2009年11月18日
あの日から30年 弟の死:川瀬俊治
11月16日は、あの日から30年たつ。早朝から雨が降っていた。朝靄の中で病院から引き上げる足音が、それも自分の足首が路面を踏む姿が鮮明にいまも残る。30年の歳月でわかったことは、亡くなった弟が「しょうがい」をもち28年の人生を駆け抜けたことであり、私は12歳の1年間、結核にかかっていたことだ。毎日続く微熱の正体が30年してわかった。肺に石化した痕跡でそのことを知った。
「よく微熱があることに耐えて生き抜いたものだ」と、私の生涯で唯一自分をほめることができる。その後、自然治癒した私は、誰よりも強くなるため運動に励んだ。野球部、バレー部、柔道部。そんな私が乳児期の高熱で発達の遅れを残した弟の「のろさ」に心寄せるはずがない。
ただ弟の小学校時代は、登校を拒否する手を引いて学校までの道をたどったものだ。夏休み、いじめっ子の群れが変形した弟の爪をみて揶揄しにくるプールべりでの「攻撃」に私は体を張った。4年生の私の教室でいっしょに机を並べて授業を受けたこともある。「おにぃーちゃん」と離れないからだ。運動場のものかげに隠れて様子を心配そうに見ていたのが母親は、すでに他界してこの世にいない。
誰よりも強くなろうとした私は、「のろさ」とは無縁だった。弟の手をひくこともなくなっていった。高校3年間毎日稽古に励んだ柔道では、顧問の先生から「天理大の柔道に行くか」と言われた。当時高校柔道では強豪をそろえた平安高校の柔道顧問か転勤された先生で、戦後間もない国体では「俵上げ」で優勝したことなど、幾つものエピソードをもつ猛者であった。しかし、もともと勝負に執着がない私はにべもなく断った。
何か、はばたけるチャンスが生まれる、あるいは訪れるとき、なぜかしら、私は身を引いてしまう。地方新聞の記者をしていたときもそうだ。条件のいい全国紙の記者にならないか、と誘われたときも、これもにべもなく断った。そこまで懸命になれないのかもしれない。
それでいて行動は矛盾していた。なお強くなろうとした志をもち、また、大きなニュースがあると血が騒いだ。ただ、強くなろうとした志は肉体ではなく、20歳をすぎると知の部分で本をむさぼり読むことになるし、大きなニュースの興味は、50歳も半ばにしてネット新聞?立ち上げの猛道に出る。この「強さ」への憧れこそ、私が、弟の「しょうがい」に気に留めることなく生きてきた源かもしれない。
ある種の鈍感さをも生んでいた。いや、「強さ」にひれ伏す平均化、画一化を生んでいると言えるかもしれない。個々人はそれぞれちがいをもつが、「強さ」の前に「弱い」ものがるという実に単純な画一化。「みんな、かわらない」「同じだ」という心根とどこか通底するイデオロギーがそこにある。心の奥底で「自分はちがう」という本音を抱いて。
思うに、1979年11月、20日ほどの入院で逝ってしまった弟が、亡くなってから教えてくれることが多いのはどうしてなのか。それも父母が他界してから、私が育った家に誰もいなくなり、もぬけの殻の部屋だからこそ声なき声が聞こえるのか。喪失した果てに真実があらわれるのか。それでは遅すぎるというのに。
生者は死者を利用する。担当医が言った「遺体解剖を」と迫ったやりかたはいまも納得がいかない。「ガン体質を知るにはあなたにもプラスになる」趣旨の発言をしたが、私は即座に言い返した。「あなたの症例研究には役立つだろうが、必要ない」。打ちひしがれた両親はそばにいた。死者は何事も言わない。私は病院の壁を思い切り蹴ったことを鮮明に思い出す。世の中はいつも生者の世界なのだ。
強者が生み出した「みんな同じだ」というイデオロギーも実は死者に対して絶対的優位にある生者が現した虚構なのかもしれない。決して同じではない強者が産み出した対等、平等観だからだ。しかし、一方で「同じでないもの」は「同じだ」と塗りこまれた世に居ずらくなる。私たちの視界から消されがちだ。それを受け入れる私たちは確実に病なのだ。「同じでないから平等なのだ」という重みに社会は耐え具現することができるのか。再び私が地獄に落ちないことの唯一の道筋かもいれない。
主張する人間に反発を覚えることが多々ある。主張せず、人様と、世間様と同じようにしているから丸く収まるからだ。ましてや、「しょうがい」をもつ人が主張することなど想像すらできない。主張を禁じられた弟は、何も主張しなかった。「しょうがい」があるとは気付かせなかった。しかし、確実に「しょうがい」をもち、28歳で夭折した。その意味が少しずつわかってきた。いい年をした私が。これからどうするのか。どう弟の苦闘を癒すことができるのか。ほかにも棘が私には刺さっている。
2009年11月15日
日曜新聞読書欄簡単レビュー:川瀬俊治
日曜日恒例の 日曜新聞読書欄簡単レビュー。まずは外国人介護士をめぐる論考から。
