2009年7月 3日
09年の肖像「田中了さん」:片山通夫
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北方少数民族をご存じだろうか。サハリンに住んでいた「ウイルタ」という北方少数民族で、戦後シベリアに抑留された一人の男の足跡を辿った本を田中了さん(1930年生まれ・写真)が以前出版した。
本のタイトルは「戦争と北方少数民族―あるウイルタの生涯」(草の根出版会)。タイトルに見られるように、戦争に駆り出された一人のウイルタの少年の数奇な運命を辿ったものだ。田中さんは数度にわたり、サハリンへ赴いた。北緯50度線(戦前の日ソ国境線)の南側にポロナイスクという町がある。オホーツク海に面した港町であり、ポロナイ川の河口である。その町に戦前「オタスの杜」にはアイヌ民族を除く北方少数民族が日本政府のよって集められ、同化教育がなされた。その中に一人の少年がいた。
この稿は書評でないので、この本のことはこれ位にしておきたい。筆者は札幌に住んでおられる田中さんを訪ねて話を聞いた。
田中さんが憤っておられる事がある。それはこの本の主人公であるゲンダーヌ(ウイルタ民族、樺太出身、日本名・北川源太郎)が「樺太で召集令状を受け取り応召し日ソ国境(北緯50度線)を舞台に諜報活動に従事した。日本敗戦後、ソ連に逮捕されスパイ罪でシベリアに抑留された後、日本に帰還した。然るに日本は正式の召集ではないと言う理由で軍人恩給の請求を棄却した」問題に関してである。
寒い冬の日、札幌の自宅で田中さんは筆者に向かって、国の為と散々戦争に利用した挙句、遺棄同然に捨て去った国家と言う装置の理不尽さを滔々と話す。
「冗談じゃないですよ。今更、あの召集令状は、前線の憲兵隊が勝手に出したから無効だと言うのです。ねえ、考えて見てくださいよ。あの時代に、日本人として教育受けたウイルタ民族が泣く子も黙ると言われる憲兵隊から召集令状が来れば信じて当たり前でしょう。それを現地出先機関には召集をかける権限はなかったなんて・・・」
ゲンダーヌは10年近くシベリア抑留を余儀なくされた。一緒に抑留された北方民族60人で生き残って帰還したのは彼一人だと言う過酷な生活を過ごした。
田中さんは帰還後のゲンダーヌを助けて、ウイルタ語で「大切な物を収める家」という意味のジャッカ・ドフニという北方少数民族の文化を残す資料館を建設するのに尽力した。初代館長はゲンダーヌ(1984年没)。
2009年7月 3日 05:51
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