2009年6月25日
「新生命という新聞」:片山通夫
サハリンの図書館で以前から探していた新聞があった。先日サハリン州立美術館で写真展をした折りにも探したが、どうしても見つからない。サハリンから札幌まで飛行機で帰り着いてから、ふと思いついて、地図の上ではサハリンから指呼の距離にある稚内へ向かった。「もしかしたら稚内の図書館にあるかも知れない」と思ったからである。 この図書館は今回が2回目の訪問である。
「『新生命』という新聞を捜しているのですが......」と若い司書に聞いてみた。
「はあ? 『新生命』ですか?」
どうやらどこかのPR誌だと思ったようで、「どこの生命保険会社ですか」と聞く。思わず、
「ちゃうちゃう。戦後まもなくサハリンで発行された日本語新聞です」
これには司書の彼女も面食らったようで
「サハリン......?で、ですか?」
それでも流石にプロの司書。探してみますとパソコンに向かって何か検索して、
「ありました!コピーですが。原本はないようです。お持ちします」
しばらく待っていたら、「新生命」がでてきた。
「コピーしますか?」
「もちろん」
戦前に樺太で発行されていたのは「樺太新聞」だったが、これが戦後樺太の実権を握ったソ連軍政府の命令で「発行停止」になり、その後、樺太に残った約30万人の日本人向けに「社会主義教育と行政の円滑化を図る目的で」発行されたのがこの「新生命新聞」であった。樺太新聞社の人員、設備を使って発行したわけである。
私がインタビューしたサハリンの朝鮮人の一人は、「子供のとき、新生命新聞を配達した覚えがある」と話していた。当時のサハリンの歴史を物語る新聞なのである。その新聞をやっと目にすることができる。遠くまで来た甲斐があったというものだ。
図書館にあった「新生命新聞」のコピーは、かなり原本が痛んでいたのか、印刷が悪かったのか、不鮮明だ。かろうじて読める程度である。
1945年10月15日付の一面(一部)である。
そこに「同志スターリンは叫ぶ」という興味ある記事が掲載されている。本文はこうだ。
「同志スターリンは叫んだ。"南樺太と千島列島はソ連の領土に復帰し今後ソ連邦を大洋より分離するものとならず、また日本の我が極東に対する攻撃の足場ともならず、これに反してソ連と大洋とを直接に結びつけ、日本の侵略に対する我国の防衛の基地となる"」
冷戦時代前夜のソ連の姿勢が良く分かる記事だ。その後、サハリン(樺太)は"軍事閉鎖都市"となり、ソ連人でも自由に行き来できない状態が続いた。1983年9月1日、この島の上空を飛行した大韓航空機がソ連軍によって撃墜され、乗員乗客合わせて269人全員が死亡したのも、冷戦時代の悲劇だった。
2009年6月25日 08:21
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