2009年10月アーカイブ

<清東陵見学>
 北京到着の翌日(10月24日)に楽しい計画が用意されていた。大学の学部主催の研さんを兼ねた交流会のような行事だった。そこに筆者も割り込ませてくれたのだ。日帰りのバス旅行である。行き先は河北省にある、満州族が打ち立てた清朝皇帝の陵墓・東陵である。大学の専門家が案内役という。かなり格調の高い見学会である。朝の7時30分出発だから、7時に食堂で朝食を取らねばならなかった。



 学生食堂は久しぶりである。土曜日のせいで学生は少なかった。苑さんがあらかじめカードを貸してくれた。以前と違っていちいち現金で支払う必要がない。合理化していたのに最初は面食らってしまった。
 スープやご飯を注文すると、係員が手際よく盆に乗せてくれる。同時に計算機に請求額をインプットする、そこへとカードを差し込むと支払いOKである。どこの学生食堂も同じなのであろう。混雑緩和に貢献している。それでも学生が殺到すると、まるで戦場のように騒々しくなる。
 初日の学生食堂で豆乳を飲むことが出来た。健康飲料である。
<抗日劇>
 バスは天津市を経由して保定市に向かって走り続けた。かなりの距離だ。どのあたりか土地勘がない。バスは高速道路から市道に入った。すごい人だかりだ。青空市場である。休日の市場に人々が殺到していた。
 バスが急に速度を落とした。周囲は人の山である。右手に貨物車の荷台が見えた。なんとそこで演劇をしていた。軍服姿の役者が数人立っていた。日本軍・関東軍の兵士であるとわかるのに時間はかからなかった。抗日劇である。
 そういえば、近くの交通標識に「抗日戦争勝利記念館」という案内が出ていた。最初、盧溝橋に来ているのかと錯覚してしまったほどである。天津に入っているのだから盧溝橋であるわけがない。まぎれもなく河北省なのだ。建国60年の年と関係があるのだろうか。
 いえることは対日感情の厳しさを裏付けている。民主党政権の閣僚の靖国参拝はなくなった。しかし、政権を追われた自民党総裁らの靖国参拝は強行された。これでは日本印象が良くなることはないのかもしれない。
 日本人がやや気にするせいなのか、テレビをつけると抗日戦争や国共内戦のドラマが、どこかのチャンネルで放映されている。
 日本の歴史教科書が根本的に改善されない限り、為政者が南京を訪問、そこで真摯に謝罪しない限り、日中の溝は埋まらないのであろう。天皇制国家主義の亡霊が永田町に舞っているようでは、日本の前途は危うい。抗日劇はそんな日本への警告のように思えた。
<風水・皇帝陵>
 東陵見学で、これが風水の原理で作られているということを学ぶことが出来た。しかし、肝心の風水が何かわからない人間である。説明から北側の背後や東西の左右に山を抱き、前方の南に河川が流れている場所が、皇帝陵墓に最適な場所ということらしい。
 普通の人間は、どうして巨大な墓を作ろうとするのか、壮大な無駄ではないかと、不思議に思うばかりだが、権力者は死んでも権力を維持しようとして、陵墓作りに生きている間から励んでいる。東陵の代表格が乾隆帝の墓である。満族のありったけの知恵と資本を投入した広大な陵墓には、石像を並べたり、4本の華表を設置したりとあきれ返るばかりの幼稚な装置で、威厳と威令を発散させているようではある。
 6本の柱からなる鳥居を中国では牌坊と呼んでいる。神道・神社の鳥居の原型なのか。神と人間の境界線である牌坊を現代人には、とるに足りない仕掛けでしかないのだが、封建社会はそれでも相応の政治的効果を生じさせたものか。
 仕掛けの一つに竜の頭と亀の胴体の上に乗せた巨大な石碑は、文句なしに芸術的な価値があるのであろう。どうして、こんな芸当が出来たのか、エジプトのピラミッドの建造にも似た知恵を働かせたものであることは確かである。
 教えられてわかったことは、明代の皇帝の墓に比べて、清代のそれは浅い所に埋葬している。皇帝の横に皇后の棺があり、さらにその横に貴妃が埋葬されている。棺は皆木製のようだった。
<神仏混交>
 乾隆帝の陵墓に入る石の扉には、菩薩が彫られている。ドーム型の天井には仏が彫刻されているのに驚いてしまった。入口の鳥居の中に入ると、神路が長く伸びている。それが一端、陵墓に入ると、そこは仏教の世界である。チベット仏教を信仰していたものらしい。
 それは清朝を傾かせた女帝・西太后の棺の周囲もほぼ同じだった。神仏混交なのである。墓地の前方左右には、北京の故宮に似せた荘厳な建造物が建っていたのには驚いた。彼女にとって死の世界も、生の世界と同じような豪華絢爛なたた住まいでの生活を欲していたのであろう。
 国の資産をとことん食いつぶした様子が、この陵墓一つで理解できる。愚かな女帝は、石の彫刻に皇帝を意味する竜よりも、自らを象徴する鳳凰を上位に置くという傲慢さにも現れている。
<荒れ果てる文化遺産>
 故宮のような西太后の陵墓を飾る豪華な建造物は、きらびやかな瑠璃によって威厳を醸し出してはいたが、盗掘とその後の放置で庭内の石は無残にはがされ、砕け散っていた。中国を代表する木造建築だというのに傷ついたままである。
 中国を滅ぼした犯人として人民は、今も忘れていないのだろうか。それが荒んだまま放置されている理由なのか。観光客も少ない。見物客の哀れをさそっている。しかし、清朝およそ300年の長期政権に比べると、新中国はまだ60年である。厳しいモラルが政権維持の秘訣だったという見方もある。現代人にそれなりの教訓を投げかけてはいまいか。
<日本研究中心発足>
 見学会には、苑崇利さんが風邪で体調を悪くしているというのに、わざわざ筆者に同行してくれた。こうしたやり過ぎる接待に、こちらは申し訳ないばかりなのだが、せっかくの配慮・気配りを断るわけにいかない。しかも、2人の院生までも身の回りの世話やら、通訳に付けてくれた。
 ただ、彼からのすばらしいニュースには、我ながら感動してしまった。外交学院に日本研究中心が発足したのだという。むろん、彼の執拗な努力の成果である。同時に石橋湛山研究で博士号を手にした。研究中心主任にも就任した。おめでたが相次いでいたのである。
 「苑さんは大器晩成型ですね」という言葉をお祝いにしたほどである。あらゆる人間世界の組織は、いってみればゴマすりの世界である。よほどいい先輩がいないと、実力を正当に評価してはくれない。地味で黙々と仕事に励む苑さんを認めた外交学院に敬意を表したい。
<いい日本人>
 夜遅く学校に着いた。夕食にラーメンを食べることにした。外交学院正門前のラーメン店は以前、苑さんに案内してもらったことがある。院生の陳梅・張剣両君が付いてきてくれる。これほど安心なことはない。中国語が出来ない日本人には、レストランに一人で入るのは面倒なのだ。混んでいると、実に厄介であるが、付き人がいればそうした不安は無くなる。
 幅の広い麺を取ってくれた。牛肉の入ったラーメンで味がいいのである。量もたっぷりある。このとき陳梅君がいい話をしてくれた。
 大学を卒業した後、天津の富士通の合弁会社に就職した。日本人重役の秘書が仕事だった。だが、給料が安くて止めて院生に戻った。さぞかし日本嫌いに違いないと判断して、日本人重役の評判を尋ねてみた。
 「いい人でした。彼は南京訪問を履歴書に書いてきた中国青年を採用してくれた。南京大虐殺は事実と思うとも言ってくれた」というのである。富士通は3000人の従業員を2000人に削減したというのだが、陳梅君の日本感情に変化はなかった。いい日本人のお陰なのだ。
2009年10月29日12時00分記(北京時間)
<外交学院>
 90回目の訪中の機会を、北京にある外交学院がプレゼントしてくれた。苑崇利教授の思いによるものだが、筆者には、繰り返すようだが、知日派の第一人者・外交部OBの最長老の肖向前先生が「早く来なさい」と呼んでくれたのだと思えてならない。
 昨夜、ここを2期生として卒業した劉智コウさんが久しぶり訪ねて来てくれた。彼とは東京の中国大使館勤務時代に少しばかり交流があった。北京では数年ぶりの再会だ。彼によると、外交学院は人民大学から分離したもので、周恩来の強い意向で創立された。「有能な外交官養成」を目的にしたもので、自ら初代名誉院長に就任した。


 有名な陳毅外交部長が院長を兼務するなど、今でも外交部直属の高等教育機関で知られる。学生の語学力がすこぶる高いことが、筆者の出番を作ってくれている。確か5冊ほど拙著を翻訳したグループに北京外国問題研究会の関係者がおり、そこで苑さんと彼の先輩と知り合った。著書を通しての不思議な出会いが、外交学院との交流を可能にしてくれたものだ。活字の威力なのかもしれない。

 劉さんの話では、外交学院の56年の創立時は周囲に畑もあった、鉄道も走っていた。「勉強のために録音していると、汽車の警笛も一緒に録音されて泣いたことがある」と懐かしげに母校の初期の様子を聞かせてくれた。「校内には果樹園もあった。リンゴ、ブドウ、梨が採れた」といって目を細めた。
 「プロ文革では被害を受けた。陳毅部長は遠慮せずに発言するものだから打撃も強かった。寥承志さんも被害を受けた。一度拉致されて3日も行方不明になり、必死で探し歩いたことが忘れられない。他の大学同様、学院も開店休業に追い込まれた。私らおよそ6000人は寧夏の教育労働施設に送り込まれた。学院の本格再開は70年代からとなった。しかし、今からするといい経験でもあった。そうして障ナ小平の出番もあったのだから」といって白い歯をみせた。
 外交学院もまた、政治の渦中に立たされていたのである。当時の建物のいくつかは、そのままだという。唯一都心に母屋を構える外交学院は、そのうち郊外の広大なキャンパスに移ることになる。
<パソコン持参>
 今回、初めてパソコンを持参してみた。息子が変圧器を購入してくれたので「多分、うまくいくはず」と自信をつけてくれた。パソコン専用のカバンまで買ってきたのだから、ひたすら成功を祈るほかない。「これで浦島太郎にならなくて済む」という安心にもつながった。
 だが、成田空港(10月23日)で予想外の対応を求められた。「パソコンをカバンから出して欲しい」と係官が指示してきた。どうしてカバンから出す必要があるのか。全く合点がいかない。「なぜなのか」と抗議した。すると「赤外線が通らない。そういうルールなのです」と同じことを繰り返すばかりだ。仕方なく応じることにした。
 抵抗したのには理由があった。筆者のパソコンにはいくつかの配線がついたままだ。はずせばいいのだが、そうすると北京で接続するさい、わからなくなるかもしれない、という心配である。せっかく北京に持参しても使えなくならないか。だからカバンに入れたまま動かしたくないのだった。
 しかし、当局が強引に要求する以上、妥協するほかなかった。恐る恐る静かに取り出し、面倒だが、またゆっくりと元に戻した。若者なら簡単なことも、老いて機器に弱い人間だと、これがすこぶる厄介なのだ。

 思えば、こんなに厳しくなった原因は日米同盟の強化と米国のイスラム世界との対立・戦争からである。ワシントンの悪しき世界戦略に関係している。利権や資源略奪がらみの抗争である。9年目に入ったアフガン戦争は、まぎれもなく第二のベトナムそのものである。そこでソ連も敗北した。アメリカの敗北も目に見えている。オバマは利口だから、戦いを止めると思ったのだが、そうはしないらしい。ということは、オバマの先行きは暗い。経済危機と戦争で4年後の再選は厳しくなろう。誰もが予想できる。
<ANA機のサービス>
 日本の飛行機に乗ることは滅多にない。高額だからである。しかし、日程に合わせるため、やむなく全日空(ANA)に機上した。本来であれば、座席は空いていなければならない。だが、ほぼ満席である。
 理由は、隣席の若い2人の女性グループとの会話から判明した。彼女らは2泊三日の北京観光客なのだが、筆者の高い航空券とほぼ同額だった。彼女らには5つ星のホテルと食事もついていた。ということは、団体観光客には個人の半額程度で航空券を発売していたのである。航空会社と旅行会社の不透明な関係によって座席を埋めているのである。個人は割を食うしだいだ。
 イカサマは政治の世界に限ったものではないのだ。役人はルール・規則を断固として押し付けてくるが、民間は相手次第で格差・差別が当たり前ということなのか。真面目人間が馬鹿を見る社会はわびしい。
 筆者は機内でのクラシックの名曲を聞くのが楽しみの一つである。美しい旋律の古典は、誰しもが納得できる音楽である。さすがはANAである。小学生や中学生に聞かせるクラシックを用意してあり、たっぷりと聞くことが出来た。交響詩・モルダウはスメタナの作曲である。大いに満足、4時間弱の飛行機に退屈することはなかった。
 アルコールはビールを飲んだ後、赤ワインも飲んでしまった。お隣さんも調子を合わせてくれたのも意外だった。大学を卒業してほぼ6年、友人同士で10日ほど前に北京旅行を決断したのだという。中国は初めて。「友人の友人が北京案内をしてくれる」と実に気楽な旅人たちだった。
 機内では健康票が配られた。中国語と英語で書かれている。そのため日本語案内をANAが用意してくれてあった。お陰で間違いのないように記述できた。むろん、新型インフルエンザ対策である。
 北京空港は1年ぶりか。上海の浦東空港もそうだが、北京もその都度、拡大しているようだ。広すぎて場所を間違えると大変である。初めて成田にもあるような無人列車に乗り、出国手続きをした。1年前に別れた張剣君が、いち早く筆者を見つけてくれた。
 安堵する場面である。出迎えの場所に誰もいないと、今回90回になるというのに、夜間だとそれでも心細くなってしまう。それが今回はなかった。
<国際交流中心903>
 苑さんも一緒だった。この人くらい接待が上手な中国人も珍しい。至れり尽くせりという言葉が、普通に口から出てしまうほどである。同じ人間としてこうありたいものだと思うが、筆者のようないい加減な人間には永遠に不可能だろう。
 外交学院のゲストハウスである国際交流中心は、もう何度も世話になっている。しかしながら、受付をしている服務員が誰なのか知るわけもない。ところが、パスポートを見せると宗さんという女性は「覚えている」というのである。ロビーの受付嬢も相手を数回見ると、二度と忘れないものか。
 部屋は9階の903号室である。入って仰天してしまった。広すぎる部屋の床に赤じゅうたんが敷いてあった。苑さんの配慮なのであろうが、数日後表敬した外事弁公室の王燕主任のお陰だった。彼女は英語が専門だというが、実に男なら誰でもほれぼれするような女性だった。冗談ではなくて本気でそう感じた。
 今回の幸運な北京の旅を提供してくれたことに心から感謝しようと思う。
2009年10月28日23時20分記(北京時間)
<幸運な最期>
 未亡人と娘の話から肖向前さんの最期を聞くことが出来た。今夏に体調を崩したという。歩行が困難になり、寝室での生活を強いられてしまったらしい。李黙夫人とお手伝いの二人が家庭介護に努めた。家庭介護をしている筆者には、それがどういうことなのかを理解できる。「頭の方は亡くなるまでしっかりしていた」という。しかし、亡くなる3日前に北京病院に入院した。



 家庭介護は病人にとって最高のものである。病院では、どんなに施設が立派でも家庭介護を超えることはできない。その意味では幸運な最期だった。病院で何カ月、何年という患者を見聞してきているが、これは患者にとって実に悲劇なのである。家庭介護に勝る介護はない。

 日本に留学して革命に目覚めて、誇れる祖国の建国に生きて立ち会えただけでも幸運だった。革命の途上、どれほどの血が流されたものか。しかも周恩来や寥承志らの先覚者に出会えたのだ。そして、得意の日本語を駆使できる対日外交一筋のような人生を送れたのも、うらやましい限りだった。
 筆者が79年に大平総理大臣に同行して北京を初めて訪問した時、彼は外交部アジア局長として大平接待の現場責任者だった。文革時の苦労が花開いた時期である。中国革命の末席に加わったこと、完結した語学力を自在に駆使して、「永遠の隣人」として対日外交を主導した幸運を、誰もが共有できるものではない。
 最期を家族の見守る中で、91年に及ぶ長い革命と建国人生に幕を引いたのだから、お見事といっていいだろう。我もまた見習って、あと24年の人生をペン一本で生きようと思う。
<宇都宮さんの横顔に似る未亡人>
 李黙夫人の横顔をみると、不思議と宇都宮さんとそっくりである。格好の良い目鼻立ちである。若いときは相当の美人であったことが想像できる。娘の肖紅さんは、両親の良いところだけをいただいている顔立ちである。婦女連合会の旅行社幹部のはずである。
 いつもいるはずの三女の姿が見えなかった。告別式で用いた遺影は60代のものだった。以前、サイマル出版から「永遠の隣人として」を出版しているが、これに使った写真が正面に花輪と共に飾ってあった。遺影に両手を合わせた。
 筆者はいつも座るソファに腰を下ろした。肖向前さんの座る場所に、今回は張剣君が占拠した。何もかもが1年前と同じである。節約のためか故人を弔うためか、居間の電灯がついていなかった。主を失った部屋の空間は薄暗かった。喪中のためか娘も黒い洋服で身を包んでいたせいで、一層周囲を暗くしていた。
 72年にLT貿易東京事務所勤務のことを聞くと、心なしか未亡人の表情がほころんでいるような印象を受けた。これからは、昔の楽しい思い出が彼女の栄養となろう。介護疲れを癒せば、また元気を回復するはずだ。大きくなった孫たちのために長生きしてくれるだろう。筆者の母も91歳になったが、昔の楽しい話題だと表情を崩したりする。
<地味な告別式>
 告別式を亡くなった北京病院で行った。中国での告別式を知らないが、病院でやれるというのは遺族に便利だろう。江沢民時代の外交責任者だった唐家旋、現在外交部副部長の武大尉さんらが参列したという。派手な告別式など故人に似合わないし、第一望んでもいなかったろう。静かなひっそりとした、すばらしい告別式だったに違いない。
 北京外国問題研究会の宋さんに電話をすると「知らなかった」と言っていた。72年当時の対日外交を担当した最後の戦士の生涯について、少し寂しいと思う人もあろうが、存外本人はこれで満足だったはずである。遺族の意向でもあったのだろう。
 日本大使館で勤務した丁民さんは、筆者の弔問を告げると「御苦労でした」と言葉をかけてくれた。
<知日派最長老にご苦労さん>
 温州市から外交学院に入った院生の張剣君は、少しばかり興奮していた。人生で最初の大きな経験だからである。経験が人間を大きく成長させていく。経験の積み重ねが、さらなる経験を処理する力・原動力となるのである。
 日本には社会経験がないか、乏しい総理大臣が次々と誕生してきている。人民の心をつかめないのだ。72年の国交正常化時は、日中双方とも苦労人がそろった。田中角栄は高等教育を受ける機会がなかった。大平正芳は早朝、田んぼの稲刈りをして通学した。中国は革命家ぞろいの苦労人だった。波長が合ったのだ。
 久しくこうした人間関係はなくなってしまった。教科書や歴史認識で揺れた。右翼台頭の森内閣以降では、靖国問題も加わって事態は急変してしまった。だが、右翼政権は内政の失政で民主党にとって代わられた。リベラルな政権である。
 人脈的にも田中―大平ラインに近い。ここしばらく両国関係がきしむことはない。安心して別の世界に旅立ったのであろう。「御苦労でした」と中国の恩師に声をかけようと思う。
2009年10月27日21時30分記(北京時間)
<故肖向前先生宅弔問>
 外交学院の苑崇利教授のお陰で、10日前に逝去した肖向前先生の自宅を弔問のため訪問することができた。院生の張剣君が通訳兼案内人を買って出てくれたからだ。大学から安定門へとタクシーに乗ることが出来た。東京と違って北京のタクシーは混んでいる。つかまえるのに一苦労する。それを院生が難なく処理してくれた。紹介すると、筆者の人生の先生は、93歳で亡くなった宇都宮徳馬さんと91歳で天寿を全うした肖向前先生の二人だけである。
 人生の師を得るということは、奇縁と幸運によるものだろうが、二人の師匠があの世に旅立ってしまった現在、いよいよ自立本番を迎えたことになる。二人からいただいた知識・経験に自己のそれを加味して、社会や後輩たちに少しでも提供する義務がある。外交学院に招かれたのも、その一環であろう。思えば二人のお陰で、今ここ北京にいる。そして肖向前宅の近くまでやってきた。
 もう二度と会えないのだと思うと、そして「いらっしゃい」と二度と声をかけてくれることがないのだと認識すると、足早に故人宅へ行く気分になれない。重い足取りで、ともかく先生の家に入った。
<肖紅さんが出迎え>
 二女の肖紅さんが近くまで迎えに来てくれたからである。便利なもので、あらかじめ張君が彼女に携帯で知らせたのだ。
 一目見て、娘にとって父親の大きな存在を証明していた。彼女と会うのは5年ぶりか、それ以上かもしれない。そのころと違ってひどくやつれていた。年齢に関係なく身内を失うことは、残された家族に筆舌に尽くしがたい苦痛と悲しみを与える。
 我が家も経験した。息子の医療過誤に、当時は妻が10キロも、筆者もズボンが急に太くなった。心労が、それまでの健康人を容赦なくいたぶるからである。食欲もなくなる。何もかもが空しくなる。生きる自信さえ失いかねない精神状態に追い込まれるのである。

