2009年9月アーカイブ

<50年ぶりの友人>
 テレビ出演が幸いしたものか。高校を卒業して以来、一度だけ電話で会話しただけの友人から連絡があった。本人からではなく、友人の知り合いが実家の兄に電話してきた。「伊藤友義さんが会いたいと言っている。息子と木更津市で福祉施設をしている」という不確かな情報である。会えれば50年ぶりだ。本人に間違いないだろうか。教えられた電話番号にダイヤル、彼の息子に確認できた。集団就職が華やかりし頃の、それこそ日本全体が貧しかった時代だが、それでいて当時の記憶がほとんどない。懐かしい過去を思い出すかもしれない。そんな軽い気持ちで、我が埴生の宿に戻った9月27日、自宅わきの家庭菜園で汗をたっぷり流したあと伊藤君の待つ施設へと車を走らせた。



 母親が世話になっているようなデイサービス施設を連想していたのだが、着くとそこはまぎれもない民家である。日曜日だというのに10人ほどの介護者・職員がいるではないか。目の前に車いすの老人が現れた。なんと彼が伊藤君だった。50年前の姿であるわけがないのだが、お互い親しく交流したわけでもない。当時の社会環境に問題があったとはいえ、どうみても本人と確認できない。それは彼も同様だったろう。衝撃的な出会いとなった。しばし、うろたえてしまった。
 彼は話をすることが出来なかった。食事は胃ロウでとっていたのに驚いた。職員が取り外す様子を見せてくれた時には、さらにびっくりしてしまった。話には聞いていた胃ロウというのはこれなのか、と愕然としてしまった。

 それでも彼は高校時代の写真集を用意してあった。修学旅行のものである。筆者は行っていない。費用を別のことに使ってしまったのだが、今となっては悔いても始まらない。中の1枚の大きな女子高生の写真が目にとまった。確かに覚えている。安西さんといった。ポチャッとしたかわいい子だった。彼の初恋の子なのか。人は老いて昔に帰るという。
 10数年ぐらい前だろうか。風の便りに彼女の息子が、筆者の大学の後輩であるということを彼女の友人から知った。それを伝えることも出来ない。対話が出来ないというのはきつい。50年ぶりの再会も、懐旧談でしばし過ごせるという期待が消し飛んでしまった。
<人間の運命>
 それにしても、どうして彼が我が埴生の宿を知って電話してきたものか。筆者に連絡出来たものか。
 職員の説明で、その謎がようやく解けた。彼は北海道出身で、奥さんのほうが千葉県君津市の久留里の山間部という。兄の嫁と同じ部落の出身だった。多分、伊藤夫人は部落の知り合いの女性が「本澤家に嫁いだ」という噂を聞き出したのだろう。偶然其の事を彼が知り、兄の家に電話をかけてきたのだ。「自分ではない。弟のほうだ」ということから突然自宅の電話が鳴ったという次第だ。こうして伊藤君の存在を思い出した。
 彼からの電話で「息子が木更津で福祉の施設を立ち上げる」という話をしていたことを覚えている。なぜまた、木更津なのか、そのときは不思議に思ったものである。
 ともあれ、伊藤夫人と兄の嫁が同じ部落という細い糸が、伊藤君との50年ぶりの再会を実現してくれたものなのだ。そして、たまさかテレビ出演で誰かが見ていて「本澤は元気らしい」という情報から、今回の連絡となったものであろう。
 妻にこのことを話すと、なんと「伊藤さんは以前自宅にまで来てくれた。そのときは車いすで息子さんと職員も一緒だった」という。報告を受けたはずだが、記憶がない。忘れたのだ。そのころ我が家は大変な時期だった。正文が医療ミスで生死をさ迷っていた。家族全員の人生が狂わされていた時である。
 息子のことで伊藤家の大事に目が回らなかったのだ。第一、健康が当たり前と信じて生きてきた人間だ。政治に関する以外に関心が薄かった。多くの人たちと同様、福祉のことはさっぱりだった。
 筆者は55歳で息子のことで地獄に突き落とされた。伊藤君は50代後半で病に倒れた。しかし、それが契機となって息子は施設を立ち上げて社会に貢献している。ある意味でうらやましい。正文は人生経験もなしに人生を奪われてしまった。運命・人生の不可解さを物語って余りあろう。
<初めて知る宅老所・井戸端げんき>
 筆者は伊藤君に読んでもらおうと「平成の妖怪・大勲位中曽根康弘」(健友館)を持参した。彼は息子の書いた「井戸端げんき物語」(講談社)を贈呈してくれた。
 そこがデイサービスではなく、宅老所であることに、この本を斜め読みして初めてわかった。認知症や徘徊老人などを、大家族の一員のようにして暖かく抱え込んでいる施設なのである。社会の厄介者とされている人たちに、人間の尊厳を認めあって共に楽しく生きてゆく、そんな施設のようだ。
 特別養護老人ホームやデイサービスというと、役人が勝手な物差しで作り上げた施設である。箱ものに力点を置いている、其の分人間性が十分に生かされてはない。現代の姥捨て山と見られがちだ。
 自宅介護が最高だが、人は親の恩を忘却して容易にこうした施設に弱者を追いやって、平然としている者が目立つ。宅老所には役人の発想はない。人間性の塊で運営されている憩いの場所なのだ。伊藤君の息子はそうした施設を立ち上げて、目下注目を集めていた。父親介護がそのきっかけを作ったのである。伊藤君は自ら病に倒れて息子を生かし切っているのである。これはすごい。
<有能な職員>
 うれしかったのは職員の立ち居振る舞いの見事さだった。姉ヶ崎から通っているという職員は、明るい性格と持ち前の馬力でもって、実にてきぱきと狭い部屋の中で働いていた。ふかしたてのサツマイモを、この家の家族同然の弱者と一緒に食べさせてくれた。農作業で疲れていた体に力を与えてくれた。おいしかった。
 「井戸端げんき」の賢いところは、空き家を借りて運営することで、その分、人件費に回せるという点にある。しかも、職員にしても時に社会からはじかれてしまうような純粋な心の優しい人を採用しているという。これも賢い対応である。奉仕することに生き甲斐の持てる仲間たちばかりなのである。

 ここの世話になっている星野さんは筆者の遠縁に当たる。しばらくして思い出したのだが、彼はもう4年にもなるのだという。居心地がいいのであろう。日曜日というのに、ここが自分の住まいと思い込んでいるのか、実に楽しそうである。病院もホームも姥捨て山のような冷たい施設が目立つ中で、宅老所は弱者が生き甲斐を持てる幸福の場なのである。
 こんな施設こそが本来の人間の住みかである。役人が作った施設よりも、宅老所を無数に立ち上げることが重要である。肝心なことは、伊藤君の息子のような人材をたくさん輩出することに尽きよう。教育は人間性のある人間を育てることである。
2009年9月29日16時05分記

<愛が舞う新時代>
 今朝ロシアのテレビ報道が東京に届いた。メドベージェフ大統領はG20が開催されたピッツバーグの大学を訪問、ロシア語を学ぶ学生と対話したのである。そこで「人生で一番大事なものは何か」という質問にロシアの若い大統領は臆することなく口を開いた。「それは愛です。隣人への愛情を持つことですね」と。西側のメディアは第二次大戦後、ひたすらソ連ついでロシアの脅威論を作り上げるために、「北極熊」といった怖いイメージを植え付けてきた。ソ連崩壊までの日本でもそうだった。しかし、スターリンのロシアはない。ブッシュのアメリカが存在しないように。為政者の人格も大きくまともに変化している。ワシントンや東京だけではないのだ。

<消滅した1極化>
 国連総会でのオバマ演説は、アメリカ1極主義の終焉を世界に向かって公然と発信した点に政治的な意味がある。第二次世界大戦後の覇者米ソの2極化から、アメリカ1極化時代もあえなく衰退してしまった。21世紀世界の新たな国際関係は多極化の時代が始まったことでもある。または多極化のなかの米中2強時代といってもいい。これから米国は世界の問題に全て首を突っ込むことはしない。出来なくなってしまったのである。ワシントンにぶら下がって甘い汁を吸ってきた輩は、この現実と否応なしに向き合わねばなるまい。

<武村正義元蔵相の心配>
 産経新聞が武村正義インタビューを掲載していたが、彼の政治観は現在もまともである。現役の時代に、その深刻な課題に挑戦してくれていればもっと良かったと思う。要するに、政界もマスコミ界も沈黙している財政赤字について厳しい指摘をしているのである。筆者の以前からの不安に、彼も同様の懸念を抱いていたのである。バッジをはずした立場からのものではないはずである。政界への鋭い警鐘なのだ。


<ケネディ暗殺未解決の米国>
 9月22日夜、忘れかけていたケネディ暗殺の真相に迫るテレビ番組があるというので、参考にしようと思い1・5時間も付き合ってしまった。結論はいまだ真相不明、今後もわからないというものだった。真相は「闇権力の陰謀」「黒幕は死の商人」というのが、筆者の早くからの事件分析である。そんなに知恵を働かせなくてもわかりそうなものである。権力闘争に陰謀・謀略はつきものだ。それにしても、暗殺という手口を用いるアメリカ政治は、決して民主の先進国ではない。ただ、この悲劇的事件によって、人々はケネディが平和を愛する本物の民主主義者だったことが理解できる。アメリカ人の誇りであろう。

<新政権の外交デビュー>
 鳩山首相と岡田外相の外交デビューが米ニューヨークで始まった。9月22日午後には鳩山―胡錦濤会談、岡田―クリントン会談の概要が東京に届いた。まずまずの滑り出しといっていい。鳩山は東アジア共同体を、岡田は米軍再編やアフガン支援でオバマ政治のキーワードである変革ボールを投げた。双方とも自立・主体的な日本外交をアジアの大国とワシントンに発したものである。自民党政治にないもので、高く評価したい。



 東アジア共同体の構想は北京が早くから主張、既にアセアンとの関係強化に踏み出している。この構想はアセアン+3(日中韓)が、積極的に走り出すことで実現することが出来る。中国外交部OBの最長老、ことし91歳の肖向前さんが筆者に再三叫んできたものだった。この花を咲かせることが出来れば、アジアは繁栄してEUや北米圏に相当する地域になれる、というものだった。
 ブッシュ―小泉時代は、これにブレーキを踏んできたが、もはやその足かせは無くなった。東京もワシントンも変わったのだ。民主党が公約に掲げて政権を担当、その公約を果たしたい、と中国の主席に伝えた。最初の出会いはぎこちなかったようだが、何度も会うようになれば急速に信頼は深まるだろう。
 岡田も日本の立場を少しだけ説明した。変革のワシントンに歩調を合わせたものである。東京の変革にNOとはいえない。そんな会話となった。米国務省は東京の変化に対して聞く耳を持つことになろう。時代の流れなのだ。
<内閣支持率>
 鳩山政権発足後の世論調査がほぼ出そろった。費用と伝統からすると、割合レベルが高いとされる朝日が71%の内閣支持率を公表した。NHKが72%である。共同通信が75%だ。70%台といずれも高い数字ばかりである。
 政権交代を実現した主権者の期待は、やはり相当なものがある。自公政権の不満の高さを裏付けていることがわかろう。日本をボロボロにしてしまったことへの反動なのである。このことを、まだ自公両党とも理解していない。
 社民党と国民新党が連立を組み、共産党が是々非々の立場をとる、という政党の変化からも読み取れよう。
 参考までに紹介すると、右寄りの読売は75%とこれまた高い支持率である。毎日でさえ77%である。高い支持率はアメリカのオバマ並みだが、いざ具体的政策を実行するようになると、とうぜんのことながら下がってしまう。
<世論調査の落とし穴>
 先頃、日本記者クラブで世論調査の専門家の話を聞いたことがある。客観的な世論を取り出す手法も、昔と違って調査員が個々人に面接して、という時間と費用をかけてきたやり方ではない。
 経費の削減でもあるのだが、いまや市外局番から始まる電話番号に電話をかけて聞き出している。ところが固定電話のない個人が少なくない。会社のFAXにつながる電話もあるという。時間帯によっては自宅不在者も多い。調査を拒否するものもいる。したがって回収率が下がっている。年齢・男女別など公正を期する要素も不十分なのだ。偏った数字がはじき出されるようになってきている、というのである。
 そこでインターネット調査をしてはどうか、という意見が関係者の間で持ち上がっているという。市場調査の分野ではこれを用いているそうだ。しかし、インターネット利用者にしても、年齢その他で公平な意見を入手するのはむずかしい。年配者ではインターネットを利用していないものが多い。
 こういう次第で、世論調査は一つの目安程度と理解したほうが間違いない。
<外交では下がらない>
 しかし、鳩山内閣の外交が国民に失望を与えることはない、とみていいだろう。その目標としている公約はおおむね多くの国民が願っているリベラルなものだからである。改憲軍拡という危険な路線は、少なくとも現時点では表面化していない。
 数日後には、鳩山の口から核廃絶への強い主張が打ち出される。オバマ外交との共同歩調である。こうしたことは過去の自民党政権では考えられなかったことだ。核廃絶は日本人の悲願なのだから。これだけでも鳩山は幸運な日本の総理大臣である。

 環境問題でも鳩山は世界の耳目を集めることが出来る。温室効果ガスを90年比で20年に25%削減するという日本財界が反発する目標を打ち出して、米欧をリードするのだから、これも立派だし、日本人として誇れるものである。
 環境にやさしいエネルギー、食糧、衣料、住宅に大胆に切り替えることになる。世界が見習うことになれば、地球を救えるかもしれないのだ。不動産利権・金貸し・株屋の思惑を弾き飛ばせるだろう。
 社会が健全化すること請け合いである。核と環境でこそ日本は率先して世界に貢献できるのである。武器弾薬では断じてない。軍縮・平和でしか地球を救えない。これに内外政を集中させればいい。愚かなダム建設・高速道路建設も萎むことになろう。無意味なマンション建設も。経済測定の指標も変えてゆくことになる。詐欺まがいのビジネス・政商が跋扈する世の中を清掃することも出来るだろう。
 目の前に健全な社会が見えてくるかもしれない。
2009年9月22日18時35分記
<森山真弓前代議士>
 自民党の政治家として活躍してきた森山真弓さんから、いつもと違う封書が届いた。政界引退の挨拶状である。「29年間、一度も落選しなかった」というのだから、これは本人の幸運もあったろうが、やはり立派なものである。彼女の人柄のなせる技だろうが、御苦労さまとねぎらいたい。



