2009年5月29日
命への無責任さ:笠井真美子
春や秋の出産シーズンに保健所に収容される子犬子猫が増えるのはなぜか。
過去記事「プロの野良猫」で猫について書いたが、犬についても然り。猫と似た状態が特に郊外で起こっている。
自分が現地で直接見聞きした事や現地の住人から聞いた話だが、
郊外に酪農地帯が広がる釧根地域には野良犬が群れを作っている地域、野犬が多い地域がある。一カ所に限ったことではない。元々は捨て犬か放し飼いなど無責任な飼い方による飼い犬の自然繁殖によるものだ。
(飼い主がいなく)繋留されず自由に生きていけるようになると、犬の習性で群れを作り、自然繁殖を繰り返す。近親交配による奇形児も産まれ、弱い子は自然淘汰され、また交通事故もあるだろうから莫大な頭数にまで増えることはないにしても、野犬ならば捕獲され、迷い犬なら保護されて保健所に収容される。
自然繁殖で生を受けた、明らかに飼い主不明の子犬も収容される。野良猫の子猫も然り。
春、秋の出産シーズンに子犬・子猫の収容が増えるのはそのせい。
しかしなぜ野良犬たちは生きていられるのか。
元は飼われていた家庭犬たちが突如、野生の物を食べだし野生化するなんてことはない。多くのケースは生きていく為の餌をあげる人がいるから生きていけるのだ。
しかし餌をあげる人たちの多くは給餌すればその動物に対しての所有者になるということを知らないし自覚がない。
初めは捨てられたか、人の無責任さの犠牲となった命かもしれないが、その命に少しの同情でも餌をあげ始めたら、所有者となりその命に責任を持たなければならないことになる。
「捨てた人が悪いのだ、可愛そうだからあげただけ、自分たちに責任はない」という考えはまかり通らない。
彼らは生きているのだ。餌やりさんたちの同情心を満たすに留まった行為はかえって第二、第三の不幸を生み出す事をどうか自覚してほしい。
餌をあげるやさしさをもう一歩進んだところに持ち上げて、本当に彼ら自身とその子孫にまで目を向けたやさしさに変えてほしい。
目の前の犬猫だけでない将来と周囲に及ばす影響も考えた行動を取ってほしいのだ。
餌をあげるなら飼い主の自覚を持ち増やさない努力と終生飼育をする責任を持たなければならない。
のんびりと浮世離れした自然溢れる郊外では特に、勇気を持ってそこまでのモラルを維持するのは厳しいことかもしれないけれど、餌をあげる=(イコール)その命を生かす手助けをする=飼い主の自覚を持つ事は人として、生ける愛玩動物にしなければならない最低限の責任。このことを理解してほしい。
また、捨てる人は「自然に帰す...」なんて都合のいい幻想を抱いているのか、「誰か心優しい人に拾われるかも...」なんていう甘えた考えでも持っているのか。捨てる(遺棄する)ということは、捨てた飼い主の手でその子を殺した事と同然なのだと頭にたたき込んでほしい。
愛玩動物は自然の中だけでは生きていけないし、野生動物や家畜とは生まれてきた意味が違う。それぞれの動物の立場でそれぞれの使命を持ってこの世に生まれてくるのだと思う。
一度捨てられ放浪した犬猫はストレスから免疫力も落ち、病気にかかりやすくなり、ダニや自然界の驚異にもさらされている。病気だけでなく捨てられた経験が生むトラウマや傷ついた心が癒えるのにも時間がかかる。満足に授乳されなかった子猫は抵抗力が弱く病気になりやすい。
「お金がなくなった、病気になった」飼い主の都合で目の前の命を手放す前にその子達の行く末を最後まで想像してほしい。
熊本市動物愛護センターでは飼えなくなった理由で犬を持ち込む飼い主に対し、簡単には引き取らず終生飼育を諭し、それでも放棄する飼い主には処分の際、犬を抱っこさせた状態で職員が死に至らせる注射を打つのだそうだ。
飼い主の腕の中で、まだ生きられる命が飼い主の都合によって殺される。
捨てるということはそれと同じ事なのだと思う。
そのセンターでは、職員の努力とそうした処分方法を実行し始めたところ、飼い主からの引き取り数は激減したそうだ。
目の前の動物を自分より下等だという昔ながらの考えを捨て去ってほしい。目の前で生きている命について真剣に考え、彼らの瞳が何を言いたいのか彼らの心に耳を傾け、人として何が出来るのか、人に委ねられたその命と真剣に向き合える世の中になってほしいと切に思う。
参考:読売新聞2009年3月29日『命の重さ説き犬の殺処分激減、熊本市動物愛護センター』
2009年5月29日 18:08
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