信『「村山談話」とは何か』(角川oneテーマ21、705円)、評者・岩間陽子。鳩山内閣も村山談話を継承する旨、確か中国に伝えていた。ところで、この「村山談話」は、自社さ政権時代の総理だった村山富市が戦後50周年を迎えた1995年8月15日に出した談話がもとになっている。この政権は瞬く間に瓦解し、社会党は大食漢の自民党に飲み込まれ消化されてしまった。しかし、この談話は、自民党政権になっても対アジア外交を縛ってきた事実は重い。
「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」(談話の一部)
この談話の当事者が佐高との対談に応じた本である。評者は、この談話は当時の連立与党に共有化されず、8人の閣僚が靖国参拝を続けたと書く。そして、その後16年間自民党政権がつづく。今度の政権交代によって、アジア外交がどう展開されるのかが注目されるが、その土台にこの談話があることも確かなことである。
松尾文夫『オバマ大統領がヒロシマに献花する日』(小学館101新書、720円)、評者・渡辺靖。書き出しに、昨年、米国下院議長が広島の原爆慰霊碑に献花し、日本の衆議院議長が真珠湾のアリゾナ記念館で献花を行ったことを書いている。第二次世界大戦を巡る和解は、14年前にドイツと米英間で「ドレスデンの和解」を実らせた。日米間の和解は、相互の国の代表が戦争犠牲者に献花することで始まるのではないか。著者は、それを実現可能にするのに何が必要かを、この本で書いている。著者は共同通信のワシントン支局長を務め、今も活躍するジャーナリストで、「アメリカ・ウォッチ」というブログがある。この本は、ブログと連動して書かれたものだ。
互盛央『フェルディナン・ド・ソシュール 〈言語学の孤独〉、「一般言語学」の夢』(作品社、6000円)、評者・田中純。私たちは、言語は自分たちの外部に自律的に存在していると思っている。その通念を打ち壊したのがソシュールだと、まず評者は紹介する。「本書は、ソシュールが行った晩年の「一般言語学」講義の原資料の緻密な読解を通して、この破壊にいたる錯綜とした知的格闘の過程を」描き出した労作と評している。なぜ「一般言語学」なのか。それは「国語」のない「民族不在のヨーロッパ」の可能性、その「夢」に向けた逡巡と、後半で書いているが、それは普遍への強い欲求があるからだろう。ここらあたりは日本人にはまねできないものと感じる。
金容雲『日本語の正体 倭の大王は百済語で話す』(三五館、1500円)、評者・小倉紀蔵。著者は数学史が専門だが、日韓文化の関する本もいくつか書いている。7世紀頃までは日本語も百済語も新羅語もそんなに違わなかったという。では、今の違いはどこからくるのか。日本語は百済語の影響を強く残し、今の韓国語は中国語化した新羅語の影響をうけて、変形したからだと説明する。韓国では半島統一後の新羅が中国化(唐化)し、中国式の読みをするようになり、音韻が日本語の30倍増えたという。一方、百済の影響を受けた日本語は漢文を訓読する方法が定着し、日本独自の文学が生まれた。韓国ではこの音韻を記述する方法としてハングルが生まれるが、それは15世紀になってからだ。「現韓国語がオリジナルで日本語はその変形」といった誤解が韓国にはあるそうだが、実は日本語のほうが原型に近いというのが、著者の主張のようだ。先のソシュールの「一般言語学」とは違うが、日本語の生成の多面性を知ることができる。
毎日――
濱口桂一郞『新しい労働社会』(岩波新書、735円)、評者・伊東光晴。著者は労働法の研究者。労働をめぐる裁判にもふれているが、労働をめぐる社会に発言しているところがこの本の目新しさのようだ。なぜ日本は長時間労働が多いのか。裁判は、働く者の生活を重視しているのか。事実は反対で、高齢の母と2歳児を抱えて働く保育士の女性が遠距離通勤を要する配転を拒んだところ、会社は解雇し、最高裁も会社を合憲とした事案などをあげて、最高裁の判断を批判している。日本の会社の雇用契約は労働内容を問わずに会社と契約するが、欧米では、仕事内容とその報酬を契約する違いを挙げていた。このあたりも長時間労働につながっている理由である。