 現役政治記者時代は、どちらかというと御主人の森山欽司さんの記者懇談を取材した。お二人とも、平和主義者の三木武夫さんの派閥に所属していた。欽司さんが派閥の幹部をしていたころで、三木派には河本敏夫、井出一太郎ら自民党史を飾るそうそうたるメンバーが揃っていた。宇都宮徳馬さんも同派に所属していた。右翼と無縁の派閥だから、自民党長期政権の屋台骨のような役割、働きをしてきている。
 河本さんまでは、なかなか感じのいい派閥だった。筆者は森美秀さん(三木睦子夫人の実弟)と親しかった関係で、三木さんの動向が手に取るようにわかった。新聞記者も三木派を担当したものは、大半がリベラルでまともだった。大学の先輩だった多田実さん(元読売政治部長)とは彼が亡くなるまで付き合った。
 二松学舎大学で「現代マスコミ研究」の講座を引きうけたのは、多田さんの関係だった。学内で生徒が一番多く集まった。もしも、多田さんが読売を率いていれば、日本政治もこんな事態にならなかったかもしれない。宇都宮さんの嘆きの一つだった。ちなみに海部俊樹さんは、嘉悦女子短期大学に押し込んでくれた。おかげで教育界の不可解な内情を学ぶことが出来た。
 欽司さんはあっけらかんとした性格、裏表のない政治家で政治記者の人気が高かった。彼がカメラ業界の親分のような存在であることも承知していた。夫人が官僚世界から政界に転じて成功を収めたのは、多分に夫の活躍があったからであろう。
 筆者は海部内閣の官房長官になった真弓さんとは、在京政治部長会で時々おしゃべりすることが出来た。彼女は年2回の料亭での懇親会にも、臆することなく出てきていた。
 悲しいことだが、日本における女性議員は人格・識見とは無関係な要因でバッジをつけている。その唯一の例外のような女性議員が真弓さんだった。ちゃんと日本国憲法を学んでいたからである。
<引退後も活躍>
 引退後も日本カメラ財団理事長という。これはすばらしい。社会は彼女の才能を最後の最後まで生かそうという魂胆なのだろう。総選挙を前に引退を決意した先見の明もさることながら、彼女の健康がそうさせているのである。
 実を言うと、筆者は12年前に息子を医療ミスで廃人同様にさせられてしまい、すっかり人生を狂わされてしまったが、森山夫妻も一人息子を病気で亡くしたと記憶している。それが今も、当人と会ってはいないものの筆者の脳裏から離れないのであろう。
 恐らくは、彼女はそれだからこそ早世した息子と先だった夫の分を社会に還元しようとしている。彼女を働きながら、さらなる長寿の世界へと何かが保証しているように思えてならない。
 あいさつ文の中に紹介してあったが、かの歴史を刻んで止まない尾崎行雄記念財団理事長もしているという。これからは自民党政治において一番欠落していた平和主義を花開かせたい、との決意を感じることが出来る。
 白乗ス大学学長もするのだという。これはすごい。一部学生を除くと質やしつけでは問題だらけの日本の学生たちばかりである。教員の側の熱意も弱い。中国の学生と比較する機会があるが、日本の将来はこの分野だけをみても危うい。そこへと身をささげるというのもすばらしいことである。
 役人世界から政界、今度が一番活躍できそうで楽しみではある。
<民主党のセンス?>
 話は変わるが、昨日、民主党の総理と外務大臣がそろってニューヨークへと旅立った。
 ひとつ庶民にとって解せないことが目に付いた。多分、それなりの事情があるのかもしれないが、ボーイング747という大型の政府専用機を飛ばすのである。二人一緒に使えるではないのか。別々にというのが理解できない。
 二人の間に何かあるのか、役人があえてそうしたものか。ともかく借金地獄の日本丸である。節約できないものか。庶民感情として納得できない。無駄排除が公約ではなかったのか。大衆はまだ記憶している。

 民主党の公約に子供手当というものがある。筆者も子育てのさい、児童手当でもって助けられた部類だから、大いに理解はできる。しかし、一律とはどういうことなのか。
 格差がいたるところはびこっている日本社会である。べら棒に豊かな者もいる。そこへと流し込むような金は、現在の日本の金庫にはない。わかりきっている。一律支給は実は公平ではない。
 大風呂敷の公約を全てやる、というと、これまた麻生内閣のバラマキの二の舞ではないのか。強く再考を求めたい。
2009年9月22日9時30分記
<ロシア大統領の勇気>
 ロシア大統領のネドベージェフがなかなかいいことを言っている。ロシアの真実を披歴したのである。世界の為政者は、誰しもが自国の恥部に蓋をかけようとする。歴史の真実に向き合おうとしない。これが人民の不満・政治不信の元凶となっているというのにだ。洋の東西を問わない。我が国も60年安保改定時、沖縄返還時において米国とのおぞましい限りの密約が存在した。これについて河野洋平外相まで否定した。官僚の意向に従ったからである。
だが岡田外相は「真相を明かせ」と役人に命令した。実に格好よくほほえましい場面である。田中真紀子外相の場合は、不可解な機密費を暴こうとして、逆に官邸と役人に潰されてしまった。時代は大きく変わったのである。



 ロシア大統領はロシアの現状を適切に分析した。いわく「脆弱な民主主義」「汚職は国民病」「天然資源頼みの原始的経済」「エネルギー効率と生産性は恥ずかしいほど低い」などと。これほど自国の政治経済の正体を正しく分析して、それを隠さずに公表した勇気を先ずもってたたえようと思う。
 立派な大統領である。お粗末な各国特派員はプーチンとの二重権力に隙間が出てきた、などという下司の勘繰りを流している。よしんばそうであっても、メドベージェフ分析の評価が下がるわけでは決してない。
 人民に真実を知らせることで、こんなロシアから脱皮しようと檄を飛ばしているのである。本来は、言論人が率先して知らしめることなのだ。国民運動へと格上げしないことには、ロシアの真の改革は実現しない。筆者の目には、彼こそ真の愛国者と断定したい。
 日本では、麻生は最後の最後まで国民の心をつかむことが出来なかった。真実を吐露しなかったからである。3人の後継候補も敗北原因を公表できていない。それは日本のマスコミも、である。不透明で、蓋をした社会では、健全な進歩などありえない。
<過去も直視せよ>
 ついでにロシア大統領に陳情したい。それは第二次世界大戦の恥部も認めて「謝罪せよ」というものである。当時のスターリン・ソ連とヒトラー・ドイツの秘密の議定書(ポーランド分割占領)の存在である。このことでポーランドとロシアの関係は、今も揺れている。
 まだ記憶に新しい第二次世界大戦70周年の記念式典で、ポーランド首相が問題提起、プーチンが反論否定して、世界は両国の深刻な関係を改めて知ることとなった。
 日本にも南京大虐殺を否定する都知事や右翼政治家がいる。靖国神社の歴史観は今もアジア解放のためなどとして隣国を刺激してやまないのだが、民主党政権誕生でようやく乗り越えられよう。

 勇気あるメドベージェフは、この独ソ密約問題に決着をつけることを望みたい。これに決着をつけていれば、ブッシュ政権が仕掛けたMD計画など事前にしぼんでしまったはずである。ともあれロシアには、久々正義と勇気を備えたリーダーが生まれたことに敬意を表したい。
<北方領土問題にも>
 鳩山新政権の誕生にいち早く反応した国の一つがロシアである。鳩山の祖父の実績を評価している孫が日本国総理大臣になったのだから、その雰囲気を理解できる。2島返還後に平和条約の締結が、それである。日ソ双方の約束である。
 まずこれで前に進んではどうだろうか。ロシアも同意するはずである。残る2島について双方が知恵を出せばいい。とことん話し合う中で結論が出るはずである。一括4島返還にこだわるだけでは知恵がなさ過ぎよう。
 外交は妥協を意味する。100%の成果を期待すべきではない。資源にこだわりを見せているのであろうから、解決が出来ないわけがない。もう戦後64年を経過している。双方の信頼構築が重要である。ビジネスではない人々の交流拡大が大事である。それはワシントン・北京にも通用する。
 友愛外交の中味にもよるが、ロシア大統領の勇気ある決断を強く要望したい。そうなると日本にとって残る日朝決着も時間の問題となろう。
2009年9月21日10時20分記
<東京下町の日曜日>
 大型連休の日曜日は見事な秋晴れが列島を覆った。午前中、近所のお年寄りの仲間を相手に、昨今の政治変革の様子などをおしゃべりした。Kさん夫妻などが参加してくれた。それこそ久しぶりの政治談議となった。午後3時過ぎに散歩としゃれた。これも珍しいことである。東京の下町の、日曜日の風景を知ることが出来るのがいい。
 連休で家を空ける家庭もあるだろうが、やはり人が少ない。静かなのだ。元気がない。第一、多くの店舗が店を閉めている。昔は、休日は稼ぎ時と言われた。店員が日曜日に休みを取ることなど考えられなかった。大きな駅の周囲は賑わいを見せてはいるが、それ以外の商店街は多くの店でシャッターを閉めている。月曜日になってもシャッターを開けない店も少なくないのだ。深刻な不況を物語っている。



 昨日の自民党総裁候補者討論会で、地方の疲弊を嘆いていた候補がいたが、それは都会でも同じような街がいくらでもあるのである。悲しくも厳しい現実なのだ。京浜急行の立会川駅沿いの商店街を覗いたが、そこの7割ほどが店を閉めてあったのに驚いてしまった。
 近くのお年寄りが経営する豆腐屋さん、八百屋さんの店も、である。後継者がいないのだろう。農家に比例している。中曽根バブル崩壊と金融危機という、ダブルパンチに完全に参ってしまった日本経済を象徴している。国も地方も企業も借金地獄が折り重なっているのだから始末が悪い。
<平和の森公園>
 品川区民公園近くには確か鈴ケ森がある。江戸時代の刑場跡地だ。通り抜けて海風に当たると、大井競馬場が見えてくる。右手に競艇場である。ギャンブルのメッカなのか。そこを足早に抜けると、右手に緑が目に飛び込んでくる。大田区の平和島公園である。
 そう、さる9月12日豪雨の中を歩いた道である。今日は明るく空は青く澄んでいる。ひんやりとした秋風は普段より強い。平和島公園には大きな運動場がある。一度に4組の野球の試合ができる。品川区民公園の倍である。
 キャンプ場では家族連れで賑わっていた。芝生に寝転ぶ若者もいた。金管楽器を鳴らす者もいる。公園の名前にふさわしい平和な情景がすばらしい。
 そこを突き抜けると、再び緑の森が前を遮る。これが平和の森公園である。今回初めて緑のトンネルに入ってみた。足もとにドングリの実がたくさん落ちていた。リスがいたらさぞかし喜ぶだろうと子供心に返ったように空想していると、突然葦の茂みのある池が現れた。
 釣り糸を垂れる家族ずれや時間を持て余す中年男性がいるではないか。この雰囲気は悪くない。公園を箱庭のように使っている平和な区民は幸せだ。
<大森ふるさと浜辺公園>
 海辺に向かうと、2度来たことのある大森海苔ふるさと館の前に出た。せっかくだから海に足を向けると、そこは大森ふるさと浜辺公園である。海水めがけて釣り糸を投げて遊ぶ若い男女らがいた。自然に身を任せての余暇だから健康的で感じがいい。
 公園に入ると、海風が強くなり、帽子が飛ばされそうになった。人工浜辺が姿を見せた。秋だというのに浜辺に裸体を仰向けにして日焼けしている逞しい若者がいた。多くは幼児や子供らで、波の少ない浅瀬の浜でかけずり回っていた。海というと、房総半島でないと見られないと思っていた人間だから、こんな身近な場所にある浜辺に少なからず感動してしまった。孫と遊ぶのには格好の場所である。

 ここ大森海岸が浅草海苔の本場である。大森から大井、品川にかけての東京湾の浅瀬が最高の海苔場となった。江戸時代から明治、大正、昭和にかけて。しかし、工業化が独占資本をして貴重な自然の宝庫をくまなく埋め立ててしまった。海苔場も奪ってしまった。
 工場排水などで海を汚染した。おぞましい資本家どもによって海水・大気・土壌も汚染、地球を破壊しているのである。資本とは実に恐ろしき魔物である。

 日本の首相は明日、訪米する。20年までに90年比で25%の温室効果ガス排出を削減すると世界に向けて発信する。この期に及んで、まだ資本(財界)は抵抗している。改めて資本の悪辣さ・愚劣さに辟易するばかりである。
 地球を守護する環境技術を生み出すという、新しい社会貢献のビジネスを打ち立てよ、と注文したい。
2009年9月20日20時50分記
<自民党総裁候補の討論会>
 昨日、日本記者クラブで自民党総裁選に出馬した谷垣・河野・西村の3候補による討論会が行われた。再起不能とまで言われる歴史的大敗を喫した自民党を「再生させる」ための総裁選である。低調は否めない。それはクラブの面々も同様で、時間間際に用意した椅子がやっと埋まるありさまだった。普段姿を見せる会員がいなかった。どうでもよいような討論会だ。それでいてNHKが生放送した。これまでのお礼なのか。
 



<無意味な派閥解消論>

 西村という人物を初めて見た。町村派その実、森派だったという彼は、直前に派閥を離脱したのだという。それを武器にして「派閥解消」を叫んだ。永田町では、森が河野に集まる票を分散させるために出馬させた、いうところの刺客というのである。谷垣を当選させる目的というのだ。
 ところで、自民党に派閥は存在しているだろうか。名前は残っているが、実態のある派閥はただ一つ、森派だけである。派閥は人事と金を前提に成り立ってきた。そんな派閥など自民党に存在していない。いうなれば看板だけである。したがって「派閥解消」という言葉それ自体が空虚なのだ。ナンセンスなのである。
 強いていうと、森派くらいである。小泉内閣以降の自民党派閥は、金と人事を喪失してしまった。金は官邸と党本部、人事権も同様だった。派閥に金はなく、人事権も奪われてしまっていた。党本部の金庫は幹事長派閥の森派に握られていた。
 派閥が解体したことで森の傀儡政権が継続できたものである。少なくとも安倍・福田・麻生は森政権そのものだった。小泉にしても森派の支援を受けていたために暴走することが出来た。
 3者3様に派閥を否定もしくは軽視して世論の関心を引こうとした。このことだけみても、自民党の前途を占えそうなのだ。そもそも、自民党史は派閥の抗争が激しい中で政権を維持してきたものである。派閥のない自民党に明日はない。
<敗北原因不明の候補者>
 これほどの惨敗をした自民党だというのに、敗北原因を徹底して分析しようという意欲も能力もないことである。不思議なことだが、敗因を理解しないようでは、政党の再生は無理というべきだろう。
 原因の一つは小泉政治の総括さえできなかった。西村は小泉と同じ派閥、谷垣は小泉内閣の財務大臣である。小泉政治の推進役となってきた。河野にしても「目指す方向は正しかった」と擁護している。格差・弱肉強食の市場万能主義を否定できないのである。とても国民の胸を打つような総裁を選ぶことはできまい。
 西村は森派だった関係で国家主義の臭いが強い。谷垣は本来、リベラルの宏池会なのだが、改憲論に立つことからリベラルが濃厚ではない。薄っぺらなのだ。2世のひ弱さが気になる。大平や宮澤、加藤らの先輩のレベルに程遠い。背後の森との関係も影響しているものか。たとえ総裁になったとしても、党再生への目途を立てることは容易ではあるまい。
 河野は3代目だ。父親と比較すると、とてもそのレベルに届きそうもない。父親の良さがない。要するに小泉亜流ばかりといっていいだろう。政党の浮沈をかけた総裁選だというのに、これでは世論を盛り上げることなどできない相談だ。
<自民再生は厳しい>
 イラク戦争に小泉とともに引きずられた谷垣は、靖国問題に対して「別の施設建設はNO」といい、国立の追悼施設を建設すべきだとする河野と対立した。西村は谷垣と歩調を合わせた。
 米国との関係で「従属論は間違い」とした谷垣は、リベラルとの距離を際立たせるばかりだった。軌道修正できないのだ。
 彼は既に総裁になったかのように党財政のことになると「このことが重いテーマとなる。リストラをしないと党は立ち行かなくなる。党組織をスリムにしなければ無理だ。今後は企業献金も少なくなる。政党助成金も減少する。企業献金をお願いしないと、とてもやってゆけない」といって悲鳴を上げた。
 民主党は企業献金の廃止を公約している。この法律を作ると、もうそれだけで自民党は沈没することになろうか。政権から滑り落ちた自民党のお先は、自業自得とはいえ真っ暗なのである。
 民主党は4年間、解散をしないもようである。この間、4回も予算を編成する。これに関与できない自民党は、金庫を膨らませることはほぼ絶望的といっていい。
 実権は小沢に握られてしまったのだ。彼はロンドンへと旅立った。治療目的だろうが、久しぶり枕を高くして眠れるだろう。
2009年9月20日9時45分記
<民主党政権の中期展望>
 1、第一歩は革命的成果  民主党中心の3党連立政権の滑り出しは上々のようである。右翼片肺政権そのものの自公連立に比べると、リベラル色を鮮明に打ち出している点がいいが、それよりも何よりも明治期に確立、敗戦後も継承されてきた官僚主導の政治が打破されたことである。正に日本政治における革命的成果と一大変革といっていいだろう。海外の研究者は、この点の理解が今もほとんど欠落している。そもそも官僚政治の内実を認識できないからである。



