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<title>あの日から３０年　弟の死：川瀬俊治</title>
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<description>　１１月１６日は、あの日から３０年たつ。早朝から雨が降っていた。朝靄の中で病院から引き上げる足音が、それも自分の足首が路面を踏む姿が鮮明にいまも残る。３０年の歳月でわかったことは、亡くなった弟が「しょうがい」をもち２８年の人生を駆け抜けたこ...</description>
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<![CDATA[<p>　１１月１６日は、あの日から３０年たつ。早朝から雨が降っていた。朝靄の中で病院から引き上げる足音が、それも自分の足首が路面を踏む姿が鮮明にいまも残る。３０年の歳月でわかったことは、亡くなった弟が「しょうがい」をもち２８年の人生を駆け抜けたことであり、私は１２歳の１年間、結核にかかっていたことだ。毎日続く微熱の正体が３０年してわかった。肺に石化した痕跡でそのことを知った。</p>

<p>　「よく微熱があることに耐えて生き抜いたものだ」と、私の生涯で唯一自分をほめることができる。その後、自然治癒した私は、誰よりも強くなるため運動に励んだ。野球部、バレー部、柔道部。そんな私が乳児期の高熱で発達の遅れを残した弟の「のろさ」に心寄せるはずがない。</p>

<p>　ただ弟の小学校時代は、登校を拒否する手を引いて学校までの道をたどったものだ。夏休み、いじめっ子の群れが変形した弟の爪をみて揶揄しにくるプールべりでの「攻撃」に私は体を張った。４年生の私の教室でいっしょに机を並べて授業を受けたこともある。「おにぃーちゃん」と離れないからだ。運動場のものかげに隠れて様子を心配そうに見ていたのが母親は、すでに他界してこの世にいない。</p>

<p>　誰よりも強くなろうとした私は、「のろさ」とは無縁だった。弟の手をひくこともなくなっていった。高校３年間毎日稽古に励んだ柔道では、顧問の先生から「天理大の柔道に行くか」と言われた。当時高校柔道では強豪をそろえた平安高校の柔道顧問か転勤された先生で、戦後間もない国体では「俵上げ」で優勝したことなど、幾つものエピソードをもつ猛者であった。しかし、もともと勝負に執着がない私はにべもなく断った。</p>

<p>何か、はばたけるチャンスが生まれる、あるいは訪れるとき、なぜかしら、私は身を引いてしまう。地方新聞の記者をしていたときもそうだ。条件のいい全国紙の記者にならないか、と誘われたときも、これもにべもなく断った。そこまで懸命になれないのかもしれない。</p>

<p>　それでいて行動は矛盾していた。なお強くなろうとした志をもち、また、大きなニュースがあると血が騒いだ。ただ、強くなろうとした志は肉体ではなく、２０歳をすぎると知の部分で本をむさぼり読むことになるし、大きなニュースの興味は、５０歳も半ばにしてネット新聞？立ち上げの猛道に出る。この「強さ」への憧れこそ、私が、弟の「しょうがい」に気に留めることなく生きてきた源かもしれない。</p>

<p>ある種の鈍感さをも生んでいた。いや、「強さ」にひれ伏す平均化、画一化を生んでいると言えるかもしれない。個々人はそれぞれちがいをもつが、「強さ」の前に「弱い」ものがるという実に単純な画一化。「みんな、かわらない」「同じだ」という心根とどこか通底するイデオロギーがそこにある。心の奥底で「自分はちがう」という本音を抱いて。</p>

<p>　思うに、１９７９年１１月、２０日ほどの入院で逝ってしまった弟が、亡くなってから教えてくれることが多いのはどうしてなのか。それも父母が他界してから、私が育った家に誰もいなくなり、もぬけの殻の部屋だからこそ声なき声が聞こえるのか。喪失した果てに真実があらわれるのか。それでは遅すぎるというのに。</p>