アーサー・ミラー『ブラックホールを見つけた男』(草思社、2625円)、評者・海部宣男。この本は京都評(評者・渡部潤一)にもある。ブラックホールがX線天文学により観測されたのは1970年代だが、その存在を予見したインド青年のチャンドラセカールは後年(1983年)ノーベル賞に輝く。彼は18歳の時に高密度に縮んだ星は壊滅的な終わりがあると考え、簡単な数式とともに「英国王立協会報」に送った。チャンドラ青年は英国に渡り、博士号をとり、この論文を仕上げて王立天文学協会で発表する。ところが時の天文物理学の重鎮、エディントンに完膚無きまでにたたかれる。その後も執拗にチャンドラを批判し続ける。京都新聞評は「どん底から頂点、科学者の奮闘」と見出しがついているが、その後、ブラックホールの存在がSFではなく、実際に存在していることが明らかとなり、チャンドラセカールの予見の正しさが理解されるようになるわけだが、この間の天文物理学の歴史とともに読み物として、楽しみたい一書だ。本の題名は「見つけた」となっているが、これは間違いで、その存在を予言したが正確と、評者・海部は書いていた。渡部評は、科学者が感情抜きで判断するというのは大いなる誤解だと、書いていた。
2009年9月19日
コラム「風」 サイトカインストーム 三室勇
▼現在、新型インフルエンザで国内の死者が15人出ている。15人目は17日に横浜で亡くなった12歳の男児で未成年で最初の死亡例だった。男児は高熱を出し、心筋炎と診断され、入院中の検査でA型インフルエンザとわかった。男児は気管支喘息の持病があったが、死因は呼吸器ではなく、頭蓋内出血といわれている。
▼15日、沖縄で基礎疾患を持たない健常な24歳の女性が亡くなった。感染後重症化し、くも膜下出血を併発したことが死因だった。医師は肺炎の進行が早く、重症化したと印象を述べている。出血原因は不明と答えていた。
▼医師は次いで「これは想像だが、死亡した女性は、ばい菌やウイルスに対して体内で免疫反応が過剰に出る『サイトカインストーム』が起こり、白血球の減少や肝臓の機能低下などを引き起こしたのではないか。若い人ほど激しく反応するため、サイトカインストームが起こりやすいとされる」(沖縄タイムス、ネット版、18日)と語っている。
▼サイトカインストームとは何か。まずサイトカインとは細胞間の情報伝達物質である。一般に細胞の増殖、分化、死(アポトーシス)のゴーあるいはストップは周囲の細胞と密接な情報交換が行われている。その任務を果たしているのがサイトカインだ。情報伝達物質にはホルモンが知られているが、これは特定臓器から分泌され、血流に乗って遠路はるばる標的まで届くといった仕組みである。サイトカインは比較的局所で情報を交換しあい、特別な産生臓器はない。多くは免疫細胞から産生される。こうした細胞がわかったのは、30年ほど前のことである。現在、数百種類発見され、なお途上にある。
▼サイトカイン同士は相互に影響し合っており、複雑な相関性で成り立っている。新型ウイルスの増殖による炎症が起こると、さまざまなサイトカインが総動員されて、過剰反応を起こすのではないかと考えられている。これがサイトカインストーム(サイトカインの嵐)である。
▼新型インフルエンザには早い対応が必要である。抗ウイルス薬を疑いがあったら、すぐ使うことだ。イギリスでは、行政サイトがネットで問診し、診断する方法をとっている。インフルエンザと診断されると家族、友人が抗ウイルス薬をもらいに行き、患者に投与するといった簡便な方法がとられている。新政権も大胆な新型インフルエンザ対策を打ち出すべきではないか。
2009年9月16日
今日の鳩山新政権の会見は内閣記者クラブの仕切りか 三室勇
大手マスコミは記者クラブ問題を伝えない。PJニュースによると、今日の首相官邸での記者会見は内閣記者クラブの仕切りで行われるようで、会員でないジャーナリストは閉め出されることになりそうだ。民主党はこれまで党本部で行われる記者会見はすべてのジャーナリストにオープンにしてきた。それは記者クラブ制度がこれまで政治家、官僚と癒着し、真実を隠蔽する側に働くことへの批判があったからだ。ところが権力を握った瞬間からジャーナリストにオープンを売ってきた民主党が二の足を踏んでいる。
慣例を盾に官邸会見は内閣記者クラブ主催で行うことになりそうだ。大手マスコミ記者だけが質問できる恒例のやつだ。確かに権力側からいえば、予想もしない質問にあたふたしなくてすむ安心はあるだろう。しかし、欧米では記者クラブ制度などなく、基本的には全てのジャーナリストに開かれている。もちろん、登録制などになっているが、日本のように大手新聞、大手放送網、二つの通信社、地方紙などで構成され、そのほかは一切取材が許されないのとは大違いだ。もちろん韓国も盧武鉉政権のときに記者クラブを廃止している。