 基本政策を発信する国家戦略局が政権の帰趨を決めることになるだろう。ここから人民・国民に奉仕する政策指針・針路を打ち出すことが出来れば、それが具体的成果となって人々の評価をさらに高めることになろう。決め手は、責任者の菅副総理の下に有能な人物を起用できるのかどうか、にかかっている。これは簡単なことではない。ミイラ取りがミイラにならないとの保証もない。
 2、民意かい離の官僚政治  自民党政権の失政は、ごく一部の例外を除いて政策の全てを官僚に任せてきたことによる。官僚政治そのものだった。すなわち官僚は、日常的に大きな団体・組織・財閥企業と連携しており、そこに仲間を天下りさせて利権集団と化してきた。政策はそこから表面化した。これを自民党がOKを出して議会で成立させ、法律になって大衆を抑え込んできた。その法律は概して国民・大衆の価値観を正しく反映されることは少なかった。
 民意とのかい離が自民党政治、すなわち官僚政治の欠陥であった。そこでは持てる側の価値が常に優先されて、庶民の政治離れ・政治不信を増大させてきた。また小選挙区制という選挙制度も拍車をかけた。民意が反映されない制度だからである。これを改正しないと、政治は極端にぶれることになる。小泉・郵政選挙と今回と2度も経験したことになる。
 3、落とし穴はないか  ところで、官僚政治を打破しようとする新政権は、一般論でいうと、ようやくにして普通の民主国家になった日本を手にしたことになる。戦後64年目の快挙である。これまでは政策のほとんどを実質、事務次官会議が処理してきた。同会議は123年ぶりに幕を閉じた。これもすごい改革であるが、背景には国民・主権者が民主党の政治主導公約を支持したからである。国民の選択・判断なのである。
 だが、喜んでばかりいられるだろうか。落とし穴はないものか。
 民主党機関紙を広げてみると、そこには「生活が第一」「国民のための政権」という甘い言葉が並んでいる。甘い言葉の裏に何か別の思惑が潜んでいまいか。弱者に目を向けて人気を博すという手口に、一部海外の専門家の間に懸念・疑問を抱く向きもある。
<第2自民党化への懸念>
 1、リベラルから右翼化へ?  自民党の権力抗争には派閥が介在してきた。その派閥の思想は、右翼からリベラルまで幅広い特徴を持ってきた。初代鳩山政権はリベラルの石橋内閣に移行したが、石橋が体調を崩すと、戦後右翼の元祖・A級戦犯容疑者でもあった岸信介が政権を担当した。岸の後にリベラルの池田政権が誕生した。その後に岸の実弟・佐藤栄作が長期間政権を担当した。
 このように自民党内の右翼勢力とリベラル勢力がほぼ交互に政権をたらい回ししてきたことがわかろう。これが自民党長期安定政権の原動力となった。しかし、小選挙区制が自民党内リベラルを駆逐、森内閣以降の自民党は、文字通り右翼片肺政権と化してしまった。同じことが民主党でも起きないものか。猫を被った鳩山政権ではないのか、という一部専門家の重大懸念である。能ある鷹は爪を隠すという。ヒトラーの生きざまが正にそうだった。
 経済の不調が独裁者を誕生させることも、歴史の教訓として念頭に入れておくべきではないだろうか。
 2、本物のリベラル不在  思うに民主党には本物のリベラル議員がいない。ややリベラルとみられている政治家は、市民派の菅直人と岡田克也、それに旧社会党の横路くらいだろうが、横路はそれゆえに小沢によって衆院議長に祭り上げられてしまった。あたかも小泉がリベラル・河野洋平を議長にして動きを止めたように。横路議長の狙いがなんなのか、民主党の近い将来を占えそうで不気味ではある。
 現時点においても、平和憲法を尊重し、それを口走る民主党議員を見つけるのは困難なくらいである。リベラルの真髄は、いうまでもなく護憲と寛容といっていい。
<危うい憲法認識>
1、 松下政経塾の資金と宣伝力  民主党右派の代表格は、松下幸之助が晩年70億円の
基金で立ち上げた松下政経塾である。天皇制国家主義・反共・改憲・民族主義教育を教え込んだ後、自民党と民主党に塾生を送り込んできた。民主党の筆頭が前原元代表である。幸之助イメージをうまく絡ませることで、マスコミ宣伝をテコにしてバッジをつけてきている。特異な右翼思想の組織政治集団である。公明党が創価学会の別働隊で知られるが、政経塾は松下財閥、右翼財閥の政治部隊といっていい。
 彼らの反共・民族主義・改憲軍拡論が党内で突出している、と見られて久しい。かの「つくる会」との連携は不気味である。自治体にも輪を広げている。その司令塔はPHP研究所なる出版社であるが、これも珍しい布陣である。民主党内には、反共勢力で知られる旧民社党の流れも、まだ存在している。
2、 鳩山とブリジストン  鳩山の資金力は母親の父である石橋・ブリジストンである。
ブリジストン株が鳩山の政治活動の原動力となってきた。自衛隊取材の際、確認できたことの一つは、軍事車両のタイヤが全てブリジストン製であったことである。つまり平和産業としてのタイヤメーカーは、他方で軍需産業でもあったのだ。
 そうしてみると、鳩山の改憲論も理解できる。祖父の一郎内閣が改憲を公約にして総選挙をした経緯も多少わかるだろう。時が来れば、彼が改憲を公約にして選挙を打つかもしれない、という不安は、今後も付きまとうことになろうか。
3、 小沢の日本改造計画  民主党の最高実力者・小沢一郎についてだが、筆者は彼の周
辺取材から「昔の小沢ではない」という認識を強めてきた。彼が台北から北京に乗り換えたことも、そんな彼の変身を物語っていた。だが、本当に変身したのであろうか。世間の目をくらます手段ではないだろうか。
 彼の最初の絶頂期は自民党幹事長のころであった。飛ぶ鳥落とす勢いだった。其の時にゴーストライターを使って書いた本が「日本改造計画」だ。結論をいうと、それは改憲軍拡論・普通の軍隊を活用する日本である。筆者はこれを批判する本を書いた。
 最近まで、彼は自著の訂正をしたという話を聞かない。その代わり、彼をよく知る政界関係者は「民主単独政権になれば、必ず本性を表すよ」と指摘している。今の姿は猫を被っている、というのである。
<来夏の参院選後の行方>
1、 敗北原因を総括できない自民党  9月19日午後、日本記者クラブで自民党総裁
候補の討論会が行われた。NHKがどうしてか従来通り生放送をしたが、国民の関心は低かった。会見場も静かで盛り上がりに欠けた。もはや過去の政党という印象を内外に与えていた。討論に聞くべき内容が少なかった。
 敗北原因を適格に指摘できないのである。これでは再生どころではない。小泉政治に対して本命・谷垣は、小泉内閣の財務大臣なのだからまともに論評さえできない。威勢のいい河野にしても「方向は正しかった」と小泉改革を弁護するありさまだ。西村という新人など見たことも聞いたこともない政治家である。なにやら森喜朗の配下らしい。河野潰しの役割を担わせられた人物という。本人は必死で否定していたが、恐らくそうだろう。森は麻生を自在に操ったが、今度は谷垣を、ということらしい。
 これでは来夏の参院選に自民党が勝てるわけもない。
2、 中曽根バブルと小泉政策  自民党政治の失墜は中曽根バブルである。その崩壊後の
相次ぐ失政、とどのつまりは小泉改革という偽装改革で、国と地方と家計をボロボロにしてしまった。格差社会と福祉崩壊で日本人の全てを将来不安に追い込んでしまった。戦後に勝ち取った安心・安全の日本を崩壊させてしまった。
3、 民主党の勝利はほぼ確実  鳩山内閣がよほどのスキャンダルにまみれるという事態が生じない限り、民主党の参院選勝利はほぼ確実と見ていいだろう。その後に連立の解消が予想される。社民党の抜けた民主党は、晴れて正体をさらけ出すことが出来るようになろう。党内右派が跋扈することになる。
<自民再生の厳しさ>
 繰り返すが、自民党は再生できない可能性が高い。となると、今度は民主党が一転して9条憲法を解体する方向に走るかもしれない。経済の深刻さに変化がないはずだから、余計に政治問題で国民の目をそらせることを考えるかもしれない。安倍内閣が教育基本法や国民投票法を改悪・制定したように。小沢・鳩山・前原が暴れ出すと、どうなるだろうか。この場面で大連立も浮上しようか。
 民主党公約は「国民の自由闊達な憲法論議」を公然と呼び掛けている。改憲に向けた伏線と読める。要注意である。岡田外相の「日本も安保理常任理事国になりたい」という発言は、自民党右派の主張に沿ったものである。
 小沢と前原の上に京セラの稲盛が控えている。海外工場を持つ経営者は改憲軍拡派でもある。ワシントンと北京の対応がカギを握る。それにしても、民主党政権の中期展望となると危うい。杞憂であってほしい。ここ半年の社民党の奮戦にわずかな期待をかけるしかないものか。   2009年9月19日記
<南アフリカ観光大臣>
 昨日、日本記者クラブにアフリカ最南端の国・南アフリカの観光大臣が姿を見せて記者会見を行った。大臣は、東京ビッグサイトで開かれる世界旅行博に出席するための来日で、2010年の国際サッカー連盟(FIFA)ワールドカップ南ア大会のマスコット「ザクミ」を伴って会見場に現れて、カメラマンに向かって愛きょうを振りまいた。
 マルティネス・ファン・スカウクフェイクと長い名前の大臣は白人。スタッフを含めてネルソン・マンデラのような純粋黒人は見られなかった。学問を満足に受けられない現地住民にとって、政府の要人になることは不可能なのであろうか。さびしい印象を持ってしまった。

「飛行機に乗りついで17時間かけて東京にやってきた」という49歳の観光大臣の前には、スポーツ記者が待ち構えていた。「11月14日にはダーバンで友好マッチがある。国際的メジャーイベントとしてはアフリカ大陸では初めてで最大。南アにはやれる実績がある」と言って胸を張った。
 「350万人が参加、45万人の旅行客が押し寄せるだろう。世界最大の野生動物公園、国境にまたがる広大な公園も見てもらいたい。一国ビザで隣国にも行けるようにする。宿泊施設は10万部屋、送迎用バスを1000台発注した」ともいい、是非とも南アに来てもらいらいと呼びかけた。
<不況と治安悪化>
 筆者はサッカーを知らない。のんびりとテレビ観戦したこともない。せっかくの観光大臣の力説にもかかわらずサッカーよりも、世界的大不況下はるばる17時間かけて、南アにどれだけの日本人が押しかけるのであろうか、の方に興味が沸く。香港経由である。
 サッカーよりも観光地としてのアフリカの自然には興味がある。しかし、1日50人が殺害されているという治安の悪さを聞かされると、金持ちでも考え込んでしまうだろう。大臣への質問は、ここに集中した。
 「日本は選挙があった。これからは盛り上がるだろう。日本向けにわくわくするものを用意する。CNNやBBCも大きく取り上げる。広告宣伝は怠りない。必ず盛り上がる。確かに日本人観光客は減少しているが、これは南アの事情というよりも日本の不景気が原因と考えている」
 「治安?我が国には年間1000万人の外国人が訪問してきている。しかも、日本人が被害に遭ったことはない。問題の場所には行かないようにすればいい。賢く考えて行動すれば問題はない。試合中19万人の警官を配置するので安心してもらいたい」
 「南アには94年まで民主主義がなかった。まだ若い民主主義の国だ。法律ができるとわがもの顔になんでもしたりする。しかし、治安部隊の活動でここ3~4年暴力は減少している。一定の地域には足を踏み入れてはいけない。賢く行動すれば問題は起きない」
 苦しい反論をする南アの白人エリートにとって日本人記者の質問は、面倒なものらしいが、立場上逃げることなくしっかりと釈明した。
<鳩山内閣の環境政策・オバマの核政策に賛同>
 日本と南アフリカは来年国交樹立100年を迎えるのだという。最近まで多くの日本人は人種差別の国、その後にネルソン・マンデラの南アという程度の認識である。飛行機を使っても17時間という途方もない距離が、特別な任務の日本人以外はほとんど関係がなかった。
 そのアフリカ最南端の美しい民主主義の国に生まれ変わったのだから、そして核兵器を放棄した国なのだから、貿易だけでなく人々の交流がもっと活発になっていくべきだろう。飛行機便をふやすとか、夢の観光船を走らせるとか、知恵を出せないものか。
 オバマの核廃絶宣言にいち早く賛同したという南アを、この日まで知らなかったが、被爆国の麻生内閣の対応と比較すると当然のことながら立派だ。観光大臣はオバマ政策に賛同すると同時に、鳩山内閣の25%削減の環境政策にも「すばらしい」と評価した。
 美しい自然の南アの政府要人として、先進国による環境破壊は悲しくも腹立たしいものである。「日本のリーダーシップで、年末のコペンハーゲンでの環境・気候変動の国際会議を期待が持てるようにしてもらいたい」と番外発言をして注目させた。

 人類と地球を危うくさせている元凶は核と温室効果ガスである。共に地球破壊・環境破壊の悪魔である。スポーツを通じて戦争と公害という悪魔を退治しようという熱意を、この発言から感じ取ることが出来た。
<ミネラル野菜作り>
 さる9月16日我が家の家庭菜園を耕して、遅まきの大根の種を蒔いた。小雨が降るあいにくの天気だったが、なんとかやりぬいた。
 ついでにラッキョウの種も植えてみた。うまくいくかどうか。自信がない。いえることは、ここにはほとんど農薬を使用していない。ミミズが活躍する畑である。肥料は鶏糞や牛糞である。化学肥料を使わない。
 したがってミネラルを含んだ野菜が出来るはずである。だが、疑問は残る。というのは、鶏や牛は配合飼料を胃袋に入れている。そこには農薬なども紛れ込んでいる。鶏は地鶏ではない。肝心の動物の飼料にミネラルが含まれていないのである。本来の糞とはいえない。ここに問題が残ることになる。
 50年前の野菜作りに戻そうとしても、なかなか容易ではないのだ。子供のころ父がサツマイモの苗木をつくる苗床を手伝った記憶がある。枯れ葉を敷いてその上に人糞を撒いた。完璧な腐葉土の苗床ができる。種イモを置くと、威勢いのいいサツマイモのツルがたくさん生えた。化学肥料と農薬万能の野菜作りから、いつ脱却できるであろうか。
 現代病回避も人間の知恵なのである。
2009年9月18日17時50分記
<明るいニュース連発>
 海の向こうからオバマ大統領は、チェコ・ポーランドに配備するとしてきたミサイル防衛計画を「見直す」との政策判断を示した。ロシア大統領が直ちに歓迎する声明を出した。米ロ核軍縮への流れに拍車をかけることになる。ワシントンの「死の商人」らの反撃の行方が注目されるが、オバマの決意は固い。彼は勇気あるリベラルな米国大統領である。
 国内からは、岡田外相が60年安保改定や沖縄返還時の日米密約を明らかにするよう事務方に指示した。民主主義・主権在民の国では、到底容認できない事例であるからだ。これを明らかにすることによって、日米新時代へと突き進んでいく。アジアも歓迎するだろう。これもすばらしい。「この国を本当の意味で国民主権に変えてゆく」との鳩山発言を裏付ける動きとみてよい。対等の日米関係構築の第一歩を象徴する出来事ともなろう。
 鳩山首相が温室効果ガスを25%削減するという方針を打ち出した。これに世界が好ましい反応を示しているが、ニューヨークの国連事務総長も歓迎すると表明した。これもすばらしい。財界の僕(しもべ)ではない新政権を印象付けたものだ。これで世界を引っ張っていけば、地球再生に道をつけることが出来るかもしれない。
 ワシントンにも東京にも、本格的な国民主権の政府が誕生したことなのである。両国政府とも前政権によって、国内の全てをボロボロにされた後に実現したという共通項を有する。
<大阪の友人>
 昨日の夜、大阪の友人が上京、普段行ったこともない東京駅前の丸ビル5階のアジアン・レストランに呼んでくれた。驚いたことに若い男女客で膨れ上がっていた。不況知らずの繁盛ぶりである。花金ではない。花木だというのに、である。
 個性・特性を出せる店舗のみが成果を出せる時代なのか。知恵の勝負は全てに及んでいるのだろう。米国の中小企業は年間、50万単位で倒産している。日本だけではないというのに、丸ビル内のこの賑わいである。
 フランス・シャンパーニュ地方の葡萄で作られたシャンパンを所望して、10年ぶりA君と杯を重ねた。二人とも自公政権の敗北を歴史的必然と受け止めているものだから、その後に生ビール、白ワイン、紹興酒を少しずつ飲みながら雑談に花を咲かせた。
 彼は学生時代に自民党員になり、参院議員秘書を長く務めたやり手で知られた。いざ、自分も、と手を挙げた途端に、仕えてきた改憲派のボスにいびられ続けてきた。今回の政変劇でボスの政治生命は断たれてしまった。
 彼の元気の背景である。上京して鳩山側近と談笑して筆者との夕食会となったものである。明るい性格と兄弟の支援で、今日まで耐えてきたものだろう。「アジアの時代」にも乾杯した。「来年の8月ごろに北京に行きましょう」といって別れた。自民党政治に通じているA君は「事務次官会議が廃止されたことはすごいことですね」といって官僚政治から離脱する新政権にも杯を重ねた。
<北京の友人>
 虎ノ門パレストラルという不思議な名前のホテルに出向いた。北京から古い友人が来ていたからである。研究者同士の勉強会という。
 民主党中心の3党連立政権の話が話題の中心となった。自公政権よりも「ましな政権」の本質を解説した。中国・アジア重視の政権であること、東アジア共同体に向けて共に歩んでいく信頼に足る政権であるということも。
 友人は既に日本政治を取材していた。「民主党政権は公約の実現は困難だろう。従って来年夏の参院選挙で敗北する。すると再びねじれ国会になるのではないのか」と聞いてきた。
 自民党寄りの期待を込めた分析を聞かされての質問とみた。
 「それはない。韓国の政変後に前大統領が自殺、台湾では前総統が無期懲役。日本では長い腐敗政治が続いてきたので、これから膿が出てくるだろう。膿を出さないと前へは進まないのだから。そのことを国民が期待している。大掃除をすると鳩山も公言している。となると、民主党の敗北は想定できない。むしろ勝ちすぎて連立解消を恐れている」と解説してあげた。
<天皇の官僚執筆後13年の政治変動>
 外国メディアが触れていない、わかりにくい事実について、彼に説明することにした。
 「日本の政治は明治この方官僚が政治経済を牛耳ってきた。侵略戦争にしても官僚政治の実績である。敗戦によっても官僚は生き延びた。ドイツと異なった点である。その官僚政治を打倒するという政権が日本に生まれたのだ。これは革命的なことなのだ」
 「13年前に、天皇の官僚という本を書いた。これは中国のアモイ大学の先生が翻訳し出版もされている。2年後に民主党が誕生した。そして彼らが11年後に官僚政治を打倒する公約を掲げて政権の座に就いた。鳩山政権の屋台骨は国家戦略局と行政刷新会議だ。ここに政権の命運がかかっている。いまは感慨無量の心境である」

