カン・シンニョンの「俳句の世界」

2009年11月11日

俳句の世界「長瀬川」:カン・シンニョン

王仁子孫 秋の宴や 長瀬川
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八尾市を貫流する長瀬川はその昔、博多川と呼ばれていました。その博多川で、王仁の子孫の葛井、船、津、文、武生、蔵の六氏族の男女二三〇人が歌垣をして、孝謙女帝を慰めたと『続日本紀』は伝えています。
 七七〇年(宝亀元年)のことで、その模様は「青色の衣を着て、紅色の紐をたらし、男女二列に並んで、乙女らが男に立ち添い・・・清くさやけし博多川」というもので、優雅で少しばかりお色気も感じられます。今でいうフォークダンスのような感じでしょうか。王仁子孫の繁栄ぶりがうかがわれます

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2009年11月 4日

俳句の世界「方違神社」:カン・シンニョン

方違 隅の石柱 王仁青葉
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「方違」は「かたたがい」と読まれていますが、「ほうちがい」とも読まれ、方角が悪いという方向へ旅をしたり、家を建てるときなど、神社に参拝して、その凶を除くという信仰です。かつての摂津・河内・和泉の三国の国境に鎮座する方違神社は、そのための神社でした。今でもそこそこの賑わいをみせ、お参りする人が絶えません。合祀が重なって、今は王仁の陰も薄くなって、境内の片隅にかつて王仁博士を祭神としていた「向井神社」の石柱が建っているのみです。その地には、王仁の子孫の行基が開創したと伝えられる向泉寺も存在していたといわれています。

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2009年10月28日

俳句の世界「津堂城山古墳」:カン・シンニョン

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津堂城山古墳は「津連の祖辰孫王等を祭る」といわれています。辰孫王は王仁博士のことですから、津氏の祖先を祭る廟堂があったのでしょう。古墳の頂にある津堂八幡神社の祭神は品陀和気命(=誉田別命、ほむたわけのみこと)、つまり応神天皇です。王仁博士と応神天皇が深い関係、もしくは同一人物の可能性を秘める古墳ではないでしょうか。その古墳を花しょうぶが色鮮やかに取り囲んでいました。

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2009年10月21日

俳句の世界「土塔」:カン・シンニョン

土塔の初夏 瓦の壇に 行基知る
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ピラミッドのような瓦を積み上げた土塔は、王仁の子孫で最も有名な行基が大野寺に建立したものです。七二七年(神亀四)、六〇歳のときで、行基を菩薩とあがめ慕う多くの民衆が建立に参加したといわれています。行基は、仏教(法相宗)の布教はもちろん、畿内四九院をはじめ、全国に多くの寺を建立し、橋を架け、灌漑用の池をつくり、港を修造し、布施屋(救済施設)をつくり、病気などに苦しむ民衆をたすけました。そうした社会事業が一時期、藤原不比等らの反感を買い、弾圧されましたが、しかし、聖武帝の要請をうけて大仏建立に貢献し、東大寺大僧正となりました。初夏に訪れた土塔は、瓦がまぶしく反射していました。

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2009年10月14日

俳句の世界「高石神社」:カン・シンニョン

高志の神 栄華さりしぞ 若葉にも
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高石神社の祭神は現在、少彦名命、天照大神、伊邪奈美命の三神ですが、実際は、吉田東吾の『地名辞書〈和泉国〉』に「高石神社、延喜式に列す、高石連祖百済王仁を祭ると云ふ」と記されていますように、その地に繁栄した高志(=王仁)氏族の祖である王仁博士を祭ったものです。境内の由緒板にも「和泉名所図会には、高志の祖、王仁を祀ると記せり、或は、往古境内に王仁を祀る一社ありしにやあらん」と説明されています。が、しかし、現在の境内のどこにも、そのような気配は感じられません。寂しい気持です。

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2009年10月 7日

俳句の世界「家原寺」:カン・シンニョン

家原寺の 行基像回りし 夏祈る
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家原寺は、王仁の子孫の行基が生まれた所といわれています。一五歳で薬師寺に入り法相宗の経典を修め、師匠の道昭とともに全国をめぐりました。その時、いたるところで民衆の困窮を見たのでしょうか。多くのお寺を建て、救済施設の布施屋も建てました。そうした活動が、民衆の絶大な支持を受け、慕われました。そのような偉大な方が、最近は最澄とか空海の陰に隠れて、ややもすると忘れられているようで寂しい気がします。しかし、行基像の回りを回りながら一生懸命お祈りする親子の姿をみて、行基の慈悲が今も生きていることを実感しました。

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2009年9月30日

俳句の世界「ハングル建碑」:カン・シンニョン

王仁語り 建碑助ける 魂花火
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猪飼野は、仁徳天皇が開発した土地です。その仁徳天皇の即位を祝して、王仁博士は「咲くやこの花 冬ごもり・・・」という有名な「難波津の歌」を詠みました。上田先生は7月20日、生野区民センターで、その王仁博士に関する有意義な講演をなされ、「難波津の歌」ハングル建碑の大きな助けとなりました。感謝の意をこめて詠んでみました。魂(たま)は上田先生に教えられた言葉です。魂(たましい)は魂(たま)が正しい用法だと。先生の講演は、その魂(たま)が花火のように打ち上げられた美しい内容でした。