出井康博『長寿大国の虚構』(新潮社、1575円)-朝日―のサブタイトルは「外国人介護士の現場を追う」である。インドネシアから昨年介護士が来日し、私が住む奈良の病院でも働いている。そのルポを読んだことがあるが(日経)、その病院は通常の2-3倍の時間を割いて日本語習得をする取り組みをしていた。それは素晴らしいことだが、この病院がいくらがんばっても、介護試験では受からないと祖国に返されるのだ。日本人と同じ試験というから酷以外にない。この本の評者小杉泰が「定着してもらいたいのか、本音はほしくないのか、方針に根本的な矛盾がある」と書いているように、外国人介護士に対する根本的は議論がない。目を輝かせで日本に来たインドネシア、フィリピンの人たちに本当に日本で働いてよかったとする心情をいまの制度では育てることができない。ホ書は受け入れの日本政府、送り出し側のインドネシア、フィリピン政府を取材している。「政府の当時たちが個別の利権を優先し、現場のニーズを無視している実態を活写している、と評者は書いている。
外国人の移入問題が実は21世紀日本が取り組まねばならない課題である。日経が「今を読み解く変わる例を稲葉佳子『オオクボ 都市の力』(学芸出版社)で述べている。東京・大久保の変貌はJR大久保駅周辺に住む外国人比率は4割に迫るという。韓国、中国、タイ、ベトナム、インドなどの飲食店が並ぶほか、美容院、ホテル、旅行会社など外国人経営の店が立ち並ぶ。日本人か変わるという。ブラジルに移民した日本人の後裔がデカセギとして日本に戻り暮らすその姿を描いたのが杉山春『移民漂流』。この書では不況での「派遣切り」が相次いだ日本でブラジルに帰国した人が1割程度としている。定住指向が強いことを示しているわけだが、それを受けて日本の施策として強めねばならないのは日本語教育や子どもたちの教育だろう。紹介文を書いた藤巻秀樹が指摘していることだが、これまでの積み重ねがないのかとも思う。つまり識字政策での弱さである。社会観が問われるのが識字政策だから、今後も模索が続くだろう。増谷英樹編『移民・難民・外国人労働者と多文化化共生』(有志舎)はドイツの例は戦後すぐ移民受け入れに転じたが、その実例は日本の政策を考える場合に参照になる。
朝日の書評欄から紹介した寿命についての関連本の紹介では、池田清『寿命はどこまで延ばせるか?』(PHPサイエンス・ワールド新書、840円)と、祖父江逸郎『長寿を科学する』(岩波新書、735円)ーいずれも中日ーがある。前者は生物学者が寿命、老化のシステムを分かりやすく説き明かしたもの。後者は100歳を数える人が日本では4万を数えるが、現代の長寿科学の知見の俯瞰図を示した者。後者はとりわけ人間の寿命は老化のプログラムが組み込まれた結果だが、文明の発達で得たのが長い老後というわけだ。その意味とは何かを問た本でもある。
税について社会学者が論じた本が出た。立石真也ほか『税を直す』(青土社、2310円)ー中日ーである。累進課税と所得控除による所得再分配を財源問題の軸として分析している。公平や応分負担の視点から論じる。
(文中敬称略)
2009年11月 5日
11・8 「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」大阪・中之島公園集会に参加を;川瀬俊治
再度の訴えです。今月12~13日のオバマ大統領の来日を前に、沖縄では大規模な「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」が今月8日(日)午後2時より宜野湾市海浜公園屋外劇場で開催されます。この県民大会に呼応して私たちが暮らしている場所で声を上げることが重要だと考え、
辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動が開かれます。おおくの参加を!!集会名は「普天間基地撤去 辺野古新基地建設反対 大阪アクション」で今月8日(日)同時刻午後2時より中之島公園女神像前で開き、集会とデモをおこないます。この1~2カ月間が、沖縄に基地を100年先まで押し付けるのか否かを決する最重要な局面であり、集会は重要な局面をもちます。
2009年11月 1日
11・8 「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」大阪・中之島公園集会に参加を;川瀬俊治
11月12~13日のオバマ大統領の来日を前に、沖縄では大規模な「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」が11月8日(日)午後2時より宜野湾市海浜公園屋外劇場で開催されます。この県民大会に呼応して私たちが暮らしている場所で声を上げるため辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動が開かれます。おおくの参加を!!集会名は「普天間基地撤去 辺野古新基地建設反対 大阪アクション」で11月8日(日)同時刻午後2時より中之島公園女神像前で開き、集会とデモをおこないます。この1~2カ月間が、沖縄に基地を100年先まで押し付けるのか否かを決する最重要な局面であり、集会は重要な局面をもちます。