<p>　生者は死者を利用する。担当医が言った「遺体解剖を」と迫ったやりかたはいまも納得がいかない。「ガン体質を知るにはあなたにもプラスになる」趣旨の発言をしたが、私は即座に言い返した。「あなたの症例研究には役立つだろうが、必要ない」。打ちひしがれた両親はそばにいた。死者は何事も言わない。私は病院の壁を思い切り蹴ったことを鮮明に思い出す。世の中はいつも生者の世界なのだ。</p>

<p>強者が生み出した「みんな同じだ」というイデオロギーも実は死者に対して絶対的優位にある生者が現した虚構なのかもしれない。決して同じではない強者が産み出した対等、平等観だからだ。しかし、一方で「同じでないもの」は「同じだ」と塗りこまれた世に居ずらくなる。私たちの視界から消されがちだ。それを受け入れる私たちは確実に病なのだ。「同じでないから平等なのだ」という重みに社会は耐え具現することができるのか。再び私が地獄に落ちないことの唯一の道筋かもいれない。</p>

<p>　主張する人間に反発を覚えることが多々ある。主張せず、人様と、世間様と同じようにしているから丸く収まるからだ。ましてや、「しょうがい」をもつ人が主張することなど想像すらできない。主張を禁じられた弟は、何も主張しなかった。「しょうがい」があるとは気付かせなかった。しかし、確実に「しょうがい」をもち、２８歳で夭折した。その意味が少しずつわかってきた。いい年をした私が。これからどうするのか。どう弟の苦闘を癒すことができるのか。ほかにも棘が私には刺さっている。<br />
</p>]]>
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<dc:date>2009-11-18T12:28:21+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://j-net.obei.jp/kawase/2009/11/post-61.html">
<title> 日曜新聞読書欄簡単レビュー：川瀬俊治</title>
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<description>　日曜日恒例の 日曜新聞読書欄簡単レビュー。まずは外国人介護士をめぐる論考から。 　出井康博『長寿大国の虚構』（新潮社、１５７５円）－朝日―のサブタイトルは「外国人介護士の現場を追う」である。インドネシアから昨年介護士が来日し、私が住む奈良...</description>
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<![CDATA[<p>　日曜日恒例の 日曜新聞読書欄簡単レビュー。まずは外国人介護士をめぐる論考から。</p>

<p>　<strong>出井康博『長寿大国の虚構』（</strong>新潮社、１５７５円）－朝日―のサブタイトルは<strong>「外国人介護士の現場を追う</strong>」である。インドネシアから昨年介護士が来日し、私が住む奈良の病院でも働いている。そのルポを読んだことがあるが（日経）、その病院は通常の２－３倍の時間を割いて日本語習得をする取り組みをしていた。それは素晴らしいことだが、この病院がいくらがんばっても、介護試験では受からないと祖国に返されるのだ。日本人と同じ試験というから酷以外にない。この本の評者小杉泰が「定着してもらいたいのか、本音はほしくないのか、方針に根本的な矛盾がある」と書いているように、外国人介護士に対する根本的は議論がない。目を輝かせで日本に来たインドネシア、フィリピンの人たちに本当に日本で働いてよかったとする心情をいまの制度では育てることができない。ホ書は受け入れの日本政府、送り出し側のインドネシア、フィリピン政府を取材している。「政府の当時たちが個別の利権を優先し、現場のニーズを無視している実態を活写している、と評者は書いている。</p>

