本澤二郎の「北京日記」(13)

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<抗日戦争記念館>
 副館長の李宗遠の執務室に招かれた。顔を見て、彼とはもう数回会っていることが確認できた。南京大虐殺記念館などでも偶然の出会いをしていた。彼は日中戦争史の学者・日本研究者でもあった。鋭い分析に舌を巻いたことも記憶している。かつての記念館若手のホープは、いまや記念館全体を運営する主役になっていた。
 そういえば、シンボルの巨大な黒獅子の石像は記念館の前に広がる広場に移動していた。周囲の住宅は跡形もなく消えていた。若者たちの教育基地としての地位をほぼ完璧に確立していたのである。



 確か記念館の日本人向けのパンフレットの文章を頼まれたことがあった。しかし、2005年の大改装で展示物も一新してあった。盧溝橋と抗日戦争記念館は、過去の歴史の証拠を現代に伝える教育的価値だけでなく、観光資源ともなっていた。
 出版物も多く出していた。以前のものには筆者の「中国の大警告」の贈呈場面も写真で紹介してくれていた。今回も3冊いただいた。筆者も中国語に翻訳した著書5冊と今は倒産した健友館が出版してくれた「平成の妖怪 大勲位 中曽根康弘」を贈呈した。
<無人区も展示>
 既に紹介した希望小学校・見才溝小学校のある河北省興隆県教育局長の劉海民から「このあたりは無人区でした」という話を聞いたことがある。其の時「無人区」という聞いたこともない言葉に驚いた。
 「それは何のことですか」と問い返した。「日本侵略軍は、河北省山間部の地区に住む農民たち全てを殺害と追放によって、中国人は一人として住めなくしたのです。それを無人区と呼んでいます。日本軍以外住んではならないという意味です」という説明に腰を抜かしてしまった。取材をしようとしたが無人区ゆえに、証言者を現地で見つけることは不可能だった。仕方なくあきらめざるを得なかった。日本軍の生存者でこれを語れる人物が、今もいるのかどうか。もう80歳か90歳以上のはずである。
 空想する必要などない。無数の無辜の民が理由もなく殺害・追放されていったのであろう。突然に人生を奪われた人たち、特に女子供たちの無念さを考えると、人間としていたたまれない。忠君愛国の論語教育と神社・神道による宗教教育で、とことん「天皇の軍隊」に変身させられ、野獣と化した関東軍にいたぶられ殺害された中国人のことを、今を生きる日本人は断じて忘却してはなるまい。
 無人区のことを記念館に展示してあるかどうかを確かめたことがある。関係者は全く知らなかった。「調べて事実であれば展示すべきではないか」と指摘させてもらった。同時に、いい場所に希望小学校を再建できたことに感謝したものである。