 日本の政治が官僚によって行われてきたという事実さえ理解できない外国の研究者である。日本人の大半がそうだろう。そのための説明をしたのだが、どれだけわかってくれたろうか。
 そういえばA君と食事する直前、友人の仲間が10人ほど集まった場面で新政権の感想を求められた。「政治記者として官僚支配に気付いたのは10年以上経っていた頃である。20年もの長期間政治記者を続けてきたお陰である」とあいさつした。
 すると、居合わせた知り合いの元記者は「自分は1年でわかった」とうそぶいた。世の中、いろいろな無責任人間がいるものである。正直が一番だ。
2009年9月18日10時35分記


<鳩山新政権・期待と課題>
 小泉内閣以降の政策決定と政策推進機関として迷走してきた、経済財政諮問会議なる組織が消滅した。小泉政治を否定する政権の誕生である。また、明治以降の官僚主導政治の推進役となってきた事務次官会議も廃止された。これは画期的なことである。国民主役の政治主導の民主政治の誕生を意味するものであるから、日本国民は大いに喜ぶべきことである。ここに人々の期待は膨らむことになる。



 問題はこうした政治的な大変革を当事者がどれほど自覚しているのか、である。民主党新人143人の資質への懸念でもあるが、まずは変革への期待に国民は胸を膨らませることになる。弱者に光を当てる政治、アジア重視の平和外交の行方に関心が集まることになろう。
 それを空前の借金大国として遂行しなければならない。船底に大きな穴が空いてボロボロになった日本丸で航海できるのか。前途は明るくはない。
 思えば、筆者が「天皇の官僚」(データハウス)を執筆したのが96年のことである。其の2年後に民主党が誕生、11年かけて官僚政治の打倒を公約にして政権を担当したことになる。まだ、先のことはわからないが、個人的にも感慨無量であることに変わりない。
<官僚を抑え込めるか>
 官僚は、戦前を引きずる唯一の政治勢力として、戦後政治の主役を演じてきた。過去との断絶のない官僚組織が、政治と経済界を操作してきた。ドイツとの落差の根源ともなってきている。
 そこに今回、ようやくメスを入れることになる。役人天国の元凶でもある人事院は解体してはどうだろうか。実質で1000兆円を超える借金をかかえる財政事情のもとで、36兆円もの人件費を払えるはずがない。日本丸沈没の要因となってきている。
 国家戦略室と行政刷新会議の動向がカギを握っている。自公政権では全く手がつけられなかった課題である。支持母体に役人の労働組合が存在している。ミイラ取りがミイラにならないものか、国民は重大な監視をしてゆくべきだろう。
 重要な資料を役所が保管している。情報も、である。この壁をぶち破る有能な人材を、国家戦略局と行政刷新会議に配置できるのかどうか。役人の世界にも善良なものが働いている。彼らをどう引き上げて活用するのか、も大事なポイントであろう。
 官僚は無数といっていいほど天下り先をつくって民間を制約している。これを毎年5000件ほど解体していってはどうか。それで10年、20年もかかるだろう。行政刷新会議の活躍如何で無駄な血税が解明されるだろう。
 勇気ある正義のスタッフを組織できるのかどうか。出来なければ絵に描いた餅に終始するかもしれない。
<無駄をなくせるか>
 鳩山新首相は「歴史は変わる、感激で震える一方で責任の重みを感じる」と発言した。ぼろぼろになった日本を前にして足がすくむ思いだろう。辞めていく総理が「日本の未来は明るい」と敗軍の将よろしくうそぶいた壮大なる後始末は、到底解決できそうもない。
 「未知への遭遇」だからでもある。
 しかし、最初のスタート台はまずまずである。筆者は既に指摘したのだが、それこそ持てる力を発揮した「全員野球」とも言えるような布陣を固めたのだから。連立政権が総力を挙げて官僚政治から脱却するとの意思表示は、採点すると90点以上だろう。
 問題は今後の成果がどういうものになるのか。
 無駄はありとあらゆるところに転がっている。意欲さえあれば、いくらでも成果を出すことが出来るであろう。「国民に奉仕する」するという公僕の観念とも関係しようか。官僚と妥協しないという保証はあるのか。
 情にほだされないのか、という点で言うと、元大蔵官僚出身の藤井裕久財務大臣である。無駄の震源地でもある。小沢一郎がそれゆえに多少、起用をためらったとの情報も流れていた。本当に大丈夫だろうか。
 行政刷新会議の指摘を、財務省が打ち消すような作業をしないものかどうか。
<注目大臣は>
 二酸化炭素の排出を25%削減するとの鳩山公約に環境省は、通商産業省の反発を抑え込めるのか。財界は小沢に献金がらみで陳情するはずだが、これを蹴飛ばせる小沢なのかどうか。この辺はまだ読めない。
 環境ビジネスのさらなる進展に繋げることが出来れば、一石二鳥となるのだが。環境大臣は骨太の人物なのか?
 多少とも安心のできる閣僚は亀井静香の金融・郵政問題担当大臣である。彼は小泉偽装改革を暴き出すだろう。禿げ鷹ファンドの代理人という竹中平蔵、宮内オリックスは、首を洗っているのかもしれない。
 法務・検察担当は千葉元弁護士である。彼女の采配も注目される。

 外交は岡田克也だから、なんとなく安心感を抱けそうだ。右翼・国家主義に傾倒する心配はゼロである。リベラル・平和外交を踏襲するだろう。日米中関係の再構築を期待することができる。米軍基地縮小をオバマやヒラリーと議論する機会も出てくるはずである。北朝鮮との正常化もそう先のことにはならないだろう。自立・自主外交への期待でもある。
 ワシントンに服従する東京から卒業することになろう。

 鳩山新政権の期待と課題は、これから来年にかけて一段を強まっていくだろう。
2009年9月16日20時55分記
<リーマン破綻から1年>
 9月15日は1年前にリーマン・ブラザーズが破綻した歴史に銘記される日である。ウォール街のカジノ(博打)経済の崩壊を告げる号砲でもあった。それでいて早くも同じような金融商品をやり取りするニューヨークである。オバマ大統領が警鐘を鳴らしているが、金融機関は持ち前の議会へのロビー活動で聞く耳を持たない。ウォール街に反省の色はないのである。



 政府によるゼロ金利と巨額財政出動が新たなバブルを作り出しているのだ。実体経済が縮小・沈没しているというのに、株の世界だけは賑わいを見せている。それを世界のマスコミが日々宣伝に努めている。原資が血税である政府の資金までが、それに投入されてもいる。アメリカの金融資本主義は、地球を殺すまで不死鳥のように振舞うのだろうか。
 ともあれ、地球を支配する金融帝国は、各国為政者をあざ笑うかのように新たな不安を巻き散らすことになるらしい。マスコミと議会を操作することで、毒蛇よろしく再び鎌首をもたげているのだから。
<それでも米国頼みの日中>
 膨れ上がった風船が、1年前から空気が抜けてしぼんでしまっている。これに基本的変化はない。各国によるゼロ金利と巨額財政出動、それに車や家電の買い替え特典制度で消費を政策的に引き上げても、根本解決にはならない。一時的で、あとに新たなバブルと巨額の借金が積み上がってゆく。ただそれだけのことである。
 沈没したアメリカ経済の本物の再生はいつになるのか。見通しは暗い。少なくとも「数年後によくなる」という実情にはない。しかし、それでも貿易国の日本や中国などは、アメリカ経済の行方に一喜一憂している。理由は、そうならないと自分たちが生きてゆけないと本気で思っているからである。悲しくもわびしい現実である。
 世界通貨ドルを背景に、いくらでも誰でも借金で消費できるアメリカのカード社会は、消滅したのも同然である。過去のこうした手口は使えない。
 オバマになっても戦争するアメリカである。ここから明るい未来を思い描くことなどできない相談だ。アメリカの再生がおぼつかないと日本も中国も元気は出てこないことになる。後者は国内の需要が期待できる。資源大国でもあるという優位性がある。日本にそれはない。
<試練の世界これからも>
 いえることは、世界は今後も引き続き試練の中で生きていくことになる。経済だけではない。地球環境も破壊されている。それでいて、この元凶が本気で反省していない。お先真っ暗の人類ということになろうか。
 若者たちが哀れでならない。自暴自棄になる若者が気がかりである。不安の連鎖は、人々の夢と希望を打ちのめすだけである。大気汚染と農薬汚染の大地にした人類に将来はないだろう。緑を喪失させた産業優先の政策にさえも、政策の変更はみられない。それでいて新たなバブルを生み出している人間である。悪魔に魅入られた地球と人間とでもいえようか。
<内外政の変革競争>
 従来の政策を変えるしか人類は生き延びることはできない。変革はオバマの専売特許ではない、ということである。
 変革は東京・北京・モスクワ・ロンドン・パリ・ベルリンも断行しなければならない。最低限為さなければならないのは、平和・軍縮を確固としたものにする必要がある。武器弾薬のない世界、そこに流れている莫大な人々の汗の結晶を、人々の生活と環境保全に充てるのである。
 地球を生き返らせる。人々は原始の生活に戻るわけではない。質素・節約もいとわない生き方に変えるのである。
 内政も外交も大変革をする。その競争が21世紀であろう。知恵比べなのだ。人民に奉仕する政治は、なにも贅沢な生活を保障するものではない。人間の幸福は、清貧が最高の価値になるような世界かもしれない。大金を使い、宇宙にロケットを飛ばすことでも、リニアを走らせることでも全くはない。
 新たな価値の創造が、いまの人類に不可欠ではなかろうか。
2009年9月16日9時55分記

<石原家に木枯らし?>
 秋本番である。森内閣以降続いた右翼官僚主導政権から、いよいよリベラル政治主導政権へと移行する。日本政治の流れは大きく舵を切ることになる。東京の変化は、官僚政治から見事脱却できればだが、ひょっとしてワシントンを超えるかもしれない。むろん、莫大な借金財政を引き継ぐことになるのだから、その前途は暗いままであるが。
 政変に並行して、都政から国政を牛耳ろうとした石原家の野望は、待ったがかかってしまった。アジア蔑視は福沢諭吉並み、李登輝並みの反共主義を、21世紀の日本に持ち込もうとしたようだが、どうやら一足早く石原家に木枯らしが吹いてしまった。

<自民総裁選出馬断念>
 昨日、自民党総裁選に古賀派の谷垣偵一が手を挙げた。宏池会のリベラルを喪失してしまった現在、本命候補として勝利しても、自公政権の失政の数々をどう覆すことが出来るのか、これまた前途は厳しい。
 皮肉なことに、同じ日に石原家の長男が総裁選不出馬宣言した。総裁選に手を挙げる環境などないからである。資金も使い果たしてしまったのだろう。彼は小泉政権が格別に重用してくれたおかげで、政界のひのき舞台に出てきた。むろん、父親・慎太郎知事の要請に小泉が応じたものだ。だが、先の都議会議員選挙で同党都連の最高幹部として、父親の足元を固める戦いだというのに民主党に敗北した。今回の総選挙も同じか、それ以上の敗北を喫してしまった。石原家の面目は丸潰れである。
 彼の弟(東京3区)には、都知事の父親もテコ入れ、地元町内会を総動員したにもかかわらず、民主党の10万余票に対して、7万6000票と大差をつけられて落選した。安倍晋三の支援も効果はなかった。むろん、麻生も、である。
 固い組織票の学会票も、政権交代へと突き進んだ無党派の前に無力と化した。手元の資料だと、比例代表東京ブロックの品川区の政党別獲得票では、石原支援の公明党は共産党にさえ敗北していた。右翼候補支援をした公明党にも驚きだが、共産党の後塵を拝したというのも予想外のことだった。右翼と公明党の連携は馬が合わないらしい。
 石原家と公明党の神通力が消えて敗北したものか。今となっては石原家の長男に、頼れる小泉はいない。安倍ともども自民崩壊のA級戦犯なのだから。これではいかに家長である都知事が、自民総裁選にテコ入れしようとしても、とても勝利はおぼつかない。さしずめ小沢と鳩山、菅、岡田の前に屈服したようなものである。
<厳しい石原都政>
 数日前、都知事は恐る恐る鳩山に電話をした。財政逼迫の都政を心配して、都民が支持していない東京五輪計画に、格別の支援を申し入れたのだ。むろん、色よい返事などなかった。民主党の都議の中には五輪反対派が少なくない。これまでは、都知事にすぎない石原は、国政に対して自由に口ばしを入れてきた。だが、この場面で初めて屈辱を味わったことになる。もはや永田町に自民党政権は存在していないのだから。

 五輪開催計画にしても、築地市場移転計画も「石原の利権目当て」というのが、都民のきつい見方である。無理がある。秋からの都議会は、多数を占めた民主党に共産党も加わって、莫大な赤字を生み出した石原銀行の内実に、とことんメスを入れることになる。福祉が削られた都民の強い要請なのだから。これだけでも石原都政は揺らいでしまうだろう。事と次第では捜査当局が動く可能性も出てくる。また成り行き次第では、石原家の莫大な資産をもってしても埋め合わせが出来ない事態も出てくるだろう。
 前述したように石原を防御する自民党政権は存在しない。彼の台湾の盟友・李登輝も現役を去って久しい。李登輝の後継者は獄につながれてしまっている。追い詰められた石原を印象付けている。
 自ら都政を牛耳り、そこから資金をねん出して息子を宰相にするというシナリオは、どうやら潰えたように思えるのだが。
2009年9月14日15時05分記