<p>　外国人の移入問題が実は２１世紀日本が取り組まねばならない課題である。日経が「今を読み解く変わる例を<strong>稲葉佳子『オオクボ　都市の力』（</strong>学芸出版社）で述べている。東京・大久保の変貌はＪＲ大久保駅周辺に住む外国人比率は４割に迫るという。韓国、中国、タイ、ベトナム、インドなどの飲食店が並ぶほか、美容院、ホテル、旅行会社など外国人経営の店が立ち並ぶ。日本人か変わるという。ブラジルに移民した日本人の後裔がデカセギとして日本に戻り暮らすその姿を描いたのが<strong>杉山春『移民漂流』</strong>。この書では不況での「派遣切り」が相次いだ日本でブラジルに帰国した人が１割程度としている。定住指向が強いことを示しているわけだが、それを受けて日本の施策として強めねばならないのは日本語教育や子どもたちの教育だろう。紹介文を書いた藤巻秀樹が指摘していることだが、これまでの積み重ねがないのかとも思う。つまり識字政策での弱さである。社会観が問われるのが識字政策だから、今後も模索が続くだろう。<strong>増谷英樹編『移民・難民・外国人労働者と多文化化共生』（</strong>有志舎）はドイツの例は戦後すぐ移民受け入れに転じたが、その実例は日本の政策を考える場合に参照になる。</p>

<p>　朝日の書評欄から紹介した寿命についての関連本の紹介では、<strong>池田清『寿命はどこまで延ばせるか？』（</strong>ＰＨＰサイエンス・ワールド新書、８４０円）と、<strong>祖父江逸郎『長寿を科学する』（</strong>岩波新書、７３５円）ーいずれも中日ーがある。前者は生物学者が寿命、老化のシステムを分かりやすく説き明かしたもの。後者は１００歳を数える人が日本では４万を数えるが、現代の長寿科学の知見の俯瞰図を示した者。後者はとりわけ人間の寿命は老化のプログラムが組み込まれた結果だが、文明の発達で得たのが長い老後というわけだ。その意味とは何かを問た本でもある。</p>

<p>　税について社会学者が論じた本が出た。<strong>立石真也ほか『税を直す』（</strong>青土社、２３１０円）ー中日ーである。累進課税と所得控除による所得再分配を財源問題の軸として分析している。公平や応分負担の視点から論じる。</p>