日曜新聞読書欄簡単レビュー:川瀬俊治
今日はあまり取上げたことがないジャンルを重点的に紹介したい。哲学関連は紹介しているので、今回の趣旨とは違うが、哲学史とも読める哲学の本から。高村薫が評者のサイモン・ルリッチリー『哲学者たちの死に方』(河出書房新社、3150円)-朝日―では、「古今東西190人余の哲学者たちの臨終図鑑」とある。毒杯をあおいだソクラテスは自らの死を弟子たちに示したように、自身の死は弟子、すなわち他者に示したものであった。つまりソクラテスは自らの死を他者によって定まるをことを知っていたのである。そういう意味では、「他者の死が私に思索を要請するのであり、私は自分の生を通して他者の死を考察し、その考察がまた私の生をつくってゆくのである」(評者)ということになる。この書は哲学書で哲学をするのではなく、哲学者の死をかんがえることで読者に哲学することを迫る。それぞれの哲学が獲得した理念、概念から哲学を考えるのではなく、こういう迫り方は、意外と哲学を身近に手繰り寄せることになるかもしれない。
音楽批評の本をこの欄で紹介したことはなかったが、鈴木淳史『背徳のクラッシック・ガイド』(洋泉社、777円)―朝日―は、多くの演奏、楽曲をとりあげて、ギャグをまじえて「快速な音楽批評の芸を楽しませる」(評者 苅部直)。掘り出しもの演奏録音を聴くときのように、一気に読ませると評者は書く。
同じくテーマとして紹介したことがないものに、探検にかかわる書がある。フェリペ・フェルナンデス・アルメスト『世界探検全史』上・下(青土社、各2400円)ー日経ーは、探検が決して愚行ではない容易周到なものであることを記述する。片路だけは冒険ではないのだ。帰りを見越した情報の習得がある。インド洋、大西洋、太平洋などの航海drは風と海流を知り尽くして新たな土地を目指すのだ。季節風、貿易風を計算して往路を考えての出発である。評者横山紘一は機知にあふれた解釈が秀逸だ、と書いている。どんな記述なのか。六〇〇ページを一気に読ますと評してもいる。
石川公彌子(くみこ)『〈弱さ〉と〈抵抗〉の近代国学』(講談社選書メチエ、1600円)ー日経ーでは、著者の共同体論に評者(安藤礼二)は異論を寄せている。折口信夫の「まれびと」と柳田國夫の民俗学を基底とした共同体でくくれないというわけである。その批判はわからないわけではない。しかし著書をひもとけば、実は弱者としての体験がベースとして本書が書かれていることがわかる(「あとがき」)。これほどあけすけに自己を語る学者もいないとその「あとがき」を読み感じた。それは自己の弱さと強者の傲慢さを痛切に体験した人だから書けると思った。そこに学問研究が重なる。しかしこれほど自己の体験を語り家族に感謝できる人は本当に幸せな日常を送られていると痛感した。本書の紹介から少しづれてしまったが、評者が批判している折口のテキストと格闘したのが著者の学問的出発なのだ。国家学会雑誌に発表した「『道念』の政治思想ー折口信夫における『抵抗』の方法」がそれだ。本書の「はじめに」と「序章」の元になったものだ。著者は本書の最後で丸山真男の「個人析出のさまざまなパターン」で書かれた真の民主化された個人を念頭におきながらこう書いている。「近代国学は〈弱さ〉すなわち「やさしさ」を本質とする人間やイエや親密圏、郷土などの共同体形成しながら、国家から自立した主体性を獲得するための方法を模索した思想にほかならなかったのである」。「序章」で著者は「柳田、折口、保田が思想の核に据えたのは、本居宣長と平田篤胤の国学であった」とまず規定して論を進める。本居は「めめし」(女々し)を人間の本質として「ををし」(雄々し)に手厳しい評価を下す。平田は「幽冥界」も同じ系譜にある。天皇も「無縁の「めめし」い「凡人」が政治権力とは距離を置いた「めめし」い天皇を戴いて共同するという構造を理想化することになったのである」(いずれも「序章」から)と説く。以降、詳しく書けないが、本書のサブタイトルである「戦時下の柳田国男、保田與重郎、折口信夫」にあるように、戦時下の硬直した状況を抵抗としたのは、その「めめし」さなのだ。柳田らの思想の根底を探り近代国学を現代に甦らせたところに本書の大きな意義がある。
講演会11・21小説「美しい家―朝鮮『労動新聞』記者の日記」を書いて:川瀬俊治
JCL(自由ジャーナリストクラブ)、ジャーナリスト・ネット主催の講演会のお知らせです。小説「美しい家―朝鮮『労動新聞』記者の日記」を書いて」と題して、韓国の新聞「ハンギョレ」コラムニスト孫錫春(ソン・ソクチュン)さんが話します。詳細は以下のとおりです。