<法曹界の堕落>
 随分前になるが、自民党幹事長をした加藤紘一が政界・官界の腐敗が常態化する中で「今度は法曹界の腐敗も問題になろう」と指摘していた。その意味するところが、いまでは何となく理解できる。しかし、一般の国民の目はまだ甘い。先の総選挙において自公政権を倒したものの、同時に行われた最高裁裁判官の適格審査に大半の有権者がYESと答えた。NOは少数だったようだ。

 司法界は政界や官界に比べて倫理観が高いもの、と信じている国民が多いからである。かつて筆者もそう思い込んでいた一人だった。法と正義を体現している一群の人々という認識である。見識・倫理面で他を圧倒していると見られていた。マスコミもまたそうした偏見を踏襲してきた。
 ところが、最高裁判決を見ればわかるのだが、国民の判断とかけ離れた判決が腐るほどある。役人や国・自治体が被告になる事例で、原告住民が勝訴するという判決はほとんどない。政治がらみの事案ともなると、決まって政府が勝つことになっている。そうでない場合は判断を回避する。体制擁護が最高裁の任務と心得ているらしい。そうした人物を政府は判事に就任することになっている。すなわち最高裁人事は政治がらみなのである。
 こうしたことが許されるという日本の司法は、アメリカ以上に制度上の欠陥を有している。すなわち、これまでの最高裁判事は保守的・右翼的な人物が任命されてきたのである。リベラルはいないに等しい。
 イラク派兵など憲法9条違反を堂々と判断をする最高裁判事など、今の最高裁にはいない。靖国参拝にもいえる。堕落した司法界は、実を言うとずっと以前からだったのだ。
<裁判官の資質>
 弁護士・検事・判事のうちでも、とりわけ判事・裁判官が前2者に比べて格が高いように見られている。だいたいにおいて、社会経験は弁護士が豊富である。世の中の様子に詳しい。苦労して資格を取ったものほど優れているという見方も成り立つのだが、裁判官はそうした体験が少ない。
 社会経験のないまま、判決という他人の人生を左右する任務に就くのである。精神的に未熟なまま、これをやるわけだから、たとえ先輩判事と一緒だとしても問題は残る。本来ならば、弁護士が判事に、判事が弁護士、検事などなるという相互乗り入れをすることが、国民にとって安心なのである。なぜかそうしない。
 社会の真相がわからないものが、適正な判断など期待できるものではない。裁判員裁判はその穴埋めなのかもしれないが、裁判員のほうは裁判官の一言に左右される。言ってみればアリバイに利用されるだけである。
 むろん、中には人間性があり、識見が豊富な裁判官もいるだろうが、そうした裁判に出くわすのは闇夜に星を見つけるように不可能なのだ。このような裁判を今後も続けるというのであれば、訴訟当事者の心労はただ事ではあるまい。
<ハイエナ弁護士>
 最近、有能かつ真面目な弁護士が1冊の雑誌をくれた。恐らく気になって確認のため購入したものだろうが、彼は「ここに書いてある通り」と言って渡した。
 週刊ダイヤモンド8月29日号である。50年に6000人ほどだった弁護士が昨年2万5000人を突破した。今年も3000人近い司法試験合格者を出している。大半が弁護士になるのである。掃いて捨てるほどの弁護士人口である。当然、無能・悪徳弁護士が大量に誕生することになろう。これらに引っかかったりすると、庶民はえらい目にあうことになるのである。弁護士の選定はよほど慎重にならねばならないのだ。これもまた大変な時代である。
 現在、消費者金融が悲鳴を上げているという実情を、この雑誌は特集している。ハイエナ弁護士の攻撃に四苦八苦しているらしい。
 その前段は消費者金融による違法な高率金利による荒稼ぎが存在した。汚れる金貸しの元凶は、メガバンクなどである。暴利をむさぼっていた消費者金融に対して法律の枠をはめるよう、善良な弁護士が努力してきて、ようやく法律ができると、待っていたとばかり悪徳・ハイエナ弁護士が前面に飛び出してきた。
 過払い金返還請求を消費者金融にたたきつけて、信じられないほどの暴利を得ているのである。最初に一見真面目そうな、それでいて腹黒い銀行が消費者金融に金を流して、共に暴利をむさぼってきた。それを禿げ鷹かハイエナよろしく悪徳弁護士がかすめ取っている、という特集記事である。悪徳が支配する日本資本主義である。
 何故悪徳・ハイエナ弁護士かというと、返還させた金の大半を被害者からかすめ取ってしまっているからなのである。消費者金融にぼられた被害者は、新たに弁護士からも略奪されてしまう、というのである。弱者を相手にしている所に問題の深刻さがあるのである。
 特集記事によると、20億円以上も過払い金を返還させた法律事務所もあるという。司法書士の中にも弁護士に負けまいとして、この悪徳・貧困ビジネスに加担しているのだという。このための広告さえしているらしい。広告費が15億円という法律事務所も現れている。想像を絶する事態に驚愕するばかりである。
 過去にヤメ検が暴力団の顧問弁護士になっているということを聞いて驚いたことがあるが、金になることなら何でもする法曹人には、愕然とするばかりである。正義のはずの法曹界は、バブル不況と金融危機をはさんで、完全に地に落ちているのであろう。
<怯える検事?>
 筆者は新政権の法務大臣人事に関心を抱いている。検事の中には腹をくくっている者も少なくないだろう。検事総長レースを諦めるものもいるだろう。それと、右翼一色とみられている最高裁人事を公正・公平・識見豊かな人物に入れ替える必要があろう。政府の過ちに対して敢然と異を唱えるような人材起用を期待したい。
2009年9月13日18時00分記
<8年目の9・11>
 オバマ政権になって初めて迎えた9・11追悼式がワシントンで行われた。3000人近い被害者の遺族の悲しみが癒えることはないだろう。しかし、それ以外の大衆は日々の厳しい生活に追いまくられている。一緒に涙を流して追悼する余裕がなかった。金融危機の余震が容赦なく庶民生活を圧迫していたからである。ずばり風化していた。現に、貿易センター跡地のグランド・ゼロに建設される高層ビルは、まだ姿を見せるまでになっていなかった。

 ワシントンでの追悼式でオバマは9・11を「奉仕の日」と銘打つ一方で、アルカイダとの戦闘続行をブッシュのように叫んだ。しかし、これに全土が沸いて結束して当たるという雰囲気はまるで無縁だった。イラク戦争を批判して政権を手にしたオバマである。いまやアフガン戦争にも、同様の批判が米国内どころか世界各地で巻き起こっているのだから。
<泥沼化するアフガン>
 最新の世論調査では、オバマの思い入れとは裏腹に米国民の心はすっかり冷めてしまっている。米軍の増派で事態を乗り越えようとするオバマ方針に対して、議会も国民も反発を強めている。
 アフガン政府の腐敗が世界に知れ渡っているだけではない。戒厳令下の大統領選挙での現職側の大がかりな不正投票が明るみに出てきた。民主選挙とは無縁の偽装選挙である。正統性のない大統領を押し立てようとするワシントンに世界の目も冷ややかである。
 なにはともあれアフガンに変化はない。不正・腐敗と貧困に変わりない。いかに武器弾薬が優れているとしても、人民の支持のない政権に勝ち目などない。イスラム過激派にとって、こうしたカルザイ政権と西欧十字軍は、格好の標的なのである。

 戦争の大義が薄れ、士気が全く上がらないアフガンという現実は、いまや誰しもが理解している。たとえブッシュからオバマに変わっても、これの変化は無理である。
<深刻アメリカ経済>
 金融危機でひっくり返ったアメリカは、70兆円もの財政出動で事態を乗り切ろうとしている。金利を下げてドルを市場に流し込んでいる。有り余るドルは株式市場へと流れて株高を可能にしているが、これこそが第3のバブル崩壊を予感させるものである。雇用不安はさらに高まる一方で、肝心の消費は伸びない。
 ドルの下落がいつなのか、と各国は怯えている。
 イラク戦争もアフガン戦争も、言ってみれば金融バブルが可能にしたようなものである。そこが破綻したアメリカに戦費など回せる金はないのである。

 米国の貧困層は4000万人といわれている。健康保険のない国民は4600万人という。6人に1人の割合である。日本と同じように格差と貧困がアメリカ社会そのものなのである。病院に行けないために亡くなる市民も増えている。
 戦争は経済をさらに悪化させる。国民生活を破壊する。人々の良心を殺してしまうものである。そろそろ「なぜ9・11だったのか。原因は何か」「アングロサクソンのどこに問題があったのか」「石油資源の略奪に問題はなかったのか」など客観的な分析が出てもおかしくないころと思うのだが。
 このままでは「死の商人」を喜ばせるだけのオバマ政権となろう。ブッシュと同じではないのか。イラクで墓穴を掘ったブッシュである。ブッシュのおかげで誕生したオバマは、アフガンで足を取られることになるのだろうか。 
<東京も変革>
 オバマは医療保険制度の改革に執念をたぎらせている。「何百万人もが無保険というのは、先進国でアメリカだけだ」と変革を訴えるオバマだが、それは明治以降の官僚政治を脱却する、敗戦後の米国追随から日米対等にする、ということを公約して政権交代を実現した東京の変革は、いうなれば革命的といっていい。
 黒人大統領の誕生というアメリカよりも、はるかに政治的意味は大きい。
 このことを理解していない政界・財界・官界・言論界・学界というのも困ったものである。敗北した自公両党も本質を理解していない。まさか政権交代を実現した民主党幹部連さえもわかっていないのではないか、という点が少しばかり気にはなるが、事実は、日本国民はすごい変革を成し遂げたのだ。これからは鳩山連立政権の責任となろう。
 官僚に依存しない、政治家が政治をする、政治家が政策を生み出していく、根本は国民のために、である。国民に奉仕する政治が、当たり前の民主政治なのである。従来の日本政治は、財界と官僚のための政治・政策であった。それを国民主体の本来の姿に戻すのである。これこそが東京の政治革命である。
 もはやワシントンに従属する政府ではない。自立する政府の誕生なのである。内外の専門家はここをしかと認識する必要があるのである。その上で日米関係を重視する、日中関係を重視する、アジアを重視するという原則を貫く政権なのだ。
 政財官癒着体制からの脱却である。財界や官僚に操作されない政府の樹立なのでもある。
そうして日米関係を捉えると、なし崩し的にアフガン戦争に加担してきた自公外交を踏襲することはしない。日米軍事同盟強化を策する米軍再編も大幅に見直すことになろう。しっかりと説明すれば、オバマもヒラリーも理解してくれるはずである。

 8年目の9・11問題を考えてゆくと、アメリカのみならず日本、EUの内部でもアフガン軍事作戦の泥沼化からの脱却を求めている。ここは知恵を出すしかない。外交である。対話しかないだろう。とことん話し合えば、道は開けるものである。
2009年9月12日20時30分記
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IMG.jpg本記事は3回シリーズです。

IMG.pdf IMG.pdf 写真は韓米両国のリベラル派大物政治家だった金大中、エドワード・ケネディ両氏の珍しいツーショット写真だ。筆者が1985年2月、ワシントンの米上院内ケネディ議員室で撮影して、保存していた。本年8月、相次いで死去した両氏の親交は40年近くに及んだ。前半の20年間は、常に政治的迫害を受け続けた金氏を励まし、韓国政府に金氏の安全を求め続けた。

 1981年、「死刑」判決を米政府の要求をいれて「無期」に減刑された金氏は、米国での亡命生活に入った。しかし金氏は85年初め、帰国を決意する。韓国政府は、「もしも帰国したら逮捕する」と警告したが、ついに2月8日強行帰国。その2年前、米国亡命から帰国した途端に殺されたアキノ比国上院議員の二の舞を許すなとばかり、帰国機には多数の米要人が同乗した。帰国後、金氏は直ちに自宅軟禁状態に置かれた。

 写真は帰国直前、最大の恩人の1人ケネディ氏に謝礼と別れの挨拶に訪れた時のもの。筆者はただ1人現場に立ち会った記者だった。今回、筆者から写真提供を受けたハンギョレ紙は、この写真について、ソウルの金大中氏記念館に鑑定を求めたそうだ。「ケネディ氏とは大統領就任後の訪米時の写真がある。しかし亡命時代、こんな場面が記録されていたとは驚きだ」という回答があったという。

 筆者は当時の状況について「週刊エコノミスト」誌にインタビューとルポを書いた。筆者が「なぜ強行帰国を?」と聞いたのに対し、金氏が、「小説家なら亡命先でも立派な作品を書いて、世に問うことができる。しかし政治家が亡命すると、何を発言しても本国では犬の遠吠えとして扱われてしまう。それが耐えられない。たとえ逮捕・投獄が待っていようと、私は祖国にいたい」と語った表情が今も忘れられない。写真は9月7日付ハンギョレのネット画面から。(おわり)

<現代人はミネラル欠乏症>
 昨日、健康を害した友人に「ミネラルの欠乏が原因の可能性が高い」との、今や最新の知識をひけらかしてしまった。現に我が家では「岩の力」というブランド名のミネラル水を飲み始めている。体内の免疫力を高めることで、新型インフルエンザその他の現代病を乗り切ろうという思いもある。西洋医学の限界を、息子の病気でとことん教え込まれたことも理由かもしれない。



 このミネラル水は、福島県で産出した花崗岩を溶解させたものだ。ISPなる高度な分析機で微量元素を詳細に分析してある。農薬と化学肥料による野菜と穀物生産で、本来吸収されているはずのミネラル・微量元素が減少、もしくは消失している。人間の体内では作れないものだから、現代人はミネラル欠乏症になっている。やむなくミネラル水から採取するしか方法はない。
 これを用いてがん・高血圧・アトピーの治療をして成果も出ているという。悲しいかな、これを医学界と厚生官僚が反対している。せめて治験を行って、その成否を判定する必要があるはずである。
 いえることは、ミネラルは生物にとって必要不可欠の栄養素であるという事実である。先日、たまたま見たテレビは赤土を掘り返して食べる象を見た。ミネラルを補給している場面だった。岩場をなめる動物もいる。以前は不思議な光景としか認識しなかったが、多少の栄養学の知識があれば理解できる。
 ミネラルの重要性は栄養士にとっても常識なのだ。そのミネラルが欠乏しているという深刻な事実について、それが野菜や穀物の生産と関係していることには気付こうとしない。化学肥料や農薬会社への配慮であろう。これに西洋医学は全くの無知を決め込んでいる。免疫力の低下ががんなどを多発させていることに、野島クリニックの院長は気付いたのだ。これは画期的といっていい。
 豊富なミネラルが花崗岩に含まれているという事実も。温泉水を治療に役立てているEUの国々の映像を見たことがあるが、要するに温泉水にはミネラルが含まれているからなのだ。
<富士急のミネラル水?>
 友人と別れた後、久しぶり宏池会(古賀派)の事務所を覗いてみた。いつもいる佐々木事務局長が留守をしていた。敗戦処理でばたばたしているものか。彼の下で働いていた女性職員もいない。体調が原因だという。
 一人大柄な女性職員がいた。彼女は「冷たいものを飲みますか」と声をかけてきた。背後の冷蔵庫を開けると、いろいろな飲料水がたくさん詰まっている。「水がいい」というと、彼女は富士山で採れたというボトル入りの水を出してくれた。
 なんとラベルに「ミネラルが含まれている」と書いてある。富士山の花崗岩で濾された水なのであろう。富士急を思い出した。宏池会の会長もした堀内光男が経営する会社である。今回の選挙で敗北したと記憶しているが、彼女に「堀内さんの関連会社が製造している水ですね」と尋ねると、首を縦に振った。
 「ミネラルの塊のような花崗岩で濾された富士山の水」を富士急でも開発して販売しているのである。このミネラル不足ががん・高血圧などの現代病の原因であることを、彼は知らないだろう。機会があったら伝授したいものだ。