日本の場合は、国、地方など行政機関に一律にこの記者クラブができていることが問題だ。新聞、放送が金太郎飴のように同じような記事に明け暮れているのは、この制度によるところが大きい。メディアと政治家、官僚のもたれ合いの構造ができているといわれても仕方がない。もし民主党政権が記者クラブ制度を維持する側に回るとすれば、それに足をすくわれることになるかもしれない。
2009年9月 6日
日曜新聞書評欄簡単レビュー:三室 勇
恒例の日曜新聞書評欄からの紹介。今日は朝日新聞から。
新井政美『オスマン帝国はなぜ崩壊したのか』(青土社、2520円)、評者・柄谷行人。オスマン帝国は623年続いて、第一次世界大戦後の1922年に多数の国家に分裂し、トルコ共和国に縮小された。1990年以後の旧ユーゴスラビアやイスラム圏で起こる問題はオスマン帝国が以前統治していたところだ。オスマン政府の場合は西洋諸国、ロシアから浸食されるなかで、西洋化し、国民国家をつくったという経緯のようだ。ここでも日本同様、軸は西洋近代をモデル化せざるを得ない時代背景がある。「本書が論じているのは、オスマン帝国の近代化を担ってヨーロッパに留学したさまざまな知識人群像である。かれらの言動は矛盾に引き裂かれていた。国内では政体に反対し、新聞を発行し、小説を書き、言文一致のトルコ語を創出する。西洋に対しては、イスラム教を擁護し近代西洋思想を批判する」(柄谷評)。これは明治期の日本の姿が二重写しに見える。西洋近代との位置取りが、その後の曲折に大きく影を投げかけている。評者も「われわれにとって疎遠な話ではない」と書いている。
ローレンス・ライト『倒壊する巨塔 アルカイダと「9.11」への道 上下』(白水社、各2520円)、評者・松本仁一。9.11の実相に迫った調査報道で07年にピュリツァー賞を受賞している。ビンラディンの生い立ちから彼の身長まで、事細かに調べ上げ、実戦経験のない夢想家だった彼が、過激な指導者で拷問を受けたことがあるザワヒリに出会い、民間人を犠牲にしても仕方がないという考えを持つザワヒリと組むことで、アルカイダが生まる、その経緯を追っている。アルカイダは93年に貿易センタービル爆破事件を起こしているが、FBIはイスラム過激派を警戒していた。その捜査責任者はジョン・オニール特別捜査官だった。すでにCIAは過激派リストをもっているが、FBIに渡そうとしない。9.11があってはじめて、リストが渡ったという。オニールについては女性関係まで取材し、人物像をリアルに描き出している。こうした徹底した調査報道と実名入りの記述がこの事件の真相の一端を明らかにする。
諸橋泰樹『メディアリテラシーとジェンダー 構成された情報とつくられた性のイメージ』(現代書館、2310円)、耳塚寛明。この本は、「メディアがどんなジェンダーを構成しているのか。女性雑誌の内容分析によって、メディアが女性を思考停止させ、女性としての「勝ち組」(セレブ)を指向させていることや女性に対する「痩せ強迫」の構成を明らかにする」(評者)。もう1つは、メディアがリアルをどう構成しているかを検証する。日本でも社会的性別から自由に自己決定できるジェンダーフリーが論じられ始めた頃に、教育現場での性教育を過激な左翼思想結びつくものとし、ジェンダーリーとともに自民党右翼から激しい批判、バックラッシュが起こったことがある。こうしたことを含めてメディアが作り出す男・女には批判的な見方、リテラシーが欠かせないことは確かである。
日経――
ニナ・バーリー『神々の捏造 イエスの弟をめぐる「世紀の事件」』(東京書籍、1800円)、評者・吉田司。2002年にエルサレムでイエスの弟、ヤコブの骨箱が発見されたというニュースがあった。イエスの実在を伺わせるもので、キリスト教世界では一大センセーショナルな事件だった。ところが2004年に古美術マニアのゴランの詐欺事件であったことがわかった。本書は、このゴランとそれを追うガノール刑事を追跡劇を描き出す。もう1つ面白いのは、実はガノールはさらに古い旧約時代のソロモン王の実在を伺わせるヨアシュの碑文の偽造事件を追っていた。この碑文がもしホンモノと認定されれば、ソロモンの実在が証明され、イスラム教徒の管理下の神殿の丘だけでなく、パレスチナ全土の領有権主張の根拠になりうる。こうした真贋には国家・民族の未来にも影響しかねない壮大な偽造ということになる。
読売――
