本澤二郎の「北京日記」(12)

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<改憲と東アジア共同体は矛盾>
 中日関係史学会との交流では、とても大事な示唆を受けた。それは日本の財閥と右翼の政治家・言論人・学者らが連携して、日本の唯一の誇りである平和憲法をたたき潰そうとする野望と東アジア共同体構想の関係についてである。憲法改悪の動きが小泉-安倍時代のように表面化すれば、東アジア共同体構想は進行しない、それどころか頓挫する、という鋭い指摘である。筆者の深刻な懸念でもあり、同感である。共同体は平和と繁栄が鍵なのだ。



 右翼勢力は、これまでも財閥からの隠れた莫大な資金をテコにして世論操作、改憲への潮流を作りだしてきた。ブッシュのワシントンは、公然と日本政府に改憲を働き掛けてきた。「米軍配下として海外派兵する自衛隊」が、ワシントンのお目当てだろう。小泉内閣が戦争法制の制定に突進した背景でもあった。安倍内閣は改憲に向けた若者教育のための教育基本法を改悪し、その後に改憲のための国民投票法を強行、とうとう国会内に憲法審査会を設置した。国家主義が牙をむいた場面だった。
 こんなきわどい危険な局面で政権は交代した。これは日本・アジアにとって幸運なことであった。

 今回、護憲勢力の社民党が新政権に参画した。このことによって改憲の流れはひとまず止まった。しかし、来年7月以降の動きは不透明である。民主党内の改憲派の動向いかんでは、政界再編論を含めて再び表面化するかもしれないのである。
 現に「壮大なる無駄」である軍事予算はほとんど削減対象になっていない。表向きの北朝鮮脅威論を利用しているのである。ここをしっかりと把握していないと、鳩山内閣の友愛政治の本質も見えてこないことを理解すべきであろう。岡田や菅からは改憲論は聞こえてきたことはないが、前原ら政経塾の動向が要注意だ。背後の資金供給スポンサー・京セラの稲盛の判断、そして鳩山や小沢がどう出てくるのか。筆者にもまだわからない。
 そういえば松下政経塾の松沢・神奈川県知事は訪米して国防総省高官と会見した後、講演(10月7日)で前政権同士の間で合意した普天間基地移設での処理をぶち上げて、従来のワシントン服従外交を側面支援した。政経塾として岡田外交にかみついた格好でもある。反共親米を再び誇示して見せたことになる。むろん親米といっても、彼らの相手は共和党右派やペンタゴンに寄り添う政経塾なのである。リベラルではない。
<鍵握る北京とワシントン>
 平和を愛する、過去を直視する人々は引き続き警戒を怠ってはなるまい。中国の日本研究者も、そのことに言及したものである。ちなみに、この点を強く指摘したのは苑崇利教授らである。
 筆者は最終的にはアジアの判断、とりわけ中国政府と人民の対応いかん、さらには北京とワシントンの出方が、改憲の行方を決定づけると見ている。改憲の先には核軍拡競争が待ち構えているだろう。改めて確認したい。9条憲法は、日本のアジア侵略と不可分の国際政治力学が実現させた、人類の悲願ともいえる最高の条文である。「世界に冠たる平和憲法」(鈴木善幸首相)、「核時代におけるいい憲法」(宮澤喜一首相)なのである。