 父親を尊敬してやまない彼女は孝行娘だった。それでいて筆者は「ともかく時間をつくって元気な姿を見せなさい。それが最高の親孝行なのだから」と何度もメールで叱咤激励してきた。いわれなくても、彼女は娘として実家に足を運んでいた。帰るときは、必ずブログに掲載した拙文をコピーして父親に届けた。父親は90歳になっても、それを読んでくれていた。
 誰ひとり読んでくれなくても、筆者はそのことでペンを走らせるだけの意味があった。彼は「あんたは中国の真の友人だ」との一言を、拙文を目に通すことで果たしてくれていたのである。中国きっての知日派最長老のこうした気配りには、ひたすら頭が下がるばかりだ。
 拙文は50年、100年先への遺言との思いで書いてきた。今後も続けてゆくのだが、繰り返すが誰もが無視してくれる拙文を、先生はしっかりと読んでいてくれていたのである。将来、自身がそんな人間になれるだろうか。心もとない。
<李黙未亡人と対面>
 主のいなくなった居間はいつもより狭くなっていた。数年前までは玄関で迎えてくれた先生に代わって、10日前に未亡人となった李黙夫人が現れた。無理して、以前と同じように振舞おうとする姿が理解できるだけに、胸が痛くなるほど切なく辛い。いっそのこと泣きじゃくってくれている方が、よほど弔問客を安心させるであろう。しかし彼女は厳然として、そうした態度を拒絶するかのように筆者の手を握ってきた。
 未亡人とは1年ぶりの対面である。介護と心労で容赦なく痛めつけられている人生最大のヒロインを演じさせられている、この家の新しい主人に向かって、張剣君の口からお悔やみならぬあいさつをさせてもらった。

 「今回、こうして弔問できたのも、肖向前先生が愛してやまない周恩来総理が名誉院長として創立した外交学院が招待してくれたお陰です。先生が外交学院を動かして私を呼んでくれたのかもしれません。奇しくも90回目の中国訪問となりました」

 10年ほど前から先生は東アジア共同体構想の実現を訴えてきた。筆者の耳にタコが出来るほど、それは叫びに近かった。EUや北米経済圏に勝るとも劣らない東アジア共同体が、アジアの平和と安定に貢献するだけでなく、繁栄をもたらすことになることが確実だからである。したがって「ASEANプラス3」で、これを実現することが関係各国為政者の21世紀の使命である。こうした主張に異論などあるまい。
 確かに現実の壁は厚い。EUとは違う困難さを伴う。だが、その壁を「越えよ」と真摯に叫ぶ中国外交部OBにうなずくほかなかった。戦争のない繁栄するアジアへの限りない挑戦を後世に訴えている。
 登山家はそこに山があるから登るのだという。政治もそこに理想がある限り、挑戦するしかない。そう言っているようだった。壁こそが政治の醍醐味というのである。人類に貢献するのであれば、汗をかき続けるしかない。そうして壁を乗り越えられるのである。
彼の信念は、72年にLT貿易の東京事務所に舞い降りて、難関だった日中の国交を正常化させた実務経験に裏付けられている。周恩来―寥承志ラインによる対日工作の先兵となって熱い扉をこじ開けた実績が、次なる東アジア共同体構想へと走らせているのであろう。
 宇都宮さんもそうだったが、肖向前さんもアジアへのあくことのない情愛が見てとれるのである。欧米先進国に、さんざんかき回されてきたアジアを立て直すための必殺の技とでもいえる一大戦略、それが東アジア共同体論なのだった。くしくも、この日のタイで開かれた東アジアサミットで鳩山首相が、これへの理解と協力を訴えていた。
2009年10月27日8時05分(北京時間)
<ああ肖向前先生>
 中国外交部きっての知日派第一人者で、同OB最長老の肖向前先生が10月15日肺炎で亡くなった。91歳の長寿を全うした幸運な革命外交官だった。筆者にとって日本の先生は宇都宮徳馬さんで、中国の先生が肖向前さんだった。前者は93歳で旅立ったが、共に馬年(午年)で後者は一回り下だった。二人とも馬が合った。生きていれば田中角栄さんも91歳だ。72年の戦後日本外交史を飾る日中国交正常化に命をかけた面々でもある。今頃彼方で宇都宮さんと再会して好きなビールで乾杯いるころだろう。



 偶然だが、間もなく90回目の中国訪問を迎える。北京は今年初めてである。外交学院がその機会を提供してくれた。周恩来総理の指示で誕生した外交官養成大学で、陳毅外交部長が初代院長という歴史を担っている名門大学である。
 1年ぶりに肖向前さんにお会いしようとして二女の肖紅さんにEメールを出して様子を尋ねたのだが、その返信が「父は亡くなりました。21日に葬儀をします」との衝撃的な知らせだった。

 今回の訪問中に果たしたい要件は、大学での講義・講演のほかに見才溝小学校と肖向前宅の訪問を想定していた。ところが前者の廃校を知ってがっかりしていた直後の、中国の恩師の逝去が追い打ちをかけてきたものだから、何か運命的なものを感じないわけにはいかない。先生は外交学院を通して「会いに来い」と連絡してきたのだろう。自宅を訪問すると、いつもにこやかな表情で「いらっしゃい」と喜んで迎え入れてくれる姿を2度と目にすることが出来ないのかと思うと、たとえようもなく辛く悲しい。
<中国の大警告>
 72年当時、周恩来―寥承志チームの先遣隊として東京で活躍していた肖向前さんの姿を知らないが、80年代に中国青年報記者が北京で交流の機会を作ってくれた。其の時彼は「早坂茂三さんと会ったばかりだが、これから小沢一郎の時代と言っていたけど、あなたはどう思うか」と質問してきた。早坂氏は筆者が勤務していた東京タイムズ政治部の先輩で、その後に角栄秘書になった。
 同氏が小沢指南役を買っていたことを裏付けているが、早坂予想は20数年後に実現したことになる。
 その後、肖向前さんと宇都宮事務所で鉢合わせたことがある。日本訪問時、必ず宇都宮さんと会見していたのであるが、筆者と親しくなったのは97年2月のことである。きっかけは一冊の本だった。「中国の大警告」(データハウス)である。
 戦後50年の95年に50人の仲間を引率、南京と盧溝橋へと平和の誓いの旅を断行したことなどを、96年にまとめたものである。この本の概要を光明日報が報道した。すると現在清華大学教授をしている友人が自宅に電話してきた。「翻訳出版したい」との申し入れである。
 97年1月に完成、100冊を盧溝橋の抗日戦争記念館に贈呈した。当時、長男の春樹が北京大学に留学していたので、息子の案内で今の北京では見られない中古の小型タクシーで記念館の贈呈式会場に飛び込んだ。新聞やテレビが取材してくれた。この本を肖向前さんは日本訪問中の機内で読み切り、自宅に何度も電話をしてきた。最初は九州からだった。恐らく日中協会の野田毅理事長が招待したものだろう。何度目かにようやく自宅で受話器をとった。
 日中平和交流21事務局長の案内で、東京の滞在先の赤坂プリンスホテルで再会した。「本澤さん、あなたは中国の真の友人だ」という破格の言葉が肖向前さんの口から飛び出した。このときから筆者は宇都宮さんがそうしてくれたように、彼の懐の奥深くに入れてもらった。中国問題の先生が日本と中国に誕生したのである。

 以前の彼の家は王府井近くの歴史物の四合院に住んでいた。広い書斎を覗くと、なんと拙著を飾ってくれていた。開発でそこを追い出されると、安定門のマンションに移った。国子監のそばだ。以前と比べると、狭い書棚になっても拙著を置いてくれる配慮をしてくれていた。筆者のことを一番理解してくれた中国人の先生だった。
 思えば宇都宮さんは亡くなるまで、持てる知識・知恵を惜しげもなく吐き出して教えてくれた。中国の肖向前さんも筆者ごときをとことん信頼して、日中やアジアの将来、国際情勢を分析、披露してくれた。今の自分は、幸運にもこの日中の巨人に全てをいただいてきたことになる。
余談だが、この「中国の大警告」を胡錦濤さんも読んでいた。外務大臣になる少し前に小渕恵三さんは、北京の人民大会堂で中国副主席から、直にこの本の紹介と説明を受けていた。
<偉大な大平正芳>
 72年に政治部記者になった筆者は自民党大平派を担当した。佐藤後継の総裁選挙で自民党は燃え上がっていた。年中大平さんのそばで実直寡黙な大平正芳という政治家を見聞していたが、彼の本当の力量を知らないまま過ごしてきた平凡なジャーナリストだった。
 「偉大な日本の国際政治家」「日本の戦前戦後における第一級の国際政治家」という真実を教えてくれたのは、なんと中国の外交官生活を送ってきた肖向前さんだった。侵略戦争で深く亀裂が生じた日中の溝を埋めるという歴史的・政治的和解に、大平さんは政治家としての全てをかけてきたという秘話を語ってくれたのは、中国きっての知日派外交官だった。
 池田勇人内閣を作り、官房長官・外務大臣になったところから、すなわち60年代から日中国交正常化に向けた布石を打ってきたのである。遠大な目標を田中内閣を実現、自ら外務大臣になることで見事に達成した。その経緯を教えてくれたのである。
 筆者が初めて中国の大地を踏んだのは79年12月の大平訪中だった。前年に障ナ小平が実権を握り、改革開放政策が動き出していた。そこへと大平さんはODAを大々的に導入した。昇竜へのエネルギーを注入したのも大平さんだった。こうした経緯を中国最長老外交官は昨年会った時も話してくれた。日本はかろうじて大平さんのお陰で、中国人の理解を得ることが出来たものである。
 国際政治家・大平さんに感謝するとともに、そうした大平外交を熟知してくれた中国外交官の存在に敬意を表したい。いつの日か、このことを多くに日本人と中国人が知ることになるだろう。
<宇都宮徳馬への感謝>
 日中正常化はむろん、一握りの人たちで実現したわけではない。戦後を生きた政治家・財界人・言論人・民間人らの成果である。わけても宇都宮さんの努力は、人知れず群を抜いていた。対米工作である。ワシントンに操作されてきている東京という現実に、風穴を開けることが、その決め手となるからである。
 宇都宮工作はここに集中した。アメリカの議会を動かすことだった。肖向前さんが宇都宮さんを尊敬した理由であろう。彼は訪日すると、必ず四谷の宇都宮事務所に顔を出した。
 それは当人が病に伏していても変わらなかった。93年の生涯を終えようという場面でも「是非会わせてほしい」と筆者に懇願してきた。何度も宇都宮家と接触したが無駄だった。このときは、間に立った筆者も辛かった。恐らく宇都宮さんの容態がどうであれ、肖向前さんは耳元で「ありがとう」と日中の懸け橋となった同士にお礼を言いたかったのであろう。
<田中真紀子に贈呈本>
 小泉内閣の外務大臣に就任した田中真紀子さんは、晴れて北京を訪問した。彼女は要人らとの会見の場で肖向前さんの様子を尋ねた。父・角栄を知る唯一の中国人だからである。彼女の気配りはさすがである。すると要人はなぜか「病気で入院している」とうそをついたらしい。彼女は「それなら病院に見舞いに行きたい」とせがんだ。
 結局、彼女は電話で会話をすることができた。其のしばらく後に筆者は肖向前宅を訪問した。すると彼は、電話のお礼に執筆したばかりの論文の掲載されている雑誌に署名すると「これを真紀子さんに届けて欲しい」と頼んできた。二つ返事で応じた。
 ところが、官邸と霞が関の間で抗争が始まっていた。時間がとれない。やむなく議員会館の田中事務所に持参した。ところが、この秘書が本人に渡していなかった。秘書が解雇されたりしていた頃である。無念にも「子供の使い」となって、とうとう依頼者の要望を果たせずに終わってしまった。
<水より安いビールで乾杯>
 安定門のマンションを訪ねると、近くのレストランに決まって案内してくれた。筆者が金と縁が薄いことを承知しているらしく、昼飯を食べながらの談笑である。このときは夫人と三女も一緒だった。右の耳が遠くなっていた関係で、必ず左側の椅子に座った。
 心憎い配慮は毎度のことだった。
 宇都宮さんもビールが大好きで、議員会館事務所の冷蔵庫にはいつも青島ビールが冷えて出番を待っていた。夕刻事務所を覗くと、秘書に缶ビールを運ばせて乾杯したものだったが、肖向前さんは「中国のビールは水よりも安い」といって何度も乾杯しながらおしゃべりに花を咲かせた。
 昔の中国ビールは健康的でもあったが、冷えてはいなかった。現在は冷えたビールに人気が集まっている。世界のビール会社が競争している中国である。
<東アジア共同体への夢>
 肖向前さんの晩年の夢は「東アジア共同体」をASEANプラス3(日本・中国・韓国)で立ち上げることだった。そうすることでアジアはEU圏や北米圏に対抗して繁栄できるという夢だった。
 政治・経済・安全保障などでの緩やかな連携こそが、アジアの平和と安定と繁栄を確保できるとの認識である。むろんのこと、ワシントンに引きずられるだけの東京にいらだちを抱いていた。中国と日本が手を結んで協力すれば、アジアは繁栄するという信念は常に揺らぐことはなかった。
 だから、この理想を打ち砕こうとする日本国総理大臣の靖国参拝に対しては、激しく反発した。中国人民が断じて妥協を許さない靖国参拝が、友好の絆をぶち壊してしまうからである。今日本も政権の交代が実現、靖国参拝政党は沈没した。のみならず東アジア共同体実現をスローガンに掲げる政権が誕生した。安心して旅立ったのであろう。
 「日本軍国主義者・中曽根康弘」のレッテルをはがすことに汗をかいた肖向前さんは、彼の8・15靖国参拝に対して「面白い人・風見鶏」という見事な評価を下した。さまざまな話題を何度も話し合ったが、その口から毛沢東の言葉を聞くことはなかった。文化大革命で打撃を受けたはずだが、そのことを話題にすることもなかった。
 驚くべきは90歳になっても新聞や雑誌を読みこなして、世界とアジアのすう勢に神経を使っていた。そして得意の日本語も衰えようとしなかった。
 人生はいい人に会えるかどうか、が決定的な意味を持つ。筆者は日中双方の偉人に出会えて幸せだった。二人とも本物だった。彼らの意思を伝え、広めることが、これからも大事な仕事なのである。そう思うと、悲しくてしぼんでしまうことは許されない。
2009年10月22日18時55分記

<見えてきた岡田外交>
 内政では、予算編成においてバラマキ公約を入れようとして苦戦を強いられている鳩山内閣だが、外交面では自民党の右翼片肺路線と決別し、よりましな外交政策を次々と打ち出している。岡田外交は、平和憲法を軸足にした本来の対米・対アジア外交を展開しようとの意気込みを感じることが出来る。対米政策では、多少の軋轢が生じて当然だが、対アジア政策は信頼醸成に貢献している。多くの日本国民・アジア・国際社会にとって、従来の外交政策と比較すると、均衡のとれたはるかに好ましいものである。



 ワシントンの衰退と北京の隆盛という国際的な政治力学の激変に波長を合わせた大局的現実路線と言えなくもないが、正にそうした環境のもとで開花する日本独自の平和外交の追及であって欲しい。中曽根や小泉に象徴される米国への従属を前提とする霞が関外交の象徴のような日米密約に対して、真っ先にメスを入れようとしている岡田の最初の仕事はあっぱれ評価に値しよう。日米対等を志向する日本外交の大転換を意味する。自民党右翼政権のもとで人々が忘れがちになっていたことだが、独立国としての自立・自主の平和外交は、60余年前に日本国憲法が内外に向けて宣言していた指針なのである。
 執拗に日本の立場を訴えて対等に向けた成果を上げてほしい。岡田外交の力量が問われているのだが、背後の主権者の意向を信じて奮闘を期待したい。
 やや甘過ぎる分析と理解する向きもあろうが、こと民主党の外交政策は、森内閣以降の右翼・国家主義的な岸政治とは明白に異なっている。筆者が機会あるごとに政権の交代を訴えてきた理由の一つである。連立のパートナーである社民党の存在も、岡田にとって大きな支援となっている。懸念材料は、想定される連立解消後に岡田外交が果たして継続できるのかどうか、である。
<憲法重視>
 日本国憲法は当然のことながら、過去の巨大すぎる過ちを二度と起こさせないようにと決意、国民・主権者の名において為政者を拘束している最高法規である。国連憲章を受けての平和憲法でもあるが、ここを理解していない政党・政治家ばかりというのが、今日まで多く見られたし、これからも大いなる懸念となっている。しかし、岡田は一連の外交発言から判断すると、かなりまともだと信じたい。
 むしろ、外相就任以来の発言と行動からは、当たり前とはいえ憲法重視の姿勢をみてとれる。理想主義的と批判する右派の学者やマスコミ人がいるようだが、実はそうではない。憲法が志向する平和主義こそが、今日においてももっとも現実的な日本の外交政策なのである。これを貫くことでしか、アジアの平和と安定の確保と日本が国際社会で名誉ある地位を占めることはできない。岡田はここをしっかり理解しているのではないだろうか。