日時=11月21日(土曜日) 午後3時ー5時 午後2時半開場
会場=PLP会館(JR環状線天満駅 地下鉄扇町駅下車)
資料代=1000円(学生500円)
問い合わせ=090-8234-0077(事務局)
講師略歴=「新しい社会を創る研究所」代表。1960年生。『東亜日報』記者、『ハンギョレ新聞』労組委員長、論説委員など歴任。この間、言論改革市民連帯創立共同代表。韓国記者賞(韓国記者協会)、民主言論賞(全国言論労働組合聯盟)、統一言論賞(韓国記者協会)アン・ジョンピル自由言論賞(東亜自由言論守護闘争委員会)―受賞。現在『ハンギョレ』でコラム連載。主著者『主権革命』『世論を読む革命』(邦訳『言論改革』)など。「美しい家」は朝鮮『労動新聞』記者李真鮮(1920-1998)の半生を描いたもの。理想の朝鮮革命をめざす主人公の物語。
2009年10月31日
コラム「風」 普天間米軍基地問題で問われていること 2;川瀬俊治
普天間米海兵隊基地の移転問題は、アメリカが強烈に辺野古海岸を主張して譲らない。アメリカの都合ではないのかと言っても、西アジアまでにらんだ米軍再編の要が沖縄を中心弧と考えているのだから、これは簡単ではない。
沖縄県知事までが県外移設を言い出したのは、少し驚いた。2代前の大田知事ならわかるが、保守系知事が言い出すのだから、民主政権の沖縄の米軍基地政策に相当の期待を寄せているということか。
日本の米軍基地の73パーセントがいまも沖縄に集中している。嘉手納米軍基地にかかわる騒音基地被害はあまり伝わらないが、いまも継続している。早朝、戦闘機が飛び立つとき出る爆音はすさまじい。それがヘリ部隊をかかえる米海兵隊まであわさると、騒音基地被害は倍化する。28日には嘉手納町議会では反対決議をしたと聞く。当然のことだろう。
隘路で手狭まりの普天間米海兵隊基地問題の解決策をどう模索すればいいのか。沖縄ありきからの発想から脱却すべきだ。イラク派兵からアフガン派兵に切り替えたオバマ政権である。劇的な変化の芽もあるのではないか。日本側の交渉術が問われる。岡田外相にしても鳩山首相にしても、越えねばならないハードルなのだが、連立政権の社民党は県外移設を言うだけではく、具体案を示すことができないのか。
2009年10月28日
韓国映画「母なる証明」31日封切:川瀬俊治
韓国映画「母なる証明」が31日に封切られる。こんなに早く日本公開が実現されるとは思ってもいなかった。韓国で観たときは多分日本公開もあるだろうと思っていたが、半年で実現した。人気俳優のウォンビンが出ているから日本のファンには待ち遠しい作品だったかもしれない。
監督はポン・ジュノ。『殺人の追憶』(03)、『グエムル 漢江の怪物』(06)などの話題作で知られる。今回ウォンビンが演じるのは知的障害がある青年役であり、母キム・ヘジャは彼が犯したとされる犯罪の真相を暴いていく。
最後のシーンは何なのか。いまだに私にはわからないが、バスの中で踊るキム・ヘジャのシーンだ。母の愛情は息子を追いつめた犯人をたどり着くのだが、最後に息子に変わる恨みを晴らして解放されて踊るか。母の愛情の深さは人間が設定する境界(規範)をこえる。この愛情の深さを演じられるのは大女優と言われるキム・ヘジャしかいなのかもしれない。鬼気迫る演技はウォンビンが彼女の胸に抱かれる弱々しさまでかもしだすのだから、すごい。
私の朝鮮語の理解のなさで、まだわからないところがあるが、一方でウォンビンが演じる青年は純粋であり、悪に手を染めることと無縁であることを印象付ける。ポン・ジュノ監督は多分人間のずるさ、弱いものをいじめる強い立場の人間の狡猾さを描きたかったのかもしれない。
映画のポスターをネットで使用するのは大丈夫だと思っていたが、やはり「まるC」を入れて許可を取らないとだめなことがこの映画の日本のニュースを読みわかった。著者権はシビアーだ。
2009年10月27日
編集局からの手紙 ジャーナリズムが堕落しない方法:川瀬俊治
ジャーナリズムは当然行なってよいはずの取材をしないとき堕落が始まる。そういう意味では守屋武昌元防衛事務次官のインタビューを25日朝刊で掲載した「琉球新報」は逆の位置にいることがわかる。
2009年10月26日
女優酒井法子被告裁判と傍聴券入手:川瀬俊治
覚せい剤取締法違反の罪で起訴された女優酒井法子被告の初公判が26日午後1時半から東京地裁で始まったが、傍聴席を求める人が6000人を越えたとか。なんということか。
私も傍聴券入手のアルバイトを頼まれたことがあるからわかるが、いくらかのお金がメディアから支給されるのである。これが割りがいいのだ。というのは、傍聴券の引き換え番号をもらえれば、あとは抽選までフリーだからだ。機械の前でオートメーションの部品組み立てなら作業現場を離れることなどできない。締切りの原稿が遅れれば信用をなくす。傍聴券の抽選番号をもらうだけなのだ。フリーというのは気楽で、かつ券があたらなくても責任を問われない。