<p><br />
<strong>（文中敬称略）</strong></p>]]>
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<dc:date>2009-11-15T09:25:42+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://j-net.obei.jp/kawase/2009/11/post-60.html">
<title>１１・８　「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」大阪・中之島公園集会に参加を；川瀬俊治</title>
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<description>再度の訴えです。今月12～13日のオバマ大統領の来日を前に、沖縄では大規模な「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」が今月8日（日）午後2時より宜野湾市海浜公園屋外劇場で開催されます。この県民大会に呼応して私たちが暮らしている場...</description>
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<![CDATA[<p>再度の訴えです。今月12～13日のオバマ大統領の来日を前に、沖縄では大規模な「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」が今月8日（日）午後2時より宜野湾市海浜公園屋外劇場で開催されます。この県民大会に呼応して私たちが暮らしている場所で声を上げることが重要だと考え、<br />
辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動が開かれます。おおくの参加を！！集会名は「普天間基地撤去　辺野古新基地建設反対　大阪アクション」で今月8日（日）同時刻午後2時より中之島公園女神像前で開き、集会とデモをおこないます。この1～2カ月間が、沖縄に基地を100年先まで押し付けるのか否かを決する最重要な局面であり、集会は重要な局面をもちます。<br />
</p>]]>
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<dc:date>2009-11-05T00:30:11+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://j-net.obei.jp/kawase/2009/11/post-59.html">
<title>１１・８　「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」大阪・中之島公園集会に参加を；川瀬俊治</title>
<link_daily>http://j-net.obei.jp/kawase/2009/11/01/</link_daily>
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<description>  11月12～13日のオバマ大統領の来日を前に、沖縄では大規模な「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」が11月8日（日）午後2時より宜野湾市海浜公園屋外劇場で開催されます。この県民大会に呼応して私たちが暮らしている場所で声を...</description>
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<![CDATA[<p>  11月12～13日のオバマ大統領の来日を前に、沖縄では大規模な「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」が11月8日（日）午後2時より宜野湾市海浜公園屋外劇場で開催されます。この県民大会に呼応して私たちが暮らしている場所で声を上げるため辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動が開かれます。おおくの参加を！！集会名は「普天間基地撤去　辺野古新基地建設反対　大阪アクション」で１１月8日（日）同時刻午後2時より中之島公園女神像前で開き、集会とデモをおこないます。この1～2カ月間が、沖縄に基地を100年先まで押し付けるのか否かを決する最重要な局面であり、集会は重要な局面をもちます。<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　<br />
</p>]]>
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<dc:date>2009-11-01T16:20:48+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://j-net.obei.jp/kawase/2009/11/post-58.html">
<title>日曜新聞読書欄簡単レビュー：川瀬俊治</title>
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<description>　今日はあまり取上げたことがないジャンルを重点的に紹介したい。哲学関連は紹介しているので、今回の趣旨とは違うが、哲学史とも読める哲学の本から。高村薫が評者のサイモン・ルリッチリー『哲学者たちの死に方』（河出書房新社、３１５０円）－朝日―では...</description>
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<![CDATA[<p>　今日はあまり取上げたことがないジャンルを重点的に紹介したい。哲学関連は紹介しているので、今回の趣旨とは違うが、哲学史とも読める哲学の本から。高村薫が評者の<strong>サイモン・ルリッチリー『哲学者たちの死に方』（</strong>河出書房新社、３１５０円）－朝日―では、「古今東西１９０人余の哲学者たちの臨終図鑑」とある。毒杯をあおいだソクラテスは自らの死を弟子たちに示したように、自身の死は弟子、すなわち他者に示したものであった。つまりソクラテスは自らの死を他者によって定まるをことを知っていたのである。そういう意味では、「他者の死が私に思索を要請するのであり、私は自分の生を通して他者の死を考察し、その考察がまた私の生をつくってゆくのである」（評者）ということになる。この書は哲学書で哲学をするのではなく、哲学者の死をかんがえることで読者に哲学することを迫る。それぞれの哲学が獲得した理念、概念から哲学を考えるのではなく、こういう迫り方は、意外と哲学を身近に手繰り寄せることになるかもしれない。</p>

<p>　音楽批評の本をこの欄で紹介したことはなかったが、<strong>鈴木淳史『背徳のクラッシック・ガイド</strong>』（洋泉社、７７７円）―朝日―は、多くの演奏、楽曲をとりあげて、ギャグをまじえて「快速な音楽批評の芸を楽しませる」（評者　苅部直）。掘り出しもの演奏録音を聴くときのように、一気に読ませると評者は書く。</p>

<p> 　同じくテーマとして紹介したことがないものに、探検にかかわる書がある。<strong>フェリペ・フェルナンデス・アルメスト『世界探検全史』上・下</strong>（青土社、各２４００円）ー日経ーは、探検が決して愚行ではない容易周到なものであることを記述する。片路だけは冒険ではないのだ。帰りを見越した情報の習得がある。インド洋、大西洋、太平洋などの航海ｄｒは風と海流を知り尽くして新たな土地を目指すのだ。季節風、貿易風を計算して往路を考えての出発である。評者横山紘一は機知にあふれた解釈が秀逸だ、と書いている。どんな記述なのか。六〇〇ページを一気に読ますと評してもいる。</p>

