2009年10月28日
俳句の世界「津堂城山古墳」:カン・シンニョン
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津堂城山古墳は「津連の祖辰孫王等を祭る」といわれています。辰孫王は王仁博士のことですから、津氏の祖先を祭る廟堂があったのでしょう。古墳の頂にある津堂八幡神社の祭神は品陀和気命(=誉田別命、ほむたわけのみこと)、つまり応神天皇です。王仁博士と応神天皇が深い関係、もしくは同一人物の可能性を秘める古墳ではないでしょうか。その古墳を花しょうぶが色鮮やかに取り囲んでいました。
2009年10月21日
俳句の世界「土塔」:カン・シンニョン
土塔の初夏 瓦の壇に 行基知る
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ピラミッドのような瓦を積み上げた土塔は、王仁の子孫で最も有名な行基が大野寺に建立したものです。七二七年(神亀四)、六〇歳のときで、行基を菩薩とあがめ慕う多くの民衆が建立に参加したといわれています。行基は、仏教(法相宗)の布教はもちろん、畿内四九院をはじめ、全国に多くの寺を建立し、橋を架け、灌漑用の池をつくり、港を修造し、布施屋(救済施設)をつくり、病気などに苦しむ民衆をたすけました。そうした社会事業が一時期、藤原不比等らの反感を買い、弾圧されましたが、しかし、聖武帝の要請をうけて大仏建立に貢献し、東大寺大僧正となりました。初夏に訪れた土塔は、瓦がまぶしく反射していました。
2009年10月14日
俳句の世界「高石神社」:カン・シンニョン
高志の神 栄華さりしぞ 若葉にも
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高石神社の祭神は現在、少彦名命、天照大神、伊邪奈美命の三神ですが、実際は、吉田東吾の『地名辞書〈和泉国〉』に「高石神社、延喜式に列す、高石連祖百済王仁を祭ると云ふ」と記されていますように、その地に繁栄した高志(=王仁)氏族の祖である王仁博士を祭ったものです。境内の由緒板にも「和泉名所図会には、高志の祖、王仁を祀ると記せり、或は、往古境内に王仁を祀る一社ありしにやあらん」と説明されています。が、しかし、現在の境内のどこにも、そのような気配は感じられません。寂しい気持です。
2009年10月 7日
俳句の世界「家原寺」:カン・シンニョン
家原寺の 行基像回りし 夏祈る
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家原寺は、王仁の子孫の行基が生まれた所といわれています。一五歳で薬師寺に入り法相宗の経典を修め、師匠の道昭とともに全国をめぐりました。その時、いたるところで民衆の困窮を見たのでしょうか。多くのお寺を建て、救済施設の布施屋も建てました。そうした活動が、民衆の絶大な支持を受け、慕われました。そのような偉大な方が、最近は最澄とか空海の陰に隠れて、ややもすると忘れられているようで寂しい気がします。しかし、行基像の回りを回りながら一生懸命お祈りする親子の姿をみて、行基の慈悲が今も生きていることを実感しました。
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