 余談だが、宇都宮徳馬さんが立ち上げたミノファーゲン製薬の強ミノも免疫力を高めることで、医学界でも知られている。筆者は月に数回20CCの強ミノを息子とともに打っている。原料は甘草である。漢方にも使用されているが、ひょっとしてこれにもミネラルが含まれているのではなかろうか。一度、ICPの分析データを
孫の徳一郎社長に聞いてみたいものである。
<元気喪失の自民関係者>
 それにしても権力を喪失、再生の目途さえたたない自民党も哀れである。「驕る平氏」も奈落の底に突き落とされてしまったのだから。この日の昼には半減した30余人足らずの議員で総会をした宏池会だが、筆者が訪問したときは2人の来客が事務局長の帰りを待っているだけだった。
 会長室には過去に宮澤喜一、加藤紘一らがいた場所である。そこが今は消灯して暗く閉ざされていた。今後の事務所維持は可能なのかどうか。先立つものが入ってこないだろう。縮小を余儀なくされるに違いない。
 無事生き残った者たちも、ただ右往左往しているだけで展望などない。「郵政民営化でしこたま裏金を懐に入れた人物から吐きだしてもらうしかない」という悲鳴さえ聞こえてくる。そこへと新政権はメスを入れてくるはずである。
 
 政変は腐敗を暴く効果がある。韓国では大統領経験者が自殺に追い込まれた。台湾では無期懲役の判決が出た。日本の総理経験者は大丈夫だろうか。鳩山は「日本の大掃除をする」と公約しているのである。
 ホテル・オークラの友人事務所にも久しぶり立ち寄ってみた。それほどの衝撃を受けてはいなかったので、やや安心した。都知事選の候補や参院選が話題になった。
 問題は来年7月の参院選後の政局である。そこから小沢一郎がどう動くものか。筆者とは味方が違った。小沢に詳しい彼だからかもしれない。せっかく角福戦争に大勝した小沢である。そう簡単にへましないのでなかろうか。彼は昔と違い、慎重にハンドルを操作するだろう。賢くなっていると思いたいのだが、どうだろうか?
2009年9月11日19時55分記

愛宕花火 003.jpg

花火シーズン東京は夏・ふるさと飯田は秋祭りが花火のシーズンだ。

東京では地下鉄各駅のスタンドに大量の無料新聞が詰まれ、それらが一斉に関東一円の花火大会の案内情報を満載する。びっくりするのは打ち上げ本数の多さだ。数千発から2万発余、平均1回で1万発。ほとんど1時間休む間もなく打ち上げている勘定だ。情報誌をめくって行くと、え、諏訪湖祭湖上花火大会4万発という活字に一瞬目を疑う。そういえば飯田地方の秋祭り奉納花火も近年、打ち上げ本数が増えているが、我々子供のころは最後の「大百花園」を合わせてもせいぜい数百発で、それだけじっくり味わったものだ。

帰飯の折がたまたま秋祭りに重なると、「ついてるぞ!」と思う。一昨年は愛宕の祭礼に出会った。宵の口、境内に近づくに連れて夜店が並び、花火の音は次第に高まり、やがて更に近づくと、上空での爆発音だけでなく、筒口から打ち上げる瞬間の音まで聞こえるようになる。さらに打ち上げるときの、あの懐かしい火薬のにおいまで伝わってくると、飯田人の心は勇み立つのだ。

 子供時代、祭りの日には昼間から花火の音が聞こえるだけでそわそわし、学校の授業は上の空。学校が終わるや、それっとばかり悪ガキたちは神社に走った。もし「かんばり」(紙張り=球形の花火の外殻部分で紙を何枚も貼り合わせて作った)を拾えたら、翌日学校に持っていって自慢できた。きれいに真っ二つに割れた半球状の「かんばり」が拾えるとさらに自慢できた。もしも昼花火から飛び出したパラシュートまで手に入ったら、もっと威張れた。この「かんばり」拾いは昼花火の場合だけで、夜の打ち上げ花火のは粉々に飛び散るので、その楽しみがなかった。

 昔、飯田の打ち上げ花火にはそれぞれ雅びな名前がついていた。それらの番組表が相撲の番付表のように優雅な文字で書かれていた。打ち上げは各町内単位で順次行われた。順番が回ってくるとまず合図の花火を上げる。音だけを響かせる「合図三段雷」、または単色の花が流れる「合図松風」、またはそれに彩が加わる「合図大孔雀」のどれかが上がり、次いで青か緑色の「水光星」を上げてから、それぞれ趣向を凝らした花火を上げ、最後は一瞬真っ白な花が開く「太白星」を上げて、次の町の順番に移っていった。このパターンは一種の儀式のように決まっていた。各神社はいずれも花火番付(プログラム)を発行していた。本番の花火にもそれぞれ名前が付いていた。オレンジ色に開いて緑に変化して終わるのが「金波(きんぱ)先の緑」、サクマ・ドロップスのような色とりどりの飴玉が夜空にばら撒かれたように見えるのは「千輪(せんりん)」、ヤグルマソウかマツムシソウのような青紫色の花が地味に開くのが「浅葱鹿の子(あさぎかのこ)」、といった具合だった。

 ところで今でも花火の番組表はあるのだろうか。愛宕神社の社殿前で花火の予告アナウンスをしているテントを訪ねて聞いてみたらあった。新聞紙2ページ大の上質紙を広げた大きさで、上に「愛宕稲荷神社秋季祭典奉納煙火番組」と大見出し。その番組表では「1昼打の部」、「2宵打の部」、「3夜打の部」と3部に分かれていて、「宵打の部」だけが、「錦光の紅」「銀音花芯菊先の二化」「クロセット」などと、昔風ではないがかろうじて花火の名前を留めていて、なぜかほっとした。

 やがて午後9時。きょうの花火最後の「連合大三国」が始まると、氏子連がそれまで奉納してあった「大三国」を、神主によるお祓いを受けた上で境内の広場に運び点火。単色の花火が延々と断続的に吹き上げる「大三国」。火の粉が大雨のように降りしきる中で、氏子の若い衆がわっしょいわっしょいと最後の乱舞を続けていた。東京では「花火大会」が飯田地方では神社への「奉納」という宗教的な意味を持っている。

花火は東京では夏の風物だが、飯田人にはやっぱり秋が良く似合う。旧市内ではまず大宮神社の花火が夏の終わりを告げ、次いで愛宕、長姫と進み、今宮神社の花火が上がる頃、秋はすっかり深まりを見せている。(おわり)

 

<自公は別居>
 10年余の自公体制は、今後どうなるのか。別居の道しかない、というのが、筆者の分析である。公明党が宗教政党である、との制約による。
 改めて驚くのは、今回の総選挙で公明党はほとんどの自民党候補を応援していた。その中には、公明の政策と合わないようなおかしな候補までも支援した。右翼・改憲軍拡派がたくさん含まれていた。権力維持への執念を感じるのだが、しかし、それでいて大半が落選した。力の分散によって自党の小選挙区候補をすべて落選させてしまった。支持者の衝撃・怒りは相当なものであろう。



 同党は野党になると、新たな火種を抱えることになる。民主党内の反公明勢力の存在である。ここが暴れ出すと、同党の弱点をつつかれることになる。したがって、これまでのような自民党との結婚生活はできなくなるのである。別居して、与党に相応の忠誠を見せる必要に追い込まれてしまったのだ。
 可能であれば、連立政権に加わりたいが、与党はこれまで自公政権にさんざんいたぶられてきたわけだから、おいそれと結婚を承諾するわけがない。ならば野党として踏ん張れるかというと、宗教問題をちらつかされると身動きが取れなくなる。なかなか独自性発揮とはなれない。しかも、新政権は自公政権に比べて、はるかにリベラルだ。国家主義ではない。与党が国民に目を向いているとなると、とても独自性を打ち出すことが出来ない。厳しい試練が待っている。
<再建は厳しい>
 事態は自民党により厳しさが待ち構えている。
 公明党に支えられてきた自民党である。前者の強固な支援を前提とした政権の維持であった。それが別居生活に入るわけだから、前途は暗くなる一方である。
 そもそも自民党の支持母体は、権力政党ゆえの利権がらみのものである。権力を失った現在、支援者は自然に離反してしまうだろう。財界も各種団体も与党になびいてしまう。後援会組織の維持が困難になってしまうのである。
 しかも、福祉その他国民の安全網をズタズタにしてしまったことに、将来に不安を抱く庶民が自民党支持に走ることなど、とても想像出来るものではない。
 形だけの半減した派閥をどう維持するのか、先立つ金がないことには職員・事務所もままならない。落選議員の関係者を抱え込むことも不可能なのだ。世代交代やら派閥解消をわめく若手・中堅の訴えも、正直なところ犬の遠吠えでしかない。いかがわしいマスコミが報道してくれている間はまだしも、そのうちに忘れられると、お先真っ暗になる。
 1000兆円もの天文学的借金をつくり、日本丸を沈没させたツケを今後も支払わせられることになろう。そもそもは政党・政治家失格なのである。
<与党大失態まで存続出来るのか>
 日本国民はとんでもない代表を選択してきたことになるわけで、今後は長く厳しい人生を受け入れる必要がある。その場合の原則は公正であること、平等であるということである。特権は許されるべきではない。格差をなくす必要がある。公正・平等という物差しに合致すれば、国内の混乱・暴力は収まるだろう。
 しかし、政府与党とて人間のやることである。失敗は起こりうる。問題はその時点まで自民党が政党として存在していられるのか、ということである。それこそ共産党、公明党を束ねるくらいのことでないと、与党に対抗できないだろう。あるいはいずれ政権から斬られるかもしれない社民党と国民新党をも巻き込むような勢力にすることが出来れば、話は別であるが。
<公明は原点へ>
 公明党は平和主義の旗に立ち返るしか世論は受け入れてはくれまい。
 ブッシュと小泉のイラク・アフガン戦争に加担するという違憲行為を公然と「国際貢献」という合唱で、支持者と国民を欺いてきた罪は重い。これをどう釈明しようというのか。
 イラクもアフガンもワシントンの資源略奪戦争そのものである。21世紀版十字軍に勝ち目はない。そもそも武力行使の大義がないからである。イラクでこけたブッシュが、ついでアフガンでオバマがこけないという保証はない。
 戦争で国際紛争を処理することは不可能である。日本国憲法が指摘、禁じているところではないか。
 こうしてみると、公明党は原点に立ち返るしかないだろう。公正・平等に抵触するような、不埒な権力行使をしっかりと監視する役目を、真摯に果たすことが重要かもしれない。改憲軍拡の流れに反対する平和の政党に徹することである。そうすることで国民の信頼を得る努力をすることが肝要であろう。
 現状では来年の参院選挙は民主党以外の勝利は想定できない。その後に野党結集を実現するのも方法ではある。平和が何よりも最優先事項である。次が福祉である。二度と、この順序を逆にしてなるまい。
2009年9月11日9時30分記

<ペンタゴンは何さまだ>
 9月10日夕のNHKは、米国防総省(ペンタゴン)のモレル報道官の記者会見を大きく報道した。国防長官の発言ではない。むろん、ヒラリー国務長官でもない。オバマであるわけがない。それでいて、ことさら大々的にモレル発言を報道するNHK外報部の体質に懸念を抱かざるを得ない。恐らく日本人記者(NHKか?>の質問に、報道官がとっさに答えたものだろう。オバマ政権が慎重に検討したものではないはずである。それでいてNHKは格別の扱いで、発足前の鳩山新政権に一撃を加えたのである。このモレルという人物が何者か知らないが、日本政治に無知であるだけでなく、日本を属国と扱っているのではなかろうか。オバマはこんな人物を起用したことさえ知らないのかもしれない。とんでもない特派員と、いい加減な報道官による創造ネタの類だろう。

 <日本は独立国>
 アフガン戦場で使用されるガソリンを自衛艦が給油している行為は、小沢が言うようにれっきとした後方支援活動である。日本は参戦している。これは憲法9条に違反している。自公右翼政権が強行してきた違憲行為そのものだが、新政権は法律の期限が切れる来年1月までとする方針を固めている。当然のことである。
 現に、アフガンの戦争はイラク戦争の二の舞になってきており、米国民の支持も失われてきている。日本のできる好ましい国際貢献は民生に限る。これに文句を言われる筋合いなどない。国際貢献は国それぞれで異なるものである。ミニ米国ではない。

 だが、このモレルなる人物は、さも当たり前のように「給油継続を促す」と高飛車に発言した。在日米軍の再編についても「着実に実行を」と強調し、新政権の公約・政策に真っ向から反対した。正直、この軽々しくも、昂然と日本に命令するかのようなペンタゴン報道官に対して、激怒した日本人は少なくなかったろう。
 もはやワシントンにブッシュはいない、東京に小泉も安倍、麻生もいないのである。

 さらに驚いたことは、この発言を鬼の首を取ったように認識したらしいNHKは、東京で鳩山をつかまえて報道官ごときの発言の感想を求めたのだ。NHK記者のレベルの低さにはあきれるばかりである。さすがは鳩山である。「私のところにはそんな要請は来ていない」と一蹴した。
 まともな日本人記者であれば、モレルなる報道官を逆にたしなめるべきところだった。言いたくはないが、NHKには裏口就職の輩が少なくない。記者資質にも問題があるのかもしれない。
<鳩山は小泉ではないぞ>
 ワシントンに服従する内閣は、既に日本から消えてしまった。そのことをNHKのワシントン特派員は気付いていないのか。それとも、民主革命と言っていいくらいの日本の政治変動を、NHK特派員は理解していないらしい。もはやブッシュのポチのような小泉政権は、東京に存在しない。
 自立する、対等な日米関係の構築を求める政権を国民は選択したのである。
 民意が最高の価値である。憲法が政治の根幹である。ワシントンの意向はこの枠に制約されている。これくらいのことが、どうしてわからないのか。嘆かわしい。
第一、 日本には金がない。少なくとも戦争・人殺しをする余分な金などないのである。
2009年9月10日20時45分記

<3党連立政策合意>
 9月16日の新政権誕生に向けての大きなハードルが、3党の努力によって見事越えた。当たり前のこととはいえ、当事者の努力の成果である。よりましな政権の誕生は確実となった。民意に応えたものである。前政権と癒着してきたマスコミは「不協和音」などと批判しているが、とんでもないいいがかりである。連立に向けた政策合意とは、そもそも関係者の必死の努力が前提として存在するものである。財界とワシントンと官僚政治に毒されてきた自公政権が、やろうとしても出来なかったものを具体的に取り上げている。
 核廃絶や環境問題への取り組みは、お見事である。鳩山―小沢―岡田―福島―亀井ラインの健全な思考と価値判断は正しい。国民は期待していいだろう。国家戦略局に財界人を排除するという姿勢だけでも、国民や消費者の視点を重視したもので、長年自民党政権を見聞してきた筆者からすると、文字通り立派の一語に尽きる。生活第一という公約に沿っている。
 財閥・財界が反発する二酸化炭素を25%(90年比)削減するという中期目標にしても、国際社会から絶賛を浴びている。このことだけでも自公政権との落差をみてとれよう。
<社民の成果>
 安全保障に関係して社民党ががんばった。民主党右派の中には、ワシントンとの関係を心配する見方もあったようだが、その心配はないだろう。変革のワシントンである。ネオコン政権はもはや存在していない。
 変革に耳を傾けるオバマのワシントンなのである。オバマに日本の真実を語るのである。軍事基地をかかえる住民の被害にオバマは同情するだろう。人権派ヒラリーも、である。かつてケネディは大統領になる前だと思うが、平和・軍縮派の宇都宮徳馬に対して「外国に軍事基地を置き、軍隊を派兵するのはよくない」と言明していた。ケネディを尊敬するオバマやヒラリーが耳を傾けて当然なのだ。
 社民党の踏ん張りは沖縄住民への熱い思いだろうが、公明党の大失策を教訓としていたと理解したい。平和主義を放棄した公明党の敗退を目の前で目撃したばかりなのだから。社民の連立参加は政治的意味があったことを証明している。
 「日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地の在り方についても見直しの方向で臨む」という合意は、日本人全てが希望していることである。もし、反対する日本人がいたら、それこそ愛国心のない依存型無責任の最たるものと断罪したい。
<国民新党も>
 国民新党も悲願の郵政見直し法案の早期成立を勝ち取った。そもそも郵政改革は、財閥銀行と旧大蔵官僚による郵政預金の分捕りという野望のもとに強行したものである。これにブッシュのワシントンを介入させたものである。
 偽装改革の典型である。大赤字の旧国鉄とは異質である。財閥銀行はバブルに踊り、血税で救われた。唯一、庶民の駆け込み寺が郵便局だったという経緯を考慮すると、メガバンクをこれ以上やりたい放題にさせてよいものか。素朴な国民感情である。
<度量示した民主>
 民主党も度量を示した。鳩山の友愛精神は、よりましな政権の根源と言っていいのかもしれない。博愛と同じなのか。
 昨日、古い自民党秘書経験の友人が「本澤さんは小沢が嫌いではないか」と電話をしてきた。「小沢は変わっている。日本改造計画をぶち上げた当時、自民党幹事長時代の小沢ではないよ」と答えたものである。
 内情は知らないが、今回の連立合意において相応の好ましい役割を果たしたはずである。自民党の正体を知りつくした上での「日本改造」、すなわち脱官僚政治、本来の国民政治を実現しようとしている、と理解したい。
 すべりだしは上々である。民意なのだから。
2009年9月10日9時50分記
<朝鮮民主主義人民共和国創建61周年祝賀宴>
 今日が北朝鮮の建国記念日だという。昨夜、千代田区富士見の朝鮮会館で総聯主催の祝賀宴が開かれた。日比谷の市政会館から長沼さんと連れだって地下鉄を利用して飯田橋駅に向かった。例年に比べて参加者が多いのに、最近の雰囲気を印象付けていた。しかし、政界関係者の姿は見えなかった。選挙後のごたごたも影響しているだろうし、落選者も多く出たことも。