<p>　<strong>石川公彌子（くみこ）『〈弱さ〉と〈抵抗〉の近代国学』（</strong>講談社選書メチエ、１６００円）ー日経ーでは、著者の共同体論に評者（安藤礼二）は異論を寄せている。折口信夫の「まれびと」と柳田國夫の民俗学を基底とした共同体でくくれないというわけである。その批判はわからないわけではない。しかし著書をひもとけば、実は弱者としての体験がベースとして本書が書かれていることがわかる（「あとがき」）。これほどあけすけに自己を語る学者もいないとその「あとがき」を読み感じた。それは自己の弱さと強者の傲慢さを痛切に体験した人だから書けると思った。そこに学問研究が重なる。しかしこれほど自己の体験を語り家族に感謝できる人は本当に幸せな日常を送られていると痛感した。本書の紹介から少しづれてしまったが、評者が批判している折口のテキストと格闘したのが著者の学問的出発なのだ。国家学会雑誌に発表した「『道念』の政治思想ー折口信夫における『抵抗』の方法」がそれだ。本書の「はじめに」と「序章」の元になったものだ。著者は本書の最後で丸山真男の「個人析出のさまざまなパターン」で書かれた真の民主化された個人を念頭におきながらこう書いている。「近代国学は〈弱さ〉すなわち「やさしさ」を本質とする人間やイエや親密圏、郷土などの共同体形成しながら、国家から自立した主体性を獲得するための方法を模索した思想にほかならなかったのである」。「序章」で著者は「柳田、折口、保田が思想の核に据えたのは、本居宣長と平田篤胤の国学であった」とまず規定して論を進める。本居は「めめし」（女々し）を人間の本質として「ををし」（雄々し）に手厳しい評価を下す。平田は「幽冥界」も同じ系譜にある。天皇も「無縁の「めめし」い「凡人」が政治権力とは距離を置いた「めめし」い天皇を戴いて共同するという構造を理想化することになったのである」（いずれも「序章」から）と説く。以降、詳しく書けないが、本書のサブタイトルである「戦時下の柳田国男、保田與重郎、折口信夫」にあるように、戦時下の硬直した状況を抵抗としたのは、その「めめし」さなのだ。柳田らの思想の根底を探り近代国学を現代に甦らせたところに本書の大きな意義がある。<br />
</p>]]>
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<dc:date>2009-11-01T07:38:31+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://j-net.obei.jp/kawase/2009/11/post-57.html">
<title>講演会１１・２１小説「美しい家―朝鮮『労動新聞』記者の日記」を書いて：川瀬俊治</title>
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<description>ＪＣＬ（自由ジャーナリストクラブ）、ジャーナリスト・ネット主催の講演会のお知らせです。小説「美しい家―朝鮮『労動新聞』記者の日記」を書いて」と題して、韓国の新聞「ハンギョレ」コラムニスト孫錫春（ソン・ソクチュン）さんが話します。詳細は以下の...</description>
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<![CDATA[<p>ＪＣＬ（自由ジャーナリストクラブ）、ジャーナリスト・ネット主催の講演会のお知らせです。小説「美しい家―朝鮮『労動新聞』記者の日記」を書いて」と題して、韓国の新聞「ハンギョレ」コラムニスト孫錫春（ソン・ソクチュン）さんが話します。詳細は以下のとおりです。</p>

<p>日時＝<strong>１１月２１日（土曜日）　午後３時ー５時</strong>　午後２時半開場<br />
会場＝<strong>PLP会館</strong>（JR環状線天満駅　地下鉄扇町駅下車）<br />
資料代＝<strong>１０００円</strong>（学生５００円）　<br />
問い合わせ＝<strong>０９０－８２３４－００７７（事務局）</strong><br />
<strong>講師略歴</strong>＝「新しい社会を創る研究所」代表。１９６０年生。『東亜日報』記者、『ハンギョレ新聞』労組委員長、論説委員など歴任。この間、言論改革市民連帯創立共同代表。韓国記者賞（韓国記者協会）、民主言論賞（全国言論労働組合聯盟）、統一言論賞（韓国記者協会）アン・ジョンピル自由言論賞（東亜自由言論守護闘争委員会）―受賞。現在『ハンギョレ』でコラム連載。主著者『主権革命』『世論を読む革命』（邦訳『言論改革』）など。「美しい家」は朝鮮『労動新聞』記者李真鮮（１９２０－１９９８）の半生を描いたもの。理想の朝鮮革命をめざす主人公の物語。</p>]]>
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<dc:date>2009-11-01T01:31:51+09:00</dc:date>
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