ベネディクト・アンダーソン『ヤシガラ椀の外へ』(NTT出版、2200円)、評者・田中純。『想像の共同体』の著者が日本の研究者、学生に自らの知的遍歴を語った本で、日本でのオリジナルな出版物である。インドネシアでは「ヤシガラ椀の下のカエル」という諺があり、頭上の椀を天空と思い込むような、狭い独りよがりを戒める言葉として使われる。偏狭なナショナリズムへの戒めである。それは著者の生育歴からもいえる。中国生まれ、アイルランド育ち、ケンブリッジ後はアメリカで東南アジアをフィールドに政治学を研究してきた。うち向きになりがちな日本人に彼の言葉が魅力的に響くのではないか。
2009年9月 1日
編集局からの手紙 民主党圧勝、とりあえずは期待したいが... 三室勇
沖縄タイムスの31日社説は、"民主圧勝「世替わり」の始まりだ"と書いている。冒頭で、「驚くしかない結果だ。山が動いた」と最大級の表現をもちいて、長き自民党の世に終わりを告げたことを確認する。その原因の一つとして――
「小泉元首相の構造改革で公共事業が減り、建設業界には『自民以外の政党でも』という雰囲気が蔓延(まんえん)した。中央との『太いパイプ』を活力とした旧来の政治が変容した」ことを指摘している。
「民主党は、官僚政治を打破し、政治主導を掲げる。予算編成や外交の基本方針を策定する『国家戦略局』を設置し政治主導で政策決定を進めていく考えだ。有権者の期待も脱官僚にある」と書くが、自民党―官僚―大企業の構造的癒着のおこぼれにあずかるこれまでの世を変えていくのは大変なことだ。脱官僚を唱えるのはいいが、あっさりと官僚たちにしてやられる可能性大という観測もある。
今回の民主圧勝は選挙上手の小沢一郎が仕掛けをつくったともいわれている。いま民主党は、幹事長人事をめぐって、小沢か岡田かといった綱引きが行われていることを新聞が伝えている。小沢一郎のねらいは何か。不気味なところがある。なにしろ福田政権と大連立をぶち上げた思想の持ち主であり、かげろうのように影が薄かった細川政権を根回しした人物でもある。容貌カイイなこの人物の頭の中には近い未来に政界再編を考えているという噂もきく。
いずれにしても選挙民は、マニフェストの実行をみまもり、おかしな動きにはノンを突きつける気構えが必要だろう。
最後に期待したいこととしては、民主党の鳩山由起夫代表は、永住外国人の地方参政権に賛成の立場で、これまで国会質問に立ってきた人物である。この政権で、ぜひそれを実現してもらいたい。また日本の戦争犯罪を明らかにする「恒久平和調査局設置法案」の議員立法にも参加してきたと聞く。友愛を説く立場で、ぜひ実現してもらいたい。
2009年8月23日
日曜新聞書評欄簡単レビュー:三室 勇
今日、23日は京都では各地で地蔵盆が行われている。小さな路地など路ばたに祀られる地蔵菩薩を囲んで、お参りし、町内の子どもたちを楽しませる行事として長く続いてきた。京都では、お地蔵さんのほかに大日さんも祀られている。地区によっては天道大日如来を囲んだ大日盆もある。しかし、いまは両方含めて地蔵盆というとが多いようだ。日頃顔をあわせることのない町内の人たちが顔見知りになる機会でもある。
読売――
読売新聞「食ショック」取材班『食ショック』(中央公論新社、1300円)、評者・井上寿一。読売は2008年に取材班を組んで「食ショック」をテーマに一年間連載した。本書はそれをまとめたものだ。食料自給率40%にもかかわらず3000万人分の食品が廃棄されている。にもかかわらず65万人が食べるに事欠く人たちがいる。この格差は拡大していると評者はまず紹介する。食生活の変化にも驚く。汁物の代わりにペットボトル、おかずに冷凍食品が並ぶ食卓。三食サプリメント(錠剤、カプセルなど)という人もいる。また取材班は六年前に賞味期限の切れたイワシ味付缶詰を食し、充分食べられるとみんなが答えた。食についての様々な問題提起がされている本のようだ。
藤生京子『吉本隆明のDNA』(朝日新聞出版、1900円)、短評。吉本には「食」を語った本がある(『吉本隆明「食」を語る』)。しかし、本書は吉本に何らかの影響をうけた現代の論客たち(姜尚中、上野千鶴子、宮台真司、茂木健一郎、中沢新一、糸井重里)が吉本からどんな影響を受けたか、どのように距離を置いたかなど、著者がインタビューし、まとめたものだ。在野にあって強い影響力をもった吉本が提起したものは何だったのか。刺激的な本である。六人の語る吉本体験、それは今を考えるのに役立つ。
読売、京都――
