<前門散策>
北京の新しい観光スポットとなった前門を、偶然NHKが放映していたのを知った。庶民の街のはずである。東京の浅草のような印象である。それが一変していた。随分と立派な建造物で衣替えしていたものだから、苑さんにおねだりすると、二人の院生を案内役に指名してくれた。張剣、鄭暁蕾両君である。
北京の新しい観光スポットとなった前門を、偶然NHKが放映していたのを知った。庶民の街のはずである。東京の浅草のような印象である。それが一変していた。随分と立派な建造物で衣替えしていたものだから、苑さんにおねだりすると、二人の院生を案内役に指名してくれた。張剣、鄭暁蕾両君である。
大学のイスラム食堂で饅頭と粥を胃袋に入れると、地下鉄・阜成門駅まで歩き始めた。「庶民の街が消えた」とがっかりする市民も少なくないようだが、百聞は一見に如かず、である。地下鉄・前門駅で下車すると、確かに当たり一面整頓・整備されている。
鄭君は北京市出身という理由でガイドに指名されたものらしい。気の毒でならないが、普段は勉強の虫で構内から飛び出すことは少ないのだろう。北京五輪で変わった北京など知る由もないかもしれない。便所を探すのにも、辺りかまわず近くの市民に尋ねるしか方法がないのである。張君はというと、ここいらは初めてなのだから筆者並みのおのぼりさんでしかない。
前門は北京城の真南にそびえている。そこから真っすぐ南に歩行者天国のような広い道路が延びていて、その両側に古い街並みを模した華麗な建造物が立ち並んでいる。何がどうなっているのか、さっぱりわからない。数日後、中国青年報幹部夫妻の再案内で大分この周辺の通になったが、このときは見事な建造物に見とれるだけだった。
とはいえ、周囲を散策しているうちに庶民向けの店舗を見つけることが出来た。2元ショップといえる店である。なんでも2元である。せっかくだからメモ用のノート、名刺入れ、電話帳などを購入した。鄭君は絵葉書を買ってくれた。感謝感激だった。優しい思いやりに、人間は感動するものである。そういえば、この二人とも1年前に訪問した時も、5人の院生ともども天安門広場や王府井を案内してくれていた。いい将来を祈るばかりである。
<毛沢東記念堂>
辺りかまわず散策していると、胡同(フートン)に紛れ込む。昔ながらの庶民の臭いがふんぷんとして伝わってくる。妙な懐かしさがこみ上げてくるのがわかる。ふと上方を見ると、そこには高層の建物がそびえていた。
前門から天安門に向かうと、すごい人の行列が延々と続いているのが目にとまった。そういえば、地下道から広場に向かう際には手荷物を警察官が検査している。警備怠りなし、という印象を与えている。大行列が毛沢東記念堂に向かっていることを、間もなく確認できた。
今年は建国60年である。地方からの観光客必見の観光スポットなのだろう。筆者は79年に大平訪中に同行した時に記念堂に入っている。中曽根訪中ではどうだったか。すっかり忘れている。確か85年だったと思う。
<天安門近くの便所>
ありがたいことに天安門の左右に大きな便所がある。入口に人々の目が彼方のテレビに釘付けになっている。なんだろうと見上げると、そこは観光客向けのお店で、先頃の国慶節での軍事パレードのCDを宣伝しながら販売していたのである。映像には次々と兵士らの分列行進が軽快な行進曲に合わせて登場してくる。しばし、見とれていると、不思議にも目に熱いものがにじみ出てきた。
なぜなのか?恐らくアヘン戦争以来、列国の植民地になり、ついで日本軍国主義の耐えがたい屈辱と大災害に遭遇、さらに国共内戦へと突入、新中国になっても厳しい苦難を生きてきた人民が、160年にしてようやくG2とも呼ばれる大国になった、今や侵略という2字を弾き飛ばした、文字通り大中国になったことへの日中友好派の感慨かもしれなかった。
それは日本の右翼に一喜一憂することのない大中国である。
店の棚に「南京大屠殺」というCDを見つけた。張君に手伝ってもらい購入した。友人への土産である。
便所は奥の方に広がっていた。さすがは天安門そばの巨大便所である。
天安門は観光客で賑わっていた。一目見ると安心する場所なのだ。いつ見ても、何度でもあきない。中国の安定度を測定できる所なのである。
歩いて北京飯店まで来て、そこから左に折れると、有名な王府井である。しっかりと確認したわけではないが、観光客は前門に大分流れているような印象を受けてしまった。ここからバスに乗って大学に戻った。
<公開講演会>
午後3時から筆者の公開講演会を開いた。100人ほどの学生は階段式のホールに集まっていた。司会を苑崇利教授がしてくれた。通訳は院生の賀君である。JALで数年働いた後、さらなる向学心から院生になって語学力と国際関係・日本問題に取り組んでいるらしい。通訳は初めてという。
筆者があらかじめ用意していた原稿を、賀君が翻訳してくれていたお陰で順調に1・5時間の講演会を終了することが出来た。この機会に上海・復旦大学の先生が、講義のお礼にいただいた龍と鳳凰の刺繍の施されている見事なネクタイをつけた。肖向前先生宅の弔問に用意してきたものである。
既に20人ほどの院生とは、講義と宿舎での勉強会であらかた顔を覚えていたので、彼らのほとんどが姿を見せていてくれてるのがわかった。「自民敗北と政権交代」について講演、その後に活発な質問を受けた。この中には数人の教官も混じっていた。周永生・日本研究中心副所長もおり、再会を喜んでくれた。彼は現在、創価大に滞在している武漢大の熊教授の友人だった。世間は広いようで狭い。
日本政治・日米中関係などに質問が集中した。実によく勉強している学生たちに囲まれて幸せな時間を過ごすことが出来た。
2009年11月2日17時55分記(北京時間)
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