 ここに来ると、どういうわけか1年に一度会える知り合いがいる。朝鮮の餅を食べながらおしゃべりできるのがいい。むろん、マスコミ関係者も少なくない。いつも姿を見せる三木睦子さんがいない。国広政雄さんも。デビ・スカルノ夫人は終わりごろ駆け込んでいた。中国大使も来ていた。
 宇都宮徳馬事務所での総聯幹部との出会いが、いうなればこことの接点であるが、よく同事務所に出入りしていた人物と初めて長々と話し込んだ。宇都宮さんの孫である徳一郎君も、ミノファーゲン製薬社長として姿を見せていた。そもそも故金日成主席が信頼した日本の政治家は宇都宮さんである。一方で韓国の金大中さんを支援した。参加者の中には「民主党の国家戦略局に来てくれないか」と誘われているというものもいた。「革命的な新政権に参画せよ。ジャーナリストではないのだから」とお尻を叩いた。
<民主党中心の連立政権に秋波>
 総聯の徐萬述議長は開宴のあいさつで、クリントン元大統領との3時間15分の会談で双方が大筋で一致したことや、朝鮮半島の非核化を成し遂げることを改めて紹介した。しかし、国連安保理の対応を非難した。「なぜ南の人工衛星打ち上げを非難しないのか。差別ではないか。制裁を撤廃せよ」と。
 なるほど日本人は韓国の人工衛星と北朝鮮のそれを区別している。公正ではない。二重基準では相手を説得できるわけがない。
 韓国の李政権が発足以来、硬直化してきた関係を大英断でもって新局面を開いたことも、総聯議長は強く指摘した。韓国に対しての対話路線である。それを日本にも、というのである。「民主党政権の対応を注目している」と新政権にボールを投げて注目させた。
 今朝のNHKで昨日の北朝鮮機関紙が、同じような報道をしていると伝えた。議長演説は平壌の意向を代弁したものなのだ。最後に彼は「郵便物など人道物資まで規制するという、日本政府の非人道的措置は即時撤回しなければならない」と訴えた。人道物資まで規制していたとは、初めて聞いて驚いてしまった。
<米朝直接対話で突破口>
 平壌の目的を筆者なりに推測すると、アメリカがイラクのような悲劇を起こさないで体制存続を保証することに尽きよう。同時に人々を飢えから解放する。経済の復興である。オバマ政権はブッシュとは違う。大それた軍事力で体制を崩壊させることはしない。しかし、同政権は永遠ではない。確たる保証を取り付けたい、ということであろう。
 6カ国協議だと、さまざまな雑音が入り、まとまるものもまとまらない。だから米朝2国間の直接対話で、というのであろう。このことに4カ国は理解を示したらいい。米朝正常化が朝鮮半島の平和と安定の基礎なのである。
 クリントン訪朝がその基礎を固めた。そのさい、ワシントンは韓日に対して対話を、と呼びかけたはずである。平壌の対話路線はワシントンのオバマ政権の意向を受けたもの、というのが、筆者の認識である。朝鮮半島はオバマ―クリントン組で着実に動き出した。東京も岡田新外相のもとで始動するだろう。岡田―クリントン会談がその前に行われる。
 日朝のブレーキ役となってきた外務官僚は不要になろうか。
<日朝国交正常化>
 ワシントンの動きを民主党は強く意識しているだろう。「友愛外交」を発揮できる格好の課題でもある。首相自ら訪朝するだろうし、東アジア共同体実現の旗を掲げた民主党の最初のハードルでもある。戦後史の重い外交課題だ。一刻も早く処理する責任が政治に課せられている。
 もはや日本国民は右翼・国家主義を放棄、リベラルな政権を選択した。かつて自民党議員は「これはやる気を出せば1日で片付く問題」と豪語していた。決断することで道は開くのである。
 深刻な不況で困っている経済界も正常化実現を心待ちにしている。環境は整っている。
<拉致問題決着へ>
 唯一のどに突き刺さっている拉致問題も、双方の信頼構築が重要である。相手を信頼しない。信頼できないことをしてきた、という事情を考慮すべきだろう。
 実際問題、拉致被害者は哀れだった。日朝対決の格好の餌食に利用されてきた。歴代政権は北脅威論の先頭を走らせて、戦争法や改憲軍拡の潮流を列島にまき散らしてきた。麻生ごときは、これを総選挙においても悪用したほどである。
 その主役の一人が中山議員であるが、恥じらいもなく引き続き拉致問題担当を、と官房長官を使って民主党に懇願した。むろん、同党は一蹴した。このことからも、同党は問題処理に自信を示している証拠なのである。
 双方の信頼構築ともなれば、この問題は簡単に決着がつく課題である。ごたごたするようであれば外務大臣でも、総理大臣でもいい。平壌に1カ月も滞在すれば解明が可能なのだ。
 祝賀宴の参加者、そして総聯スタッフの表情は、昨年とは打って変わってなごやかなものだった。
2009年9月10日10時00分記
<上海環球金融中心>
 このところ相次いで上海特集テレビを見た。昨夜はTBS系、その前はNHKの共に衛星テレビである。万博関連である。上海郊外で抹茶の生産に励む日本企業に感心したが、有機農法で野菜作りに励む若い中国人女性には驚いた。農薬と化学肥料から離脱しようとしているのである。ミネラル欠乏症の現代人に対抗しようというのだろうか。
 日本は官民ともに上海万博に力を入れている。多くの日本人が見学に訪れるはずだが、筆者は大学生や子供、老人などには航空券などでの優遇措置をすべきだ、と関係方面に訴えている。特に若者の訪問は双方に有益である。爆発的な上海訪問が期待できるからである。

 上海環球金融中心の展望台は、世界でも1、2位を争う高さである。新たな観光名所になっている。そこへと範君が案内してくれた。93年にニューヨークのエンパイア・ステートビルに登ったくらいだが、そこは381メートル、こちらは492メートル。展望台の高さは、世界一である。東京タワーが333メートル。圧倒される高度である。
 地震のない上海ならではの高層建造物といっていい。
 展望台からの眺めは、スモッグのない時代が訪れるようになれば、それこそ世界一の眺望が約束されよう。ともかく周囲の高層ビルがいかにも小さく見える。眼下の長江支流の黄浦江さえも、まるで蛇のような一本の線でしかない。戦後右翼のドンだった児玉誉士夫が金銀財宝を略奪した本拠地ビルも、かすかに見えている。車が米粒のようだし、人間は確認できないくらいである。
 この一帯も道路整備の最中で渋滞のひどさを確認できた。高層マンション群もここからだと子供の積み木のように小さい。そこの値段は1平方メートル当たり安くて3万元、4万とか5万元の物件も。それがすぐ売れてしまうのだという。まるで魔法使いが棲みついているようなのだ。
 上空から見るマンションは、それぞれ屋上の色彩が鮮やかで、色合いで区別していることがわかる。
<世界一高いTOTO便所>
 展望台を降りると、そこには土産店、喫茶店がある。ホテルもあるらしい。便所もあった。入ってみた。やはりというか、独占企業なのであろうTOTOのトイレが設置してあった。恐らく平地の世界一高い所にある便所のはずだ。
 喫茶店に入り、コーヒーを飲んだ。ここも世界一高い喫茶店に違いない。正確な高さを知るために、範君に接客人に声をかけてもらった。20代のふっくらとした美人である。上海人のはずである。ところが言葉が通じない。なんとフィリピンの出稼ぎ女性であった。
 誰が彼女をここに連れてきて働かせているものか。このことだけでも一冊の本が書けそうである。コーヒー一杯が25元だ。値段も安くない。
<森ビルと大平総理>
 この見事な高層建築を建てたのは森ビルである。2008年に完成させた。地震のない上海だから、自信をもって建設したのであろう。確か起工式に竹下登が参加したとの報道を記憶している。
 昨年、大平総理の秘書官から参院議員になった真鍋賢治の叙勲祝いに出た際、森ビルの社長も姿を見せていたので、なぜ上海なのかを尋ねてみた。彼は、真鍋が大平通産大臣時代の秘書官だった時からの知り合いだった。
 ご存知、日中の扉は72年に大平外務大臣が開けたものである。決断を田中角栄総理がした。このころから森ビルは大平を通して中国、とりわけ商業都市・上海を視野に入れていた、というのである。もしも、福田赳夫や岸信介に接近していれば、上海環球金融中心が誕生することはなかったろう。
 人間関係が左右するビジネス界なのである。
 だからであろうか、この超高層ビルの案内板には中英語のほかに日本語も出ている。入口の案内アナウンスは日本語も。外国にいるという実感がまるでない。国内旅行の延長でしかない。ことほど上海は日本人にとって身近な存在なのである。
<旧市街も改装中> ともかくも、今の上海を代表する超高層建造物を見学できたことは幸いだった。筆者1人での見学はとても無理なのだから。多くの中国人はこれからである。万博に訪れる日本人のお目当ての一つに違いないが、見聞するところがいくらでもある上海である。魅惑される日本人は、繰り返し訪問するようになるだろう。
 既に人口は流動人口を含めると、2000万人を超えている。東京の2倍近い。建造物でも、地震国の東京を圧倒している。経済活動もこちらが活発だ。いずれニューヨーク、ロンドン、東京に迫る金融都市になるだろう。その先には世界一が待ち構えている。時代の流れなのだ。
 旧市街に入り、いったん宿泊ホテルに向かった。戦前の租界地区を通ると、古風な建造物の改装が行われていた。何もかも上海にあるものは全て装いを新たにしようというのであろう。その資金は大変であろう。
 昨年は悲惨きわまりない四川大地震を乗り越え、ついで北京五輪を見事に演じて世界を感動させた。それでいて来年には万博を、これまた最大規模で挙行するというのである。このエネルギーがどこから出てくるものか、外野席の人間にとってただただ圧倒されるだけである。
 この中国の熱いほとばしるエネルギーを世界各国は、膚で受け止めて自国経済の再生にかけている。中国抜きの世界経済は考えられない、といわぬばかりである。
 正直なところ、世界金融危機どこ吹く風という印象ばかりが目に付いてしまう上海なのである。          2009年9月7日10時00分記

<格差・貧困の社会>
 NHKが9月7日に発表した最新世論調査によると、国民の多くが自民党政治に強く反発していたことが判明した。政権交代の原動力は自民党の官僚政治だったのである。情けないことに多くの自民党議員は、それを理解していないというのだから、この政党の再生は期待薄といっていい。筆者は30余年もの間、自民党政治を見聞してきたが、右翼片肺政権そのものの森・小泉内閣で、とうとうしびれを切らしてしまった。取材する意欲を喪失したのである。かつての自民党は消えてしまっていた。
 昨年12月に執筆した「派閥の終焉と日本の針路」(長崎出版)は、自民党官僚政治への決別でもあった。

 現に右翼政権は、格差・貧困を抑制するどころか、逆に市場万能主義を強行して庶民・大衆の生活を追い詰めてしまった。財閥金融など一部富豪層にのみ配慮して日本社会をぼろぼろにしてしまったからである。国民生活を死守すべき資本である国の財政を破綻させてしまった。借金の総額は軽く1000兆円を超えてしまっている。返却するあてのない巨大借金である。これへの対応が日本の将来を決定づけることになろう。
 成長路線云々どころの話ではない。
 それでいて役人は血税で優雅をきわめている。大衆は民主党のスローガンとなった脱官僚政治と関係づけて、自公政権をたたき潰したのだ。国民生活第一を公約した民主党が圧勝して当然である。其の分、同党の政治責任は重い。前途は暗いままであるが、日本国民はこの政党にゆだねるしか他の選択肢がないのも事実だ。
<中途退学の増加>
 今夕、日本テレビがいい特集を放映していた。
 高等学校の中途退学が急増しているという現場報告である。ある県立高校の30人学級では、13人もの生徒が退学した。信じられないような退学者数である。事件を起こしての退学ではない。生活苦からである。
 貧困が子供たちの教育をむしばんでいるのである。母子家庭や健康を害した家庭の子弟らが、次々と校舎を去っていっている。さびしい悲しい情景が列島で繰り広げられているのである。
 民主党が高校生の授業料を免除するとした公約の背景には、こうした現状を踏まえたものなのであろう。だが、莫大な借金を抱える中での大盤振る舞いは物理的に困難であろう。せめて貧困家庭のみの支援を即刻始めたらいい。中曽根バブルで1500兆円を失った日本という現実から逃避することはできないのだから。
 貧困家庭の中には母子家庭が含まれるが、75万世帯もいるのだという。びっくりする数字である。貧困・格差の下での不況が子供たちの教育を破壊しているのである。
 中途退学は大阪が多いという。貧困家庭はより授業料の安い夜間部・定時制高校に入るしかない。このことで大阪では定員オーバーになって関係者を困らせているという。高度経済成長の初期段階の様子に似ている。経済大国の面影などないのである。
 これと同じような現象が首都圏でも起きている、と日本テレビは報じていた。失業と疾病は関連している。貧困が待ち構えている。子供の教育どころではないだろう。格差社会は文句なしに現実化している。
 中流社会の日本という好ましい社会構成は、とうの昔に崩壊してしまっている。政権交代を求めた大衆の心情が、これで理解できるであろう。
<成績―退学―貧困>
 日テレは一人の高校教諭の足取りを追って紹介していた。彼は全国的に退学した生徒の家庭を探し求めて、その理由を聞き出していた。判明したことは、学業成績のよくない生徒が退学していることを突き止めた。その家庭は決まって貧困層にも属してていた。
 要するに、貧困と学業と退学は結びついているというのである。これが悲しい現実なのだ。しかも、こうした貧困は親から子へと引き継がれている、というのである。
 ひとたび貧困家庭に生まれた子供は、教育を受けられずに、いい職業にもありつけずに生涯を送ることになる。その子供も同様の道をたどるというのである。友人弁護士に聞いたことがあるが、この高校教諭は足で歩いてそれを確認していた。
 そうだとすると日本国憲法が保障する「健康で文化的な最低限度の生活保障」は形骸化していることになる。「等しく教育を受ける権利」も持てる側の子弟だけになるのだから大分怪しい。
 弱者を見捨ててきた自公政権のなれの果てが、今日の教育の現場ということになろうか。反対に新政権への期待へとつながるものだろう。
<待機児童の増加>
 認可保育所への待機児童が2万5000人を超えているのだという。母子家庭・友働き家庭の増加を裏付けている。これまた格差・貧困家庭と関係していまいか。
 庶民は生きるために働きに出る。母子家庭なら子供を保育所に預けるしか方法はない。こうした家庭が増えると、待機児童も比例して増加する。夫の収入では生活できない家庭では、妻もじっとしていられない。これも待機児童の増加と関係している。
 せちがらい、厳しい日本社会が目の前に存在しているのだが、それは医療・年金など福祉の制度的破綻とも関係している。税収が少なくなると、官僚政治は真っ先に福祉と教育の予算を減らす。壮大なる無駄である軍事費を削ろうとはしない。日本の役人は、明治この方身を削ることをしない。官尊民卑を断固踏襲している。
 官民平等・官民対等にすることから、この国の改革は始めなければならない。それを新政権に期待するのは酷だろうか。
2009年9月7日21時35分記
<全員野球>
 田舎で雑草と格闘している間に、9月16日に発足する鳩山内閣の骨格が明らかになってきている。新米も購入できた。政策面で国民においしい米を提供できるものか。多少採点は甘くなるが、それも一口で言うと「全員野球」である。民主党を主導してきたベテランが、それぞれ枢要なポストを占める。これに社民党と国民新党からも閣内に。両党に相応の配慮をすると、鳩山新政権は存外、強力なものになろう。
 外野席からは、やっかみもあって「せいぜい2年持つかどうか」などと中傷されているが、それはないだろう。それどころか、糧道を断たれると、自民党のほうが崩れてしまう可能性の方が大きい。実質は小沢時代の到来だ。「政策に口ばしを入れない」という鳩山との約束を本気で守れるのかどうか。よりましな政権のお手並み拝見ということになるが、要は臨時国会での麻生予算見直しと来年度予算編成である。官僚に支配されない能力・見識が試されることになる。