 筆者は田中内閣が誕生した時、盟友の大平正芳が自民党幹事長を蹴って外相に就任した理由が、池田内閣以前から抱いてきた日中国交正常化を「この手で実現する」との高邁な政治理想実現のためだったことを知っている。そのことが平和憲法が命じている「アジアの平和と安定の確保」を実現することでもあったからだ。
 大平の後継者となった宮澤喜一は「核の時代だからこそ9条は光り輝く」と叫んだが、彼もまた平和主義を日本外交の基盤としていた偽らざる証拠である。筆者なりに宮澤内閣誕生にペンを走らせた理由だった。わかりやすく言うと、宇都宮ほどではなかったが、大平も宮澤もれっきとした護憲派・平和主義派であったのである。
<核政策と日米対等論>
 ワシントンの変革は、鳩山新政権に福音をもたらしている。9カ月を経たオバマ政権は、破綻した経済と健康保険問題に翻弄されていて、確たる対アジア、対日政策を固めてはいない。国務省や国防総省の官僚たちが鳩山―岡田路線に、その都度さまざまな反応をマスコミ向けに自分たちの分け前の行方を心配しながら都合よく発信しているという印象が強い。正しくは静観中といっていい。11月のオバマ来日時の演説で公表することになっている。国内経済と中東とロシアに忙殺されてきたからで、ようやくアジアに手を伸ばそうというのである。
 従来の日米関係は、ワシントンからの指示に霞が関が恭しく従うだけだった。今は日本の新政権が次々と新たな方針を東京から発信している。過去に見られない展開である。新政権同士ということもあろうが、東京からはより対等な日米関係を求めている証しなのだ。戦後日本で初めてといえる画期的な動きとして注目していいだろう。
 オバマの「核のない世界」政策に新政権は小躍りして飛びついた。鳩山の国連演説に花を添えた。矛盾は「米国の核傘」を利用しながらの核廃絶論である。岡田はワシントンに対して「先制不使用宣言をすべきだ」と自民党政権と異なる方針を打ち出した。正論である。北朝鮮問題も想定している。
 被爆地の広島と長崎が歓喜の声を挙げて当然だった。2020年の五輪に手を挙げたのだ。これは150億円の招致活動費を無駄遣いした石原五輪計画とは異質である。存外成功するかもしれない。

 インド洋での給油作戦は9条に違反している。法律の期限が切れる来年1月に中止、代わりに人道・民生支援に切り替える。これをワシントンはほぼ了解している。問題は米軍再編という米軍基地強化政策の対応である。独立国への軍事基地は通常事例として少ない。東チモール並みとの指摘さえある。
 他方、日本の軍事基地の維持強化こそがワシントンのアジア戦略の要である。巨大な利権としての側面も無視できない。アメリカの日本支配の根源である。オバマはともかくとして中台関係の親密さが、ワシントンの対アジア政策担当者にとっては、余計に日本重視に傾斜させていると筆者には分析できる。ワシントンの台湾カードの価値が薄れてきた証拠なのだ。だからこそ戦略面・利権面を含めて関係者は「鳩山政権の出方が気になって仕方ない」のだ。
 民主主義と自由を錦の御旗に掲げるワシントンの正体をも暴いていることなのである。日本の民主と自由に対して不寛容なのである。
 民主党のいう日米対等の中身が問われる場面である。ワシントンの政策立案者たちは、関係者らの利権確保に北朝鮮脅威論を武器にしている。本音の部分では中国脅威論だ。そうして何とか米軍再編を、自民党内閣との約束通り維持しようとしている。この分析に間違いあるまい。
<アジア重視・過去を直視>
 10月19日自民党の谷垣新総裁は靖国神社を参拝した。小泉・安倍路線の踏襲である。日本右翼の政党という立場を鮮明にした点で注目される。ことほど追いつめられてしまった証拠であろう。アジア軽視なのだ。
 民主党は現執行部のもとでの靖国参拝はない。総理大臣が変わってもないとみていい。過去を直視する姿勢を鳩山も岡田も明言している。実権を握った小沢にも靖国へのこだわりは少ない。天皇制国家主義政治の否定である。リベラルな政党であることを鮮明、自民党との格差を際立たせている。
 連立パートナーである社民党は靖国反対政党である。国民新党の綿貫は靖国派だったが、選挙でバッジを失った。亀井静香は意外やリベラルである。自見幹事長は中国派で知られる。
 民主党内の右派で知られる松下政経塾が、実権を握るとどうなるか。当面、彼らが党の主導権を握る可能性は低い。
 歴史認識で隣国・アジアと衝突しない政権は、日米対等論を目標に掲げ、アジア重視の外交政策を推進するという点からすると、戦後の日本政治において隣国がもっとも安心できる政権といっていいだろう。信頼を深められよう。
 民主党のアジア政策の要である東アジア共同体構想も、一般論として高く評価できる。だが、実現には隣国民の日本信頼が決め手となる。このためには、日本の為政者らの本心からの南京や盧溝橋への訪問と、そこでの真摯な謝罪など過去を徹底的に直視することが求められる。それが可能なのか。まだ鳩山や岡田からはそうした動きはない。
 13億人の感情と深く関係する共同体構想なのである。よりましな政権だが、共同体実現の壁は厚い。
<保守本流>
 民主党政権が数年で崩壊することは想定外である。日本国債が売れなくなり、予算編成が出来なくなればおしまいだが、何とか任期の4年は持つ。大胆な行財政改革に手をつけることが出来れば、さらに続くだろう。岡田が代表するこの政権の外交政策は、筆者には大平や宮澤の保守本流・リベラルの手法と映るのだが。
 日中韓の連携が深まることは間違いない。そこから北朝鮮問題が予想外の展開で解決に向かうことも予想される。      2009年10月20日記
<ああ見才溝・希望小学校>
 河北省興隆県の山奥に見才溝小学校がある。正確にはあったが、今はない。今年に廃校になってしまったのだ。特段の思い入れのある希望小学校だった。児童は多くて20人足らず、1年生から6年生全てでこの人数である。恐らく中国でもっとも小さい学校であったろう。ひょっとして世界でも小さい部類に入っていたはずである。そんな小さな、小さな見才溝、山奥の、山奥の希望小学校が、わが故郷のように恋しい場所となって6年が経過した矢先のことだった。



 筆者の中国訪問を支えてくれた友人を、中国建国60年の今年こそそこへと案内しようとして密かに企てたのだが、不幸にして体を壊して行けなくなってしまった。せめて自分だけでもと願っていたところ、外交学院の苑先生が「案内する」と言ってくれた。心は既に見才溝に飛んでいた時に予想外・残念な報が入った。
 「統合されて無くなってしまった」という苑さんからのEメールである。目の前が真っ暗というと大げさだが、いっぺんに元気が無くなってしまった。「ようやく河北省興隆県の龍海民局長をつかまえて確認した」というものだから、もはや疑いの余地はない。見才溝・希望小学校は6年足らずで幕を閉じたことになる。
 寛容の塊のような友人は「少しでも役に立ててよかった。嘆くことはない」と慰めてくれた。確かにそうである。
<荒れ果てた小屋>
 2002年の冬か2003年の春先だったと思う。親切な天津の友人が、初めて見才溝小学校を案内してくれることになった。誰しもそうだろう、初めて訪問する場所がどんなところか胸をときめかせ、膨らませるものである。山奥に違いないが、谷間にある学校なのか、それとも山の中腹かてっぺんなのか。児童はどれくらいいるのか。教員は何人いるのか。
 現地に辿り着くと、それまでのさまざまな思いが吹き飛んでしまった。筆者も戦後の貧しい時代の田舎の小学校で学んだ。よほどのことでは驚かない。だが、見才溝小学校は想像を絶するものだった。腰を抜かしてしまった。
 小学生のころ、近くの蔵の立つ大百姓の馬小屋を承知しているが、正にそのレベルの小屋が見才溝小学校であった。恐らく現地を見たものでなければ、この感触を知ることは無理だろう。カンボジアの小学校を見学した記憶があるものの、はるかにここよりは立派だった。
 教室らしい窓ガラスは皆割れて新聞紙が代用していた。破れて風が舞いこんでいた。夏ならまだしも雪の降る冬では凍えてしまうだろう。どんな強靭な人間でも風邪をひくだろう。床がない。波打つ地面に数十年以上の黒ずんだ歴史物の机と椅子が10個ほど置いてあった。真ん中に年代物のストーブが1台据えられていた。頭上にたった1個の小さな裸電球がぶら下がっていた。
 黒板がない。土壁を黒板に代用していた。日中でも薄暗い「教室」なのである。今日においては、中国にもない、どこの途上国にもない「学校」であった。馬小屋かそれ以下の居住空間でしかなかった。外には申し訳程度の小さな校庭が広がっていた。「教室」の隣の部屋はがらくたが積んで暗かった。教員室がどこなのか確認出来ないほどだった。
 湖南省で毛沢東の生家を見学したことがあるが、豊かな農民の家であるのに仰天してしまった。一角にある寺子屋のような学びの場所は、ここと比べるとまるで天国のようだった。これが再建への希望を一段と膨らませてくれた。
<日中国交正常化30年記念>
 見才溝小学校を希望小学校として再建しようと思い立ったのは、72年の日中国交正常化30年の2002年のことだった。何か出来ることはないだろうか、考えているうちに希望小学校再建が最適だと判断した。「教育支援は大歓迎」という中国青年報社長のお墨付きもあった。
 しかし、一般的には予算300万円が必要になる。普通だと仲間に募金を頼むとか企業などにも。これまで生きてきて、こんなことはしたことがない。第一、それでもってペンが鈍っては元も子もなくなる。悩んでしまった。
 そんな時、天津で知り合った華君が「100万円でも再建出来る」という話を持ち込んできた。彼の友人が河北省教育局にいるという。その人物が見才溝を推薦しているというのである。友人に話すと「協力する」と二つ返事で応じてくれた。時・地・人に恵まれたのである。
 こうして見才溝小学校は希望小学校として2003年に再建することが出来た。見才溝がわが故郷になった理由である。思えば72年の日中国交正常化を当時の大平外相が推進、田中首相が決断した。すばらしい歴史的英断である。背後で宇都宮徳馬らが対米工作で汗をかいた結果でもあった。初めて中国の大地を踏んだのは79年12月、大平訪中のときである。それから間もなく90回の中国訪問を数える。あと10回は何としても訪問したい。
 雄大な歴史の歯車の中に、小さな身を置いているようにさえ感じる。見才溝は筆者に忘れがたい思い出を残してくれたのである。
<3度の訪問>
 2度目の訪問は北京の外国問題研究会の友人が案内してくれた。再建した見才溝・希望小学校を視察するためだった。どんなふうに再建されたものか。本当に出来たものか。100万円資金でどれほどの学校が出来るものか。皆目見当がつかない。不安と期待で恐る恐る小学校に辿り着いた。
 安堵した。教室は高学年と低学年が使えるように仕切られていた。教員室も出来ていた。何もかもがピカピカだった。蛍光灯になっているではないか。窓ガラスもしっかりしていて明るい教室である。筆者が体験した学び舎に比べても、ずっと上等なものだった。子供たちが喜んでくれていた。北京市内で買い込んだ本や文房具を持ち込んだ。30人弱の児童と2人の先生と記念写真を撮った。夢のような感激と感動の瞬間だった。
 このすばらしい記念写真を北京に戻ると、さっそく現像に出して児童全員に渡るように郵送した。届いたとの連絡はなかった。当時の見才溝では郵送代も大変であったのだ。教師の給与さえ支払われていなかったらしい。むろん、電話連絡など不可能だった。学校との直接連絡はとうとう6年間無理だった。

 3度目は元東京特派員をした親切この上ない友人が興隆県教育局と連絡をとってくれた。すると、わざわざ車を北京まで差し向けてくれた。本と文房具も一緒に積んで出かけた。北京でこれらをまとめ買いしたさい、本屋の主が事情を知ると特別にサービスしてくれた。これも感激だった。
 現地では児童の親たちと交流会を持つことが出来た。政府による農村改革が動き出そうとしていた。人々の表情に輝きが見られた。児童の顔がリンゴのように赤かった。
 河北省は日本侵略軍が暴走した地区である。「無人区」にした場所として知られる。そのため戦前からの農民はほとんどいない。戦後に入ってきた人たちばかりである。したがって戦争時の状況を知ろうとしたが駄目だった。全ての住民を殺戮・追い出してしまうという日本軍国主義の恐怖を裏付けていた。これが歴史から消えることなどないし、消してはなるまい。
 歴史の教訓は中国のいたるところに転がっている。このことを日本人は決して忘れてはならないのである。宇都宮徳馬ではないが「日本人は行けるときに何度でも中国を訪問するといい」のである。筆者の100回訪問計画の原点である。
<統合で廃校>
 中国の改革開放政策は90年代に花開き、すばらしい実を結んだ。その成果をここ10年、地方や農村に配分している。給与を手にすることが出来なかった教員にも、恩恵がもたらされている。学校の整備も急速に進んできている。それは地方の学校統廃合へと発展した。
 知り合いの中には建設して2年後に廃校した希望小学校もあった。だが「見才溝は山奥の、山奥なので統廃合の対象にならない」という龍海民の説明に安心していた。そのはずで、この深山の見才溝まで通学する児童の中には、山中を歩いて1時間以上かかるものもいた。
 一人っ子政策は山奥にも影響をもたらしていた。児童数が減少しているのである。農村の変化と出稼ぎ農民の大量発生も、一人っ子政策を後押ししたのであろう。こうした事情が見才溝・希望小学校の廃校の原因ではないだろうか。かくして6年間でこの学び舎は歴史的役割を終えたのだ。御苦労さんと誉めてあげたい。
 推測だが、150人程度の児童が学んだことにもなろうか。全員が中学へ進んだのか、ここは疑問符がつく。貧困が中学での退学を強要したらしい。筆者の田舎の小学校にも学校に通えない貧困家庭の子弟がいた。
 この中から運よく高校や大学に進んだものがいるのだろうか。恐らくいないだろう。貧困と教育は正比例している。貧困こそが格差・不平等・人権侵害の真犯人なのである。政治の目標はここに集中して向ける必要があるのも当然なのだ。
<わが永遠の見才溝>
 初めて北京から見才溝へ行った時のことが忘れられない。北京の国際空港の横を通り過ぎてひたすら北の方角に車を走らせた。郊外に出ると馬車とすれ違ったりする。牧歌的な雰囲気に包まれる。
 北京の巨大さでもあるのだが、季節にもよるがひなびた農村が延々と続く。モンゴルの草原地帯に迷い込んだような、羊を追う牧人と出会ったりした。農村で生まれた人間は、どんな田舎にも共感と哀愁を抱くものである。舗装のない七曲道を行くと、彼方の山に朽ち果てそうな長城が目に焼きつく。観光客が押し掛ける北京郊外の八達嶺ではない。改修も補修もされない本物の長城である。
 ここを突き抜けて山道をひた走ると、河北省の山並みに入り、その山を越すと興隆県が眼下に広がってくる。最近は道路が良くなり時間が短縮されているはずだが、当時は7時間か8時間ほどかかった。それでも見るものが珍しく、時にうとうとすることもあったが、楽しい車の旅だった。

 問題は興隆県の中心から見才溝までが、それこそ本格的な山登りが始まった。車1台がやっとの細い山道をゆっくりと登ってゆく。人間の住みかはない。たまに谷底の方角に10戸ほどの集落が目に入る程度である。
 このときは興隆県教育局がジープに乗せてくれた。石と泥の大きく窪んだ山道を、乗用車は走れなかったからである。冬は降雪地帯になり、街からの出入りは不可能のようだった。この山道を1時間余かけると、ようやく目的地に着くことが出来た。
 確か午後の3時過ぎだろうか。既に西側の峰が太陽を遮っていた。谷間の学校だった。羊やヤギが放し飼いされていた。周囲には数十戸の農家が小さな校庭を囲んでいた。冬場はきついだろうが、夏場は格好の別荘地という環境だった。
 果樹や観光で生計を立てることが出来れば、それは桃源郷のような見才溝になろう。多分、多くの農民が都会へと出稼ぎに行って生計を立てているように、ここの農民も同様であったろう。子供たちとお年寄りの集落だったかもしれない。
 だが豊かな自然だけが、見才溝の宝物であった。鶏や豚、ヤギ、羊と戯れる子供たちには、これらが存外最高の親たちからの贈り物だったかも。わが永遠の見才溝には大都市の汚れは一つもない。巨万の富とは無縁だが、それでも桃源郷として生き残るはずである。
2009年10月18日20時40分記
<ネバダリポート>
 ネバダリポートというものがある。小泉内閣時代、民主党・五十嵐文彦はこれの中身を提示しながら、当時の塩川財務大臣と竹中金融担当大臣に対して政府の認識と対応を質していた。あまりの深刻・衝撃的なリポートゆえにマスコミも震え上がり、無視して報道しなかったらしい。日本の放漫すぎる赤字財政に、しびれを切らしたIMF(国際通貨基金)サイドが警告としてまとめたものだろう。



 2002年2月14日の衆院予算委員会で五十嵐は、国家破たんした場合の日本の再建プログラムを同リポートから要点を引用、紹介している。財政が破綻するとIMFが日本政府に対して具体的な勧告をしてくる。
その中身がどういうものなのかを披歴して、小泉内閣の対応を試みたものである。同内閣が発足してまだ日は浅かったころだ。森前内閣の前の小渕内閣のもとで、既に360兆円という膨大な借金をしていた。このレベルでのIMF「勧告案」だとすると、現在はその2倍以上の借金大国だから、その中身も倍になりうる。想像を絶する勧告になるはずなのに、小泉―安倍―福田―麻生の4内閣は見向きもせずに、ひたすら借金予算を編成してきた。五十嵐が公表した中身を紹介しよう。

 「公務員の総数30%削減、給与30%カット、ボーナスゼロ」にする。「公務員退職金ゼロ」である。「年金一律30%カット」「国債利払い5~10年停止」「消費税20%」「所得税課税最低限年収100万円」「資産税導入」「預金一律1000万円以上ペイオフ。預金30~40%を財産税として没収」などだ。これらをIMFは有無を言わせず日本政府に強要してくる。財政破たんの恐怖の一部を物語っている。

 五十嵐質問に塩川は「指摘を厳しく認識している」、竹中は「プライマリーバランスの均衡が重要」とそれぞれ神妙な顔つきで答弁している。ということは、このネバダリポートはまぎれもなくIMF筋がまとめたものであることを日本政府が容認していたことを意味する。
 筆者は、これを最近亡くなった水沢渓の著作を読んで知ったのだが、実は2000年当時から「国会議員と役人の人数と給与の半減」を訴えてきている。おおむねこのネバダリポートと符合していたのだ。
 総理になる前の小泉とも、同じような会話を数回交わしていたものである。しかし、その小泉内閣が国債を290兆円も発行していた。多くの国民が知らされない事実である。筆者は「派閥の終焉と日本の針路」(長崎出版)で取り上げておいた。小泉もまた日本を、借金地獄へと追い込んでいた主役だったのである。当時これらのことが、マスコミで一行も報道されなかったことに驚きを禁じ得ない。
<村上情報>
 財政に詳しい村上に確認したのだが、彼は知らなかった。ことほど当局にとって知られたくなかったリポートであったことが理解できよう。国会議員のほとんどがこのリポートを知らないのだ。そうだからこそ好き放題に借金を積み重ねてきたものである。
 村上は同僚や先輩などに「日本財政が破綻している」と繰り返し訴えてきたのだが、そのほとんどが耳を貸そうとしなかった。日本の政治家の低級さが理解できるであろう。その結果が現在の906兆円もの空前絶後の借金大国なのだ。実際は1000兆円を超えているのである。
 この借金大国という言葉を最初に使った総理大臣は小渕恵三だ。今はどう言えばいいのであろうか。その筋の富豪たちが海外に資産を持ち出している様子が目に浮かんでくるようだ。財務省はこれを掌握しているのだろうか。「小泉や竹中の資産がどこに隠しているのか知りたい」という悲鳴にも似た雑音もわかろうというものだ。
 村上事務所に「財務省に問い合わせてほしい」と頼んだ。どんな返事が来るのかが楽しみだったからである。案の定、現在の当局者は「誰かが想像で書いたもので、公の場で取り上げられるような、しっかりとした公式リポートではないと思っている」とぼかした回答を村上事務所に寄せてきた。
<五十嵐コメント>
 五十嵐事務所にも電話を入れてみた。幸い本人がすぐ出てくれた。筆者を知っているという。機会を見てお邪魔することにしたのだが、彼はこのネバダリポートを「友人のジャーナリストから聞かされた」といった。ということはIMFのスタッフらと関係の深い経済ジャーナリストなのであろう。
 「IMF関係者がタッチしたリポートだと理解している」とも筆者に語った。そうであろう、彼の質問に政府責任者が逃げることなく、真正面から答弁しているのだから。さらに鳩山内閣の予算編成については、民主党議員の一人として「麻生内閣の補正予算から3兆円を削ったことは評価できる。95兆円の概算要求額はこれからどしどし削るので見ていてもらいたい」という見解を示した。
 また「財務省改革はまず族議員と官僚を退治する。その後に財務省の本丸に斬り込む」とも明言した。それなりの評価はできるのだが、これまでの莫大な借金をどう返済して健全化できるのか、途方もない目標に目途を立てることが出来るのか。まずは絶望的といっていいだろう。
 IMFはアメリカがコントロールできる機関である。国債が売れなくなれば、いつでも日本を45年当時の敗戦経済状況に追い込むことが可能ということなのである。回避するためには、為政者は議員と役人の特権を排除するところから始めるしかないのだが、それを民主党に期待できるのか。限りなく疑問符がついてしまう。自民党政治のツケはことほど大きいのである。
2009年10月17日15時15分記
博打金融経済は健在?>
 金融工学なる悪魔の手口で空前の利益を手にしたニューヨーク金融街が、1年後に息を吹き返してきている。G20による規制論をあざ笑っている。昨日の昼のニュースを見ていると、JPモルガン・チェースの決算が「市場の予想を上回った」という、ただそのことだけでウォール街が燃えたぎり、1万ドルの大台に乗ってしまった。1年ぶりという。これが世界の株式、債権、為替、先物市場に波及している。一方で金もぐいぐい値上がりしている。



