<清東陵見学>
北京到着の翌日(10月24日)に楽しい計画が用意されていた。大学の学部主催の研さんを兼ねた交流会のような行事だった。そこに筆者も割り込ませてくれたのだ。日帰りのバス旅行である。行き先は河北省にある、満州族が打ち立てた清朝皇帝の陵墓・東陵である。大学の専門家が案内役という。かなり格調の高い見学会である。朝の7時30分出発だから、7時に食堂で朝食を取らねばならなかった。
北京到着の翌日(10月24日)に楽しい計画が用意されていた。大学の学部主催の研さんを兼ねた交流会のような行事だった。そこに筆者も割り込ませてくれたのだ。日帰りのバス旅行である。行き先は河北省にある、満州族が打ち立てた清朝皇帝の陵墓・東陵である。大学の専門家が案内役という。かなり格調の高い見学会である。朝の7時30分出発だから、7時に食堂で朝食を取らねばならなかった。
学生食堂は久しぶりである。土曜日のせいで学生は少なかった。苑さんがあらかじめカードを貸してくれた。以前と違っていちいち現金で支払う必要がない。合理化していたのに最初は面食らってしまった。
スープやご飯を注文すると、係員が手際よく盆に乗せてくれる。同時に計算機に請求額をインプットする、そこへとカードを差し込むと支払いOKである。どこの学生食堂も同じなのであろう。混雑緩和に貢献している。それでも学生が殺到すると、まるで戦場のように騒々しくなる。
初日の学生食堂で豆乳を飲むことが出来た。健康飲料である。
<抗日劇>
バスは天津市を経由して保定市に向かって走り続けた。かなりの距離だ。どのあたりか土地勘がない。バスは高速道路から市道に入った。すごい人だかりだ。青空市場である。休日の市場に人々が殺到していた。
バスが急に速度を落とした。周囲は人の山である。右手に貨物車の荷台が見えた。なんとそこで演劇をしていた。軍服姿の役者が数人立っていた。日本軍・関東軍の兵士であるとわかるのに時間はかからなかった。抗日劇である。
そういえば、近くの交通標識に「抗日戦争勝利記念館」という案内が出ていた。最初、盧溝橋に来ているのかと錯覚してしまったほどである。天津に入っているのだから盧溝橋であるわけがない。まぎれもなく河北省なのだ。建国60年の年と関係があるのだろうか。
いえることは対日感情の厳しさを裏付けている。民主党政権の閣僚の靖国参拝はなくなった。しかし、政権を追われた自民党総裁らの靖国参拝は強行された。これでは日本印象が良くなることはないのかもしれない。
日本人がやや気にするせいなのか、テレビをつけると抗日戦争や国共内戦のドラマが、どこかのチャンネルで放映されている。
日本の歴史教科書が根本的に改善されない限り、為政者が南京を訪問、そこで真摯に謝罪しない限り、日中の溝は埋まらないのであろう。天皇制国家主義の亡霊が永田町に舞っているようでは、日本の前途は危うい。抗日劇はそんな日本への警告のように思えた。
<風水・皇帝陵>
東陵見学で、これが風水の原理で作られているということを学ぶことが出来た。しかし、肝心の風水が何かわからない人間である。説明から北側の背後や東西の左右に山を抱き、前方の南に河川が流れている場所が、皇帝陵墓に最適な場所ということらしい。
普通の人間は、どうして巨大な墓を作ろうとするのか、壮大な無駄ではないかと、不思議に思うばかりだが、権力者は死んでも権力を維持しようとして、陵墓作りに生きている間から励んでいる。東陵の代表格が乾隆帝の墓である。満族のありったけの知恵と資本を投入した広大な陵墓には、石像を並べたり、4本の華表を設置したりとあきれ返るばかりの幼稚な装置で、威厳と威令を発散させているようではある。
6本の柱からなる鳥居を中国では牌坊と呼んでいる。神道・神社の鳥居の原型なのか。神と人間の境界線である牌坊を現代人には、とるに足りない仕掛けでしかないのだが、封建社会はそれでも相応の政治的効果を生じさせたものか。