 副館長を待つ間、日本語で案内をしてくれている館員の張栓中が、大改装した記念館の展示物を急いで説明してくれた。そのさい、無人区のことを尋ねてみた。「ありますよ。展示してあります」といって、そこへと連れて行ってくれた。無人区地図の展示も確認できた。良かったと思った。今日において事実を消し去ることはできない。真実から目をそらさずに、そこから教訓を学んでいくのも人間なのだから。
<李宗遠副館長>
 副館長の李宗遠に最近の様子を尋ねてみた。「2005年に大改築を終えました。みなさんからの桜は、毎年咲いています。陳列してある内容を大分変えました。最新の成果を展示しました。共産党と国民党による抗日戦争、台湾人民の抗日運動も、新たに加えました。記念館周囲の環境も大きく変わりました。改装を100日間でやり遂げたのです。無人区も展示しましたよ」と語ってくれた。外交学院4年の秀才君が見事に通訳してくれた。
 見学者の様子を聞いてみた。
 「今年1月から31万人ほどになります。毎日報告を受けていますが、昨日は656人でした。中国人は6割が学生です。外国人はこれまで20万人ほどですが、大部分が日本人です。最近少なくなっていますが」
 改めて記念館の開設時期を尋ねた。「1987年7月7日に開館しました。それから1500万人が見学しています」という答えが返ってきた。7月7日は盧溝橋で日中戦争が勃発した日である。鈴木内閣で歴史教科書問題が起き、続く86年8月15日に中曽根首相の靖国神社公式参拝が引き金となって、この記念館は若者の歴史教育基地として誕生したものなのだ。中曽根のお陰である。
<少ない中日韓の青年交流>
 小泉がその悪しき後継者となったのだが、さすがに「2001年からの小泉靖国参拝で日本人の見学は少なくなった」という。小泉効果がまだ続いているのだという。
 「北京観光客に宣伝してみてはどうか。中日の観光会社にも働き掛けてはどうか」
 「それはほとんどしていません。外国人が利用するホテルなどにパンフレットを置かせてもらっていますが。また日本人留学生の講座を通じて伝えるようにしています」
 「日本は今でも近現代史を本気になって教えていません。政府にも問題がありますね」
 「確かに日本の教育は少なすぎます。この方面についての知識はほとんどありません」
 「ここを見学する日本人の対応はどうですか」
 「反発する人はいません。涙を流す日本人もいます。男性は沈黙する人が多い。女性は自分の感想・意見をいいますね。改めて感じることは、まだまだ交流が少ないということです。日本の若者は近現代史がわからない。中韓の若者は戦後日本の平和の道を理解していない。3国の青年交流を活発化して日本軍侵略を勉強してほしいですね」
<鳩山内閣の実行?>
 館員の張栓中は若い。2008年から正式に日本語ガイドになったという。彼は戦後の日本について高く評価してくれた。「日本の戦後は主に平和の道を歩んできた。中国に対しても助けてくれました」と口走った。実際は複雑でそうでもなかったのだが、確かに自衛隊が発砲せずに外国人を殺害しなかった点は評価できるだろう。ただし、それは日本国憲法の賜物なのである。
 副館長は花岡事件の鹿島についで、西松建設の中国人強制労働事件に対する最近の前向きな対応を評価した。さらに「鳩山総理は歴史を直視すると言ってくれました。麻生前総理は靖国を参拝しました。東アジア共同体のことですが、私の個人的な考えは中日の歴史を解決しないと困難だと思います。国民感情が重要です。これを乗り越えないと将来の道は険しいと思います。鳩山首相の前向きな姿勢に注目していますが、我々は実際の行動を見ています」とも付け加えた。
 言行一致になるのか、それとも不一致なのか。そこを見ている中国といっていい。戦後の「ドイツ」になれるのか、であろう。
 「中国人の歴史観は決して厳しいものではありません。しかし、日本側による挑発に対して、それを感情的に受け入れられることは出来ないのです」
 真っ当な歴史教育をすれば、問題は解決するというのである。皇国史観など論外というものである。

 彼は意外な話をした。アメリカ在住のウイグル族の女性指導者を日本に招いたミズタニという女性と会見したことがあるという。国費留学生として4年間、人民大学で面倒を看たのだが、日本に戻ると、変身して中国批判の中心人物になってしまった、というのである。「恩を仇で返された」と言って笑った。小泉もここにきて「忠怨」と署名した。その意味は靖国参拝で返されたのだ。
 それでも小泉の写真は記念館に飾ってあった。
<中国の課題>
 現在の中国の課題について聞いてみた。むろん、彼個人の見解だが、改革開放の影の部分を「普通の国民にとって地価(住宅)が高すぎる。給料と消費のレベルが合わなければならないが、あっという間に給料の5倍に跳ね上がってしまった。北京では高いところは1平方メートル当たり6万元もする。政府は土地を売り収入を得ている。農民から買い取って開発業者に高く売るので、住宅価格は高くなる一方である」という。
 中国の土地は国有である。業者は国から使用権を購入して開発をするのだが、そのさい、法外な値段で売っているという。腐敗も起きる。こうしたことがどれほど長く続くのであろうか。
 「教育・住宅・医療・老人問題・就職問題がとても厳しい。この問題にあと10年で解決できれば、新しい未来が約束されるだろう」と語ってくれた。
 中国もまた政治の舵取りが容易でないのである。筆者の目には日本の状態はもっとひどいのであるが。国民が気付かないか、気付こうとしないだけである。
2009年11月8日17時50分記

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このページは、kawaseが2009年11月14日 00:00に書いたブログ記事です。

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