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片山通夫の「取材手帖」

2009年7月10日

09年の肖像「カン・チョルファン」:片山通夫

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 簡単に彼・カン・チョルファン(写真)の経歴を最初に紹介しておこう。1968年8月18日に北朝鮮・平壌市で生まれた。現在、韓国の朝鮮日報(新聞)の記者として活躍している。

 こう書くと、不思議な経歴の持ち主だと疑問を持たれる読者が多いと思う。彼は朝鮮総連幹部だった祖父が、「地上の楽園」だったはずの北朝鮮で、政治犯の濡れ衣を着せられて、家族全員(離婚中だった母親を除いて)が、あの悪名高い耀徳政治犯収容所(15号管理所という)に1977年から87年にかけて10年間収容されていた。

 そう、彼、カン・チョルファンはいわゆる「脱北者」なのだ。収容所にいた10年間の労苦はここでは書かない。およその想像はつくだろうから。ただ、韓国へ逃げるきっかけとなったのは、収容所から出た直後に韓国のラジオ放送を聞く機会がたまたまあり、自分の置かれている身の上とラジオ放送のギャップに驚き、「どうしても逃げる」という気になったという。北朝鮮を出て、韓国までの道のりは話さない。おそらく後に続く人への配慮があるのだろう。韓国では漢陽大学に入り勉強をし直したという。

 彼の話を聞いていると、「人間とはそこまで非情になれるものなのか」と考え込んでしまう。彼は言う。「ヒットラーのアウシュビッツよりもひどいのが北朝鮮の政治犯収容所だ」と。
 このあたりの話は、読者の想像と、既に帰国した日本の拉致被害者の人々の話などから知りえた知識にお任せしたい。筆者はそれを立証する手立てがないからである。

 最後に。
想像を絶する状況をくぐりぬけてきた人のもつ強靭な意志は感じられたが、「彼の眼は暗かった」という印象が今でも拭い去れない。いつもどこか遠くを見つめているような印象だった。何を見ている眼なのかは最後まで分からなかった。

2009年7月10日 05:06

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