 なぜなのか。ちゃんとした仕掛けを用意しているからである。一部の強欲の仕業だと決めつけたアメリカ政府は、それでいて彼らのために血税を投入して救済した。小泉内閣の手口もそうだった。のみならず紙幣を紙屑のように印刷して、ゼロ金利で市場にばらまいてきた。現在も、だ。むろん、これこそがG20が仕組んだことだった。財政出動に各国とも励んでいる。
 実体経済は死に体である。仕事のない労働者は増えている。ワークシェアリングでしか対応できないというのに、日本を含めてこれを回避している各国政府ばかりだから、極端な富の偏在が起きている。社会不安の元凶を政府自ら作り出している。金融機関はゼロ金利を有効に使い、市場を偽りの活況にさせている。そこでの金融工学的な売り買いで再び暴利をつかんでいる。
 庶民大衆は無関係だ。血税の基金なども運用と称して動員している。市場の賑わいとは裏腹に、ホームレス・生活保護世帯は増加するばかりである。

 金融街のCEOへの巨額ボーナスが再現、これを庶民がかみついている。わずか1年後に、である。やはり狂った地球に変化はないらしい。背後では、ノーベル経済学賞の受賞者が暗躍しているようにも、筆者の目には見えてくる。うんざりするような強欲の跋扈する世界経済であろうか。G20は彼らに手玉にとられているのである。
 こんな博打・賭博の金融経済を引きずっていると、地球は本当に氷が解けて持たないだろう。モラルハザードどころの騒ぎではない。
 人生に絶望する若者の犯罪が多発するような土壌である。イラクやアフガンで米英軍が勝てるわけがないのも、こうした世界のイカサマ経済をみれば、一目瞭然であろう。いくらでも命を捨てる若者が生まれてくるだろう。これにオバマが気付くのはいつなのか。第2のマルクスが登場するだろうが、その時期いかんで地球そのものが破局に向かっているのかもしれない。
<風呂屋談議>
 昨日、健康のために運動で汗をかいた後、サウナに入っていると、年金生活者同士のおしゃべりが聞こえてきた。ぶつぶつ文句を言いあっているのである。でっぷりとお腹の出た地元の名士なのであろう。普段はゴルフ談議に花を咲かせるような手合いである。
 この日は違った。税金の話である。
 「所得税は取られる。住民税も取られる。健康保険は取られる。介護保険も、これが高いよ」と悲鳴を上げている。かれこれ70台である。所得税を納める収入があるということは、大株主か事業主なのであろうか。相当恵まれている老人たちなのである。
 「この歳になると、数万円とられるのは痛いよ」とそれでも怒っていた。孫の小遣いが無くなっているからなのだろう。さては先の総選挙で従来の自民党から、今回民主党に乗り換えた有権者かもしれない。
 「運動していると寝たきりの老人になることはないだろう。介護の厄介になることもないのに、高い保険を納めねばならない。それでも寝たきりになる前にパッと死ねるはずだから、それがいいのかもね」と勝手な理屈をつけストレスを吐きだしていた。
 人間は人前になると、いつもより粋がって見栄を張るものである。
 正しくは、このほかにも固定資産税も取られる。車を所有していると、いくつもの課税がかかってくる。車庫がないと駐車場代が都心だとべら棒に高い。
<広島・長崎五輪は実現>
 なかなか明るい話題がこの日本にはない。三文文士が、自己の失政の数々に蓋をして見せまいとして演じた、150億円かけての五輪招致騒ぎほど頭にきたことはない。最初から彼のお芝居を見る前からわかっている人間の一人なのかもしれないが、損害賠償の訴えをしたいくらいである。都民をダシにした五輪招致騒動なのだから、150億円の使い道を徹底して洗う必要があろう。
 当面は都議会の責任でもある。

 明るい話題は広島・長崎の2020年五輪計画である。これは実現する。筆者の政治的な勘でしかないが、これこそ平和の祭典の場として最高である。オバマがぶち上げた核廃絶宣言の成果が実現するころである。広島・長崎の核廃絶の雄叫びが地球に響き渡るころでもある。場所も時もいい。
 そのころには、日本にもオバマのような総理大臣を誕生させることが出来るかもしれない。平和主義の政治家をそろえている日本である。世界へと平和の使徒を派遣するのである。総理・外相とその他の大臣も護憲派で固めるのである。
 今の広島の市長が総理にすればいいのかもしれない。日本国憲法が唯一の日本の誇りであるわけだが、平和党を立ち上げるのも悪くないだろう。平和党の党首が政権を担当して2020年五輪を主催するのである。
 世界の平和団体からの寄付金だけでも開催出来るかもしれない。ヒトラー五輪や石原五輪計画とは正反対の、真の平和のスポーツ祭典である。2020年の被爆地五輪を祝える地球を見てみたいものである。
2009年10月16日16時40分記
<村上誠一郎インタビュー>
 「自民党もひどい財政赤字路線を突っ走ってきましたけど、民主党も同じようにひどいですね。よりましな政権だと期待したのですが、政界きっての財政通としては、どう見ていますか」
 「民主党は、よりパイを大きくして社会主義的バラマキをしていますね。破滅に向かって加速していますよ」


 「借金そのものである国債を発行しないと予算を組めませんね。国債大量発行の小泉内閣の再来のようにも見えますが」
 「埋蔵金なんてないですよ。円が1円上がると9000億円が吹っ飛んでいるのですからね。いま1ドルが90円を割っていますよ。見ているとまるで幼稚園のホームルームのようです。今後景気はさらに悪くなりますから税収は激減していきます。景気対策のための補正を組むと、そこでまた借金のための赤字国債発行ですよ。どこの国もそうですが、特にこの国は財政再建路線でしか生き残れません。それでいて自民党以上に社会主義的にパイを大きくしてばらまこうとしている。デフォルト(国家破綻)へと向かっている。公約通りのことをしていけば、4年後には財政崩壊ですよ。IMFの勧告が出たらどう対応するつもりなのか、とても心配です」

 「こんなに借金地獄の国はありませんでしょう?」
 「もちろんですよ。政府の公式数字でも906兆円を借金しています。これに隠れ借金などをプラスすれば、軽く1000兆円を超えています。ドル安で円高のため、一見すると強くみえますが、実態は危機的な状況にありますよ」

 「モラトリアム法案については?」
 「ダブルのモラルハザードです。借りる側は返済しなくてもいい。貸す側は国が保証する。だから審査がいい加減になります。これは無駄をなくすと言いながら、その実、国の借金をどんどん増やそうというものです。それらは国民がすべてかぶることになるのですよ」

 「自民党、特に小泉内閣の遺産で仕方ない部分もあるのでしょうが、しかし、民主党も借金地獄へと突進していますね。個人や企業ならとっくに破産・倒産していますね。ひどい?」
 「恐ろしい日本です」
<犯人は小選挙区制>
 「どうして日本の政治はこれほどいい加減になってしまったのか。原因は何だと思いますか」
 「小選挙区制ですよ。小渕内閣の時の借金は360兆円でした。バブル経済の崩壊があり、その後に住宅専門の住専に資本注入をする、公共事業で景気の下支えをする、医療・年金・介護への支援などで借金大国になってしまったのです。本来はここから本格的な財政再建、痛みを伴う改革をしなければならなかった。ところが、そのあとに小選挙区制度が始まってしまった。もう13年前になります。この選挙制度では、特に与党公約も正論が落とされて、八方美人の公約ばかりになってしまった。おいしいことで選挙に勝つことしか考えなくなった与党でしたね」

 筆者の記憶だと、昔の政治家はまともで借金することにものすごい抵抗を抱いていた。借金をすれば、すぐに返そうと必死になった。増税にも行革にも興味を示した。それが今はぜんぜんないのである。政治家と役人だけは血税をたらふく懐に入れて、平気で借金をする。政治家がいないのだ。政治屋ばかりなのである。特に小泉内閣以降は悪質といっていい。
 犯人を、村上は小選挙区制と断じた。筆者は小沢が政治改革と称して小選挙区制を強行しようとした際、エール出版の依頼で「小選挙区制は腐敗を生む」という本を書いて、その非を訴えたものである。実際は腐敗どころか、小泉内閣のような政治独裁を生み出してしまった。

 「自民党はこれからどうするつもりですか」
 「次の参院選挙で半分以上とるしかない。そのために死に物狂いになってやるしかありません」
 「それは無理でしょう」
 「正直なところ谷垣人事にはがっくりしてしまいました。すべてを幹事長にした大島任せ。ともかく予算委員会でプロを動員して徹底してやるしかないのです。1人1殺主義で。改めること、たたくことが一杯ありますから」
 「そうはいっても自民党に攻撃が得意な人物はいないか、少ない。やったことがないのだから。以前、自民党が野党時代に野中広務のような強力な人物がいましたけどね」
 「ただ政治主導でやるという。政治家に問題の本質をわかるものがいるのかどうか。議論ができないのではないか、と心配しています。緻密な議論が出来ない。アバウトな議論ばかりだと、議会の質が低下してしまうのが心配ですよ」
 「イギリス議会はまさに政治主導です。官僚に政策も答弁も任せてきた自民党政府ですから、実験する価値はありませんか。不勉強な閣僚は即座に退散させれば、野党の得点にもなりますよ。無能大臣は退散させればいい」
 「だいたい政治家は頭の良くないものばかりですよ。床屋談議にならないとも限らない。財務や金融の大臣は責任感が欠けていますよ」
 「議会の論戦の行方は、国民からすると楽しみですね。どうなるか、与野党とも試験を受けることになります。野党の質も問われますからね」
 「根本は小選挙区制ですよ。10年経って間違いがわかってきました。必ず何年か先に結論が出るでしょう。其の事を信じて訴えるしかありません。ともかく小泉がめちゃくちゃにしてしまったのですよ。IMF勧告は必ずきますよ」
<岡田克也採点>
 「話は変わりますが、民主党の代表などをして現在外務大臣になっている岡田克也は、あなたとは義理の兄弟ですね。妹が彼の奥さんですね。岡田はどんな人物ですか」
 「真面目ないい男ですよ。ただ真面目すぎるのが心配ですよ。公約に対して教条主義的ではないのかと。インド洋給油作戦や沖縄の基地問題ですが。真正面からやりませんという。本当に大丈夫なのかと」

 筆者はこの点で村上の考えとは異なる。給油作戦は明白な戦争における後方支援である。参戦している。集団的自衛権に踏み込んできた自公政権である。明白な9条違反である。給油作戦を止めることは憲法が命じる所であって、中止は日本外交史に残る快挙なのだ。
 日本がアメリカの属国でない証しなのでもある。小泉悪政の最たるものだった。岡田外交を高く評価したい。日本が出来ることは人道・民生支援に限るのである。イスラム世界への介入を憲法は求めていない。そもそもアフガン・イラク戦争に大義などない。アメリカやイギリスの国民の多くがそう信じているではないか。
 9年目に入ったアフガン戦争はベトナム戦争と酷似している。イラク撤収を決断したオバマが、何故にアフガンの腐敗政権にテコ入れするのか。人類的疑問となっている。

 「岡田の評判はまことにいいのだけれど、原因は清潔さですか」
 「清廉さでしょう。歳暮や中元を皆突っ返してしまう。親父が物心両面から支援していることもありますよ。妹だってしっかりと支えていますからね」
 「最高に恵まれた家族ですか」
 「家族や周りに恵まれているのですよ。偉いなあとは思いますよ。代表として自民党に敗北した後、こつこつと全国を歩いていた。10年以上頑張っていた。僕とは反対党だけれど、敵ながらあっぱれだと思いました。問題は政権を取ったらバラマキですよ。野党時代は財源のないものはやるべきではない、と言っていた。いま鳩山はやっている」
 「是非教えてほしいことだけど岡田は右翼ではない。リベラルですね」
 「当然ですよ。右翼ではない。リベラルでしょう」
 「改憲論者でもないでしょう。聞いたことがない。憲法擁護義務を死守しているようですね」
 「そこは確認したことはありません」
2009年10月15日18時30分記
<財政破綻は必至か>
 自公政権が終わりを告げて、民主党中心の連立政権が動き出して1・5カ月経った。森内閣以降の右翼片肺政権に比べると、よりましなリベラル政権の誕生だから国民の支持は高い。だが、肝心要の自公政権が破綻寸前に追い込んだ日本の財政は改善するのであろうか。残念ながら民主党もまたバラマキの予算編成に必死である。国債の増発という借金地獄に突き進んでいる。このままでは4年持つのかどうか、大分怪しい。国家破綻という場面は、45年の敗戦と同じ経済状況に陥ることになるのだが、悲しいかなこの流れに変化はない。



 来年度の概算要求をみると、それでいて90兆円規模の大台に乗る見通しである。税収は激減して40兆円程度か。90兆円というと、麻生内閣と変わるところがない。わずかでも借金を返そうとの意欲がみられない。嘆かわしい政府と政党・政治家であろうか。
<村上誠一郎診断>
 中曽根バブルが破裂したあとの処理、景気対策、不良債権処理など一連の失政続きで、日本丸は船に例えると船底に大きな穴をいくつも作り、浸水して久しい。タイタニック号と表現できるほど沈没の速度を速めている。個人であれば、借金取りが押しかけてくる。自己破産するか逃亡するか、はたまた自殺するのか。悲惨が待ち構えている。同じことが国家にもいえるのだが、政府・マスコミとも頬かむりして沈黙している。
 不思議の国なのである。
 これに以前から警鐘を鳴らしてきた自民党きっての財政通・村上誠一郎に、10月13日午後、急きょ会見を申し入れた。民主党の連立政権の財政政策をどう分析しているのであろうか。むろん、明るい評価はなかった。「滝壺めがけて日本の財政は突っ込んでいる」と厳しい見かたを繰り返した。
<役人半減できるか>
 よりましな政権も、こと財政に関して言うと自公政権並みのバラマキ借金予算の編成に熱心である。来年夏の参院選がお目当てなのであろうが、国家破綻してIMF管理に入るとそれこそおおごとになる。それを誰も口にしない。地震・雷どころでなくなる。
 「特別会計の埋蔵金にしても円が1円高くなるだけで9000億円の損失が出る。外国為替資金特別会計の積立金19・6兆円も1ドル99円で実質ゼロになってしまう。これが現実化している。80兆円の予算を編成しても国債の利払いに30兆円が消えてしまう。実質50兆円のうち、鳩山政権は17兆円を例のバラマキに使うのだという」
 「断行するというのであれば、役人(総人件費36兆円)を半分にするとか、社会保障費を半分にする、防衛予算をゼロするということをしないと、この17兆円をつくることは困難だ。公約通りのことをすると、4年間で財政は間違いなく崩壊する。GDP500兆円はとっくの昔に割り込んでいるのだから」
 財務省理財局国債企画課の集計によると、国債と借入金の2009年度末の総計は906兆円である。「あと1年か2年すると、国と地方の借金は1000兆円を超えてしまう。隠れ借金や隠れ債権を合わせると、既に1000兆円を軽く超えている。日本は資産1450兆円といわれる。論理上は1450兆円まで借金が出来る計算だが、国債が売れなくなると、そこでパンクすることになる」
<国債が売れなくなると日本崩壊>
 国民資産が1400兆円と言われていたことがある。それが1500兆円、今は1450兆円だという。この数字も事実なのかどうか。
 日本の国債は海外で売れない。アメリカの国債でも怪しくなってきている。日本や中国はその値下がり確実な米国債をワシントンから大量に買わされている。これまた値下がり確実の日本の国債は、国民が預けた銀行預金や生保預金などが大量購入している。日本銀行までが買い込んで紙幣を増刷、円を市場でだぶつかせ、それを株式市場に送り込んで株価を下支えしている。
 公正な資本主義とはいえない。
 「アルゼンチンやトルコのように日本も、国債を海外で運用していれば売れなくなり、とっくにパンクしていた。日本は国民が借金している。かろうじて貿易が黒字だから持っているだけのことだ。民主党は無駄をなくすと言っているが、事実は借金を積み重ねている。おそろしいことだよ」となるのである。
<消えた2000兆円>
 中曽根バブルの破裂でどれくらいの資産が消滅したものか。エコノミストは株価から推計して1500兆円とはじいているが、村上は財務省の情報として2000兆円と決めつけている。GDPをかつての500兆円とすると、4倍もの資産が吹き飛んでしまったことになる。
 ここから不良債権問題や不況の嵐が吹き荒れて国債を発行する日本になってしまった。このすべてを国民がかぶっているのである。バブルに踊った財閥は、そうしてぬくぬくと生き抜いている日本である。政治を操る黒幕の存在を見てとれるだろう。
 議会と言論機関がこれを退治できなかった日本である。すなわち、双方とも多かれ少なかれ財閥に囲い込まれていることを意味しようか。
 「小渕恵三内閣までの借金は360兆円だった。それが森・小泉・安倍・福田・麻生の内閣で、特に小泉内閣での不良債権処理でべら棒に膨れ上がってしまった。医療年金も」というのである。
 そんな小泉内閣を支援したマスコミ界とそれに安易に乗ってしまった国民も哀れというべきだろう。
2009年10月14日21時05分記
<小沢チルドレン>
 145人の小沢チルドレンを国民はどう受け入れるべきなのか。1・5カ月過ぎてみて当惑しているのではなかろうか。高額の血税が投入される。確か河村名古屋市長の話では、一人の代議士の面倒に年間1億円もかかるのだという。145億円ということになる。実際は145億円どころではない。役人が手とり足とりでイロハを教える費用を加算すると、とんでもない額に跳ね上がるのである。茶の間で笑ってはいられないだろう。



