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片山通夫の「取材手帖」

2009年9月29日

編集局からの手紙「脱稿という快感」:片山通夫

 おそらくこのような原稿を書くことは、イレギュラーの行為だと思うがお許し願いたい。ようやく脱稿した。やっとである。文字数にして17万文字を超える。筆者がここ何年もかかって書いていたノンフィクションの話。当たり前の話だが最初は取材に取材を重ねるところから始まった。インタビューの積み重ねである。舞台は不便なことにサハリン。聞いた話を咀嚼して裏を取るための取材を重ねた。韓国へも数回。時代は戦前から現在に及んだ。

 最初、このノンフィクションを書くにあたって二つの理由で逡巡した。ひとつは「こんなマイナーなテーマを買ってくれるところがあるはずがない」という理由。いまひとつは「ノンフィクションは嘘をつく」ということ。

 最初の理由に関しては、大きな「気負い」が原動力になった。カッコよく言わせてもらえれば「おれが書かなきゃ誰が書く?」ということだった。しかしその「気負い」を維持するのが難しい。最初から最後まで同じテンションで維持できるはずがないことに気がついたがあとの祭りだ。そこで筆者は自分の周りの人々を巻き込んだ。取材を手伝ってもらったのではない。あらゆる人に「オレ、今書いている」と吹聴したのだ。吹聴すると、相手は気を使ってくれて「もう書けたか?」とか「あれ、どうなっている?」とか、甚だしいのは「いつ出版?」と聞いてくれる。
 「いやまだやねん」と言い訳しつつ、調査して、確認して、そしてサハリンへ行くこと数回、いやそれ以上。
 時には国会図書館は無論、北海道の図書館や博物館にも行った。こうしてなんとかテンションを維持することに成功した。

 ところが二番目の理由だが、これは筆者にとって難しい問題だった。いわゆるノンフィクションと呼ばれる書籍を何冊も読んでみたが、どうしてもフィクションだと感じられる部分が目についた。「これでもいいのか」と思う部分が多数あったのだ。同時にインタビューしようとしても相手が死亡していたりして、出来ない場合の表現方法を既刊のノンフィクションから学んだ。

 話は飛躍するが、あの湾岸戦争あたりからだろうと記憶することがある。「戦争は茶の間でテレビ観賞する」時代が来たという感慨だ。戦場に身を置かないで、世界の人びとはまるでドラマを見るように「戦争花火」をテレビ観賞してしまっていた。そこには戦争に付きものの「死」は伝えられていなかった。9・11、アフガンやイラク戦争でもやはり同じだった。線上での「死」というものは「日々増えてゆく数字」だけでしか伝えられていなかった。

 「これじゃますます戦争は疑似映像だけで伝えられ、歴史はゆがめられる」と感じる。残念ながらイラクやアフガンで取材する機会には恵まれなかった。だがだいぶ以前になるが、戦争やそれによる死というものを真近に目撃した経験がある。それは「テレビ画面でお茶を飲みながら見る戦争」とはまったく違う。こんな状況では歴史は映像化された奇麗事で終わってしまうような危険を感じた。

 今回、やっと書き上げたノンフィクションには「死」や「戦争」は直接は出てこない。けれども底辺に横たわるそれらを書いたつもりだ。「戦争によってゆがめられた人生」を。

 ノンフィクションのタイトルは「タンポポは凍土(ツンドラ)に咲く」と決めた。戦前、日本の植民地時代の朝鮮半島から樺太(現サハリン)へ渡ったある家族の物語である。
 果たして世の中からどのように評価されるのかはわからないが、一仕事終えた満足感に浸っているところである。

2009年9月29日 10:20

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