花火シーズン東京は夏・ふるさと飯田は秋祭りが花火のシーズンだ。
東京では地下鉄各駅のスタンドに大量の無料新聞が詰まれ、それらが一斉に関東一円の花火大会の案内情報を満載する。びっくりするのは打ち上げ本数の多さだ。数千発から2万発余、平均1回で1万発。ほとんど1時間休む間もなく打ち上げている勘定だ。情報誌をめくって行くと、え、諏訪湖祭湖上花火大会4万発という活字に一瞬目を疑う。そういえば飯田地方の秋祭り奉納花火も近年、打ち上げ本数が増えているが、我々子供のころは最後の「大百花園」を合わせてもせいぜい数百発で、それだけじっくり味わったものだ。
帰飯の折がたまたま秋祭りに重なると、「ついてるぞ!」と思う。一昨年は愛宕の祭礼に出会った。宵の口、境内に近づくに連れて夜店が並び、花火の音は次第に高まり、やがて更に近づくと、上空での爆発音だけでなく、筒口から打ち上げる瞬間の音まで聞こえるようになる。さらに打ち上げるときの、あの懐かしい火薬のにおいまで伝わってくると、飯田人の心は勇み立つのだ。
子供時代、祭りの日には昼間から花火の音が聞こえるだけでそわそわし、学校の授業は上の空。学校が終わるや、それっとばかり悪ガキたちは神社に走った。もし「かんばり」(紙張り=球形の花火の外殻部分で紙を何枚も貼り合わせて作った)を拾えたら、翌日学校に持っていって自慢できた。きれいに真っ二つに割れた半球状の「かんばり」が拾えるとさらに自慢できた。もしも昼花火から飛び出したパラシュートまで手に入ったら、もっと威張れた。この「かんばり」拾いは昼花火の場合だけで、夜の打ち上げ花火のは粉々に飛び散るので、その楽しみがなかった。
昔、飯田の打ち上げ花火にはそれぞれ雅びな名前がついていた。それらの番組表が相撲の番付表のように優雅な文字で書かれていた。打ち上げは各町内単位で順次行われた。順番が回ってくるとまず合図の花火を上げる。音だけを響かせる「合図三段雷」、または単色の花が流れる「合図松風」、またはそれに彩が加わる「合図大孔雀」のどれかが上がり、次いで青か緑色の「水光星」を上げてから、それぞれ趣向を凝らした花火を上げ、最後は一瞬真っ白な花が開く「太白星」を上げて、次の町の順番に移っていった。このパターンは一種の儀式のように決まっていた。各神社はいずれも花火番付(プログラム)を発行していた。本番の花火にもそれぞれ名前が付いていた。オレンジ色に開いて緑に変化して終わるのが「金波(きんぱ)先の緑」、サクマ・ドロップスのような色とりどりの飴玉が夜空にばら撒かれたように見えるのは「千輪(せんりん)」、ヤグルマソウかマツムシソウのような青紫色の花が地味に開くのが「浅葱鹿の子(あさぎかのこ)」、といった具合だった。
ところで今でも花火の番組表はあるのだろうか。愛宕神社の社殿前で花火の予告アナウンスをしているテントを訪ねて聞いてみたらあった。新聞紙2ページ大の上質紙を広げた大きさで、上に「愛宕稲荷神社秋季祭典奉納煙火番組」と大見出し。その番組表では「1昼打の部」、「2宵打の部」、「3夜打の部」と3部に分かれていて、「宵打の部」だけが、「錦光の紅」「銀音花芯菊先の二化」「クロセット」などと、昔風ではないがかろうじて花火の名前を留めていて、なぜかほっとした。
やがて午後9時。きょうの花火最後の「連合大三国」が始まると、氏子連がそれまで奉納してあった「大三国」を、神主によるお祓いを受けた上で境内の広場に運び点火。単色の花火が延々と断続的に吹き上げる「大三国」。火の粉が大雨のように降りしきる中で、氏子の若い衆がわっしょいわっしょいと最後の乱舞を続けていた。東京では「花火大会」が飯田地方では神社への「奉納」という宗教的な意味を持っている。
花火は東京では夏の風物だが、飯田人にはやっぱり秋が良く似合う。旧市内ではまず大宮神社の花火が夏の終わりを告げ、次いで愛宕、長姫と進み、今宮神社の花火が上がる頃、秋はすっかり深まりを見せている。(おわり)
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