2009年11月18日
あの日から30年 弟の死:川瀬俊治
11月16日は、あの日から30年たつ。早朝から雨が降っていた。朝靄の中で病院から引き上げる足音が、それも自分の足首が路面を踏む姿が鮮明にいまも残る。30年の歳月でわかったことは、亡くなった弟が「しょうがい」をもち28年の人生を駆け抜けたことであり、私は12歳の1年間、結核にかかっていたことだ。毎日続く微熱の正体が30年してわかった。肺に石化した痕跡でそのことを知った。
「よく微熱があることに耐えて生き抜いたものだ」と、私の生涯で唯一自分をほめることができる。その後、自然治癒した私は、誰よりも強くなるため運動に励んだ。野球部、バレー部、柔道部。そんな私が乳児期の高熱で発達の遅れを残した弟の「のろさ」に心寄せるはずがない。
ただ弟の小学校時代は、登校を拒否する手を引いて学校までの道をたどったものだ。夏休み、いじめっ子の群れが変形した弟の爪をみて揶揄しにくるプールべりでの「攻撃」に私は体を張った。4年生の私の教室でいっしょに机を並べて授業を受けたこともある。「おにぃーちゃん」と離れないからだ。運動場のものかげに隠れて様子を心配そうに見ていたのが母親は、すでに他界してこの世にいない。
誰よりも強くなろうとした私は、「のろさ」とは無縁だった。弟の手をひくこともなくなっていった。高校3年間毎日稽古に励んだ柔道では、顧問の先生から「天理大の柔道に行くか」と言われた。当時高校柔道では強豪をそろえた平安高校の柔道顧問か転勤された先生で、戦後間もない国体では「俵上げ」で優勝したことなど、幾つものエピソードをもつ猛者であった。しかし、もともと勝負に執着がない私はにべもなく断った。
何か、はばたけるチャンスが生まれる、あるいは訪れるとき、なぜかしら、私は身を引いてしまう。地方新聞の記者をしていたときもそうだ。条件のいい全国紙の記者にならないか、と誘われたときも、これもにべもなく断った。そこまで懸命になれないのかもしれない。
それでいて行動は矛盾していた。なお強くなろうとした志をもち、また、大きなニュースがあると血が騒いだ。ただ、強くなろうとした志は肉体ではなく、20歳をすぎると知の部分で本をむさぼり読むことになるし、大きなニュースの興味は、50歳も半ばにしてネット新聞?立ち上げの猛道に出る。この「強さ」への憧れこそ、私が、弟の「しょうがい」に気に留めることなく生きてきた源かもしれない。
ある種の鈍感さをも生んでいた。いや、「強さ」にひれ伏す平均化、画一化を生んでいると言えるかもしれない。個々人はそれぞれちがいをもつが、「強さ」の前に「弱い」ものがるという実に単純な画一化。「みんな、かわらない」「同じだ」という心根とどこか通底するイデオロギーがそこにある。心の奥底で「自分はちがう」という本音を抱いて。
思うに、1979年11月、20日ほどの入院で逝ってしまった弟が、亡くなってから教えてくれることが多いのはどうしてなのか。それも父母が他界してから、私が育った家に誰もいなくなり、もぬけの殻の部屋だからこそ声なき声が聞こえるのか。喪失した果てに真実があらわれるのか。それでは遅すぎるというのに。
生者は死者を利用する。担当医が言った「遺体解剖を」と迫ったやりかたはいまも納得がいかない。「ガン体質を知るにはあなたにもプラスになる」趣旨の発言をしたが、私は即座に言い返した。「あなたの症例研究には役立つだろうが、必要ない」。打ちひしがれた両親はそばにいた。死者は何事も言わない。私は病院の壁を思い切り蹴ったことを鮮明に思い出す。世の中はいつも生者の世界なのだ。
強者が生み出した「みんな同じだ」というイデオロギーも実は死者に対して絶対的優位にある生者が現した虚構なのかもしれない。決して同じではない強者が産み出した対等、平等観だからだ。しかし、一方で「同じでないもの」は「同じだ」と塗りこまれた世に居ずらくなる。私たちの視界から消されがちだ。それを受け入れる私たちは確実に病なのだ。「同じでないから平等なのだ」という重みに社会は耐え具現することができるのか。再び私が地獄に落ちないことの唯一の道筋かもいれない。
主張する人間に反発を覚えることが多々ある。主張せず、人様と、世間様と同じようにしているから丸く収まるからだ。ましてや、「しょうがい」をもつ人が主張することなど想像すらできない。主張を禁じられた弟は、何も主張しなかった。「しょうがい」があるとは気付かせなかった。しかし、確実に「しょうがい」をもち、28歳で夭折した。その意味が少しずつわかってきた。いい年をした私が。これからどうするのか。どう弟の苦闘を癒すことができるのか。ほかにも棘が私には刺さっている。
2009年10月28日
韓国映画「母なる証明」31日封切:川瀬俊治
韓国映画「母なる証明」が31日に封切られる。こんなに早く日本公開が実現されるとは思ってもいなかった。韓国で観たときは多分日本公開もあるだろうと思っていたが、半年で実現した。人気俳優のウォンビンが出ているから日本のファンには待ち遠しい作品だったかもしれない。