しかし、6000人が集まるほど、そこまでして報じたい内容なのか。要は覚醒剤を使うことの犯罪性の重大さを自覚していく社会風潮を高めることにあるなのに、ザッハリッヒ(その他)のことばかり報じられる。困ったものだ。視聴率がいいからヒートアップするのかもしれないが、それにしても熱すぎる。
2009年10月24日
朴明子(パク・ミョンヂャ)さんの一人芝居公演10・31:川瀬俊治
10月31日(土)午後2時か生駒市の北コミュニティーセンター STAはばたき小ホールで「コーラス&一人芝居」が催される。パートⅠはコール・メープルによる日本古謡一行詩による合唱組曲「父よ母よ」「息子よ娘よ」より他で、パートⅡはJ-NETの執筆者である朴明子(パク・ミョンヂャ)さんの一人芝居「やなぎ行李(こうり)の秘密」の公演と、質問コーナー・チマチョゴリ試着コーナーがある。連絡先は07437-79-4183で、「北コミュニティーセンター ISTAはばたき」は(奈良県生駒市上町1543)電話 0743-71-3331で、近鉄けいはんな線 白庭台駅から東へ徒歩約8分。
コラム「風」 普天間米軍基地問題で問われていること;川瀬俊治
筆者自身、普天間米海軍基地を人間の鎖で包囲する行動など参加してきた中で思うことは、名護のキャンプシュアブ沿岸部沖への移設で「50メートル沖合い」移動可能という案が浮上しているが、県外移設とは程遠い案だということがわかる。
▼政権交代で外交面での一貫性は当然違ってくる。しかしこれはそう簡単なもんではない。互恵関係の相手方との信頼を築いてきたか、優位な立場に立つ相手方なら変更も可能だが、従属関係であれば、あるいは弱みをこちらがみせることで関係が続いているなら、政権交代は国内政治だけだ。対外的は政権交代劇は実効性がない。そうでない中国、韓国は鳩山首相は満面微笑だったのも頷ける。当初から心配していたが、沖縄問題は民主連立政権の最大のキーポイントになりそうだ。
▼沖縄県当局は本当に県外移設を望んでいるのか。声高に聞こえてこない。しかしそれは現実的選択が働くからだ。では、沖縄の個々人にたち返ればどうか。いうまでもない。県外移設である。なぜ21世紀に入り新たな基地をつくるのかとすると反発が底流にある。その結果が2008年沖縄県議選での県内移設反対議員の当選が多数派となったことだ。
▼連立の社民党の沖縄問題を解決しようと選出された衆参議員は、もし「県外移設ノーしかない」として、アメリカ案を執行部を呑むなら多分大事(おおごと)になるだろう。そのまま連立に居ることはなくなる。それを避けたい福島党首は党の立場をアピールする。普天間基地を嘉手納基地と統合する案は嘉手納町の猛反発はすでに体験済みだから、岡田外相が23日発言したことなど、どうして具体化できるのか。
▼領土支配の植民地型国家戦略は大戦後に姿を変えた。グローバル経済の元であるドル支配が要(かなめ)にある。イラクへの大量兵器疑惑で仕掛けたアメリカの戦争は、フセイン大統領がドル建てからユーロだてにシフトしたことが本当の原因だといわれる。植民地型領土支配ではないのだ。しかし日本は擬似植民地型領土支配である、沖縄の人がどれだけ苦しんでいるのか。そのことを理解する政権だからとして送り出したのが民主党政権である。痛覚を伴う自覚かもしれないが、付託に答えてもらいたい。
2009年10月18日
「夜間中学を育てる会」再建に向け始動;川瀬俊治
大阪の「夜間中学を育てる会」の活動は現在のところ休止しているが、大阪府の財政再建策から捕食費補助の打ち切りに抗議して「復活を!」との署名活動に乗り出した。18日午後4時から近鉄上本町駅前の路上で、夜間中学教師もまじり約1時間半、署名を呼びかけた。路上に立ったのは教員も入れて5人。活動の中心となっているのは天王寺夜間中学第1期生の豊嶋登さんで、今後継続した活動を行ない、再建を具体化したいという。
日曜新聞読書欄簡単レビュー:川瀬俊治
毎週恒例の日曜新聞読書欄簡単レビューです。まず小説から。
植えつけられた知識を活用して小説を書く手法は、事実に根ざした時代小説で当然採用される手法だ。それをひっくり返すことはない。ところが折原一『逃亡者』(文芸春秋、1995円)-朝日―はそうではない。自らを整形してまで時効まで逃げとおそうとした容疑者がいたが、この事件をモデルにしている。折原は最初に事件の犯人が誰かを読者に提示するのである。すると読者は犯人探しを通例とする推理小説とは違い、犯人を追いかける探偵、刑事の行動に自分を投影して、すでに事件として知られた舞台に乗り出していく。ところが、容疑者は新聞報道で有名になった事件とは違う展開をみせ、最後のドンデン返しの罠にはまるのである。既存の知識によりかかることの危うさを折原は教えているのかもしれない。評者は江上剛。