佐藤友哉『デンデラ』(新潮社、1700円)、評者・松山巌(読売)、陣野俊史(京都)。この小説は姥捨て伝説を下敷きにしている。深沢七郎『楢山節考』、村田喜代子『蕨野行』に通じる題材だ。柳田国男『遠野物語』では、ある村の老人たちは「蓮台野」に捨てられたというが、別の村では「デンデラ野」と呼んでいたようだ。この物語は、捨てられた老婆たちは村襲撃派と穏健派の二派に別れるが、突如襲う羆や疫病との戦いに超人的なパワーを出して苦境を切り開いていくという話らしい。評者・松山は「男優位の社会、往生できぬ老人をめぐる現代人の寓話」と紹介し、荒っぽい文体、細部の粗さを指摘していた。評者・陣野は「一気に読ませる筆力はさずが。渾身の問題作」と書く。
毎日――
エルサ・ラモンテ『アンダルシアの肩掛け』(河出書房新社、1890円)、評者・井波律子。著者は現代イタリア作家で短編の名手だという。この短編小説集は幻想性に富んだ残酷童話集といってよいようだ。評者は「...人を原初的な慄きにいざなう物語世界を、精緻な語りに乗せて次々と描出してゆく。時代を超えて小説を読む醍醐味を満喫させてくれる一冊」と本の帯にあるような賛辞のコメントを寄せている。
トゥルグト・オザクマン『トルコ狂乱』(三一書房、3990円)、評者・山内昌之。地中海世界で隣り合ったトルコとギリシアは戦争を繰り返していた。第一次世界大戦に敗北したオスマン帝国の戦後処理に乗じて、ギリシアはトルコきっての港町と後背地であるスミルナを占領してしまう。それを奪還すべくトルコ革命派がギリシアと死闘を繰り返し勝利を得て、スルタン制を廃止し独立するという歴史ドラマを一書にしたもの。トルコ人ならだれでも知っている歴史で、本国では百万部売れた本だという。日露戦争を描いた「坂の上の雲」といったところか。ギリシアとの戦闘では、トルコは日露戦争をよく研究したという。
朝日――
林博史『沖縄戦 強制された「集団自決」』(吉川弘文堂、1890円)、評者・南塚信吾。本書は住民を巻き込んだ日本の戦争は絶えず住民の犠牲を伴うシステムとしてくみ上げられている。「上から下まで戦争遂行のシステムができているとき、その個々の局面を取り上げてそこで個人の責任を問うことは重要ではない。システム全体としての責任を見なければ、沖縄で「集団自決」した人々の犠牲を歴史において報いることはできない」こう評者は著者の主張を簡潔に紹介している。
白戸圭一『ルポ 資源大陸アフリカ』(東洋経済新報社、1995円)、評者・松本仁一。著者は元毎日新聞アフリカ特派員で、アフリカの崩壊国家の内部に入って取材をしたものという。ダルフールの虐殺では、政府軍の厳戒態勢をくぐって隣国から潜入し、民兵に襲撃された村を取材し、反政府勢力の指導者に会っている。アフリカ各地にとび、危険を承知の取材を重ねて書いたのが本書だ。豊富な資源が眠るアフリカ。今そこは腐敗した権力者が私物化し、暴力が支配する世界になっているという。
2009年8月15日
コラム「風」 この曖昧さがたまらない!? 三室勇
今日の新聞一面の片隅に政府広報の囲み記事が載っている。「本日は、戦没者を追悼し平和を祈念する日です」。そう、今日は敗戦記念日。だから「平和祈念日」としたわけだ。真偽は不明だが...。しかし待てよ、戦没者とはだれをさすのか。
▼今日行われる「全国戦没者追悼式」について政府は、「先の大戦における全戦没者に対し、国を挙げて追悼の誠をささげるため、昭和57年4月13日の閣議決定「「戦没者を追悼し平和を祈念する日」について」(別添)に基づき、政府主催の下に、平成19年8月15日、日本武道館において全国戦没者追悼式を行います」と報道発表している。
▼先の大戦? 第二次世界大戦、太平洋戦争、大東亜戦争、アジア・太平洋戦争、いずれかを使うとその歴史観・戦争観が明らかになるために、曖昧にしているとしか思えない。
▼では、戦没者とはだれか。「先の大戦」で亡くなった旧大日本帝国軍人・軍属230万人と原爆・空襲などで亡くなった日本国民80万人をさすとしか思えない。政府は戦傷病者戦没者遺族等援護法を作り援護をしてきたからだ。その対象は旧大日本帝国軍人・軍属に対してだけだった。それも戦後、日本国籍を選択権なしに奪われた旧植民地の軍人・軍属には一切援護はなかった。
▼もうひとつ考えなければならないのは、アジア全域で日本侵攻による大量な戦争犠牲者が出ている。これは戦没者に含まれていない。アジアで2千万人の戦争犠牲者が出ている。
▼「戦没者」という言葉は曖昧な言葉だ。軍人軍属の戦死者・戦傷病死者、非戦闘員死者を含んでおり、識別すべきことではないのか。また「没する」という言葉は、日が没するごとく自然のごとき響きがあり、この言葉を心理的負担なしに使いやすくしている。米国は戦死をkilled in action(KIA)と表記する。
▼昔、毎日新聞にこんな短歌が紹介されていた。