 民主党国対委員長はチルドレンを「ダイヤモンド」と持ち上げていたが、うそにも程があろう。石ころばかりではないだろうか。秘書連の本心でもある。
<小泉の二の舞か>
 小泉チルドレン83人に「ダイヤモンド」はいたであろうか。ほとんどが小石だった。そこへと国民は4年間も無駄金を投入した。させられたのである。83掛ける4はいくらになるだろうか。
 単なる小泉の将棋の駒でしかなかったのだが、彼は郵政民営化という、本当は大半の議員が反対していた法案を成立させてしまった。その反動が今回、145人となって跳ね返ってきたものである。恐ろしいほどの無駄である。
<憲法を正しく教えよ>
 石ころとて磨き上げることに成功すれば、多少なりとも「国民の代表」になるかもしれない。それは地元にへばりつかせて、次回選挙の運動をさせるというものではない。必死で勉強してもらわないと、国民は莫大な損失を被るのである。
 何を勉強するのか。日本国憲法をとことん教え込むことである。現状では幼稚園児レベルであろうから、正しい憲法教育でなければならない。憲法遵守義務があることを知らない政治家ばかり、というのは国民にとって迷惑千万である。
 9条は特にしっかりと条文を叩き込ませるべきである。そうすれば火遊びをする議員はいなくなる。東アジア共同体を吹聴しながら改憲派では、頭隠して尻隠さず、である。隣国から尊敬されることはない。9条派は北京やワシントンからも尊敬を受けるだろう。むろん、国連からも、である。
 「死の商人」からの裏献金を突き返す勇気のある政治家こそが、いうところのダイヤモンドなのである。鳩山や小沢は、ここを押さえないと、いずれ自民党の二の舞になろうか。
<税金泥棒?>
 国民の多くは民主政治を高く評価している。その一方で役人に対して「仕事をしないで悪さばかりしている」と認識している。税金泥棒というのである。庶民大衆のこうした認識は政治家にも及んでいる。政治家ではなく本当は政治屋である、と受け止めている。
 それは小沢や鳩山に対しても、という理解でもある。「勝って兜の緒を締めよ」との民主党幹部の国民向けのポーズは、小沢の145人の今後にかかっていようか。小泉の83人との違いを出せるのかどうか。
 かつて政治家になることは、とても到達できない高い壁だった。靴を何足もすり減らし、選挙区を隅から隅まで歩いて有権者に志を訴えてやまない。それでもバッジをつけることは容易なことではなかった。官僚や世襲以外のものにとって、いかに有能な人物でも成功することはできなかった。塀の上を歩いて活動資金を稼ぎだしてもきた。
 チルドレンにはこれらのことは理解できないだろう。少しだけマスコミで売れていたとか、およそ政治家としての資質と無縁の面々ばかりがバッジをつけているのである。こんな輩を政界に引き入れた民主党、とりわけ小沢の責任は重い。浮かれている暇などないだろう。
<小選挙区制廃止論>
 そもそもチルドレン誕生を可能にしたのは、小沢が強行した小選挙区制である。この制度を抜きに小泉チルドレンはありえなかったし、小沢チルドレンもなかったのである。民意の反映しない選挙制度だからなのである。
 これを抜きにして、秘書レベルと比較してもはるかに劣るチルドレンの誕生はなかった。
 保守的な国民はせいぜい4割程度である。保守2大政党として定着させる方が無理というものなのだ。リベラル・進歩・革新が4割は存在するのである。これが小選挙区制では無視・封じ込められてしまっている。
 政治的不満、無関心派を増大させ、社会を不安定化させる要因となっている。したがって民意が反映しにくい小選挙区制は、ある種「民主の偽装」といっていい。複数政党とは名ばかりの1党独裁体制でしかない。
 マスコミの権力監視が衰えている現状では、日本の民主政治はまことに心もとないありさまと言えなくもない。

 この制度に執着した戦後の政治家は戦争責任者でもあった右翼の本尊ともいえる岸信介である。狙いは9条改憲であった。この流れは今日、民主党内にも及んでいる。小沢や鳩山にも、こうした疑念が専門家の間では今もこびりついている。財閥の悲願といっていい。
 小選挙区制廃止論が吹き荒れるのはいつなのか。国家破綻まで待つしかないのかどうか。日本の前途を明るいとはとても言えない。
2009年10月14日7時05分記
<小沢チルドレン>
 145人の小沢チルドレンを国民はどう受け入れるべきなのか。1・5カ月過ぎてみて当惑しているのではなかろうか。高額の血税が投入される。確か河村名古屋市長の話では、一人の代議士の面倒に年間1億円もかかるのだという。145億円ということになる。実際は145億円どころではない。役人が手とり足とりでイロハを教える費用を加算すると、とんでもない額に跳ね上がるのである。茶の間で笑ってはいられないだろう。



 民主党国対委員長はチルドレンを「ダイヤモンド」と持ち上げていたが、うそにも程があろう。石ころばかりではないだろうか。秘書連の本心でもある。
<小泉の二の舞か>
 小泉チルドレン83人に「ダイヤモンド」はいたであろうか。ほとんどが小石だった。そこへと国民は4年間も無駄金を投入した。させられたのである。83掛ける4はいくらになるだろうか。
 単なる小泉の将棋の駒でしかなかったのだが、彼は郵政民営化という、本当は大半の議員が反対していた法案を成立させてしまった。その反動が今回、145人となって跳ね返ってきたものである。恐ろしいほどの無駄である。
<憲法を正しく教えよ>
 石ころとて磨き上げることに成功すれば、多少なりとも「国民の代表」になるかもしれない。それは地元にへばりつかせて、次回選挙の運動をさせるというものではない。必死で勉強してもらわないと、国民は莫大な損失を被るのである。
 何を勉強するのか。日本国憲法をとことん教え込むことである。現状では幼稚園児レベルであろうから、正しい憲法教育でなければならない。憲法遵守義務があることを知らない政治家ばかり、というのは国民にとって迷惑千万である。
 9条は特にしっかりと条文を叩き込ませるべきである。そうすれば火遊びをする議員はいなくなる。東アジア共同体を吹聴しながら改憲派では、頭隠して尻隠さず、である。隣国から尊敬されることはない。9条派は北京やワシントンからも尊敬を受けるだろう。むろん、国連からも、である。
 「死の商人」からの裏献金を突き返す勇気のある政治家こそが、いうところのダイヤモンドなのである。鳩山や小沢は、ここを押さえないと、いずれ自民党の二の舞になろうか。
<税金泥棒?>
 国民の多くは民主政治を高く評価している。その一方で役人に対して「仕事をしないで悪さばかりしている」と認識している。税金泥棒というのである。庶民大衆のこうした認識は政治家にも及んでいる。政治家ではなく本当は政治屋である、と受け止めている。
 それは小沢や鳩山に対しても、という理解でもある。「勝って兜の緒を締めよ」との民主党幹部の国民向けのポーズは、小沢の145人の今後にかかっていようか。小泉の83人との違いを出せるのかどうか。
 かつて政治家になることは、とても到達できない高い壁だった。靴を何足もすり減らし、選挙区を隅から隅まで歩いて有権者に志を訴えてやまない。それでもバッジをつけることは容易なことではなかった。官僚や世襲以外のものにとって、いかに有能な人物でも成功することはできなかった。塀の上を歩いて活動資金を稼ぎだしてもきた。
 チルドレンにはこれらのことは理解できないだろう。少しだけマスコミで売れていたとか、およそ政治家としての資質と無縁の面々ばかりがバッジをつけているのである。こんな輩を政界に引き入れた民主党、とりわけ小沢の責任は重い。浮かれている暇などないだろう。
<小選挙区制廃止論>
 そもそもチルドレン誕生を可能にしたのは、小沢が強行した小選挙区制である。この制度を抜きに小泉チルドレンはありえなかったし、小沢チルドレンもなかったのである。民意の反映しない選挙制度だからなのである。
 これを抜きにして、秘書レベルと比較してもはるかに劣るチルドレンの誕生はなかった。
 保守的な国民はせいぜい4割程度である。保守2大政党として定着させる方が無理というものなのだ。リベラル・進歩・革新が4割は存在するのである。これが小選挙区制では無視・封じ込められてしまっている。
 政治的不満、無関心派を増大させ、社会を不安定化させる要因となっている。したがって民意が反映しにくい小選挙区制は、ある種「民主の偽装」といっていい。複数政党とは名ばかりの1党独裁体制でしかない。
 マスコミの権力監視が衰えている現状では、日本の民主政治はまことに心もとないありさまと言えなくもない。

 この制度に執着した戦後の政治家は戦争責任者でもあった右翼の本尊ともいえる岸信介である。狙いは9条改憲であった。この流れは今日、民主党内にも及んでいる。小沢や鳩山にも、こうした疑念が専門家の間では今もこびりついている。財閥の悲願といっていい。
 小選挙区制廃止論が吹き荒れるのはいつなのか。国家破綻まで待つしかないのかどうか。日本の前途を明るいとはとても言えない。
2009年10月14日7時05分記
<国会新事情>
 久しぶり国会に足を運んでみた。財政に明るい自民党の村上誠一郎代議士と会見の約束が取れたからである。少し早目の到着となったので、法務大臣をしていた森英介事務所を覗いた。知らない顔ぶれの若い秘書が2人いた。亡父・美秀代議士時代に出入りしていた古参の秘書もいた。「顔写真入りの雑誌を見ましたよ。まだ木更津から?」といって声をかけてきた。それにしても野党に転落した自民党代議士の事務所は静かそのものである。電話も少ない。陳情もなくなってしまったものなのか。



 坂本秘書は「辞めた自民党秘書は500人以上。党本部職員は大幅な賃金カットで対応する」と教えてくれた。古参秘書は「月収70万も取っていた水商売の女性が、ただ名前を民主党に貸しただけで議員になった。同じ階にいますよ」というすごい情報を口にした。本当だろうか。あるいは事実かもしれないが、さしずめ週刊誌ネタを追いかける気力など当方にはない。
 衆院第一議員会館7階は、小泉チルドレンから小沢チルドレンに衣替えした様子がありありと見てとれる。主役が何者なのかさっぱり不明である。全体では83人の小泉チルドレンが、今回は145人の小沢チルドレンの誕生というのである。
 民主政治は数の力がモノを言う制度だから、相応の政治的効果を発揮することになろう。

 6階には小沢事務所があるが、周囲を小沢ガールズが取り囲んでいる。福田康夫の611号室のすぐ近くに三宅雪子がいる。613号室だ。彼女は福田と小選挙区で争ったライバルというのだ。「福田への嫌がらせだ」と自民党ではうわさしている。
 安倍内閣で官房長官をした塩崎恭久事務所は619号室。選挙で争った永江孝子が612号室だ。森喜朗と戦った田中美絵子603号室。そして小沢の意向を体して公明党代表の選挙区に落下傘、刺客の重責を果たした青木愛が608号室。ちなみに小沢事務所は605号室である。花よ、蝶よと舞う6階が議員会館新名所になった、というのである。
 小沢もやるものである。側近の山岡賢治も6階だ。彼が小沢に配慮した布陣なのかもしれない。それにしても彼女らの政治研修は5年かかるのか、もっとかもしれない。えらいことではある。小選挙区制の悪法ぶりを露呈している。そのうちに国民も、この選挙制度の正体に気づく時がくるだろう。其の時、日本はどうなっているのであろうか。
<煙もうもうの議員会館>
 国会議事堂の裏手に議員のための事務所が3棟そびえている。
 この日の筆者の目には、そこにそれぞれ巨大な議員会館がそびえているのが見えた。合計6棟である。
 現在使用されている会館が、あまりにも小さく見える。新しい会館は、今より倍の広さになるという。民のかまどの煙に心を痛めた天皇がいたという記録があるらしいが、いまやその反対である。お上の方は煙がもうもうと立ち込めている日本である。

 こんな場面を市民が見学したらどんな思いをするであろうか。無駄の排除の政府も、これには打つ手なしだろう。筆者は、現在の会館を浮浪者のための施設として開放すべきだと訴えている。改めて強調したい。議員が真面目に仕事をするようになるからである。立派な施設で大金を懐に入れて、ごろごろとされてばかりいては、この国が持たなくなるからである。
 民主党はこの日午後、145人のチルドレンを集めて研修会を開いていた。秘書のレベルに到達するまで頑張れるだろうか。
 欧米のように候補者になるまでは、一定の教養を身につけさせる、せめて日本国憲法をしっかりと理解させるぐらいのことは、政党として責任を持たせる必要があろう。水商売でも結構だが、問題は中身と国民に奉仕するという気概が不可欠なのである。
 マスコミの対応も大事である。現場記者のいい加減さが、国民をいらつかせていることを忘れてはならない。厳しい監視がジャーナリズムの使命なのだ。
<哀れ自民党>
 この季節は来年度予算編成の最中である。税制について具体的な議論が交わされてゆく。昨年までは、自民党の部屋という部屋は、地元や企業・団体・組織からの陳情客で膨れ上がっていた。そこから政治資金が生まれた。構造的な腐敗もそこにあった。
 それが一切なくなってしまった。族議員の価値喪失である。役所とのパイプは無用の長物なのだ。権力を失った自民党は、もはや存在価値を失ってしまったのである。過去に自民党は細川・羽田内閣で政権を失ったことがある。しかし、与党の内部崩壊が助け舟となって復権した。同じことが2度起きるだろうか。少なくとも来年夏の参院選まではないだろう。その先はどうか?小沢が賢ければ、選挙結果にかかわらず連立を続けるかもしれない。今は筆者にもわからない。

 特に社民党の存在は大きい。政府の対米外交には有利である。ワシントンにはっきりとモノ言う政府であり続けるかぎり、アメリカも暴走できない。譲歩するしかなくなる。国民の評価も高まる。小沢だと、そこまで考えているかもしれない。オバマのワシントンは、
相手の言い分に耳を貸す政権なのだから。たとえば沖縄の普天間基地を嘉手納基地に併合すればいいのである。東京がシャンとすれば道は開けるだろう。
 考えなくてもわかろう。経済大国にもなった日本に外国の軍事基地が存在することなど論外であろう。社民党は大声を挙げるべきだ。防衛費大削減にも。そうでないと、4年後の日本はどうなるか。いまは誰もわからない。
2009年10月13日21時45分記
<正子の結婚式>
 昨夜、田舎から戻ると、突然携帯電話が鳴った。「ヨウ」と名乗る中国人である。わかるわけがない。しばらくして「熊(くま)さんか」というと、そうだということで思いだした。彼は盧溝橋の抗日戦争記念館主催の国際学術会議で、急きょ通訳をしてくれた日本研究者で、当時南開大学の教員をしていた。偶然の出会いだった。その後に湖南大学に移った。彼のお陰で同大学に数回講義に出向いた。そのさい、毛沢東の生家を見学した思い出も残っている。現在は武漢大学におり、数日前に創価大学に来て1年過ごすのだという。彼は早稲田大学にも留学した幸運児だ。実は田舎に行っていたのは、弟の娘・正子の結婚式も兼ねていた。



 10月11日は今季最高の秋晴れだった。会場も規模も全て正子と新郎の鴇田洋平君が取り仕切ったものらしい。40人足らずの合理的披露宴というのもよかった。正子の母親の兄弟姉妹に久しぶりに会うことが出来た。この中には、筆者が戦後50年の95年8月、50人の仲間で実施した南京・盧溝橋の平和の旅に参加してくれた天笠さんもいた。しかし、夫はいなかった。最近亡くなったのだというが、夫人は東京湾の風で鍛えられた持ち前の性格で、元気に振舞ってくれたのがうれしかった。正子の母親も50人のメンバーの一人だった。
 彼女の弟は、新日鉄君津製鉄所の労組幹部に人生をかけていたおかげで、今も子会社の嘱託をしていて、この日も姿を見せていた。
 洋平君の母親は青森県・津軽の出身という。同県や岩手県からも親類が姿を見せていた。
<父親思いに感涙>
 二人とも相当な幸運の星の下に生まれたらしく、向こう三軒両隣の距離という狭い範囲で結ばれた。万葉集にも登場した由緒ある馬来田同士というのも珍しい。洋平君も国家公務員上級職に合格、林野庁勤務が始まったばかりだという。勤務先は岩手県一関市の近辺という。同市は志賀節元環境庁長官の地元ではないか。
 披露宴の圧巻は、正子による両親への感謝をこめたあいさつだった。娘のいない筆者には無縁のことなのだが、娘の父親への万感迫る一言に、ついぞもらい涙をしてしまった。文言を忘れてしまったが、なかなかの文章力だった。
 現代の若者への認識を一変させるような威力に、正直驚いてしまった。娘を持つことのありがたさなのかもしれない。
<若者は教会好み?>
 会場は本人たちがインターネットで探したという小奇麗な教会方式の式場だった。アルバイトの牧師であろうが、何となく雰囲気をかもしだしている。そういえば再婚した年配の友人は、青山大学内の教会だった。正子も同大学の卒業生である。
 今風の若者は教会が好きなのだろう。普段口ずさんでいる歌が讃美歌からのもの、ということも教えてくれる。宗教を解せない人間にとってどうでもいいことだが、人間は何でもいいから宗教的なるものへのこだわりがあるものか。弱さからくるのであろう。
 「宗教はアヘン」という世界だったロシアや中国でも、教会や寺院参拝は流行している。前者は、それを政治が全面的に利用している。戦前の日本もそうだった。政治との結びつきとなると、やはり身構えてしまう。政治家や経済人は占いに凝るものが多い。鳩山夫人がそんな一人ということを、最近の週刊誌が書いていた。
<アケビを母に持参>
 うれしかったのは披露宴が午後4時過ぎだったことである。したがって、午前中たっぷりかけて埴生の宿の庭の掃除や家庭菜園で汗をかいた。雑草ですっかり生育を抑制されていたサツマイモを掘ってみた。やはり手入れのない野菜は大きくならない。しかし、ここはミミズの活躍できるミネラル豊富な畑での芋に違いない。農薬と化学肥料漬けではない。
 先日の台風の影響で数センチに伸びた大根の芽が元気なく打ちひしがれていた。残念至極である。周囲の土を掘り起こして様子を見ることにした。
 ネギの両側に土盛りして、見せかけの手抜きの雑草退治とした。初めて植えたラッキョウの芽が出ている。うまくいけば最高である。1本のウコンに白い花が咲いていた。これは珍しい。しばし、見とれてしまった。
 柿を10個ほど採った。初の成果である。虫食いの赤くなったぶよぶよのものは、やはり想像してた以上に味がよくなかった。一部のゆずが少しだけ黄ばんできていた。来月になると採取可能となろうか。隣人が「青いのが欲しい」と言ってきた。「どうするのか」と尋ねると、胡椒をつくるのだという。知らなかった。
 生垣にアケビがぶら下がっていた。シャワーを浴びた後、さっそく91歳の母親に2個持参した。記憶力・体力が衰えてしまっている母は、それでも「アケビか」と正確に口走ってくれた。この言葉に感動する息子である。小さな親孝行とでもいえようか。

 ひと汗かいた後の披露宴での、フランスはシャンパーニュ地方で作られているというシャンパンでの、乾杯の一杯がおいしかったことはなかった。労働が健康と幸福の原動力であることを、この一杯が教えてくれた。そんな数々の成果もくれた正子の結婚式だった。
2009年10月13日9時50分記

<東京タイムズ同窓会>
 昨夜、ノルウェーからオバマのノーベル平和賞受賞の一報が世界の電波に乗った。まだ大統領就任9カ月の快挙に世界は驚き、かつ歓迎に浸った。筆者の場合「これでオバマ暗殺は出来なくなった」という安堵感が脳裏を走った。個人的には、アフリカ系アメリカ人と何も関係がないのに、不思議とオバマのことを気にかけている自分に驚いてしまった。正直よかった、のである。受章は、彼の平和戦略をいい意味で拘束することになろう。軍部の圧力・軍需産業のロビー活動を抑制する楯を手にしたことになるからである。米朝関係にもプラス、日本国民の米軍基地縮小要求にも前向きに対応するであろう。オバマの変革は、ますます地球規模に拡大するはずである。