推理小説の次はホラー小説である。スティーブン・キング『悪霊の島』(上・下)(文芸春秋、各2000円)―日経―は、決してありがちな内容ではない。身体の欠損部分が傷む錯覚を「幻肢」というが、キングのこの小説は「幻肢」が出ると、予知、透視能力があらわれる超能力が起きる主人公の物語だ。妻と別れ南の島デュマ・キーに住むことになるが少女誘拐事件をきっかけに超能力が起きる。それは南の島デュマ・キーでは「壊れた人間こそ特別な人間」という、島の霊力が宿ることになるのだ。モダンホラーの王者といわれるキングの小説手法を評者風間賢一は絶賛している。人生に対する哀歓、深い洞察がここにあるという。
名著と評者三浦雅士が評するのが富岡多恵子『隠者はめぐる』(岩波書店、1890円)―毎日―である。14章からなる本書は世間話で綴る。巧妙な語り口で一気に読ます。著者の視点は「学問、文芸のような、生涯にかかわらぬことを好んでするために『社会外に居る者』は、その本人をだれが養うかが問題である」と書く。ただ隠者になろうとして仏門をたたいた僧侶(女性)に「お金をもっていますか」と返されたエピソードを著者は書いている。隠者といえども現世と結びつくのだ。露伴に西鶴の面白さを教えたのが寒月だが、生涯遊び暮らした。名利に無欲恬淡。父の遺産で遊び暮らせたのだ。何のども親類に無心した曙覧は、福井の老舗で生まれた人。評者は長流と契沖の同性愛を示唆する第8章以下を白眉とする。
歴史研究書では神奈川大学日本常民研究所編『海と非農業民 網野義彦の学問的軌跡をたどる』(岩波書店、3570円)-奈良―がある。2004年に亡くなった網野の歴史研究は着実に受け継がれている。研究所の人たちによる共著なのだが、網野が非農業民の歴史を掘り起こした能登での調査を思い出す。評者西村博美は平家滅亡後、能登に赴いた平時忠の末裔の「時国家」調査を紹介しているが、ここで非農業民の数多くの歴史を発見した。回船交易を行なったいわゆる「水呑み百姓」と呼ばれた人たち。「百姓」は農民を示すものではないという今では常識になっておいる史実は網野の歴史研究による。網野の「海民」についての講演がCDとして本書はついている。敬称略
2009年10月 4日
日曜新聞読書欄簡単レビュー:川瀬俊治
日曜日恒例の新聞読書欄簡単レビュー。歴史関係を中心に紹介しよう。以下、敬称略。
歴史小説から始める。野口良平『「大菩薩峠」の世界像』(平凡社、2940円)ー奈良ーだ。幕末史としても読んだり、忘れられた史実として天狗党処刑(1865年)など知るには格好の素材と評者(嘉瀬井整夫)は説く。無論小説だから事実として読めないが、世界一長い小説を多様な読み方から教えてくれる書として紹介している。「大菩薩峠」はそういう意味では読み方の指南もあって手にとり読み進められる書かもしれない。筆者は全巻買ってもっているが、はじめの50ページほどしか読んでいない。さて野口氏の書で完読のヒントが与えられるか。
歴史関連書といえばジェフリー・エリス『ナポレオン帝国』(岩波書店、2730円)ー毎日ーだ。ナポレオンが旧体制を一変したのではないことを論じる書なのだ。というのは評者鹿島茂によれば英語圏にはロバート・ダートンのような様々な学説を解説、比較判定してくれる歴史家がいるというのである。その1人が著者だというわけである。「軍隊、文官組織、法制、経済、文化などの面でのバランス・シートを作りあげ、ナポレオン研究の現状についての的確な見取り図を書き上げている」と紹介している。評者があげているのが土地流動化と行政・司法組織改革、ナポレオンの軍隊、軍事的栄光の見直し、民法典など論じている。軍事的栄光についてジェフリー・エリスは「ナポレオン自身が戦場で手にした成功には、なにかその場しのぎの結果だった、という印象をぬぐい切れない」とする。将校クラスが欲得にまみれていたとしても、兵士クラスは純粋ではなかったのかという反論にも、「貧困層出身の兵士は愛国心に燃えていたどころか、徴兵逃れや脱走を試みようとあの手この手を使ったのだと。実際、脱走兵と徴兵忌避者は全兵員の五分の一に匹敵していた」。継続史観の典型と評者はいう。バルザック『人間喜劇』の細部を読み解く最良のハンドブックと評者は紹介している。
同じく歴史関係ではティモシー・ガートン・アッシュ『ヨーロッパに架ける橋』上・下(みすず書房、上5600円、下5400円)ー日経ーがある。1993年の作品だが、いまも色あせてはいないと評者(山内昌之)は書く。この書はドイツ統一を分析した内容だ。西ドイツの政治家たちは大戦後、「東方政策の名でソ連との信頼関係を積み重ねながら、ゴルバチョフの登場を奇貨としてドイツ統一を実現した有り様を分析している」(評者)。つまりそこには高度に洗練されたリアリズム政治があるのだ。ただ「権力なき人びとの力」を見落としていたとの見方も紹介されている。ヨーロッパのドイツとしての役割を継続しているのは、東に位置する国々をヨーロッパ共同体に入れるとの予測を著者は執筆当時に本書に書いていたが、その予測は的中している。東アジアの中の日本という我が身に返す視点から本書も読めるし、評者は「ドイツが自国の行為に対して他国から感謝を期待してはならないという警句は、分別のある日本人であれば我が事のように理解できる」とまとめている。
