本澤二郎の「日本の風景」(285)

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<正子の結婚式>
 昨夜、田舎から戻ると、突然携帯電話が鳴った。「ヨウ」と名乗る中国人である。わかるわけがない。しばらくして「熊(くま)さんか」というと、そうだということで思いだした。彼は盧溝橋の抗日戦争記念館主催の国際学術会議で、急きょ通訳をしてくれた日本研究者で、当時南開大学の教員をしていた。偶然の出会いだった。その後に湖南大学に移った。彼のお陰で同大学に数回講義に出向いた。そのさい、毛沢東の生家を見学した思い出も残っている。現在は武漢大学におり、数日前に創価大学に来て1年過ごすのだという。彼は早稲田大学にも留学した幸運児だ。実は田舎に行っていたのは、弟の娘・正子の結婚式も兼ねていた。



 10月11日は今季最高の秋晴れだった。会場も規模も全て正子と新郎の鴇田洋平君が取り仕切ったものらしい。40人足らずの合理的披露宴というのもよかった。正子の母親の兄弟姉妹に久しぶりに会うことが出来た。この中には、筆者が戦後50年の95年8月、50人の仲間で実施した南京・盧溝橋の平和の旅に参加してくれた天笠さんもいた。しかし、夫はいなかった。最近亡くなったのだというが、夫人は東京湾の風で鍛えられた持ち前の性格で、元気に振舞ってくれたのがうれしかった。正子の母親も50人のメンバーの一人だった。
 彼女の弟は、新日鉄君津製鉄所の労組幹部に人生をかけていたおかげで、今も子会社の嘱託をしていて、この日も姿を見せていた。
 洋平君の母親は青森県・津軽の出身という。同県や岩手県からも親類が姿を見せていた。
<父親思いに感涙>
 二人とも相当な幸運の星の下に生まれたらしく、向こう三軒両隣の距離という狭い範囲で結ばれた。万葉集にも登場した由緒ある馬来田同士というのも珍しい。洋平君も国家公務員上級職に合格、林野庁勤務が始まったばかりだという。勤務先は岩手県一関市の近辺という。同市は志賀節元環境庁長官の地元ではないか。
 披露宴の圧巻は、正子による両親への感謝をこめたあいさつだった。娘のいない筆者には無縁のことなのだが、娘の父親への万感迫る一言に、ついぞもらい涙をしてしまった。文言を忘れてしまったが、なかなかの文章力だった。
 現代の若者への認識を一変させるような威力に、正直驚いてしまった。娘を持つことのありがたさなのかもしれない。
<若者は教会好み?>
 会場は本人たちがインターネットで探したという小奇麗な教会方式の式場だった。アルバイトの牧師であろうが、何となく雰囲気をかもしだしている。そういえば再婚した年配の友人は、青山大学内の教会だった。正子も同大学の卒業生である。
 今風の若者は教会が好きなのだろう。普段口ずさんでいる歌が讃美歌からのもの、ということも教えてくれる。宗教を解せない人間にとってどうでもいいことだが、人間は何でもいいから宗教的なるものへのこだわりがあるものか。弱さからくるのであろう。
 「宗教はアヘン」という世界だったロシアや中国でも、教会や寺院参拝は流行している。前者は、それを政治が全面的に利用している。戦前の日本もそうだった。政治との結びつきとなると、やはり身構えてしまう。政治家や経済人は占いに凝るものが多い。鳩山夫人がそんな一人ということを、最近の週刊誌が書いていた。
<アケビを母に持参>
 うれしかったのは披露宴が午後4時過ぎだったことである。したがって、午前中たっぷりかけて埴生の宿の庭の掃除や家庭菜園で汗をかいた。雑草ですっかり生育を抑制されていたサツマイモを掘ってみた。やはり手入れのない野菜は大きくならない。しかし、ここはミミズの活躍できるミネラル豊富な畑での芋に違いない。農薬と化学肥料漬けではない。
 先日の台風の影響で数センチに伸びた大根の芽が元気なく打ちひしがれていた。残念至極である。周囲の土を掘り起こして様子を見ることにした。
 ネギの両側に土盛りして、見せかけの手抜きの雑草退治とした。初めて植えたラッキョウの芽が出ている。うまくいけば最高である。1本のウコンに白い花が咲いていた。これは珍しい。しばし、見とれてしまった。
 柿を10個ほど採った。初の成果である。虫食いの赤くなったぶよぶよのものは、やはり想像してた以上に味がよくなかった。一部のゆずが少しだけ黄ばんできていた。来月になると採取可能となろうか。隣人が「青いのが欲しい」と言ってきた。「どうするのか」と尋ねると、胡椒をつくるのだという。知らなかった。
 生垣にアケビがぶら下がっていた。シャワーを浴びた後、さっそく91歳の母親に2個持参した。記憶力・体力が衰えてしまっている母は、それでも「アケビか」と正確に口走ってくれた。この言葉に感動する息子である。小さな親孝行とでもいえようか。

 ひと汗かいた後の披露宴での、フランスはシャンパーニュ地方で作られているというシャンパンでの、乾杯の一杯がおいしかったことはなかった。労働が健康と幸福の原動力であることを、この一杯が教えてくれた。そんな数々の成果もくれた正子の結婚式だった。
2009年10月13日9時50分記

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このページは、kawaseが2009年10月17日 20:10に書いたブログ記事です。

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