<東アジア共同体と自立外交>
 EUのアジア版が東アジア共同体構想の背景にある。経済的繁栄を意図しているが、同時に平和構築という安全保障・政治面の成果も期待している。なかなか欲深い構想である。其の分、実現は容易ではない。とはいえEUや北米経済圏は実現した、他方で未曽有の経済危機と環境破壊と核兵器の存在する地球という人類的危機が、この構想を後押ししていることを忘れてはなるまい。日本・中国・韓国とASEANがその骨格となる。将来的には、さらなる拡大も期待されようか。鳩山内閣がこれを錦の御旗として公然と掲げたことは、いかなる思惑があるにせよ今日の世界を一望すれば、大いに評価できよう。マハティールが提唱したことに、ASEANと中国がそれに向けて始動している矢先なのだから。

<上海交通大学の胡偉教授講演>
 元国土庁事務次官のSさんとおしゃべりしたあと、急いで日本記者クラブ(10月6日)に足を向けた。上海交通大学の学者が講演するという。筆者は同大学アジア太平洋研究センターの研究員を依嘱されている関係もある。胡偉教授を知らないが、敬意を表して会見場に少し遅れて辿り着いた。既に胡さんのよく通る中国語が会場で響いていた。それを女性通訳が明解に通訳していた。

<英国は再生する?>
 来年には政権交代が実現するとみられるイギリスで、保守党・影のオズボーン財務相は、破綻寸前のイギリス経済を立ち直らせるために「国民全てが痛みを分かち合うしかない」との勇気ある演説を行い、国民の評価を高めている。徹底した無駄の排除、官僚機構のスリム化、役人の賃金凍結、金持ち増税、年金抑制などありとあらゆる手段を用いて、財政を立て直すというのである。



<民主党の外交政策と将来の課題>
 日本は、先の8月30日総選挙で野党の民主党が圧勝、政権交代が実現した。官僚政治打倒を公約した政権の交代である。これは明治以降の日本型政治が解体、本来の民主政治を生み出したことを意味する。画期的な政治変動といっていい。だが、果たして政治主導の政治が実現できるのか。これからが正念場である。自公政権に比較して「よりましな政権の誕生」と評価できるのだが、それは自民党よりもリベラルな政治が期待できるからである。特に外交面でアジア重視を打ち出している。ワシントンと北京の距離が、より正三角形・均衡になるだろう。むろん、内政面で課題も多く、結局のところ、前政権が垂れ流した財政赤字に苦しめられて、それによる経済危機によって政権存続も危うくなる可能性を秘めている。



<官僚政治の打破>
 日本国民も含めて、外部からでは見えにくい日本政治の正体は、戦後どころか近代の幕開けとなった明治の政党政治以降、官僚が率先して政策を策定し、それを政党・軍部政権や、戦後は主に自民党が代行してきた。典型的な官僚主体の政治といっていい。拙著「天皇の官僚」(データハウス)を参照するといい。
 敗戦後のドイツの成功はナチス官僚を追放したことによる。日本では軍部と財閥は解体されたものの、官僚はそっくり温存、今日まで継承されてきている。ここに日本の恥部である歴史認識問題が、極右政治家と一体となってこびりついて離れなかった。官僚と復活した財閥の癒着・一体化もまた日本独自の危うい政治構造であると、あえて指摘しておきたい。これの研究は、不幸にして内外の研究者ともおざなりにしてきている。
 民主党は、明治以降の官僚政治の打破を公約にして政権を担当した。画期的成果であるが、肝心要の問題は、当面する経済危機を処理できる能力を持ち合わせていない、という点に筆者は危惧を抱いている。
<よりましな政権>
 とはいえ自公政権と比較した場合、民主党には自民党内に深く宿っていた岸信介人脈のような極右政治家は少ない。森内閣以降の政権が、ほとんどが岸ラインの政権だったことを考えれば、アジア軽視の日本を容易に理解することができよう。ワシントンへの一方的服従が目立つ。
 民主党にとって幸運なことは、そのワシントンがオバマの民主党政権に移行していて、そのことによる政治的効果が計り知れないためである。いい意味でのワシントン効果である。それは人類が悲願とする核廃絶や環境問題への積極的取り組みである。国連総会で鳩山政権が幸運なスタートを切れたことは、多分にオバマ効果だといってもいいだろう。ブッシュ政権では、どうであったか?
 アジア外交についてだと、喉に尽き刺さったトゲ・歴史認識が自民党外交の巨大かつ大きな壁であったことからすると、民主党の場合、相当にハードルが低くなろう。現に、これまでも鳩山ら民主党幹部から「靖国参拝はしない。国立の追悼施設を建設したい」との発言が声高に叫ばれてきている。自民党政府が党内極右勢力を抱えてきたため、絶対にできないことだった。今後は、隣国民との感情的対立が大きく抑制される点から、外交政策面で「よりましな政権」として期待できよう。果たして無宗教の追悼施設を実現できるのか、これはまだわからない。
<小沢―鳩山―岡田>
 今回の政変は、春秋の筆法をもってすると、72年からの角福戦争といわれた政治抗争の最終段階でもあった。派閥間の権力闘争が政党間のそれに移行したものである。攻防の軸の一つが対中関係だった。当初の自民党のリベラル勢力と反共・右翼勢力との攻防が、今回は民主党と自民党の争いとなった。
 民主党幹部で菅と前原を除く小沢、鳩山、岡田はいずれも旧田中角栄派に所属していた面々である。民主党内の新勢力図をみると、選挙を担当した小沢の勢力が突出している。いうなれば「小沢の時代」の到来である。「小沢の民主党」といってもいいくらいだ。
 自民党時代の小沢は、金丸信の庇護のもとに権力の階段を登った。共に台湾派を任じてきた。晩年の金丸は軌道修正するが、小沢もまた野党時代に北京接近に切り替えた。田中真紀子を民主党に引き入れるなど、角栄人脈の後継者となった観が強い。
 「アメリカに服従ばかりしない」という自立する立場は、3者にほぼ共通する外交スタンスである。自主外交が期待できる。いちいちワシントンに相談しない日本外交は、戦後初めてといっていい。
 鳩山は祖父・一郎が好んで用いた「友愛」を政治スローガンに掲げている。「隣人に配慮する、大事にする」という政治姿勢である。クリスチャンならでは、なのか。
 玄人筋から、もっとも評価の高い岡田が外交責任者である。均衡感覚に優れている。極端なブレはないとみていい。勉強家で清廉さが彼の特徴である。官界にも身を置いたことが、党内では政策通を任じさせている。自己主張もするが、相手の意見にも耳を傾けるタイプで、安定感のある政治家のようである。
<自民よりリベラル>
 自民党は森内閣以降、右翼片肺政権が継続、党内リベラル勢力が衰退してしまった。森派1極体制である。谷垣総裁を誕生させた黒幕もまた森である。自民党再生を厳しくさせる要因の一つと見られている。
 さて、民主党だが、共同通信が総選挙後の9月中旬に民主党衆院議員308人を対象にしたアンケート調査を実施している。自衛隊の国際貢献について尋ねた質問である。「PKO(平和維持活動)や国際緊急援助隊など人道支援に限るべきだ」とする議員が73・3%、「多国籍軍を容認、自衛隊の後方支援もするべきだ」という、小泉政権が踏襲してきた右派路線には12・4%の議員が賛成している。
 ご存知、日本国憲法は海外派兵を禁じている。国際紛争の処理にも武力使用を禁じている、という高邁な立場を明文化している。憲法を順守する義務が国会議員には課せられているわけだから、武器弾薬使用の派兵は許されるはずがない。妥協しても「人道支援」に限定すべきであるが、こうした立場が民主党議員の大勢であることが確認できる。
 これこそがリベラルの証拠である。とはいえ12・4%は、小泉路線であるイラク派兵・アフガン給油作戦を支持している。恐らくは松下政経塾の右派議員ではないだろうか。
 小泉・安倍・麻生内閣が強行しようとした集団的自衛権の行使には、53・3%の議員が否定した。これもリベラルな民主党を印象付けるものである。とはいうものの、19・5%は「憲法を改正する」「憲法解釈を見直す」という考え方をとっている。
 「解釈の見直し」論は、当面改憲は困難とする改憲派が主張するもので、その代表は筆者が「平成の妖怪」と決めつける中曽根康弘、そして右翼言論機関の読売グループである。
 回答者は210人で回答率は68・2%である。したがって実際の右派勢力は、もっと多いかもしれないが、自民党に比べると、それでもリベラル色は強い。議員の大半はまだ政治を知らないチルドレンという党内事情もある。党の方針に従う面々である。
 小沢は、国連中心主義を強く主張していることで知られている。国連の決議があれば、自衛隊の海外派兵は可能との危うい立場だ。
 来年の7月の参院選挙までは、社民党と国民新党との連立政権である。社民党は、日本共産党とともに憲法を尊重するという当たり前の平和主義政党である。同党が連立を組んでいる来夏までは、鳩山内閣が暴走する危険は皆無である。
<アジア重視>
  自民党右翼片肺政権では霞が関の官僚が日米関係を牛耳っていた。霞が関はワシントンの出店・支店のような存在で、全ての外交案件を事前にワシントンに報告、指示を仰いできた。信じがたい独立国・日本であった。アジア軽視の元凶ともなってきた。
 それを民主党は、外交権を霞が関の官僚から奪い取ろうというのである。岡田外相の力量が試されるだろう。
 内外政の重大懸案は、菅が君臨する国家戦略局で方針を決める。官僚が表舞台に登場することはないが、政治家が無能だと官僚が用意したテーブルに座りかねない。ここは注視していく必要があろう。
 民主党のアジア重視の具体策は、東アジア共同体を立ち上げようというものである。壮大なる目標達成は厳しいが、これを実現しようとすると、本物のアジア重視外交を打ち出す必要に迫られよう。
 南京を知らない政治家ばかりの日本の国会議員・官僚である。民間の交流・観光においても南京・盧溝橋訪問が一般化する日本人へと変身しなければならない。教育で歴史の真実を教えなければなるまい。鳩山内閣がこれらに真剣に取り組まない限り、安直に具体化するものではない。心からの謝罪と平和への誓いなどが前提として求められる。ドイツがポーランドでしたことを、日本の為政者はまだ誰ひとりしていない。
 とはいえ、東アジア共同体を目標に掲げたことはマイナスではない。日中韓3国が本腰を入れなければ実現はできない構想である。ASEANも、である。成功しないと、アジアがEUや北米圏に対抗、上回る繁栄経済圏の確立は困難といえよう。筆者の悲願は日本が永世中立国になることだと考えている。これなら、たちどころに東アジア共同体は実現するだろう。
<松下政経塾への懸念>
 筆者が従来から指摘してきた民主党内右派勢力・松下政経塾が、同党のリベラルを薄める役割を果たしてきている。昔の古い政治家のような反共主義に興味を抱いているグループでもある。皇国史観を喧伝する「つくる会」とも、連携をとっていることも発覚している。
 天皇主義でもあるらしい。特異な政治教育をした若者を、自民党と民主党に送り込む政経塾は、松下企業の広報宣伝によってマスコミ批判を封じてきてもいる。豊富な資金力が背景にある。松下企業が「ナショナル」ブランドを廃止して「パナソニック」に切り替えたことが、その辺の事情を裏付けている。
 自民党岸人脈は消滅していくだろうが、民主党の政経塾がこれに取って代わるものか、改憲軍拡路線と深く結び付いているだけに注意していく必要があろう。そうだと、東アジア共同体も単なる絵に描いた餅になりかねない。
<参院選後の動向>
  民主党は来年7月の参院選を小沢の采配のもとで行っていく。権力を握った小沢は、さらなる軍資金を手にした。自民党を寄せ付けないだろう。単独過半数は夢ではない。そうすると、連立解消が具体化することになろう。
 ここから民主党の本性がさらけ出されることになる。民主党リベラルが本物なのか、偽装なのか、という新たな局面を迎えることになる。経済混乱は止むことがない。失業率は増大していくだろう。そうなると、政治問題を国民に投げてくる可能性を否定できない。
 それが何か。平和憲法への横やりが第一に考えられよう。海外派兵を自由にできる憲法改正である。自民党右派の野望そのものである。小沢が福田自民党総裁と大連立を組んだ背景には、9条解体が想定されていた。
 日本とアジアが最大の危機に直面する場面かもしれない。東アジア共同体どころか、危機を前提にした軍拡競争に点火しかねない。ワシントンと北京の判断が、これの行方を左右するかもしれない。
 鳩山の改憲論は祖父の遺言でもある。前原の政経塾は飛びあがらんばかりに喜ぶだろう。菅や岡田が止められるか、ここで党分裂に発展するのか。予想外の展開が噴き出しかねない。
<経済で失速>
 自民党の官僚政治もそうだったが、民主党の公約もバラマキ予算を執行することになる。金はない。大幅な税収減の中での予算編成では、自民党並みかそれ以上の国債を発行することになろう。
 国債による赤字財政は、国家破綻へと突き進むであろうことを確実にする。アメリカでは野党が厳しく批判しているが、それでも与党政府はドル紙幣を刷りまくってドル下落へと拍車をかけている。イギリスの次期政権必至と見られている保守党は、国民すべてに痛みを分かち合ってもらうと増税・節約政策を公約、支持者はこれに拍手喝采で応えている。民度の格差なのであろう。日本だけが、政権交代したというのに、さらなる国債増発でバラマキ予算に突進している。円を紙切れにしようとしているのである。
 そうだと民主党政治は、たとえ多数を占めていても、経済危機、家計破綻でおっつけ行き詰まることになろう。隣国との良好な関係を構築して東アジア共同体構想に突き進む前に、政権が崩壊する確率を否定できない。ことほど日本の財政は厳しい。自民党同様にこれに蓋をかけている現状からすると、残念ながら内政で行き詰まりを見せるはずである。ことほど自民党政権の負の遺産は巨大なのである。
 あってはならないことだが、大不況―改憲軍拡―アジアの軍拡競争という危険な潮流を招き寄せる恐れもある。こうした兵器財閥と右翼勢力の狙いにはまってはなるまい。結論は「よりましな政権」も、来夏以降は安心をしてはいられない。アジア諸国の為政者の知恵も、其の行方を左右するかもしれない。東京だけの、民主党任せだと、傷ついた野獣のように危ういことにならないものか、日本国民は政権の交代で気をよくして安心ばかりしてはいられないだろう。
 一難去ってまた一難が日本の現状ではないだろうか。
2009年10月7日記

<政権交代(自民党大敗)の原因と同党の今後>
 自民党の歴史的敗北は、2年前の7月参院選挙(安倍内閣)で、今回(8月30日)は総選挙(麻生内閣)で決定的となった。国民が自民党政治に失望して政権交代を望んだ結果だが、それでいて当事者による総括は行われていないに等しい。総括できないほど日本をボロボロ、ズタズタにしてしまったからであろう。これについて海外のメディアも十分、理解しているとは思えない。国内メディアまでが、まともな分析をしていない。
 結論をいうと、経済政策の相次ぐ失敗によって、日本社会をボロボロにして不安な社会に追い込んだことが原因である。遠因は外交政策の誤りにある。ちなみに自民党の谷垣新総裁は「地方の声を聞いて新たな政策を打ち立てたい」と的外れな認識をしている。中曽根元首相は10月4日放映のテレビ番組で「自民党の耐用年数が切れたからだ」と決めつけた。真正面から自己批判できない無責任政党・政治家を印象付けていまいか。




<経済失政> 洋の東西を問わない。政変は自国経済を疲弊させることによって必然化する。体制の崩壊も同じである。ソ連の崩壊が好例であろう。政権交代はアメリカで起き、日本でも発生した。いずれも順調な経済や公正な社会のもとでは起きない。
戦後の日本は経済至上主義のもとでの、米ソ冷戦という国際環境が、貿易輸出立国の地位を構築させた。大量消費経済のアメリカに、家電など生活物資を大量輸出するという日米経済関係が、高度の経済成長要因となった。しかしながら、戦争経済ともいえるアメリカは、常に自国経済の衰退が待ちかまえていた。これが貿易摩擦へと発展する。

 85年にそれが頂点に達した。時あたかも中曽根―レーガンの日米同盟強化路線が始動していた。ワシントンは東京に内需拡大を厳命してきた。結局のところ、日本政府はドル安円高政策を積極的に導入するところに追い込まれた。中央銀行による超低金利政策が発動され、円が紙屑のように印刷されて市場に大量に出回った。これが中曽根バブル経済政策である。
 このバブル政策は、中曽根後継の竹下―宇野―海部の3内閣も踏襲して、遂にバブルは破裂した。エコノミストのリチャード・クーは「バブル崩壊によって日本は1500兆円の資産を喪失した」と指摘している。なぜ早く打ち止めできなかったものか、それは引退後の中曽根健在が災いしたといえる。中曽根政策の変更が不可能だったからである。

 バブル崩壊後の莫大な不良債権を抱える日本経済のカンフル剤は、不良債権に蓋をしてひたすら借金をするだけの財政政策を推進するという、新たな失政でしかなかった。信じがたい財政家不在の日本政府だった。こうした経済失政によって国債の発行額は雪だるま式に増えていった。経済大国・日本の凋落である。沈む太陽そのものだった。

 これに追い打ちをかけたのが、小泉―竹中ラインによる市場万能主義の経済政策の強行だった。弱肉強食の市場主義の結果、中流階層でおおむね安定してきた日本社会に大きな亀裂が生じた。格差という新語が生まれた。高度成長期の中で忘れかけていた貧困という言葉が社会を覆い始めた。
 破産する企業社会で失業者はウナギ登りに増えていった。財政の悪化は日本の誇りでもあった福祉制度を崩壊させていった。年金や健康保険に赤ランプが点滅する不安の時代の到来である。

 10月4日夜のNHKは、一部とはいえ「授業料を払えない高校生」「食事が取れない児童」「病院に行けない子供」たちの厳しい実態を放映していた。憲法が保障する教育の機会均等が崩れている日本なのである。食べることも学ぶことも出来ない子供たちの存在は、年寄りの日本人には敗戦後の混乱期を想起させるものだった。
 通常であれば、国と自治体が支えれば済む話だが、いまは「財源をどうするのか」という難問が立ちはだかるのである。金がない、金がないから弱者を救済できないのである。莫大な借金地獄が道を塞いでいる日本なのである。

 安倍内閣のもとで年金問題が発覚した。安心安全の老後の保障に亀裂が入っているという深刻な事態の発覚に、多くの日本人は驚き、うろたえてしまった。不安な時代の到来を膚で感じたのだ。福祉の崩壊も、言ってみれば財政の破綻からきている。年金問題が、人々に財政の悲劇的な実情を知らせる結果となった。
<外交失政が遠因>  偶然とは思えない。日米同盟の強化と経済失政が結びついているという分析は、あながち困難ではない。容易なのだ。レーガンの前で「米ソ戦争の時は日本が不沈空母の役割を果たす」と豪語した中曽根である。日本国民を対ソ戦に捧げるとした中曽根にとって、円高政策という経済問題はたやすいものと理解したのである。
 だが、このバブル政策を後継の内閣にまで押しつけた結果、日本丸は沈没してしまうのである。表向きの沈没回避手段が「景気対策名目の国債の大量発行」であった。これを無尽蔵に繰り返してきたのである。