(第1次入力)
2009年9月30日
韓国映画最新作「私の愛、私のそばに」;川瀬俊治
韓国で24日に封切りされた「私の愛、私のそばに」を見た。ルゲリックという病と闘う一人の男性ペク・ジョンウ(キム・ミョンミン)と、その看病をする恋人イ・ジス(ハ・ジウォン)の姿を描いた映画だ。間違いなく多くの観客を集めるだろう傑作である。
何が傑作か。キム・ミョンミンの好演である。最後の場面で、病気初期のころのシーンと、病についに命を奪われた場面が対比できるよう編集されていたが、これほどまでに痩せたかと思うほどの姿であった。キム・ミョンミンは撮影過程で20キロ痩せたという。
恋人のハ・ジウォンは実に明るくキム・ミョンミンに対して接し、その輝きは無邪気さが出ていたのが何とも好印象を与えた。
ハ・ジウォンの役は葬礼指導師といわれる仕事である。日本の納棺師の役によく似ている。最初の場面は彼女の仕事の場面から始まり、最後は病で亡くなったキム・ミョンミンのそばで葬礼も行ない、そばによりそう姿をロングで描き終わる。まさしく題名のとおり「私の愛、私のそばに」である。
パク・ジンピョ監督はどうして彼女にその役として登場させたのか。生と死の厳粛さを描きたかったからだと感じた。ルゲリック病で徐々に衰弱していくキム・ミョンミンの姿こそ、生きる姿そのものである。
キム・ミョンミンは演技していて最後は意識が朦朧としたという。回復に時間を要したというから、相当の役作りだ。それだけにこの病で苦しむ人たちへの思いも深くしただろう。しかしすごい演技だ。
2009年9月27日
野外の夜間集会禁止は憲法違反;川瀬俊治
韓国の憲法裁判所は夜間の野外集会制限を憲法の集会・結社の自由に違反しているとする判決を24日に下した。昨年の米国産牛肉輸入に端を発した「ろうそくデモ」は正式には「ろうそく文化祭」とされた。それは集会の夜間禁止からとられた便宜上の名前であり、夜間集会禁止制限対策のためだった。「ハンギョレ」は25日付新聞で1面と3面に分けて憲法裁判所判事の意見など掲載している。詳細は後日報じる。
2009年9月26日
コアム「風」民主主義の試金石:川瀬俊治
民主化以後の民主化という課題で韓国社会を分析した政治学者は崔章集高麗大学教授だが、自由主義陣営内での民主化は、さらなる民主化が求められる課題なのだ。民主党政権はそういう意味では「民主化以後の民主化」を求めた有権者が選択した政権といえる。
しかし、日本は民主化されていないという反論も聞こえてきそうだが、れっきとした言論の自由や罪刑法定主義を貫く憲法をもつ民主主義国家である。天皇制のタブーや自主規制による言論の不自由があることは事実だが、これは「民主化以後の民主化」の過程で解決していかねばならない。
守旧勢力を中心にした自民党では保守リベラル派はついにはヘゲモニーを握れず総選挙で敗北した。「金属疲労」をみせた民主化を危機としなかったところに、世論とのギャップを露呈してしまった。相当の改革をしないと民主党の一人勝ちが続く。
八ツ場ダム問題が民主党の試金石である。民主化の逆を行くのではないかと受け止められる。住民の声は届いていたのか。どうした舵取りをするのかで、「民主化以後の民主化」の息吹きを正面に見据えなかった自民党は「非民主的だ」と民主党を反撃するのは明々白々なことだ。要は両党とも民主主義がかぎなのだ。ほかの党も同様である。
菅副総理はイギリスの政治制度に範をおきたい意向だが、金権政治克服の妙薬としていつも出されてきたのがイギリス政治だ。かつてリクルート事件のときには金権政治を歯止めをする制度としてイギリスの政治制度がよく紹介されていた。しかし相変わらず金にまつわる事件はおきている。マニファストでうたったような企業献金の廃止という金権の芽を断つ制度を民主党が確立することを求めたい。民主主義推進と金権政治克服が今後の民主党政権のバロメーターだろう。
2009年9月20日
日曜新聞読書欄簡単レビュー:川瀬俊治
恒例の日曜日読書欄紹介では、まず気軽に手に取れる書から。本ネットの名物連載が書籍化した『力道山』と同じシリーズ・ミネルヴァ書房から出た根立研介『運慶 天下復タ彫刻ナシ』(2940円)-産経―は、新たな運慶作品発見の解釈を加えて運慶像をたしかなものにしている。評者渡部裕明。著者が注目しているのは新発見の中でも興福寺西金堂の仏塔と神奈川・光明院大威徳明王像。評者は従来の運慶研究に変遷や生涯の事績の謎を埋めるものと紹介している。運慶の技術の傑出したものは言うに及ばす、「古典に学びつつ中国からの新しい情報も入手するなどの懸命の努力」もあげている。運慶の時代は源平の争乱から承久の変にいたる激動の時代。その時代が生んだ天才仏師の最新研究を本書で読むことができる。