 軍事力を背景にした国際的ビジネスと軍事利権に、あくこともなく執着する財閥と、日本帝国の再現を夢見る一部極右勢力は、こうした国際的な枠組みと政治力学を全く理解していない。日本は平和国家、アジアのスイス化が唯一平和と繁栄を約束してくれることを、この機会に悟るべきだろう。鳩山と小沢も改憲軌道を修正するしかない。そこへと針路を、舵を切るべきなのである。そうしてこそ東アジア共同体は花開くのである。
 米国を含め各国と平和友好条約を結ぶ日本である。丁民さんは、生前の後藤田正晴と親しく交流していたが、後藤田も「日本は中立国になるのが一番だ」と語っていたという。筆者と同じ立場である。
<盧溝橋>
 随分と御無沙汰していた盧溝橋にある抗日戦争記念館へ出かけた。苑さんの配慮による。車を大学が用意してくれた。通訳に4年の秀才君がついてきてくれた。10月30日の9時30分にでかけた。この5~6年の間、館長が何人も代わった。筆者は97年に例の「中国の大警告」(データハウス)の翻訳本贈呈で、記念館として相応に評価してくれるようになったらしい。バックに控える北京市幹部らと親しくなった。
 その関係で記念館幹部が会ってくれることになった。盧溝橋も久しぶりである。記念館の周囲は一変していた。筆者の御無沙汰がいかに長期に及んでいたかを思い知らされてしまった。近くには小渕恵三が贈呈した友好林もある。
 このあたりの風景は大きく変わっていた。それでも再開発は現在も続けられていた。変わらなかったのは、橋の下を流れているはずの川が干し上がったままだったことくらいである。
<学生の生活費>
 記念館に向かう途中、傳魏然君に学生の生活費がどのようなものかを尋ねてみた。改めて、行き届いている中国の大学教育に感心してしまった。筆者も毎日利用している学食は、学生らの場合、平均朝5元、昼と夜が7元という。月に食費は400元から500元。年間授業料5000元、寮費が年間150元という。
彼は来年から院生になるが、院生の授業料は無料、寮費が650元である。これもすばらしい。アルバイトをしなくてもいい中国の学生である。語学が上達するわけである。
 「地方の大学の授業料は1万元。私立大学は4年間に10万元もかかるところがある」とも。国立に入れないものは私立か海外留学するしかない。昔は全て無料だったというが、それにしても国立の優遇は別格のようである。
 奨学金制度も優秀学生には用意されている。「私は2年間利用しました。年1000元。返す必要はありません」といった。日本も見習うといい。筆者も奨学金をもらった人間だが、必ず国に返還しなければならなかった。
 ついでに住宅事情を聞いてみた。彼の故郷では1平方メートル3000元だったものが、今は5000元、北京では2万元、3万元もするという。不動産バブルは地方都市にも伝染している。
<桜は健在>
 予定の時刻よりも早く着いた。10時前後になると、北京でも下り線は渋滞から開放されていた。肌寒い曇り空の天候である。
 事務棟に入った。すると昔出会った女性職員が応対してくれた。元気そうで、とても喜んでくれた。「もう結婚はしました」といった。桜のことを尋ねた。「元気にしています」というので、是非見たいと申し出ると、彼女は即座に案内してくれた。
 桜のことを話すと、話が長くなる。「中国の大警告」を100冊贈呈したあとのことである。記念館の最高責任者から資金集めの相談を受けた。資料集めにかかる経費を市民からの献金で賄っていたのだが、当時の北京では財力のある市民は少なかった。そこで海外に協力者を求めていたのである。
 筆者は宇都宮さんの会社、JR東日本の労働組合、資本豊かな宗教団体に声をかけた。喜んで応じてくれたのが、JR東労組が加盟しているJR総連だった。宗教団体は応じてくれなかったのが、いまでも不思議に思うばかりである。
 平和運動に取り組んでいる真っ当な労働組合は、中国に希望小学校を20校近く建設、その実績は日本一である。組合員の献金でおよそ100万円を集めることが出来て、記念館に寄付した。そのさい、彼らは記念の植樹をしたい、とも提案してきた。日中平和交流21事務局長に交渉してもらうとOKが出た。何がいいか。記念館の方から「桜を」と言ってきた。かくして6本の桜を記念館の一角に植樹をした。
 この桜が枯れることなく生きているというのであるから、これはかかわった者にとって感動ものである。
 北京は寒い。関東のようではない。桜の最北限のはずである。それでも6本の桜を確認できた。「春には咲いている」という職員の話にほっとした。カメラに収めた。平和労組の思いは立派に生き続けてくれていた。仲介人として、これはとてもうれしいことである。
 この労働組合は松崎明という稀有な労働指導者によって、今日がある。右翼や公安当局に追い回されても、決してひるむことなどない。恐ろしいくらいの精神力の持ち主である。平和運動が労組の大事な使命だと信じている。彼によってJRの労働組合は、今も健全さを保持できている。
 河本敏夫流に言わせると「1本のローソク」である。
2009年11月7日20時40分記

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このページは、kawaseが2009年11月13日 19:22に書いたブログ記事です。

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