本澤二郎の「日本の風景」(272)

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<祭政の季節>
 収穫の秋である。顔をなでる風は心地よい。旬のものが食卓に並ぶ季節でもある。真夏の後の秋は、人々を最高の気分にさせてくれる。そこを見計らってか、明治の為政者・官僚は人々を祭りの輪に誘い込む。政治の巧妙な仕掛けなのだ。酒と踊りの祭礼・遊びによる大衆動員・操作でもあった。
 明治官僚の最高傑作といっていいだろう。それが敗戦を経て、なおかつ日本列島の津々浦々までに及んでいる。驚くべき非民主的宗教政治文化であろうか。過去を清算できにくくさせている元凶でもあろう。浮かれてはいられない。



 閉ざされ、人が寄り付かない神社がこの季節賑わう。田舎道に笛と太鼓が山車の上で鳴り響く。神輿が村々・町内を練り歩く。獅子舞も。幼児体験が大人たちの郷愁を誘い、恒例行事となっている。むろん、インターネット社会が変化をもたらしている。
 笛を引き太鼓をたたく業師の後継をなんとか維持はできても、神輿の担ぎ手がいない。山車は子供たちが引くのだが、これが昔のように集まらない。ゲーム機や塾通いの子供たちも少なくない。それに少子化である。やむなく農作業で使っている貨物車を代用にしている。神輿担ぎはアルバイトを採用することも。獅子舞はお蔵入りさせるしかない。
 それでも太鼓と笛で人々を動員させようとするのだが、昔に戻ることはない。だが、消えることもない。靖国を支える日本主義なのか。寄付という形で村々や町内に網が張られ、部落の長老たちが胸を張れる季節でもある。
<国家神道の残滓>
 筆者が子供のころ、父は太鼓たたきの名手だった。普段、貧しくしていて好きな酒を満足に飲むことが出来ない。せいぜい1合か2合買いこんできて数日かけて飲むという世知辛い生活だった。侵略戦争のツケなのだが、祭りともなると、そうしたうっぷんを一度に晴らせる特別の日である。たらふく飲めるのである。神社は、貧しい民にとってさまさまだった。
 侵略戦争の必勝を期した信仰への反省など皆無だった。戦後も「祭り文化」という怪しげな衣を着て、神社信仰が氏子を擁して根付いている日本である。これに地元役人・議員・地方名士が率先参画して、祭りを盛り上げるのである。
 過去の清算どころの話ではない。明治によって根付かせた祭政一致の儀式が、不況に比例して拡大している。神社の再建がいたるところで行われている。小泉の6回もの靖国参拝の政治的効果でもあるのである。
 まともな歴史教育がなされない日本を象徴しているのだが、筆者の場合、山車を引いたのであろうが、記憶に残っていない。残っているのは、父が泥酔のあまり喧嘩に巻き込まれて家に担がれてきて、母がそれを嘆いていたことくらいである。いい印象は残っていない。
 それよりも、侵略戦争が9条憲法を立ち上げ、中国を歩いて歴史を知ることで、この天皇家の信仰という原始宗教に違和感を持つことになる。とてもではないが、日本刀を祀る靖国に手を合わせようとは思わない。近代教育を受けて皇室に入った民間の女性が、皇室の奥の院で行われる祭祀に抵抗感を抱くのは、当たり前のことであろう。
 この神社信仰が皇室に残る限り、日本の近代は確立出来ないのではなかろうか。
<政治変革と時代状況>
 思うに明治は地方の田舎侍によるクーデターであった。全国への威令を発する道具として京都の天皇家を担ぎ出した。「天皇親政の明治政府」を時の官僚たちが知恵を出した。その一つが天皇家の信仰である神社(神道)を国教にすることだった。
 数十戸の単位に神社を建設させ、人々の信仰の対象にさせた。廃仏毀釈が強行された。平和志向の仏教を封じ込めて、戦いの神に切り替えたのである。そこでは祭礼を強要した。笛・太鼓・山車・獅子舞い・酒と菓子がそのための道具である。
 これが明治に確立した祭政一致の国民動員体制なのでもある。貧しい時代の中央集権体制の一翼を担うのである。それは戦争への組織化でもあった。明治官僚の知恵のなせる技であろう。残るは教育である。天皇を神とあがめる忠君愛国教育に、彼らは論語を拝借した。仏教の平和主義を封じ込めてしまった。
 当時としてはなかなかのものである。世界最強の武装国家への変身である。
<天皇家の祭礼>
 この天皇家の信仰はどこから日本に伝わったものか。筆者は出雲の国・島根県を歩くことで、多少の憶測を加えるのだが、それは朝鮮半島からだと断じたい。古代の先進文化を有する朝鮮の有力者らが、列島に渡来して一大王国を築くのである。
 彼らの保有する鉄の文化が日本支配を可能にした。ここに古事記・日本書紀という古代の日本史が大きな制約を受ける原因となるのである。「朝鮮王国の属国」という形式を採用できない。日本古来の天皇史観が創造されなければならなかった。

 幼いころから家の前の神社に2体の狛犬があることを知っていた。何故の「こま犬」なのか。正しくは「高麗」、朝鮮古代史を飾る高句麗のことである。神社信仰は朝鮮から伝わったものであることが判明しようか。
 最近、韓国で製作された映画「朱蒙」に白装束の女性占い師が登場するが、これが朝鮮半島における祭政一致を証明している。天皇家の祭礼も、これと似たものかもしれない。宮内庁の奥の院で繰り広げられている祭礼が明らかになれば、いずれ判明しよう。
 朝鮮から伝来したのは仏教や儒教だけではなく、神道も入ってきたものなのだ。源流は中国やインドである。あるいはモンゴルである。中国には古代からこの方、道教が存在するが、これが神道のルーツではないか、と推測できる。
 道教は英雄を祀る。神道もそうだ。明治天皇を祀る明治神宮がそれである。靖国が日本刀というのも理解できよう。戦いの神なのである。仏教とは異なる。

 余談だが、国技とされる相撲を、仏教の寺ではなく、神社に奉納するという儀式がある。源流はモンゴル相撲か。それが朝鮮相撲になって神社・神道と共に列島につたわったものであろう。現在の横綱2人は共にモンゴル人である。先祖がえりなのであって、自然なのかもしれない。ここにも争い・戦いという神道形式を見ることが出来る。
 原始の時代は部族同士の血で血を争う戦いが、生き残りの唯一の条件だった。戦いに勝つための信仰を必要とした。それが神道なのであろう。ここにも靖国参拝を恐れる隣国民の不安を理解することが出来る。

 ようやく「靖国参拝はしない」という総理大臣が誕生した。官僚任せの政治はしない、と公約した政権の誕生は、日本精神の近代化を約束するかもしれない。それでいて列島で繰り広げられる無数の原始的祭礼から解放される日はいつなのか、誰もわからない。日本右翼がこびりつく天皇家の宗教ゆえに。
 改めて明治官僚の知恵の奥深さには、ただあきれるばかりである。ここがつかめないと日本史の真実を解き明かすことはできない相談である。
2009年9月30日18時15分記

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このページは、kawaseが2009年10月 1日 01:06に書いたブログ記事です。

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