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2009年11月 1日
日曜新聞読書欄簡単レビュー:川瀬俊治
今日はあまり取上げたことがないジャンルを重点的に紹介したい。哲学関連は紹介しているので、今回の趣旨とは違うが、哲学史とも読める哲学の本から。高村薫が評者のサイモン・ルリッチリー『哲学者たちの死に方』(河出書房新社、3150円)-朝日―では、「古今東西190人余の哲学者たちの臨終図鑑」とある。毒杯をあおいだソクラテスは自らの死を弟子たちに示したように、自身の死は弟子、すなわち他者に示したものであった。つまりソクラテスは自らの死を他者によって定まるをことを知っていたのである。そういう意味では、「他者の死が私に思索を要請するのであり、私は自分の生を通して他者の死を考察し、その考察がまた私の生をつくってゆくのである」(評者)ということになる。この書は哲学書で哲学をするのではなく、哲学者の死をかんがえることで読者に哲学することを迫る。それぞれの哲学が獲得した理念、概念から哲学を考えるのではなく、こういう迫り方は、意外と哲学を身近に手繰り寄せることになるかもしれない。
音楽批評の本をこの欄で紹介したことはなかったが、鈴木淳史『背徳のクラッシック・ガイド』(洋泉社、777円)―朝日―は、多くの演奏、楽曲をとりあげて、ギャグをまじえて「快速な音楽批評の芸を楽しませる」(評者 苅部直)。掘り出しもの演奏録音を聴くときのように、一気に読ませると評者は書く。
同じくテーマとして紹介したことがないものに、探検にかかわる書がある。フェリペ・フェルナンデス・アルメスト『世界探検全史』上・下(青土社、各2400円)ー日経ーは、探検が決して愚行ではない容易周到なものであることを記述する。片路だけは冒険ではないのだ。帰りを見越した情報の習得がある。インド洋、大西洋、太平洋などの航海drは風と海流を知り尽くして新たな土地を目指すのだ。季節風、貿易風を計算して往路を考えての出発である。評者横山紘一は機知にあふれた解釈が秀逸だ、と書いている。どんな記述なのか。六〇〇ページを一気に読ますと評してもいる。
石川公彌子(くみこ)『〈弱さ〉と〈抵抗〉の近代国学』(講談社選書メチエ、1600円)ー日経ーでは、著者の共同体論に評者(安藤礼二)は異論を寄せている。折口信夫の「まれびと」と柳田國夫の民俗学を基底とした共同体でくくれないというわけである。その批判はわからないわけではない。しかし著書をひもとけば、実は弱者としての体験がベースとして本書が書かれていることがわかる(「あとがき」)。これほどあけすけに自己を語る学者もいないとその「あとがき」を読み感じた。それは自己の弱さと強者の傲慢さを痛切に体験した人だから書けると思った。そこに学問研究が重なる。しかしこれほど自己の体験を語り家族に感謝できる人は本当に幸せな日常を送られていると痛感した。本書の紹介から少しづれてしまったが、評者が批判している折口のテキストと格闘したのが著者の学問的出発なのだ。国家学会雑誌に発表した「『道念』の政治思想ー折口信夫における『抵抗』の方法」がそれだ。本書の「はじめに」と「序章」の元になったものだ。著者は本書の最後で丸山真男の「個人析出のさまざまなパターン」で書かれた真の民主化された個人を念頭におきながらこう書いている。「近代国学は〈弱さ〉すなわち「やさしさ」を本質とする人間やイエや親密圏、郷土などの共同体形成しながら、国家から自立した主体性を獲得するための方法を模索した思想にほかならなかったのである」。「序章」で著者は「柳田、折口、保田が思想の核に据えたのは、本居宣長と平田篤胤の国学であった」とまず規定して論を進める。本居は「めめし」(女々し)を人間の本質として「ををし」(雄々し)に手厳しい評価を下す。平田は「幽冥界」も同じ系譜にある。天皇も「無縁の「めめし」い「凡人」が政治権力とは距離を置いた「めめし」い天皇を戴いて共同するという構造を理想化することになったのである」(いずれも「序章」から)と説く。以降、詳しく書けないが、本書のサブタイトルである「戦時下の柳田国男、保田與重郎、折口信夫」にあるように、戦時下の硬直した状況を抵抗としたのは、その「めめし」さなのだ。柳田らの思想の根底を探り近代国学を現代に甦らせたところに本書の大きな意義がある。
2009年11月 1日 07:38
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