 現在、気がつくと1000兆円どころか1200兆円を軽く超える、借金大国の日本であると専門家は決めつけている。返済不能の借金額なのである。恐らくは孫の世代でも返却不能であろう。
 日本のGDP、名目国内総生産は500兆円を既に割っている。中国のそれが上回っているようである。経済大国・豊かな日本は、もはや過去の言葉になっている。死語なのだ。
 バブル経済と格差社会は、ともに東京がとことんワシントンにすり寄った中でのことだった。ワシントンに服従する日本政府という同盟強化路線のもとで表面化した。自立する外交を放棄した中での失政であったのだ。軍事同盟の背後で経済的損失が爆発的に発生していたことになる。中曽根―レーガン関係の失敗を、小泉内閣は教訓として生かせなかったのである。これらの失政に蓋をかけるための靖国参拝であったものか。
<不安な時代>  小泉内閣の掲げる改革路線も蓋を開けてみると、非正規労働者の大量発生だった。日本の誇りでもあった終身雇用制は壊れてしまっていた。労働者は、会社の都合でいつでも辞めさせられるという不安定な状態に置かれてしまった。
 そもそも年金や健康保険、失業保険などの福祉制度は、企業による終身雇用制を前提に確立したものだった。年収200万円以下の労働者が1000万人もいるという今日、誇れる制度は内部崩壊しているのである。

 2009年8月8日に内閣府が実施・公表した世論調査でさえも、深刻な数字が出ている。すなわち「7割の国民が将来に不安を抱いている」のである。とりわけ「老後の不安」が、その最たるものだった。
 同じころ、朝日新聞は66%の国民が「健康不安」を抱いている、との調査結果を発表している。年金不安は必然的に健康保険に連動する。収入が少なくなると、健康保険の支払いができなくなる。安心して病院に駆け込めなくなるのである。
 金融機関の金融広報中央委員会が2年前に「老後の生活に不安を抱く国民はおよそ8割」との調査結果を発表している。理由は「貯蓄がない」「年金の不安」と回答している。

 自公政権を突き放した原因は以上の数字で判明しよう。ちなみに公明党は、敗北原因を「政権交代の大きなうねりに埋没してしまった」「解散の先送りが失敗だった」という、実に頓珍漢な選挙総括をしていた。10月3日の党本部全国県代表協議会での選挙総括である。

 余談だが、麻生内閣は公明党の主張を入れて2兆円の定額給付金を各戸にばらまいた。壮大なる公的な買収選挙であるが、むろん、これが選挙にプラスになることはなかった。同党は小選挙区に擁立した候補者全員が落選した。党の顔である太田代表、北川幹事長ともども落選した。

 また2009年度予算の借金返済額は、なんと軽く税収を上回っている。欧米先進国とも赤字予算を編成しているが、日本のような深刻な財政では全くない。財政破綻への道へとまっしぐら突き進んでいる日本、これこそが国民不安の元凶なのである。政権交代の真因といっていい。
 自己批判のできない、徹底した敗北原因の総括ができない自民党の将来は、暗いと断定せざるを得ないのも事実である。自民再生は厳しい。
2009年10月5日記

<駐日米大使の広島訪問>
 10月4日の日曜日、アメリカのルース駐日大使は家族で広島の平和記念公園を訪れて献花した。すばらしい。ワシントンの変化を日本でも演じた。彼はまともなアメリカ人として日本での評価を高めるだろう。11月のオバマ来日に向けた露払いなのだ。そのさい、核廃絶への広島宣言を世界へと発信してほしいものである。オバマならやるかもしれない。同じく鳩山は、盧溝橋や南京を訪問して平和の誓いをするといい。太平洋と日本海(東海)が平和の海になること請け合いである。



 米国の核の傘を払いのけて、その上で核廃絶に向けた鳩山の世界行脚もいいだろう。この場合、イスラエルにも行くといい。平壌では、とことん対話を重ねて国交正常化と拉致問題を同時決着するのである。東京の変革はそこまでやることを求めている。鳩山にとって無理だろうか。
<中国首相の平壌入り>
 中国首相の温家宝は、持ち前の穏健さで金正日との会談に臨む。いい動きである。
 元米大統領・クリントンの訪朝から事態は大きく展開していることが、北京の対応で理解できるだろう。ワシントンと北京の動きは連動している。明るさを誰しもが受け入れている。専門家のいい加減な悪い予測を連日、覆しているのは見ていて気分がいい。
 悲観論は今後、ドンドンしぼんでいくだろう。問題は、こうした地殻変動を日本政府がどれほどつかんでいるのか、その上で先手を打とうとしているのか、である。霞が関には無理かもしれない。いっそ外務省を解体するのもいいかもしれない。役人もいらない。官尊民卑もなくなるのだから。国民投票にかけてみたいものである。
 尊敬されない日本人は政治家と役人である。異論などないだろう。
<風見鶏の権力志向>
 久しぶりテレビで大勲位の様子をテレビで拝見した。髪はすっかり無くなってしまったが、91歳にしては元気だった。
 自ら風見鶏を任じる御仁だが、その意味するところが今回の発言で判明した。それは権力の行方をつかみだし、そこへと自己の波長を合わせるのである。わかりやすく言うと「権力にまかれろ」というのである。
 「権力に逆らうのは愚の骨頂が中曽根の処世術」というのである。したがって、自民党をコテンパンにやっつけた民主党を誉めちぎるのである。鳩山と小沢を盛んに持ち上げたのである。自分が自民党員であることを忘れてしまったように、民主党幹部をゴマすりしたのである。
 こんな人物も珍しい。第一、自民党敗北の原因を「耐用年数がきていた」「オバマの変革の影響」とまで言い放った。耐用年数がきている自民党というのだから、再生・復活はないということらしい。中曽根バブルの経済失政が日本沈没の元凶ということなどすっかり忘れている。とすると、やはり認知症にかかってしまっているのだろうか。
 生涯の中曽根改憲論については、なんと鳩山に期待のボールを投げた。司会者はテレビ芸者で有名な人物のようだが、中曽根の不沈空母論を誉めちぎっていた。これは朝日新聞系列のテレビ朝日の番組である。そういえばテレビ司会者にリベラルはいないのだ。テレビ局の衰退も極まっている。
<中川昭一死亡>
 自民党最右翼の政治家として定評のあった中川昭一が亡くなった。56歳である。彼の実父・一郎は57歳で首つり自殺した。このとき司法解剖をしなかった。そのため怪死事件として、今も死亡原因について尾ひれが付いて回っている。
 一郎は自民党総裁選での裏切りに衝撃を受けていた。息子の死因は、行政解剖の結果待ちだが、父親の関連で早くも憶測が流れている。
 実父は取材を通して承知しているが、外見とは裏腹に神経の細い政治家だった。「永田町は政友ばかりで心友はいない」が彼の晩年の言葉だったことを記憶している。息子も同じ遺伝子だったのであろう。国際会議での朦朧会見の失態と落選が彼の神経をズタズタにしてしまったものであろう。並みの神経では政治家は務まらない世界なのである。
 その点で鈴木宗男はたくましい。2世はひ弱で、秘書上がりはたくましい。
2009年10月4日22時35分記
水沢渓さん、お別れ会>
 お別れ会に出るというのは、確か昨夜が初めてのことである。「水沢渓さん、お別れ会」である。日暮里駅近くのホテルであった。喪服を着ている人たちが多い。筆者はいつものフランクな出で立ちである。10人ほど座れる円卓が12個も用意され、ほとんどが埋まった。故人の仁徳であろう。筆者はこんな贅沢なことはできない、してはいけないと思っている人間だから、故人の威力に改めて感動してしまった。



 この名前がペンネームであることさえ、最近まで知らなかった。ものすごい勇気のある編集者で、かつ書き手であった。山一証券マンとしてギャンブル経済を熟知、警鐘を鳴らしてきた。中曽根バブル経済に怒りをみなぎらせてもいたらしい。そのことが筆者との出会いをつくってくれた。いい人間ほど急いで旅立つものか、本名坂本遵さんはすい臓がんで倒れた。
 酒好きだった。円卓に用意された日本酒をついつい飲み過ぎてしまった。未亡人が明るく応対していたのが印象的だった。入口でいただいた白いカーネーションを、用意された祭壇に置いて冥福を祈った。クリスチャンだったのか。
 筆者は会場で誰ひとり知らない。隣席の豊田さんという、本の販売をしているという方とおしゃべりして2時間を過ごした。
<健友館を20年>
 今は倒産して存在しない健友館という出版社のことが気になっていたので、会場に関係者を見つけだして聞くことが出来た。倒産2年前まで経理を担当していた女性をつかまえたのだ。坂本さんと同い年という。
 20年の歴史を刻んでいた。親会社は伊藤超短波株式会社という健康関連の会社だった。坂本さんはそこの責任者だった。自らも書きまくっていた。そのためにペンネーム・水沢渓という純粋な名前を名乗った。どうりで会場にはベートーベンの名曲「田園」が流れていた。筆者が、大学で教員資格をとるための実習校となった九段中学の音楽室で聞いて以来、大好きになった曲である。だからであろう、申し訳ないことに気分は上々、普段は口にしない日本酒に手を出してしまった。
<平成の妖怪・大勲位 中曽根康弘>
 彼は日本経済をギャンブル経済に追い込み、遂に破綻させた張本人に怒り出していたのだろうが、いかんせん政界のことはわからない。たまさか二人は「月刊タイムス」という雑誌に寄稿していた。彼はそこで筆者を知り、連絡をとってきたのである。
 昭和の妖怪というと、岸信介のことである。筆者は坂本さんの要請で「平成の妖怪」を書くことになった。2003年2月に出版した。立派な装丁である。坂本さんが健友館最後の勝負をかけた出版物となった。
 その数カ月後に倒産した。自宅に在庫本数百冊を送り届けてきた。改めて「誰も書けない日本政治の裏面史」と自画自賛できる。この本について右翼路線の「正論」編集長をしていた政治記者時代の先輩から「よく書けている」と誉められた時は内心うれしかった。効果抜群だったのである。このことを坂本さんに伝えたかったことも、お別れ会に出席した理由である。
<右翼暴力団・ナベツネとも対抗>
 どうして誰も書けない内容なのか。それは中曽根の正体を暴くことは、彼の盟友を暴くことになるからである。すなわち、戦後右翼のドンとして岸内閣以降の政界の黒幕として活躍してきた児玉誉士夫をたたくことでもあった。右翼暴力団の親玉に政財官の指導層は、見事にひれ伏していたのだから。
 児玉の盟友が中曽根と読売グループを率いるナベツネだ。彼らに対抗することだった。つまり右翼とマスコミとも対決することを意味した。こんな大それたことが出来るジャーナリストがいるだろうか。第一、そんな本を出版しようという編集者などいるわけがない。
 ところが、存在したのである。健友館を率いる坂本さんだった。彼の要請に筆者は即答した。そこには宇都宮徳馬さんの思いもからんでいたからである。平和・軍縮派の宇都宮さんが泉下で後押ししてくれたのだ。あとがきで「宇都宮さんに捧げる」と書いた。
 彼は生涯、戦争責任者の岸を許さなかった。筆者もまた天皇制国家主義の復権を狙う元海軍将校の暴走を許せなかった。
<言論の自由の正体>
 果たせるかな、健友館の倒産と筆者が担当していた大学の人気講座がなくなり、お役御免となった。時事通信系列の講師もはずされた。筆者を支えてくれた唯一の支援もなくなってしまった。見事丸裸にされてしまった。
 いえることは、日本にも立派な憲法でも「言論の自由」を守れない、ということなのだ。桐生悠々を信濃毎日新聞は保護したが、今はどうなのか。独裁の国と同じ日本なのである。これを膚で感じた。悪しき権力と対抗できない日本なのである。これもまた歴史の教訓なのであろう。
 どっこい、インターネット社会の21世紀である。
 ブログという便利な世界が広がっている。悪しき権力と対抗可能なのである。こうして言論を展開できるのだ。
<財閥の暴走>
 筆者の懸念は財閥の暴走である。特に武器・弾薬財閥のことである。ここが右翼へと資金提供している。政界と官界と癒着している。むろん、自衛隊とも。人脈・資金面での強固なつながりは、自民党だけではない。宇都宮学校の成果でもある。
 郵政民営化は金融財閥が小泉を動かした成果である。武器財閥は9条憲法に襲いかかっている。その先陣が中曽根らだ。財閥の暴走について、実は経済界の内情に詳しい坂本さんと同じ意見だった。これを書きたかったのだが、坂本さんは先に逝ってしまった。
2009年10月4日9時00分記
<キューバ危機の教訓>
 スポーツクラブでテレビを見ながら汗をかいていた。午前11頃だからNHKのニュースを見ようとした。ところが、再放送と思われるドキュメンタリー番組が流れていた。ケネディとフルシチョフが激突、あわや人類破滅の核戦争かというキューバ危機について、当事者の証言でまとめた歴史的教訓番組である。



 以前に見たのかもしれないが、アメリカの国防長官・マクナマラの証言が印象に残った。それは「過ちを繰り返す人間と核兵器の同居が、人類を恐怖に陥れ続ける」というものである。キューバ危機はその典型なのだが、結果は偶然が幸いして核戦争にはならなかった。核兵器を積んだB52爆撃機が、日本の米軍基地からも大挙、ソ連に飛び立つばかりだった。

 筆者が注目したのは、米ソともに文民統制(シビリアン)がきわめてあやふやであった、という事実である。危機において政治家は軍人にリードされる。特にホワイトハウスがそうだった。国民が選んだ大統領が産軍複合体に牛耳れてしまう、という恐ろしい現実である。産軍体制に反対すると暗殺が待ち構えるワシントンである。歴史はその通りになった。
 ホワイトハウスは、まだこのシビリアンを確立するまでに至っていない。北京はどうなのか。人類恐怖の危機の正体は、正にこれである。
 オバマが核廃絶を叫ぶ理由は、彼がキューバ危機とケネディ暗殺の教訓から学んだのではなかろうか。核廃絶に向けた第二弾は何か。勝てない五輪選挙にデンマークまで出向いた鳩山夫妻は、せめてオバマ夫妻とこのことでじっくりと話し合っていれば、多少の非難は避けられたかもしれない。
<検察は本気?>
 その鳩山に降りかかっている火の粉というと、資金管理団体「友愛政経懇話会」の政治資金報告書にうその記載があった規正法違反事件である。4年間で193件、総額2100万円余という。これを東京地検特捜部が捜査を開始している、ということが明らかになった。
 法務大臣の采配の行方がどうなるのか、注目したい。法務大臣は弁護士上がりの千葉である。専門家であるから、いい加減な指揮はしないだろう。
 自民党の総裁・谷垣も弁護士だ。党首討論が見ものである。マスコミが察知した以上、検察も甘い対応はとれまい。どういう経過を辿ることになるのか。鳩山にとっての最初の試金石となろう。実弟・邦夫のいう「兄は黒い鳩」が本当であれば、秋の臨時国会が大荒れということも想定される。
 吉田内閣では指揮権の発動があったが、21世紀の日本では無理だろう。うその中身次第では、政府も厳しい事態に追い込まれるかもしれない。検察とマスコミの動向次第といえなくもない。
<石原の手先となった鳩山?>
 鳩山イメージを急転悪化させた原因の一つは、同じく「黒い石」といわれる都知事が仕掛けたIOC総会参加問題である。
 奇跡でも起きない限り、東京五輪はありえなかった。これこそ「黒い石」をスポーツで蓋をするだけの無駄でしかなかった。そこへと政府専用機を使って夫人同伴で押しかけた理由を、民主党関係者でも首をひねっている。「夫人に操られている総理」は本当なのか。
 いかなる政治判断があったのか。国民は知りたいと思っている。
<亀井静香の逆襲>
 鳩山内閣の閣僚で一番元気がいいのが金融担当大臣の亀井静香である。
 「銀行による中小企業への融資返済を猶予させる法律制定」に意欲満々である。日本政治の黒幕ともいえる銀行協会と激突している。これまで銀行と財務省は一体となって、日本の針路に重大な影響を与えてきている強力集団だ。
 だが、亀井は一歩も引きさがろうとしていない。銀行に真っ向から戦いを挑んでいる。こんな政治家も珍しい。政変もさることながら、小泉―竹中組が強行した郵政民営化の黒幕が銀行そのものだったからである。

 郵便局の340兆円とされる預貯金の分捕り作戦が、いうところの「官から民へ」という小泉―竹中組の郵政民営化策略であったことは、知る人ぞ知る、である。
 対して亀井は、融資返済に猶予期間を与えることで中小企業を救済する、合わせて郵政退治を敢行した銀行にしっぺ返しをするというのであろう。むろん、銀行は厳しい事態に追い込まれる。それを100も承知で、法の制定を断行しようというのだ。攻守所を変えたのだ。
 日本郵政のドンとなった三井住友の西川の首をはねるだけで満足することはない。
 思えば中曽根バブルに踊り、破裂するや1500兆円が消し飛んでしまった。残った不良債権をかかえた銀行に血税を投入、救済したのは、ほかならぬ小泉と竹中である。気がつくと1200兆円ともいわれる借金地獄の日本である。不安の日本である。
 財閥銀行は沈む太陽の日本にした責任を負って当然ではなかろうか。亀井にはこうした怒りの国民感情が支配しているのではなかろうか。

 亀井は苦労人である。自民党時代と違う。庶民感情を理解する政治家に変身している。小泉や安倍、麻生とは違う。鳩山とも違う。落ちるところまで落ちると人間は強くなる。怖いものなし、が今の亀井である。
 荒削りの強さがまともに作動すると、予想外の結果を生むものである。しばし、彼の動向に注目したい気分である。
2009年10月3日23時00分記
<IOCの鳩山>
 IOC総会での東京での劣勢は、どなたでもわかる。そうなのに、何故に手を挙げたのか。お祭りが好きなのか。玩具がないと政治が出来ないのか。あまりにもいい加減すぎる。石原の五輪利権に屈した鳩山のIOC総会での演説が、日本時間10月2日夕刻にテレビが生中継した。国連総会での晴れがましさは微塵も見られなかった。直前のオバマ夫妻のそれに圧倒されていた。