戦没者といひかえしとき戦死者のするどき眸(まみ)はみえなくなりぬ 小池光
2009年8月 9日
日曜新聞書評欄簡単レビュー:三室 勇
64年前の今日、11時2分に長崎市上空10メーターで原子爆弾が炸裂し、24万人口のうち7万4千人が死亡した。第一目標は小倉だった。小倉では目標確認失敗などが重なり、急遽、長崎に変更されたという。米国民の6割が原爆投下を正しい判断だったと考えているという最近の調査結果が報じられている(米キニビアック大学世論調査研究所)。支持層は白人、男性、55歳以上が圧倒的に高い。戦後の米国は原爆被害報道を規制し、真珠湾攻撃と原爆投下を天秤にかけて、前者が重いと世論形成した。しかし、人類史が後生に書かれたとして、過誤の大きさは後者になるのではないか。それをどう共有していくか。その道筋の一歩、それがオバマ米大統領の核廃絶に向けたメッセージだったと読みたい。
高瀬毅『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』(平凡社、1630円)、評者・直野章子。ナガサキ原爆の爆心地500メートルにあったのが浦上天主堂だった。もう一つの原爆ドームはなぜ被爆遺構として残されなかったのか。著者は米政府の意図が介在したからだという。被爆から10年後に米国から姉妹都市の話を持ちかけられ、長崎市長は訪米する。それまで天主堂廃墟保存に前向きだった田川務市長は帰国後意見を変えている。天主堂再建のために渡米した浦上司教区の山口愛次郎司教も廃墟保存に熱心ではなかったようだ。米国は天主堂の残骸は同じキリスト教徒が原爆を落とした罪の象徴とされることを恐れたために、この廃墟を危険視したためではないか、と評者は紹介している。もう一点、市民はなぜ保存の後押しをしなかったのか。この点を掘り下げてほしかったと評者はいう。
毎日は書評欄で"終戦記念日特集"をやっている。
評者・丸谷才一は、保坂正康『昭和史の大河を往く』(毎日新聞社、1470~1575円)を取り上げる。現在、七集まで出ているシリーズで、第一集・「靖国」という悩み、第二集・開戦、東条英機が泣いた、第三集・昭和天皇、敗戦からの戦い、第四集・東京が震えた日―二・二六事件、東京空襲、第五集・最強師団の宿命、第六集・華族たちの昭和史、とつづき、第七集・本土決戦幻想、オリンピック作戦編が6月に刊行されている。
評者は第七集を取り上げて長文の書評を書いている。米軍は昭和二〇年一一月一日に九州上陸を決行するオリンピック作戦、翌二一年三月一日に関東攻略を計画した「コロネット作戦」が立てられていた。この米軍作戦を読み筋として捉えていた男がいた。大本営情報将校堀栄三である。どのように読んだのか。米国株の動きだ。ラジオ傍受から製薬株と缶詰株が上昇するとその何ヶ月後には新作戦が始まることに気づいた。この情報は作戦参謀には無視される。日本軍上層は本土決戦、一億玉砕を叫んでいる。天皇と内閣を大本営がつくった長野県松代の巨大地下壕に幽閉し、軍がこの国を支配する妄想を捨てなかったのだ。著者はこの第七集で、もし八月一五日の降伏がなかったら日本人はどうなったかを問うている。一〇月二五日には九州は米艦の艦砲射撃をうけ、一一月一日に上陸か敢行される。日本軍の特攻攻撃、民間人の竹槍や鎌を持った戦闘参加が繰り広げられたかもしれない。北海道、東北にはソ連軍が侵入している。本土決戦は、特攻攻撃、人間爆弾に民衆を引きずり込む抗戦方式とならざるを得ない。評者は、本書に掲載されていた一枚の写真(新聞にも掲載されている)を取り上げる。仔犬を抱いた少年特攻兵の写真だ。仔犬を抱く一七歳の荒木幸雄伍長を囲む少年兵たち。評者・丸谷才一は「ここでわたしは言葉が涙に濡れないようにして書くが、これは昭和日本の最も悲しい写真だろう」と。仔犬の命を愛おしみながら死地に赴かざるを得ない少年特攻兵の微笑みが実に悲しい。
朝日―
ドナルド・キーン『日本人の戦争 作家の日記を読む』(文藝春秋、1800円)、評者・江上剛。永井荷風、伊藤整、高見順、山田風太郎、吉田健一といった文学者の日記から日本人の戦争観を読み解こうというものだ。著者がかなりショックを受けたと書くように、鬼畜米英、撃ちてし止まんの精神主義が横溢としている日記が意外と多いわけだ。評者も「本書は過去を語っているのではない。(中略)現在の私たちに民族意識の制御は可能かと問い掛けてくる」と書いている。
日経―