田中優子『春画のからくり』(ちくま文庫、672円)―毎日―は、日本文学史の大著がある丸谷才一が評者であるから深みがある。春画と布の関係(「エロティックの布」)を書いたのが田中なのだが、丸谷は文学史の中で論及する。春画の布の背景には物語における伝統が控えていると丸谷は指摘する。『源氏物語』夕顔が作中人物の性格は色彩と着こなしで表現されると説く。戦記物語、西鶴、紅葉、荷風までにも筆が及ぶ。その文化的源流を『古今集』に求める。「衣服の名、模様の名、色の名は、日本語の代表のようし女性中心的な生活を飾る」と指摘している。
核問題での本を特集したのは日経である。「核兵器なき世界」をオバマ大統領が掲げて一気に問題が鮮明化したのだが、問題は単純ではない。「欧米型の民主主義国は、対決姿勢を選んだ独裁体制に立ち向かうことができない。相手側の素早い動きと自分たちの緩慢な動きのゆえに、時は自分たちに味方してくれない」といテレーズ・デルペシュ『イランの核問題』(集英社新書)を引用している。これはかなり深刻な問題提起だ。評者の高坂節郎は日本の核問題について最近の『外交フォーラム』(8月号)の内容を紹介してスタンスが二分化されていると解説し、「内なる分裂」を自覚し、国としての総意をつくる努力を説く。吉村慎太郎・飯塚央子『核拡散問題とアジア』(国際書院)は人間間の対立が核問題をエスカレートさせているとする。北欧のノルウェーが中東や南アジアなど核拡散地帯に分け入り緩和させることが日本外交の課題と説く。核持込みの密約があるのにそれを否定することは国民主権の否定である。いまそのハードルを越えようとしている日本だが、焦りの核武装は共通して否定される日本は、その視点をどう外交に生かしていくかだろう。
アイラ・アブー=ルゴド編著『「女性をつくりかえる」という思想 中東におけるフェミニズム』(明石書店、7140円)ー朝日ーはフェミニズムの多様な視点を要求する本だ。「これまでの近代フェミニズムやイスラーム主義による女性解放を共に反省すること」と評者南塚信吾は指摘する。目指すのは女性の新たな公共圏なのだ。それは男性世界から比較的独立した女性世界内部の結束ということーと評者はもとめている。
エマニュエル・トッド『デモクラシー以後』(藤原書店、3360円)-毎日ーは、2002年に『帝国以後』でアメリカの没落を書いたトッドの最新作だ。ソ連崩壊も予想していた『最後の転落』(1976年)は読んでいなかったが、今回の書は是非読みたい。とおうのは母国フランスを説くこの本は日本を映す鏡でもあるからだ。「サルコジ局面」打破を説くこの本は平等主義の実現を求める本でもある。「平等」や「自由」を家族の形態から学ぶ家族人類学が本業のトッドは、必然的に「平等」「自由」を鮮明化する。フランスの民主制の危機を分析したこの書は、彼の一連の著作(1983年『第三惑星』)から当然たどり着く警告の書なのだ。(文中敬称略)
2009年9月15日
編集局からの手紙「人が励まされる伝統の遺産とは」:川瀬俊治
作家金達寿(キム・ダルス)は慶州の石窟庵本尊仏(国宝)を訪れ、まじかに端正にして気品あふれる石仏を見てこう語った。「先祖の素晴らしい作品を見てわれわれは励まされる。勇気を与えられる」と(NHK「我が心の旅」から)。そうだ。過去の文化遺産というものはそういうものなのだ。
奈良の長谷寺を訪れて、本尊十一面観世音菩薩立像を拝した。いわゆる長谷の観音さんとして知られる仏像だ。300余の回廊の階段を上り本堂にたどり着いて、その偉容を拝した時、これこそ時を越えてわれわれを励ます民族遺産だと思った。
過去のすばらしい作品や営みがわれわれを叱咤し勇気づける。そのとおりだと思う。ただここで大きな問題に直面する。その傑作の多くが日本の場合、天皇制と関係している。歴代天皇が病気快癒祈願で建立されたとか、である。日本の文化の価値はこうした座標軸をもつ。
その伝統的営みを否定しようとは思わない。しかし民衆の残した文化遺産にわれわれは励まされることができるならこれほど幸せなことはない。なぜならそこには等身大の心身から出た「応援歌」を聞くことができるからだ。
柳宗悦(やなぎ むねよし)が民芸運動を起し評価したのが朝鮮の陶磁器であった点は意味深い。あるいは親鸞が格闘した信仰の追求にわれわれは励まされ、その慧眼に奮い立つ。しかし、日本の文化をそういう側面から考えることがあまり重視されない。作家井すゑは水平社宣言を最高の近代の遺産だと評した。その視点が長編小説「橋のない川」を生んだ。水平社宣言に励まされたのである。
最近のコメント