2009年6月15日
「6月15日」:片山通夫
1960年というから、すでに半世紀近く経っている。この年の今日、日本は大荒れに荒れていた。
この日、いわゆる、60年安保闘争で、一人の女子大生が亡くなった。全学連主流派の安保改定阻止統一行動で国会突入を図り警官隊と衝突して東大生・樺美智子さんが死亡したのだ。ここでは多くは語らない。が、彼女の死を我々は無駄にしていないか?現代に生きる我々は今一度彼女の死を見つめなおす日としたい。
彼女が亡くなる4年前に作った詩がある。今その詩は、樺家の墓誌に刻まれている。
「最後に」
誰かが私を笑っている
向うでも こっちでも
私をあざ笑っている
でもかまわないさ
私は自分の道を行く
笑っている連中もやはり
各々の道を行くだろう
よく云うじゃないか
「最後に笑うものが
最もよく笑うものだ」と
でも私は
いつまでも笑わないだろう
いつまでも笑えないだろう
それでいいのだ
ただ許されるものなら
最後に
人知れずほほえみたいものだ
1956年 美智子作
この詩の最後にある「ただ許されるものなら/最後に/人知れずほほえみたいものだ」という部分に筆者はいたく感動する。そして、悲しむ。
ここに描かれた時代へのノスタルジーではない。「闘争を忘れた自分」に対する悲しみである。言い換えれば「ハングリー精神を失った豚」に成り下がった自分への怒りといえる。
誰かが言っていた。「飛べない豚はただの豚」
今日を限りに「跳んで」みる。
2009年6月15日 11:39
ご意見・ご感想は読者の広場もしくは、下記のコメント欄へ
コメントする
なお、著作権上問題があるおそれがある内容、特定の個人・民族・法人等への誹謗中傷、またアダルト・サイトへの誘導などの書き込みがあった場合、管理人の判断で断りなく削除します。