監督はポン・ジュノ。『殺人の追憶』(03)、『グエムル 漢江の怪物』(06)などの話題作で知られる。今回ウォンビンが演じるのは知的障害がある青年役であり、母キム・ヘジャは彼が犯したとされる犯罪の真相を暴いていく。
最後のシーンは何なのか。いまだに私にはわからないが、バスの中で踊るキム・ヘジャのシーンだ。母の愛情は息子を追いつめた犯人をたどり着くのだが、最後に息子に変わる恨みを晴らして解放されて踊るか。母の愛情の深さは人間が設定する境界(規範)をこえる。この愛情の深さを演じられるのは大女優と言われるキム・ヘジャしかいなのかもしれない。鬼気迫る演技はウォンビンが彼女の胸に抱かれる弱々しさまでかもしだすのだから、すごい。
私の朝鮮語の理解のなさで、まだわからないところがあるが、一方でウォンビンが演じる青年は純粋であり、悪に手を染めることと無縁であることを印象付ける。ポン・ジュノ監督は多分人間のずるさ、弱いものをいじめる強い立場の人間の狡猾さを描きたかったのかもしれない。
映画のポスターをネットで使用するのは大丈夫だと思っていたが、やはり「まるC」を入れて許可を取らないとだめなことがこの映画の日本のニュースを読みわかった。著者権はシビアーだ。
2009年10月26日
女優酒井法子被告裁判と傍聴券入手:川瀬俊治
覚せい剤取締法違反の罪で起訴された女優酒井法子被告の初公判が26日午後1時半から東京地裁で始まったが、傍聴席を求める人が6000人を越えたとか。なんということか。
私も傍聴券入手のアルバイトを頼まれたことがあるからわかるが、いくらかのお金がメディアから支給されるのである。これが割りがいいのだ。というのは、傍聴券の引き換え番号をもらえれば、あとは抽選までフリーだからだ。機械の前でオートメーションの部品組み立てなら作業現場を離れることなどできない。締切りの原稿が遅れれば信用をなくす。傍聴券の抽選番号をもらうだけなのだ。フリーというのは気楽で、かつ券があたらなくても責任を問われない。
しかし、6000人が集まるほど、そこまでして報じたい内容なのか。要は覚醒剤を使うことの犯罪性の重大さを自覚していく社会風潮を高めることにあるなのに、ザッハリッヒ(その他)のことばかり報じられる。困ったものだ。視聴率がいいからヒートアップするのかもしれないが、それにしても熱すぎる。
2009年9月30日
韓国映画最新作「私の愛、私のそばに」;川瀬俊治
韓国で24日に封切りされた「私の愛、私のそばに」を見た。ルゲリックという病と闘う一人の男性ペク・ジョンウ(キム・ミョンミン)と、その看病をする恋人イ・ジス(ハ・ジウォン)の姿を描いた映画だ。間違いなく多くの観客を集めるだろう傑作である。
何が傑作か。キム・ミョンミンの好演である。最後の場面で、病気初期のころのシーンと、病についに命を奪われた場面が対比できるよう編集されていたが、これほどまでに痩せたかと思うほどの姿であった。キム・ミョンミンは撮影過程で20キロ痩せたという。
恋人のハ・ジウォンは実に明るくキム・ミョンミンに対して接し、その輝きは無邪気さが出ていたのが何とも好印象を与えた。
ハ・ジウォンの役は葬礼指導師といわれる仕事である。日本の納棺師の役によく似ている。最初の場面は彼女の仕事の場面から始まり、最後は病で亡くなったキム・ミョンミンのそばで葬礼も行ない、そばによりそう姿をロングで描き終わる。まさしく題名のとおり「私の愛、私のそばに」である。
パク・ジンピョ監督はどうして彼女にその役として登場させたのか。生と死の厳粛さを描きたかったからだと感じた。ルゲリック病で徐々に衰弱していくキム・ミョンミンの姿こそ、生きる姿そのものである。
キム・ミョンミンは演技していて最後は意識が朦朧としたという。回復に時間を要したというから、相当の役作りだ。それだけにこの病で苦しむ人たちへの思いも深くしただろう。しかしすごい演技だ。
2009年9月27日
野外の夜間集会禁止は憲法違反;川瀬俊治
韓国の憲法裁判所は夜間の野外集会制限を憲法の集会・結社の自由に違反しているとする判決を24日に下した。昨年の米国産牛肉輸入に端を発した「ろうそくデモ」は正式には「ろうそく文化祭」とされた。それは集会の夜間禁止からとられた便宜上の名前であり、夜間集会禁止制限対策のためだった。「ハンギョレ」は25日付新聞で1面と3面に分けて憲法裁判所判事の意見など掲載している。詳細は後日報じる。
2009年9月 9日
J-ネットがたどり着いたブログ集合体と「選択と集中」の特徴を具現する継続した取材の取り組み:川瀬俊治
現在の編集画面はブログの集積体としてのJ―ネットは5年の活動の1つの結論であり、試行錯誤の結果たどりついた現時点での完成体である。当初、デイリージャーナリズムの活動が可能とみていたが、様々な局面で対応できなかった。現場取材が大事だと認識しながらもほとんど出来なかった。その反省が現在のブログ集積体を選択せざるをえなかった。