仕掛けの一つに竜の頭と亀の胴体の上に乗せた巨大な石碑は、文句なしに芸術的な価値があるのであろう。どうして、こんな芸当が出来たのか、エジプトのピラミッドの建造にも似た知恵を働かせたものであることは確かである。
教えられてわかったことは、明代の皇帝の墓に比べて、清代のそれは浅い所に埋葬している。皇帝の横に皇后の棺があり、さらにその横に貴妃が埋葬されている。棺は皆木製のようだった。
<神仏混交>
乾隆帝の陵墓に入る石の扉には、菩薩が彫られている。ドーム型の天井には仏が彫刻されているのに驚いてしまった。入口の鳥居の中に入ると、神路が長く伸びている。それが一端、陵墓に入ると、そこは仏教の世界である。チベット仏教を信仰していたものらしい。
それは清朝を傾かせた女帝・西太后の棺の周囲もほぼ同じだった。神仏混交なのである。墓地の前方左右には、北京の故宮に似せた荘厳な建造物が建っていたのには驚いた。彼女にとって死の世界も、生の世界と同じような豪華絢爛なたた住まいでの生活を欲していたのであろう。
国の資産をとことん食いつぶした様子が、この陵墓一つで理解できる。愚かな女帝は、石の彫刻に皇帝を意味する竜よりも、自らを象徴する鳳凰を上位に置くという傲慢さにも現れている。
<荒れ果てる文化遺産>
故宮のような西太后の陵墓を飾る豪華な建造物は、きらびやかな瑠璃によって威厳を醸し出してはいたが、盗掘とその後の放置で庭内の石は無残にはがされ、砕け散っていた。中国を代表する木造建築だというのに傷ついたままである。
中国を滅ぼした犯人として人民は、今も忘れていないのだろうか。それが荒んだまま放置されている理由なのか。観光客も少ない。見物客の哀れをさそっている。しかし、清朝およそ300年の長期政権に比べると、新中国はまだ60年である。厳しいモラルが政権維持の秘訣だったという見方もある。現代人にそれなりの教訓を投げかけてはいまいか。
<日本研究中心発足>
見学会には、苑崇利さんが風邪で体調を悪くしているというのに、わざわざ筆者に同行してくれた。こうしたやり過ぎる接待に、こちらは申し訳ないばかりなのだが、せっかくの配慮・気配りを断るわけにいかない。しかも、2人の院生までも身の回りの世話やら、通訳に付けてくれた。
ただ、彼からのすばらしいニュースには、我ながら感動してしまった。外交学院に日本研究中心が発足したのだという。むろん、彼の執拗な努力の成果である。同時に石橋湛山研究で博士号を手にした。研究中心主任にも就任した。おめでたが相次いでいたのである。
「苑さんは大器晩成型ですね」という言葉をお祝いにしたほどである。あらゆる人間世界の組織は、いってみればゴマすりの世界である。よほどいい先輩がいないと、実力を正当に評価してはくれない。地味で黙々と仕事に励む苑さんを認めた外交学院に敬意を表したい。
<いい日本人>
夜遅く学校に着いた。夕食にラーメンを食べることにした。外交学院正門前のラーメン店は以前、苑さんに案内してもらったことがある。院生の陳梅・張剣両君が付いてきてくれる。これほど安心なことはない。中国語が出来ない日本人には、レストランに一人で入るのは面倒なのだ。混んでいると、実に厄介であるが、付き人がいればそうした不安は無くなる。
幅の広い麺を取ってくれた。牛肉の入ったラーメンで味がいいのである。量もたっぷりある。このとき陳梅君がいい話をしてくれた。
大学を卒業した後、天津の富士通の合弁会社に就職した。日本人重役の秘書が仕事だった。だが、給料が安くて止めて院生に戻った。さぞかし日本嫌いに違いないと判断して、日本人重役の評判を尋ねてみた。
「いい人でした。彼は南京訪問を履歴書に書いてきた中国青年を採用してくれた。南京大虐殺は事実と思うとも言ってくれた」というのである。富士通は3000人の従業員を2000人に削減したというのだが、陳梅君の日本感情に変化はなかった。いい日本人のお陰なのだ。
2009年10月29日12時00分記(北京時間)