 時差ボケも災いしたのかもしれないが、鳩山はひどく緊張していた。スポーツ関係者だけの集まりだというのに、である。はっきりいうと硬直していた。テレビの加減なのか青ざめてさえいた。理由の一つは後ろめたかったものかもしれない。
 都議選で彼の仲間たちは、石原五輪利権に反対して議席を手にしていた。1400億円をドブに捨てた石原銀行の二の舞になることは、目に見えている無駄の最たるものである。
道楽に借金する余裕のない日本と東京都である。
 確かに石原と鳩山は富豪層に属するが、両者の資産を全て吐き出しても五輪予算には間に合わない。奇跡でも起きて東京開催になったらどうするつもりなのか。そんなことは万一ありえないと信じての、偽りの誘致合戦を楽しんでいるものなのか。まともな政治家がやることではない。
 深刻極まりない財政に無頓着な政治屋とスポーツ選手にも困ったものである。鳩山のいう「環境を損なわずに繁栄する東京。自然と調和する東京」では全くない。排気ガスにけむる東京ではないか。灰色の都市ではないか。世界に胸を張れる東京ではない。もしかしたら二人は田園調布の住人だから、東京の全てがこのレベルと勘違いしているのではなかろうか。
 莫大な借金の山の日本である。政権交代してもこれに変化はない。
<自民党機関紙>
 日本記者クラブに立ち寄ると、自民党機関紙が積まれていた。一部拝借した。1面に「新総裁に谷垣禎一氏」と大きな赤い文字が躍っている。「日本の津々浦々を歩き回り、地域に分け入り、その声に耳を傾け、私どもの政策を見つけたい」という谷垣発言が活字になっていた。
 驚いてしまった。つい最近まで政府を担っていた政権党である。優秀な人材がいるはずである。それでいて敗北原因がわからないというのだ。わからないので全国を歩いて聞き耳を立てて、そこから政策を見つけようと総裁が語っている。
 2面を開くと、国会議員199票、党員300票で争われ、谷垣300、河野太郎144、西村康稔54という投票結果と共に、党員の投票率46・65%を紹介していた。党員の半数以上が棄権していた。筆者の分析では、党員の半数が逃亡してしまった、党員を辞めてしまったのである。これは衝撃的である。
 ちなみに北海道の党員37054人だが、投票率は45・59%、岩手県10317人同38・36%、東京都83310人同52・68%などである。
 政権を失った途端、もはや党員の肩書はマイナスと判断されたのである。それかあらぬか11面には「党員募集」の広告を載せていた。「驕る平氏」の末路とそっくりである。
 谷垣新総裁の「自民党には果たすべき使命がある」という就任あいさつも正直うつろに響くばかりである。
<中国脅威論?>
 人権派弁護士と四方山話をしていると、前日の北京の軍事パレードが話題になった。「あんな形でしか表現できないのが悲しい」と手厳しい。「ヒトラーの五輪と同じではないか」とまで酷評する。
 筆者は、現実論として「あの様子を見れば、中国に手を出す国はアメリカを含めていないだろう。むしろ、国内的な政治的効果を狙ったものではないか。一部の独立派へのけん制効果も大きい」と解説したあと、昔話を披歴させてもらった。
 過去において日本政府は歴史教科書や靖国参拝で隣国を刺激してきた。そんな日本に対して、当時日本で観光業の仕事をしていた中国人は「結局、中国が弱いから右翼に馬鹿にされる。強くなるしかない」とうめき声を挙げていたことを紹介した。
 その上で「愛国心のある中国人にとって建国60年にして、ようやく悲願が達成されたことになる。日本の右翼の暴走も止まるかもしれない。右翼は強い相手に逆らわない体質があるので」とも分析させてもらった。
 それはそれとして、世界の軍事専門家は中国脅威論を例によって流している。ただ、注意しなければならないのは、彼らは軍需産業から生活費をもらっている連中がほとんどであるということだ。死の商人の手先なのである。金もうけに脅威論が必要なのである。こんな人間にはなりたくもない。
<パスポート入手>
 友人と別れた後、有楽町駅前の交通会館に寄った。
 更新した10年モノのパスポートを受け取った。ただし、国に14000円と東京都に2000円を支払うのである。安くはない。官尊民卑をにじませる収奪の構造のようにも理解できようか。パスポートは主権者の当然の権利なのだから。特別なことではない。コストの何十倍も手にするお上の日本なのが情けないのである。
 文句ひとついわずに従う日本人は寛容民族か、それとも愚かなのか。

 そういえば近くの店がコーヒーを無料で配り出した。するとそこに客が殺到した。「ただだと殺到する日本人が嫌い」と人権派弁護士が非難した。何事もコストに多少の利益を加えるというのが、公正な社会というものであろう。
2009年10月2日21時20分記

<建国60年の中国>
 南太平洋のサモアやインドネシアのスマトラ島の大地震が、地球で悲しく報じられる中で、北京だけは違った。13億人の人民の多くは建国60年の経済と軍事面での成果に酔いしれていた。日本を含めて西側メディアはやっかみ半分の冷ややかな報道に徹していた。特に軍事的な中国脅威論を、いつもながら宣伝に努めていた。右派系のテレビ局は、なんと三菱の軍事専門家を現地に派遣、中国軍近代化を引き合いに出して、自衛隊の軍拡論をわめかせるという手の込んだ報道をしていた。


 それにしても、さまざまな難題をかかえながらも、貧困国を経済・政治・軍事大国に押し上げた障ナ小平戦略は、お見事といっていい。これを金正日が早くから学んでくれていたら、拉致も核実験も6カ国協議もなかったはずである。為政者の政策が、人民と国家を良くも悪くもする。
 隣国の友人としていえることは、その偉大な成果の影の部分に光を当てることが、現在の指導者の任務だということである。まだまだ為すべきことはたくさんあろう。特に56民族の格差を解消することが、何よりも優先されねばなるまい。社会主義の根幹にかかわる事柄でもある。
<国交正常化37年の日本と中国>
 国慶節もそうだが、筆者は72年9月に国交を正常化した日中指導者の決断に思いを寄せる日本人である。ドイツのように、過去をしっかりと清算した日本であれば、日中両国民が共に9月末から10月1日にかけて喜びを分かち合えたであろう。被害者と加害者が共に手を取り合って、この日を迎えたはずである。
 歴史教科書問題、中曽根靖国参拝、小泉靖国参拝が中国人民の心を、計り知れないほど傷つけてしまった。これにマスコミも議会も有効な手立てを講じることが出来なかった。無念の極みである。日本はドイツと違って愚かな為政者が多すぎたのだ。市民運動や労働運動が弱すぎた。マスコミも。

 37年前の9月29日の日中共同声明は「すべての紛争は平和的手段で解決、武力や武力の威嚇に訴えない」と謳っている。憲法9条の文言が使われている。この声明は世界に通用するすばらしい平和原則である。改めて時の大平外相と周恩来総理の政治的力量に敬意を表したい。
 日本はそれでいて、その後もワシントンに従属する中で経済的に衰退、いまや沈む太陽だ。中国は昇龍である。世界は多極化の中の米中新時代に突入している。

 日本の再生は9条に徹する平和の国になるしかない。そうしてこそ東アジア共同体が花開かせることになるのである。鳩山にその力はあるのか。
<鳩山IOC総会の背景>
 鳩山は夫人にせっつかれたのかもしれない。石原による夫人工作が成果を収めたものか、急きょ今夜コペンハーゲンに専用機で飛び立った。無駄排除を公約にして政権を担当した総理にしては、軽率すぎよう。
 オバマのシカゴも東京も金がない。なぜ借金をつくることを平気でやるのであろうか。
 時あたかも鳩山の政治資金報告書に問題が発覚した。実弟の邦夫によると「兄は黒い鳩になった」とこきおろしている。
 新政権はまだ動き出したばかりである。具体的には何もしていない。それでいて大将の洋服のシミが見つかってきている。野党が強ければ、とても議会を乗り切ることはできまい。一国の指導者は清潔でなければ国民が信用しない。政治不信の元凶なのだから。岡田や菅の出番が早まる可能性もないではない。
<司法も変化>
 変化は司法の分野にも現れてきた。広島地裁は、日本の美しい景観を残している鞆の浦の埋め立て計画に対して中止を求めた。役所に睥睨してきた司法が、ようやく自信を取り戻したようなのだ。画期的判決といいたいところだが、これが当たり前、常識的判断なのである。
 時代・格差・環境が政権を交代させた。空気を察した裁判官もまともになってきているのだろう。これも正直なところ、悲しい日本の現実なのである。人格・識見のある政治家が少なかったように、官僚や司法界にもいなかった日本である。
 これを機会に隣国の強制労働裁判、従軍慰安婦裁判にもまともな判決を期待したい。

 保守的な司法は、政府が任命する最高裁判事15人がそれらを象徴している。2007年の参院選における1票の格差に対して、本日うち5人が違憲判断をした。また判決で「仕組み自体に見直しが必要」とやや踏み込んだ。
 頭の固い最高裁判事もまた、政変と国民の意思には逆らえないのであろう。

 それにしても、早々から鳩山の金問題を見聞させられるのは、いい気分がしない。「よりましな政権」と評価してきた側からすると、とても辛いことである。
 そういえば最近、すっかり永田町に足を向けなくなっている。選挙結果に胸をときめかせたものの、これからどうなるものか。
 オバマは具体的政策を推進する過程で批判を受ける。当然のことだ。鳩山はまだ何もしていない。それでいて石原の手先になって、海外に飛び出した。小泉のように専用機がよほど好きだと見える。いつもの辛口だが、これでは小沢もリリーフを考えなくてはならないのかもしれない。
2009年10月1日21時40分記
<永田町を去る自民党秘書>
 大平時代の宏池会から派閥事務所で勤務、後半は自民党代議士秘書をした上野さんの送別会が、昨夜赤坂の飲み屋で日テレOBのH君の呼びかけで開かれた。そこには昭和38年から鈴木善幸元総理とその息子が居座ってきた議員事務所で働いてきた守本さんも参加した。いずれも議員秘書を卒業する。思いは複雑に違いないが、そこはベテランたちだ。「自民党の敗北は当然。政治家が小粒になったし、官僚出身議員は金もうけのためにバッジをつけていた。これでいいのですよ。再生できるか疑問」という予想外の感想も聞かれた。



 参加者の一人が言っていたことだが、およそ500人の秘書が失業するという。中には民主党議員秘書になったものも。ただし、小沢が選別しているという。「小沢の意向を受けた参院秘書が面接している」との極秘情報もあった。
 これからは自民党本部職員のリストラが始まるという。「小沢の目的は自民党本部のあるビルを買って、そこに自分が居座ることにある」と解説する人もいた。
 筆者も20年ほど通い詰めた平河町の自民党本部は、国会に近くて一番地の利のいい場所にある。小沢が欲しい場所の一つに違いない。
 「選挙が終わると3日以内に引っ越せとの指示があり、それは大変だった。事務所のFAXには古本屋から、いらない本や資料を買いたい、という連絡もあった。初めてのことで、これには驚いた」という秘話も語ってくれた。
 上野さんは小山長規事務所からの知り合いである。その後に宏池会に移り、同会をずっと見てきた。大平、鈴木、宮澤、加藤の会長のもとでの宏池会である。これからは宮崎県の実家で老いた母親の介護をするのだという。
 小泉チルドレンのもとで4年務めた秘書は「明日宮城県に帰る」という。旅行会社からの転身組である。「小泉の応援はマイナスだった」と断言していた。元議員は秘書を一人残して、全て辞めさせたという。元議員は来年の参院選挙狙いなのか。
<再生は厳しい>
 自民党の再生はあるのかどうか。送別する側は宏池会を担当したことのある元政治記者である。うち二人は大学の教員、他は系列テレビの監査役と子会社の社長である。全くの自由人は筆者一人である。
 その中には自民党総裁になった谷垣禎一のブレーンをしている人物もいた。彼が自民再生に期待を込めて当然である。逆に谷垣をよく知る元記者は「谷垣は自宅を新築している。地元の評判が悪い」といってチャチを入れた。「地元に秘書が二人しかいない」とも指摘していた。
 麻生太郎の非難合戦も始まった。筆者はよく知らなかったのだが、官房副長官のなかにカメラだけをぶら下げて写真ばかり写していた、とんでもない議員がいた。「彼のおかげで総理夫人は海外にも一緒に行けなかった」という。
 漢字が読めない総理は学習院大学出身だから、というのであるが、つまるところ「側近がひどすぎた」というものだった。安倍や森批判も相次いだ。
<小沢の忍耐>
元政治記者たちだから極秘情報も出てくる。「小沢のロンドン行きは今回で手術後5回目。必ず1年に1度行かなくても済む。時には国内でもチェックは可能」というのである。小沢研究者がいるらしく、そこからの情報だという。
こんなのもあった。「小沢がじっとしていられる期間は1・5年だ。再来年あたりに何かが起きる」と占うものもいた。これまでの彼の行動統計から割り出したものだという。暇な人間がいるものである。
<鳩山改憲論>
 筆者の懸念は鳩山の改憲論についてだが、その原因の一つが大量に保有するブリジストン株が、軍用のトラック・装甲車のタイヤと関係しているためである。仲間の一人は「そもそもブリジストンの創立者は軍人が履いている靴や足袋を大量にさばいて大きくなった会社。軍国主義の日本と歩調を合わせてきたからだ」といって鳩山改憲論をけん制した。
 ここを触れると鳩山の「友愛」に疑問が出てきてしまう。
 無駄排除をわめいて総理になった鳩山である。先の都議選で民主党は、石原の五輪利権に反対して石原与党を敗北に追い込んだ。それでいて鳩山は、石原のお先棒をかついで、IOC総会が行われるコペンハーゲンに行くという。
 君子豹変・朝令暮改の典型ではないのか。裏で何があったものか。鳩山への失望第一号となってしまった。
<皆リベラル>
 9人の会食であったが、気分は上々である。宏池会を担当した元政治記者と秘書たちばかりだ。不思議と右翼がいない。フジ・産経グループの仲間がいなかった。それが理由だったらしい。
 昔の自民党には、まぎれもなく思いやりを大事にするリベラルな派閥が存在した。三木派や大平派である。水田派もそうだった。田中派もリベラルに近かった。福田派と中曽根派に右翼が集まっていた。
 筆者は自民党派閥を総なめにしてきた特異な政治記者だったが、宏池会が好みとなったのも、リベラル・寛容な政治集団であったからである。
 そういえば、一匹狼になった加藤紘一は「えらく元気そうだ」といい、筆者が警戒してきた国家主義を信奉する中曽根は「何もないとボケッとしているが、カメラを向けると元気が出てくる」と近況を伝えてくれる元記者もいた。中曽根の盟友・ナベツネは今また「小沢に接近している」との分析もあった。
 魑魅魍魎がうごめく政界と言論界なのか。
 昔の仲間たちとの四方山話は久しぶりのことであるが、なかなか楽しいものでだった。
2009年9月30日21時30分記

<祭政の季節>
 収穫の秋である。顔をなでる風は心地よい。旬のものが食卓に並ぶ季節でもある。真夏の後の秋は、人々を最高の気分にさせてくれる。そこを見計らってか、明治の為政者・官僚は人々を祭りの輪に誘い込む。政治の巧妙な仕掛けなのだ。酒と踊りの祭礼・遊びによる大衆動員・操作でもあった。
 明治官僚の最高傑作といっていいだろう。それが敗戦を経て、なおかつ日本列島の津々浦々までに及んでいる。驚くべき非民主的宗教政治文化であろうか。過去を清算できにくくさせている元凶でもあろう。浮かれてはいられない。



 閉ざされ、人が寄り付かない神社がこの季節賑わう。田舎道に笛と太鼓が山車の上で鳴り響く。神輿が村々・町内を練り歩く。獅子舞も。幼児体験が大人たちの郷愁を誘い、恒例行事となっている。むろん、インターネット社会が変化をもたらしている。
 笛を引き太鼓をたたく業師の後継をなんとか維持はできても、神輿の担ぎ手がいない。山車は子供たちが引くのだが、これが昔のように集まらない。ゲーム機や塾通いの子供たちも少なくない。それに少子化である。やむなく農作業で使っている貨物車を代用にしている。神輿担ぎはアルバイトを採用することも。獅子舞はお蔵入りさせるしかない。
 それでも太鼓と笛で人々を動員させようとするのだが、昔に戻ることはない。だが、消えることもない。靖国を支える日本主義なのか。寄付という形で村々や町内に網が張られ、部落の長老たちが胸を張れる季節でもある。
<国家神道の残滓>
 筆者が子供のころ、父は太鼓たたきの名手だった。普段、貧しくしていて好きな酒を満足に飲むことが出来ない。せいぜい1合か2合買いこんできて数日かけて飲むという世知辛い生活だった。侵略戦争のツケなのだが、祭りともなると、そうしたうっぷんを一度に晴らせる特別の日である。たらふく飲めるのである。神社は、貧しい民にとってさまさまだった。
 侵略戦争の必勝を期した信仰への反省など皆無だった。戦後も「祭り文化」という怪しげな衣を着て、神社信仰が氏子を擁して根付いている日本である。これに地元役人・議員・地方名士が率先参画して、祭りを盛り上げるのである。
 過去の清算どころの話ではない。明治によって根付かせた祭政一致の儀式が、不況に比例して拡大している。神社の再建がいたるところで行われている。小泉の6回もの靖国参拝の政治的効果でもあるのである。
 まともな歴史教育がなされない日本を象徴しているのだが、筆者の場合、山車を引いたのであろうが、記憶に残っていない。残っているのは、父が泥酔のあまり喧嘩に巻き込まれて家に担がれてきて、母がそれを嘆いていたことくらいである。いい印象は残っていない。
 それよりも、侵略戦争が9条憲法を立ち上げ、中国を歩いて歴史を知ることで、この天皇家の信仰という原始宗教に違和感を持つことになる。とてもではないが、日本刀を祀る靖国に手を合わせようとは思わない。近代教育を受けて皇室に入った民間の女性が、皇室の奥の院で行われる祭祀に抵抗感を抱くのは、当たり前のことであろう。
 この神社信仰が皇室に残る限り、日本の近代は確立出来ないのではなかろうか。
<政治変革と時代状況>
 思うに明治は地方の田舎侍によるクーデターであった。全国への威令を発する道具として京都の天皇家を担ぎ出した。「天皇親政の明治政府」を時の官僚たちが知恵を出した。その一つが天皇家の信仰である神社(神道)を国教にすることだった。
 数十戸の単位に神社を建設させ、人々の信仰の対象にさせた。廃仏毀釈が強行された。平和志向の仏教を封じ込めて、戦いの神に切り替えたのである。そこでは祭礼を強要した。笛・太鼓・山車・獅子舞い・酒と菓子がそのための道具である。
 これが明治に確立した祭政一致の国民動員体制なのでもある。貧しい時代の中央集権体制の一翼を担うのである。それは戦争への組織化でもあった。明治官僚の知恵のなせる技であろう。残るは教育である。天皇を神とあがめる忠君愛国教育に、彼らは論語を拝借した。仏教の平和主義を封じ込めてしまった。
 当時としてはなかなかのものである。世界最強の武装国家への変身である。
<天皇家の祭礼>
 この天皇家の信仰はどこから日本に伝わったものか。筆者は出雲の国・島根県を歩くことで、多少の憶測を加えるのだが、それは朝鮮半島からだと断じたい。古代の先進文化を有する朝鮮の有力者らが、列島に渡来して一大王国を築くのである。
 彼らの保有する鉄の文化が日本支配を可能にした。ここに古事記・日本書紀という古代の日本史が大きな制約を受ける原因となるのである。「朝鮮王国の属国」という形式を採用できない。日本古来の天皇史観が創造されなければならなかった。

 幼いころから家の前の神社に2体の狛犬があることを知っていた。何故の「こま犬」なのか。正しくは「高麗」、朝鮮古代史を飾る高句麗のことである。神社信仰は朝鮮から伝わったものであることが判明しようか。
 最近、韓国で製作された映画「朱蒙」に白装束の女性占い師が登場するが、これが朝鮮半島における祭政一致を証明している。天皇家の祭礼も、これと似たものかもしれない。宮内庁の奥の院で繰り広げられている祭礼が明らかになれば、いずれ判明しよう。
 朝鮮から伝来したのは仏教や儒教だけではなく、神道も入ってきたものなのだ。源流は中国やインドである。あるいはモンゴルである。中国には古代からこの方、道教が存在するが、これが神道のルーツではないか、と推測できる。
 道教は英雄を祀る。神道もそうだ。明治天皇を祀る明治神宮がそれである。靖国が日本刀というのも理解できよう。戦いの神なのである。仏教とは異なる。

 余談だが、国技とされる相撲を、仏教の寺ではなく、神社に奉納するという儀式がある。源流はモンゴル相撲か。それが朝鮮相撲になって神社・神道と共に列島につたわったものであろう。現在の横綱2人は共にモンゴル人である。先祖がえりなのであって、自然なのかもしれない。ここにも争い・戦いという神道形式を見ることが出来る。
 原始の時代は部族同士の血で血を争う戦いが、生き残りの唯一の条件だった。戦いに勝つための信仰を必要とした。それが神道なのであろう。ここにも靖国参拝を恐れる隣国民の不安を理解することが出来る。

 ようやく「靖国参拝はしない」という総理大臣が誕生した。官僚任せの政治はしない、と公約した政権の誕生は、日本精神の近代化を約束するかもしれない。それでいて列島で繰り広げられる無数の原始的祭礼から解放される日はいつなのか、誰もわからない。日本右翼がこびりつく天皇家の宗教ゆえに。
 改めて明治官僚の知恵の奥深さには、ただあきれるばかりである。ここがつかめないと日本史の真実を解き明かすことはできない相談である。
2009年9月30日18時15分記

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