しかし「ジャーナリズムにJ―ネットここにあり」という存在感はブログ集積体を提示することが本来目指したものではない。異なる。「選択と集中」というネットのあり様の基本をどう実現するのか。そのためには「J-ネット総力取材」のコーナーを作り記事を送ることが重要だとの結論に傾いてきた。
問題は継続性である。一定の継続性をもち記事を生み出していくことが生命線になる。「コーナーを設けたがしばらくしてぽしゃった」というのでは意味がない。「選択と集中」で記事を送るのは素晴らしいが、継続した取り組みをどう実現するのか。J-ネットが抱える営みの具現化は決まったといえる。
問題が鮮明化することで、いよいよ取り組みが具体的に提示される時にきたのだ。
2009年8月18日
金大中元大統領死去:川瀬俊治
金大中元大統領死去
韓国の民主化に捧げた元大統領金大中さんが18日午後1時43分亡くなった。享年85.これまで体調面で何度も危険な状態を体験してきたが、不死鳥のように回復をみせた方であっただけに、今回、重篤な病状が伝えられていたものの、「きっと回復される」と念じていた人も多かった。8月に入り、現、元職大統領が見舞う慌しさ尋常ではない気がしたが、まさかの悲報に驚くばかりだ。韓国では同じく民主化に全力をかけた盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領を亡くしたばかり。そのダブルショックははかり知れない。(本ネットでは追悼記事を随時掲載します)
2009年8月 7日
対話で進む危機打開ークリントン元大統領の電撃訪朝:川瀬俊治
クリントン元大統領の朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の電撃訪問は、朝鮮側が大きな利を得たと思う。実に外交上手な国だ。
「核保有国」としてアメリカとの二国間協議の場を勝ち取ることが朝鮮のかねてからの戦略であり、その機会をうかがっていた。それが実現したのだから朝鮮側が笑って見送りをしたという報道を読むと(『中日新聞』8月7日朝刊)、朝鮮側の勝利を祝う大々的報道もうなずける。
朝鮮側メディアの大々的な報道できわめつけは、「アメリカ側が謝罪した」というものだ。もちろんアメリカ側は否定する。そして「核問題など協議しなかった」とクリントン氏は帰国後語っていたが、7日になるとニュアンスが違う発言をするようになってきている。
朝鮮は発言の一部始終を知っている。そこで優位に立っている。一方は一旦否定しながら、7日になり「国家にかかわることだから言えない」とまで発言を修正するようになっている。どうオバマ政権が朝鮮の核廃絶までもっていけるのか。
ここでいみじくも露呈したのは、朝鮮への制裁決議の効果のなさだ。国連決議により日本も朝鮮への制裁をさらに課した。核拡散をどう防ぐのかの一点で制裁は動くが、肝心のアメリカが実質的な二国間協議に応じたのは、一番大事なものを朝鮮が確保したことになる。つまり朝米協議が進展すれば、制裁も取り払われるという事実だ。その片鱗が今回出た。
対話がどう進むのか。朝米で。それでは日本はどうなのか。まるで米追従ではなにのか。官房長官は国交正常化まで進めばいいと、なんと他人事のように語っていたが、そのため日本は何をしているのか。アメリカ頼みではいきまい。
2009年7月12日
特集「麻生政権の終焉、そして・・」先が見えた
民主が東京都の都議会選挙で第1党をとることは予想されたとおりだ。そして麻生さんの「クビ」をすえ変えて新たな体制を作りぎりぎりねばり総選挙に臨むが、それでも勝利は望めない。
2009年7月11日
特集「麻生政権の終焉、そして・・」
政党選択は何を基準とするかは、政策であることをまず抑える必要がある。自民と民主との政策の違いは。また公明、社民、共産、国民新党の違いは......を考えねばならない。
2009年7月10日
特集「麻生政権の終焉、そして・・」
政党選択は何を基準とするかは、政策であることをまず抑える必要がある。自民と民主との政策の違いは。また公明、社民、共産、国民新党の違いは......を考えねばならない。
2009年7月 2日
舌戦政治と近々事態の観測記事の醜悪さ
政治とメディアは緊密というより、煽ることで活性化するのが両者の特徴か。知事を辞めて国政へーへという東国原宮崎県知事の弁に踊らされるメディアは 、本当に「総裁候補」発言を信じているのか。
2009年6月20日
2009年6月 6日
冤罪逮捕時の足利事件報道を検証する
栃木県足利市で1990年におきた幼女殺害事件(足利事件)でDNAが犯人のものと不一致とわかり、冤罪で17年の獄中にあった菅家利和さん(62)が釈放された。もし進化したDNA鑑定がなければ依然として「確定された無期刑」ままだと思うと背筋がゾクゾクとする。
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