本澤二郎の「日本の風景」(273)

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<永田町を去る自民党秘書>
 大平時代の宏池会から派閥事務所で勤務、後半は自民党代議士秘書をした上野さんの送別会が、昨夜赤坂の飲み屋で日テレOBのH君の呼びかけで開かれた。そこには昭和38年から鈴木善幸元総理とその息子が居座ってきた議員事務所で働いてきた守本さんも参加した。いずれも議員秘書を卒業する。思いは複雑に違いないが、そこはベテランたちだ。「自民党の敗北は当然。政治家が小粒になったし、官僚出身議員は金もうけのためにバッジをつけていた。これでいいのですよ。再生できるか疑問」という予想外の感想も聞かれた。



 参加者の一人が言っていたことだが、およそ500人の秘書が失業するという。中には民主党議員秘書になったものも。ただし、小沢が選別しているという。「小沢の意向を受けた参院秘書が面接している」との極秘情報もあった。
 これからは自民党本部職員のリストラが始まるという。「小沢の目的は自民党本部のあるビルを買って、そこに自分が居座ることにある」と解説する人もいた。
 筆者も20年ほど通い詰めた平河町の自民党本部は、国会に近くて一番地の利のいい場所にある。小沢が欲しい場所の一つに違いない。
 「選挙が終わると3日以内に引っ越せとの指示があり、それは大変だった。事務所のFAXには古本屋から、いらない本や資料を買いたい、という連絡もあった。初めてのことで、これには驚いた」という秘話も語ってくれた。
 上野さんは小山長規事務所からの知り合いである。その後に宏池会に移り、同会をずっと見てきた。大平、鈴木、宮澤、加藤の会長のもとでの宏池会である。これからは宮崎県の実家で老いた母親の介護をするのだという。
 小泉チルドレンのもとで4年務めた秘書は「明日宮城県に帰る」という。旅行会社からの転身組である。「小泉の応援はマイナスだった」と断言していた。元議員は秘書を一人残して、全て辞めさせたという。元議員は来年の参院選挙狙いなのか。
<再生は厳しい>
 自民党の再生はあるのかどうか。送別する側は宏池会を担当したことのある元政治記者である。うち二人は大学の教員、他は系列テレビの監査役と子会社の社長である。全くの自由人は筆者一人である。
 その中には自民党総裁になった谷垣禎一のブレーンをしている人物もいた。彼が自民再生に期待を込めて当然である。逆に谷垣をよく知る元記者は「谷垣は自宅を新築している。地元の評判が悪い」といってチャチを入れた。「地元に秘書が二人しかいない」とも指摘していた。
 麻生太郎の非難合戦も始まった。筆者はよく知らなかったのだが、官房副長官のなかにカメラだけをぶら下げて写真ばかり写していた、とんでもない議員がいた。「彼のおかげで総理夫人は海外にも一緒に行けなかった」という。
 漢字が読めない総理は学習院大学出身だから、というのであるが、つまるところ「側近がひどすぎた」というものだった。安倍や森批判も相次いだ。
<小沢の忍耐>
元政治記者たちだから極秘情報も出てくる。「小沢のロンドン行きは今回で手術後5回目。必ず1年に1度行かなくても済む。時には国内でもチェックは可能」というのである。小沢研究者がいるらしく、そこからの情報だという。
こんなのもあった。「小沢がじっとしていられる期間は1・5年だ。再来年あたりに何かが起きる」と占うものもいた。これまでの彼の行動統計から割り出したものだという。暇な人間がいるものである。
<鳩山改憲論>
 筆者の懸念は鳩山の改憲論についてだが、その原因の一つが大量に保有するブリジストン株が、軍用のトラック・装甲車のタイヤと関係しているためである。仲間の一人は「そもそもブリジストンの創立者は軍人が履いている靴や足袋を大量にさばいて大きくなった会社。軍国主義の日本と歩調を合わせてきたからだ」といって鳩山改憲論をけん制した。
 ここを触れると鳩山の「友愛」に疑問が出てきてしまう。
 無駄排除をわめいて総理になった鳩山である。先の都議選で民主党は、石原の五輪利権に反対して石原与党を敗北に追い込んだ。それでいて鳩山は、石原のお先棒をかついで、IOC総会が行われるコペンハーゲンに行くという。
 君子豹変・朝令暮改の典型ではないのか。裏で何があったものか。鳩山への失望第一号となってしまった。
<皆リベラル>
 9人の会食であったが、気分は上々である。宏池会を担当した元政治記者と秘書たちばかりだ。不思議と右翼がいない。フジ・産経グループの仲間がいなかった。それが理由だったらしい。
 昔の自民党には、まぎれもなく思いやりを大事にするリベラルな派閥が存在した。三木派や大平派である。水田派もそうだった。田中派もリベラルに近かった。福田派と中曽根派に右翼が集まっていた。
 筆者は自民党派閥を総なめにしてきた特異な政治記者だったが、宏池会が好みとなったのも、リベラル・寛容な政治集団であったからである。
 そういえば、一匹狼になった加藤紘一は「えらく元気そうだ」といい、筆者が警戒してきた国家主義を信奉する中曽根は「何もないとボケッとしているが、カメラを向けると元気が出てくる」と近況を伝えてくれる元記者もいた。中曽根の盟友・ナベツネは今また「小沢に接近している」との分析もあった。
 魑魅魍魎がうごめく政界と言論界なのか。
 昔の仲間たちとの四方山話は久しぶりのことであるが、なかなか楽しいものでだった。
2009年9月30日21時30分記

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このページは、kawaseが2009年10月 2日 00:45に書いたブログ記事です。

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