梯久美子『昭和二〇年夏、僕は兵士だった』(角川書店、1700円)、短評。金子兜太、三国連太郎、水木しげるなど五人が登場するノンフィクションライターの聞き書きである。三国連太郎について著者は「熱狂や陶酔と無縁の、酷薄ともいえるまなざし」と書く。三国は召集令状を「おまえもいろいろ親不孝を重ねたが、これで天子様にご奉公ができる。とても名誉なことだ」という母の手紙で知る。彼は戦争で死ぬことを恐れて、逃亡を計画、中国に渡ることを考え、手筈する。その間に母親に手紙を出している。三国は逃亡寸前に憲兵に捕まり、静岡連隊に入隊せざるを得なかった。母親が憲兵隊に息子の手紙を差し出したのだ。母親は一家が生きていくために涙をのんでご奉公に努めてくれと息子に頼む。しかし、手紙を憲兵隊に渡したことを知った三国は、長く母親を許すことはできなかった。
2009年8月 4日
編集局からの手紙 何時やめる裁判員制度 三室勇
裁判員制度がはじまった。多くの人々が望んでいないのにもかかわらず。この制度は殺人罪、傷害致死など重大な刑事事件のみを対象とし、量刑までも裁判員がかかわる。それも公判前整理手続きを行い、証拠、争点、審理計画などは始まる前に検察と弁護士、裁判官でネゴシエーションしておく。すでに調理済みの料理をだされるのに似ている。吟味は食材からとはいかない。なぜなら短期間で判決を出すためだ。素人に食材などみせても調理法もわからないだろうから。しかし、それで死刑になる人も出てくるわけである。
3日の夕刊各紙は、裁判員制度スタートを一面大見出しで取り上げている。朝日は「市民感覚の反映を目的とした裁判のスタートで、日本の刑事司法は新たな一歩を踏み出すことになる」と書いている。市民はこの法律を望んだわけではないのに勝手に上から降ってきた。どうみても市民感覚が反映するとは思えない。出頭が義務づけられ、むやみに拒否すれば罰金が課せられ、参加すれば日当はもらえるらしいが、一生、このことは人に話してはならないという守秘義務を負う。どうみても、ひらかれた社会をつくる礎としての法感覚を養うことにはほど遠いようにおもうが、いかがだろうか。
この制度の導入は、裁判の短縮化が至上命題だったのではないか。長い裁判は社会問題にもなっていた。しかしただ短縮すれば、ミスも増えるに違いない。裁判所、検察、弁護士の法曹界の責任が問われる。そこで人質のように市民が使われた。ミスがあっても同罪となるわけだ。そんなうがった見方もでてくる。なにせ最初の東京地裁のケースは4日間で判決を出す予定だという。この日、傍聴席から「裁判員制度反対」の声が上がった。筋書きが決まった裁判をやる必要があるのか、と問うた。
国民の8割が参加したくないと言ったこの制度を、何時やめるのか。それを多くの人に問うのがメディアの仕事ではないのか。始まったからしょうがないでは済まない。司法に市民が望んでいることは、冤罪を生む密室の自白を証拠にしないことであり、取調室の透明化を行うことだ。また世界が廃止の方向に進んでいる死刑制度を継続することがいいのか検討が必要だ。そうしたことを議論する中で、市民参加の裁判がみえてくるのではないか。
2009年7月26日
日曜新聞書評欄簡単レビュー:三室 勇
実に多くの本が出る。朝、毎、読、日経、産経、京都の6紙の新聞書評に各10点として60点、これはほんの一部でしかない。毎週の新聞書評から4、5点、多くて6、7点取り上げるのがせいぜいだ。偏りが出てくるのは当然だが、その偏りをみてもらうしかない。
朝日――
松森奈津子『野蛮から秩序へ インディアス問題とサラマンカ学派』(名古屋大学出版会、5250円)、評者・苅部直。20行ほどの短評だが注目した。ヨーロッパの近代国家論はホッブスに代表される。しかし、もう「1つの国家論」がスペインで展開されていた。それがサラマンカ学派だ。「国家の統治者もまた、人類普遍の規範に従うものとされ、異文化地域に対してそのようにかかわるかといった、現代風の課題もいち早く論じられていた」(評者)。その1つが植民地支配の問題である。ラス・カサスの『インディアスの破壊についての簡潔な報告』にもある通り、スペインは先住民(インディオ)の大殺戮を行った。こうした支配に仕方に異を唱えた政治思想があったということである。当時、傍流であったこうした考え方に光を与えた本のようだ。
毎日――
