本澤二郎の「日本の風景」(271)

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<50年ぶりの友人>
 テレビ出演が幸いしたものか。高校を卒業して以来、一度だけ電話で会話しただけの友人から連絡があった。本人からではなく、友人の知り合いが実家の兄に電話してきた。「伊藤友義さんが会いたいと言っている。息子と木更津市で福祉施設をしている」という不確かな情報である。会えれば50年ぶりだ。本人に間違いないだろうか。教えられた電話番号にダイヤル、彼の息子に確認できた。集団就職が華やかりし頃の、それこそ日本全体が貧しかった時代だが、それでいて当時の記憶がほとんどない。懐かしい過去を思い出すかもしれない。そんな軽い気持ちで、我が埴生の宿に戻った9月27日、自宅わきの家庭菜園で汗をたっぷり流したあと伊藤君の待つ施設へと車を走らせた。



 母親が世話になっているようなデイサービス施設を連想していたのだが、着くとそこはまぎれもない民家である。日曜日だというのに10人ほどの介護者・職員がいるではないか。目の前に車いすの老人が現れた。なんと彼が伊藤君だった。50年前の姿であるわけがないのだが、お互い親しく交流したわけでもない。当時の社会環境に問題があったとはいえ、どうみても本人と確認できない。それは彼も同様だったろう。衝撃的な出会いとなった。しばし、うろたえてしまった。
 彼は話をすることが出来なかった。食事は胃ロウでとっていたのに驚いた。職員が取り外す様子を見せてくれた時には、さらにびっくりしてしまった。話には聞いていた胃ロウというのはこれなのか、と愕然としてしまった。

 それでも彼は高校時代の写真集を用意してあった。修学旅行のものである。筆者は行っていない。費用を別のことに使ってしまったのだが、今となっては悔いても始まらない。中の1枚の大きな女子高生の写真が目にとまった。確かに覚えている。安西さんといった。ポチャッとしたかわいい子だった。彼の初恋の子なのか。人は老いて昔に帰るという。
 10数年ぐらい前だろうか。風の便りに彼女の息子が、筆者の大学の後輩であるということを彼女の友人から知った。それを伝えることも出来ない。対話が出来ないというのはきつい。50年ぶりの再会も、懐旧談でしばし過ごせるという期待が消し飛んでしまった。
<人間の運命>
 それにしても、どうして彼が我が埴生の宿を知って電話してきたものか。筆者に連絡出来たものか。
 職員の説明で、その謎がようやく解けた。彼は北海道出身で、奥さんのほうが千葉県君津市の久留里の山間部という。兄の嫁と同じ部落の出身だった。多分、伊藤夫人は部落の知り合いの女性が「本澤家に嫁いだ」という噂を聞き出したのだろう。偶然其の事を彼が知り、兄の家に電話をかけてきたのだ。「自分ではない。弟のほうだ」ということから突然自宅の電話が鳴ったという次第だ。こうして伊藤君の存在を思い出した。
 彼からの電話で「息子が木更津で福祉の施設を立ち上げる」という話をしていたことを覚えている。なぜまた、木更津なのか、そのときは不思議に思ったものである。
 ともあれ、伊藤夫人と兄の嫁が同じ部落という細い糸が、伊藤君との50年ぶりの再会を実現してくれたものなのだ。そして、たまさかテレビ出演で誰かが見ていて「本澤は元気らしい」という情報から、今回の連絡となったものであろう。
 妻にこのことを話すと、なんと「伊藤さんは以前自宅にまで来てくれた。そのときは車いすで息子さんと職員も一緒だった」という。報告を受けたはずだが、記憶がない。忘れたのだ。そのころ我が家は大変な時期だった。正文が医療ミスで生死をさ迷っていた。家族全員の人生が狂わされていた時である。
 息子のことで伊藤家の大事に目が回らなかったのだ。第一、健康が当たり前と信じて生きてきた人間だ。政治に関する以外に関心が薄かった。多くの人たちと同様、福祉のことはさっぱりだった。
 筆者は55歳で息子のことで地獄に突き落とされた。伊藤君は50代後半で病に倒れた。しかし、それが契機となって息子は施設を立ち上げて社会に貢献している。ある意味でうらやましい。正文は人生経験もなしに人生を奪われてしまった。運命・人生の不可解さを物語って余りあろう。
<初めて知る宅老所・井戸端げんき>
 筆者は伊藤君に読んでもらおうと「平成の妖怪・大勲位中曽根康弘」(健友館)を持参した。彼は息子の書いた「井戸端げんき物語」(講談社)を贈呈してくれた。
 そこがデイサービスではなく、宅老所であることに、この本を斜め読みして初めてわかった。認知症や徘徊老人などを、大家族の一員のようにして暖かく抱え込んでいる施設なのである。社会の厄介者とされている人たちに、人間の尊厳を認めあって共に楽しく生きてゆく、そんな施設のようだ。
 特別養護老人ホームやデイサービスというと、役人が勝手な物差しで作り上げた施設である。箱ものに力点を置いている、其の分人間性が十分に生かされてはない。現代の姥捨て山と見られがちだ。
 自宅介護が最高だが、人は親の恩を忘却して容易にこうした施設に弱者を追いやって、平然としている者が目立つ。宅老所には役人の発想はない。人間性の塊で運営されている憩いの場所なのだ。伊藤君の息子はそうした施設を立ち上げて、目下注目を集めていた。父親介護がそのきっかけを作ったのである。伊藤君は自ら病に倒れて息子を生かし切っているのである。これはすごい。
<有能な職員>
 うれしかったのは職員の立ち居振る舞いの見事さだった。姉ヶ崎から通っているという職員は、明るい性格と持ち前の馬力でもって、実にてきぱきと狭い部屋の中で働いていた。ふかしたてのサツマイモを、この家の家族同然の弱者と一緒に食べさせてくれた。農作業で疲れていた体に力を与えてくれた。おいしかった。
 「井戸端げんき」の賢いところは、空き家を借りて運営することで、その分、人件費に回せるという点にある。しかも、職員にしても時に社会からはじかれてしまうような純粋な心の優しい人を採用しているという。これも賢い対応である。奉仕することに生き甲斐の持てる仲間たちばかりなのである。

 ここの世話になっている星野さんは筆者の遠縁に当たる。しばらくして思い出したのだが、彼はもう4年にもなるのだという。居心地がいいのであろう。日曜日というのに、ここが自分の住まいと思い込んでいるのか、実に楽しそうである。病院もホームも姥捨て山のような冷たい施設が目立つ中で、宅老所は弱者が生き甲斐を持てる幸福の場なのである。
 こんな施設こそが本来の人間の住みかである。役人が作った施設よりも、宅老所を無数に立ち上げることが重要である。肝心なことは、伊藤君の息子のような人材をたくさん輩出することに尽きよう。教育は人間性のある人間を育てることである。
2009年9月29日16時05分記

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このページは、kawaseが2009年9月30日 21:12に書いたブログ記事です。

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