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2009年9月23日

俳句の世界「高津宮」:カン・シンニョン

チョゴリ着た 王仁に伝えて 高津のセミ
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韓服の始まりは高句麗時代といわれていますが、王仁博士が生きていた頃はまだ、今のようなチョゴリではなかっと思いますが、その後の朝鮮ではチョゴリが民族服となりました。そのチョゴリを着ました。その姿を王仁博士にも知って貰いたいと。その気持ちを、高津宮で夏を告げるように鳴くセミに託してみました。

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2009年9月16日

俳句の世界「王仁聖堂」:カン・シンニョン

新緑の 論語教えし 王仁聖堂
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王仁聖堂の跡は、松原市にあり、横は清堂池です。清堂池はその昔、聖堂池と書かれていたそうです。その聖堂池も王仁一族がほった池なのでしょう。そして、その横に聖堂を建て、王仁博士が将来した論語と千字文を、子孫代々、教えたものと思われます。そこでは新緑をかぎながら、元気な素読の声が、その近くを通る竹内街道にまで聞こえたことでしょう。

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2009年9月 9日

俳句の世界「大津神社」:カン・シンニョン


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装新らた 大津神社に 風薫る

大津神社の近くに、古代にあっては「古市大溝」という人工の水路が流れていたといいます。「大津」と命名されたからには、地域の中心となる大きな賑わった船着きの港であったのでしょう。そこは王仁博士の子孫、津氏の支配地でした。最近になって、大津神社の整備が急ピッチで進められています。数年前の装いが一変して、新しくなっています。その境内にも風が古代の様子を運んでくれるようです。

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2009年9月 2日

俳句の世界「国分神社」:カン・シンニョン


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国分の山 王仁の子孫も 若葉愛ず

国分神社の祭神である飛鳥大神は「この地の文化開発者として功あるにより祀られる」とあります。王仁博士にふさわしい言葉だと思います。その国分神社は松岳山に抱かれ、江戸時代に発掘された松岳山古墳は、朝鮮式積石塚形式の前方後円墳です。また、近くの茶臼山からは船氏の墓誌も発掘されました。王仁一族の子孫が繁栄していた様子が窺われます。そうした王仁の子孫も、若葉を愛し、憩いのひと時を楽しんでいたのでしょうか。


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2009年8月26日

俳句の世界「葛井寺」:カン・シンニョン

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葛井寺 王仁香(わにか)身に受け 新緑かぐ
 王仁博士を始祖とする葛井(ふじい)氏が725年に建立し、氏寺として栄えました。駅前商店街はその門前町で、現在の藤井寺市は「葛」が「藤」に変わった地名です。本殿前の線香の香りを身に受けますと、王仁博士が偲ばれ、境内の新緑も色あざやかでした。

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2009年8月19日

俳句の世界「辛国神社」:カン・シンニョン

090819ks.jpg辛国の いにしえ偲び 青葉はゆ

 「辛国(からくに)」は、もと「韓国(からくに)」と表記されていたものだといいます。その「韓国(からくに)」は、檀君朝鮮(古朝鮮)の文化を継承した三韓、すなわち辰韓(真韓)、弁韓(番韓)、馬韓(慕韓)の三韓のことで、辰韓は新羅に、弁韓は伽耶諸国に、馬韓は百済になったといわれています。そうした昔にも青葉が、まぶしいように映えていたのでしょうか。

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2009年8月12日

俳句の世界「西琳寺」:カン・シンニョン

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礎石にぞ 渡来の薫風 西琳寺

 かつては巨大な寺院だっといわれる西琳寺。その地一帯を支配したであろう王仁博士の子孫、西文氏(かわちのふみし)の氏寺としその栄華を誇ったのでしょう。その遺跡が、日本一大きな礎石で、百済式伽藍の礎石だといわれています。その思いを込めて詠んでみました。

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2009年8月 5日

俳句の世界「白鳥神社」:カン・シンニョン

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若葉匂う 白鳥祠 王仁墳か
ヤマトタケル(日本武尊)は、死して白鳥に化し飛んでいったと日本書紀に記されています。白鳥神社は、そのヤマトタケルを祭神にしていますが、ヤマトタケル伝説は、史実でないというのが定説です。
白鳥神社は古墳の上に鎮座しているということで、近くに西文氏の氏寺である西琳寺がありますから、白鳥神社ももとは西文氏の氏神と考えるのが自然だと思います。

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2009年7月29日

俳句の世界「美具久留御魂神社」:カン・シンニョン

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王仁池の近くに鎮座する美具久留御魂(ミグクルミタマ)神社は、裏山が御神体(ごしんたい)ということです。新緑がまぶしいそこには、きっと王仁博士の霊が眠っているものと信じ、詠んでみました。
子孫の方々も、その地で繁栄したのでしょう。江戸時代には朝鮮通信使の絵馬も掲げられ、今も現存しているということです。

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2009年7月22日

俳句の世界「王仁池」:カン・シンニョン

090722k.jpg 王仁一族が、この地に入植して、池をほったことが日本書紀に記されていますが、その時は、汗を流し、時には事故もあったと想像されます。
そのような池に、青葉が、千年、二千年の昔と変わらずに、萌えている情景を詠んでみました。
カン・シンニョンのプロフィール

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