ラス・カサス『インディアス史 全7巻』(岩波文庫、840~1155円)、評者・池澤夏樹。長文書評で、締めの言葉に「われわれは1492年に戻って世界史を読みなおさなければならない」と書く。1492年、コロンブスが新大陸を発見する。同時代の歴史家ラス・カサスはその10年後に18歳でインディアス(新大陸のカリブ周辺の地名)に渡る。そこでスペイン人たちの原住民に対する暴虐の様をみる。その後帰国し、30歳をすぎて司祭となり、再びインディアスへ赴任。先住民を財産として植民者の分配するレパルティミエント制度に反対の立場を取った。82歳で没するまで先住民の立場に立った人物で、1492~1522年までの30年間のインディアスの歴史を書き残した。評者は、近代史を考える土台として考えなければならないことに、異文化接触の際に起こる悲劇、全てとはいえないが事実あったことを重視する。ラス・カサスは「全土を恐怖に巻き込んで降伏させるために、残虐と破壊のかぎりを尽くすことだった」と報告している。善良な原住民はその善良さ故に「攻撃誘発性(ヴァルネラビリティー)」を喚起する。今風に言えばそうともいえると評者は書く。弱いものは過酷な目にあってもしかたがない、とでもいうような考え方が、どうも打ち消しがたくあるのだろうか。近代とは、その土台の上に築かれたとすれば、口をぬぐって済ますわけにはいかないはずだ。
毎日――
橋本淳司『世界が水を奪い合う日・日本が水を奪われる日』(PHP研究所、1680円)、評者・森谷正規。地球規模で水不足が起こると言われている。その深刻さを実感していないが、これが食糧問題とつながって深刻な事態になることは予想できる。オーストラリアでは水泥棒が頻発し、水殺人も起こっているという。米国の穀倉地帯では大量の地下水のくみ上げて枯渇が心配され始めた。ヨルダン川を巡るアラブとイスラエルの争い。東南アジアを流れるメコン川の源流はチベット、中国はこの水資源を手放さない。そこに大規模ダムをつくるために、下流域では漁獲が減り、水不足で穀物生産が頭落ちだという。日本は、食料を輸入に頼っているため、水不足による食糧高騰の餌食になるといわれている。二酸化炭素排出権が市場取引される時代、水も市場化される日が近いことがわかる。
日経――
青山浩子『強い農業をつくる』(日本経済新聞出版社、1600円)、短評で評者の氏名なし。著者は農業ジャーナリスト。6月に企業が農業に参入する法律、改正農地法が成立した。日本の農村再生はいかにするか。「農業に魅力を感じている若者は多いが、問題は生活できる収入がえられるかどうかだ」。そこでの提言なども本書にはあるようだ。これからの農業と日本の食料問題は大きい。その割にはその道のジャーナリストは少ないようだ。
毎日、朝日――
カズオ・イシグロ『夜想曲集』(早川書房、1680円)、評者・毎日=丸谷才一、朝日=鴻巣友季子。著者は日系イギリス人で数多くの小説があるが、短編集の翻訳ははじめてのようだ。副題に「音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」とある。毎日評は文字数が多く、短編の簡略な紹介をして、感想を述べるという紹介だ。なかでも評者・丸谷は「チェリスト」に感銘を受けたと書く。観光客相手のサキソフォン吹きがバンド仲間の若いチェリストと出会い、その才能を有望とみてホテルのホールのバンドを紹介する。ところがそのチェリストに目をつけた女がさらっていく。そんなどこにでもありそうな話を出会いと、別れの話に仕立てるわけだ。その後のつかの間のふたりの再会の場面の切なさがいいと書く。朝日評は、音楽という才能、それを持つもの同士に「壁」があり、それが物語として書かれていると捉えている。なるほど、そう読めそうでもある。カズオ・イシグロは好きな作家の一人なので、これは読むしかないだろう。
2009年7月19日
コラム「風」コラムの筆法
▼新聞には2つの読み方があるという。まんべんなくすべてに目を通す人と、まずコラムを読んで、好きな記事を拾い読みする人、後者は女性に多いらしい。新聞のニュース記事が主食の料理とすると、コラムは箸休めのようなものかもしれない。口の中をさっぱりさせる酢の物のような。
2009年7月12日
日曜新聞書評欄簡単レビュー:三室 勇
今回の新聞書評では小説をとりあげてない。なにか自分の関心が赴くままに選び並べたものになった。
2009年6月13日
編集局からの手紙 不況の影 三室勇
先日、知り合いの広告代理店に勤務する若い友人の話では、広告出稿は恐ろしく減っているという。そういわれてみれば、新聞のページ数が以前より減ってきているように感じる。彼の話ではウィークデーに月に2回休みの日をつくって、行政の補助金をうけとる算段もしているらしい。工場では金曜を休みにし、週4日制で働くようなところもおおくなってきている。
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