 森内閣以降の自公政権は、つまるところ国家主義の色濃い右翼政権だった。正しくは福田内閣を除いて、というべきだろうが。それにしても右翼片肺政権がこれほど長続きしたことの方が、驚きである。小選挙区制が自民党内のリベラルを駆逐してしまったからであるが、その結果、同党が得意としてきた振り子の原理が作動しなくなってしまった。国民とのかい離を決定的にしてしまった。
 それだけではない。中曽根バブルの崩壊によって1500兆円の資産が消えてしまい、戦後の経済的成果をことごとく破壊してしまったからでもある。とどのつまりは、小泉構造改革なる偽装によって中流安定の日本社会を、格差・貧困社会へと突き落としてしまった。不安の時代を到来させたことによる本格的政変であって、民主革命といえるものだ。
<政府鳩山・党小沢>
 政府を鳩山が取り仕切ることになる。バラマキ的な公約実現という重い課題を背負っている。これはなかなか容易ではない。期待が大きいほど失望も大きくなる。だからといって与党が分裂しない限り、解散に追い込まれる確率は小さい。
 現時点では自民党再生はかなり絶望的である。公明党の出方にもよるが、同党もまた自公政権によって平和の旗を降ろすという失態を演じてしまった。大衆の党という性格も喪失して敗北した。これの総括の行方次第では、独自の選択もありうる。となると、自民党再生は不可能になろう。
 鳩山内閣は安心して内外政に取り組めるだろう。
 課題は来夏の参院選である。選挙は小沢の手にゆだねられた。公約実現がスムーズに進行、永田町と霞が関の巨大腐敗構造を洗い出すことに成功すると、引き続き民主大勝利が約束されることになろう。そのあとは心配の種が出てくるかもしれない。
 政党助成金は小沢の懐に入るわけだから、これはもう鬼に金棒である。無理な金集めもしなくて済むのかもしれない。それに自民党と癒着してきた財界は、ありとあらゆる手段を用いて小沢接近を図るはずである。油断すると、自公の二の舞になる危険性をはらんでいる。財界の腐敗資金は政策との取引のためである。
 個々の部分はよく監視をしていく必要があろう。もっとも、法務検察は小沢に歯向かう力を喪失してしまった。そうなると、権力になびくマスコミがどこまで追い詰められるのか。第一、いまの自民党には野中広務のような人物はいない。
 他方、小沢は細川・羽田両政権での失敗を学んでいる。心得て采配を振るはずである。防御は上手になったと見られている。法務検察の刃におびえた小沢は、これからは自在に政敵退治に利用するだろう。それでも小沢にかみつく猛者が野党から現れるものか。
 政府は鳩山、党務は小沢という棲み分けはなかなかのものである。
<国家戦略菅>
 鳩山内閣の成否は国家戦略局が握ることになる。内外政の重要案件は、全てここから発信することになる。霞が関の官僚の出番を封じる最も大事な組織となる。画期的で枢要な機関である。その人選が注目される。
 その点で、ここの担当を市民派の菅が就任する。責任者としては文句ないだろう。現在あわてて防衛省は組織改編を断行しようとしている。防衛官僚の暴走である。制服組が実権を握ろうとしている、と見られている。背広組を退治しようというものか。これがシビリアンとの兼ね合いでどうなのか。
 背後に民主党右派の前原一派も支援しているとの指摘も出ているが、事実なのかどうか。消費者庁もそうだったが、官僚による既成事実化が素早い速度で進行している。菅の力量がある意味で、政権の行方を握っていまいか。
<外交岡田>
 日本の外交はこれまでワシントンの出店でしかなかった。ものいう政治家が与党からほとんど出なかった。情けない恥ずかしい限りだった。実を言うと、霞が関の外務官僚が全ての下敷きを用意、それに政治家が乗っていたにすぎない。
 これの大改革を民主党は公約している。リベラルな岡田が担当する。人選に問題はない。官僚出身だから官僚の手の内を知悉している唯一の民主党幹部といっていい。
 自立する、モノ言う日本外交を目指すことになる。特にワシントンと北京を重視する外交を展開するだろう。ワシントンのリベラル政権と堂々と渡り合う覚悟があるとみたい。
 清廉な政治家でここまでやってきた政策通である。子分作りに無関心というのもいい。小沢や鳩山とは対極に位置している。民主党の総理候補の一番手であるが、そのためには対話でワシントンを説得、返す刀で北京と信頼を深めていくだろう。
 岡田のデビューは、いうなれば外交が最初になる。日本とアメリカの不可解・不透明な関係を改めてゆく。そしてアジア諸国とは信頼の醸成に努めてゆく。岡田なら出来るように思えてならないのだが。      2009年9月6日8時50分記
<ホテル周辺>
 範君は車の運転、強さんは酒を飲まない。おかげでこちらもビール少量で済ませた。夕食後の時間がたっぷりある。いつものことだが、ホテルを抜け出して周囲を散策してみた。
 大通りを通過する車がその都度、ドタンバタンと大音響を発している。気になって近くで確認してみた。工事現場だった。穴のあいた部分に鉄板をかぶせただけだから、そこを通る車が騒音を発するのである。
 中国の道路は広い。自動車道に自転車・バイク道それに歩道である。日本だと歩道に自転車が割り込んで事故が絶えないが、こちらは歩行者にその心配は少ない。広大な大地は島国の日本人にとってうらやましい限りだ。
 工事現場は1か所だけではなかった。何か所もある。ただでさえ車の数が多い。渋滞して当然だろう。横道に入ってみた。中国の面白さは、実のところ路地にある。庶民の臭いがまだ残っているからだ。人々の汗を感じることが出来る。そこは街灯がなかった。周囲の店からの明かりが頼りだ。
 どっこい乗用車が数台走れるこの道路の舗装が全てはがされて、裸同然の状態になっていた。そこにも車が往来するものだから、あたりは砂埃で煙ってしまう。未開拓時代のアメリカ西部の街の道路のようである。再舗装されるまでは上海随一の不人気な場所なのだ。
<ハングル文字氾濫>
 当初はさして気に留めなかったのだが、泊まっているホテルでハングル文字の看板表示を見て不思議に思った程度である。ところが、このあたりの店や建造物の壁、窓ガラスなど至る所にもハングルが氾濫しているではないか。
 スーパーマーケットで1・8リットルの水を購入すると、値段は8元である。安くない。後で確認してみると、ボトルの表示がハングルだった。つまりは韓国からの輸入製品だった。上海の水は決していいとはいえない。その辺をホテルも承知しており、小ビンに入ったミネラル水2本程度を無料で提供して客の怒りをおさめたりしている。
 筆者は上海通ではないが、まずは売店にいって1・8リットルのミネラル水を買って、これをガブ飲みすることにしている。便秘予防でもある。
 それにしてもハングル文字の氾濫に圧倒されてしまった。ホテルの並びには韓国の自動車メーカー「現代」の販売店もあった。
 思い出した。山東省の青島を旅した時のことである。中国青年報の蘇君が案内してくれたのだが、もうかれこれ10数年前、いや20年前かもしれない。そこで目にしたのはハングル文字の看板だった。ドイツに占領、ついで日本に占領された青島である。それがいまや韓国の企業が占拠してしまった。
 このころからか、血の結びつきの北朝鮮と中国が微妙な関係へと発展した遠因と筆者は理解しているのだが。そんな青島のような地区が、ここ上海の虹橋界隈に誕生していたのである。
 韓国・朝鮮人の商売上手は、日本でも知られている。中国人とて「商の民」として古くから世界を股に賭けて活躍している。華人のネットワークはすごい。現在、それを再び印象付けているのだが、そこへと韓国人が大挙押し寄せて来ていたのである。
<リトル韓国>
 チャイナタウンというと、中国人街として世界的に有名である。日本にも横浜や神戸にある。ここに飛び込めばさしてお金の用意がそんなになくても、お腹を膨らませられるだろう。アメリカでの経験である。
 豪州を一度旅行したことがある。多少の知識を得ようと思い、あらかじめ知り合いの外務政務次官に声をかけて、現地勤務の日本外交官を紹介してもらった。食事に誘ってくれたので、さぞかしおいしいオーストラリア料理店に案内してくれるものだと信じてついて行った。なんと中国料理店だった。チャイナタウンなのだ。
 上海のほど遠くない都市に日本人街を見つけたことがある。日本企業がかなり活躍しているらしく、日本式の料理店がいっぱいあった。そこに行くと日本人の多くは、日本では手に入らない楽しみが待っていた。食事だけではない。
 海外に出る東洋の民は、安心・安全のためでもあろうが、群れる習性がある。これは何も海外に限らない。国内でもそうだ。特に日本人の集団至上主義は有名である。
 だが、ここを歩いていると、韓国人も群れるのが好きなのだということがわかる。リトル韓国である。
 韓国人向けのホテルもあった。筆者が泊まったホテルでも、こんなことがあった。エレベーターで乗り合わせたビジネスマンらは、真夏だというのに背広とネクタイで決めていた。顔や背丈からして日本人そのものである。彼らの会話で韓国人と判明した。
<テッド・ケネディの死>
 午後10時にNHKの衛星テレビをつけてみた。映りが悪い。言葉もとぎれとぎれで聞きにくい。それでもテッド・ケネディの死去を知った。
 若い上院議員のスキャンダラスな事故が、彼の人生をいい方向に変えた。そのことで彼は好ましい政治家の一員になることが出来た。2人の兄を銃弾という卑劣な手口で失ったエドワードもまた、大統領に挑戦したがスキャンダルが足を引っ張った。これも彼の運命だったのだろう。しかし、彼は最後にオバマを大統領に押し上げることが出来た。
 ジョンとロバートの不運をエドワードが盛り返したように思える。
 ケネディ大統領の暗殺は、当時4・5畳の狭い部屋で進学勉強をしていた弟と一緒に寝起きしていて、未明にラジオを聞いていた弟が起こして知らせてくれた。その前にキューバ事件があった。当時、ケネディがソ連との対決を求める軍部と攻防を繰り広げていたことなど知る由もなかった。暗殺真犯人は産軍体制と理解している。だから、かの民主主義アメリカでも犯人を突き止めていない。   2009年8月30日10時30分記
<蒸し風呂の虹橋>
 8月26日の東京は秋風が吹いていた。半袖シャツに夏の背広で十分だった。日照不足で米の作柄に異変が現れて、関係者をやきもきさせていた。気候変動と地球温暖化の因果関係は間違いないところだが、世の指導者たちは経済的利益を優先して対応しようとしていない。
 人間の愚かさには国家という壁が邪魔をする。人類・人間という視点がない。そこに財閥なる政治を背後で操る金の亡者が、王道を歩かせようとしない。このままでは人類が21世紀を安全に生きられるという保証はない。あきらめが人々をむしばんでいる。
 そんなことを考えているところに範君が姿を見せた。大渋滞が遅れた理由だが、空港の外に一歩出ると否応なしに筆者の目にもそれを突きつけてきた。

 しかし、それよりも前に虹橋のムッとする湿っぽい暑さが体を包んだ。サウナに入ったような感じである。蒸し風呂なのだ。東京と同じくらいの気候を思い込んでいたものだから、多少あわててしまった。範君は心得ているように車の冷房を効かせてくれた。
 後で聞いたところによると、東北は干ばつで農作物被害が出ているというし、南の方では洪水で泣いているらしい。台湾の水害事故はひどかったが、気候変動は全世界で起きていることになる。
 上海ではTシャツ1枚で十分なのだった。
<大渋滞と埃>
 範君は来るとき、高速道路の渋滞に悩まされたらしい。今度は一般道にハンドルを切った。ところが、どうしてこちらも大渋滞である。動かないのだ。
 隙間を見つけている間に道に迷ってしまった。珍しく木々がうっそうと茂る場所に出た。冬場に鄧小平や江沢民が上海を訪れたと聞いたが、その場所ではないだろうか。そのうちに動物園の前に出た。
 問題は車が多すぎる。人々の懐が豊かになった証拠だが、精神に比例しているものか、大いに疑問である。かつて大渋滞の都市というと、タイのバンコクが通り相場だったが、いまや上海に取って代わられた格好である。
 しかも埃が舞っている。冷房者はいいが、バイクや自転車、歩行者は深刻である。
<道路改修と地下鉄工事>
 埃の原因は道路の改修工事である。市内のいたるところ工事、工事である。犬も歩けば棒に当たるということわざ通り、道路に空いた穴が無数に点在している。どうやら改修は年内いっぱいかかるらしい。
 来年はすばらしい舗装道路が観光客を喜ばせるだろう。来年の上海万博に向けての万全の準備を進行させているのである。道路だけではない。地下鉄工事もどんどん路線が拡大している。日本と違い、土地が国有だから動けば早い。第一、コストもべら棒に安い。地方の農民が道路、地下鉄、ビル建設と何もかも処理してくれる。
 万里の長城もこうした農民工の手に寄って実現したものであろう。
 上海の先例は北京である。昨年の北京五輪をテコにして北京市は一変した。筆者が感動したのは、市内の無数の便所が清潔に整頓されたことである。大きな行事を計画、そこに人々の夢と希望を抱かせながら都市の改造を実現する。そこへと8億人はいるとされる農民工を動員するのである。出稼ぎ農民工は現金を手にして家を新築、家電を購入、子供に教育をつける。
 昨年は、北京五輪と四川大地震を共に乗り越えるという奇跡を演じた中国は、いままた金融危機で日欧米が衰退する中で、ひとり上海万博に突進して気勢を上げているのである。
 人海戦術をもってすれば、何事も不可能などないといわぬばかりである。そのエネルギー・パワーはただ事ではない。疲弊する欧米先進国に、とって代わる大中国を確実に裏付けている。ここまでの成果を泉下の鄧小平も読み切れなかったろう。
 後継者に江沢民、ついで胡錦濤を指名した彼の才覚には驚嘆するばかりである。
<万博景気>
 筆者は経済の専門家ではない。詳しくは知らない。ただ、激しく行き交う車の移動のすさまじさから、不況に泣いている上海という印象を持つことはできない。
 確かに金融危機の影響を受けて融資が止まり、ビル建設にブレーキがかかっているような建造物を数か所目にはした。他方で、都心で繰り広げる高層建築の数々には圧倒されるばかりである。
 庶民の懐は知らない。しかし、ホテルの周囲を2度も散策したが、浮浪者を一人も目にしなかった。まぎれもなく上海は万博ビジネスで沸きたっていた。それは今春眺めた上海景気に、寄り弾みがついていた。
 「農民工が不足している」という新聞記事を教えてくれた研究者も現れた。大学生の就職難は世界共通の現象であるが、出稼ぎ人夫不足というのも、世界でここ上海だけであろう。
<伊勢海老刺身>
 範君は筆者の泊まるホテルに案内してくれた。書家世家会所酒店という、実に古い中国らしい重々しく落ち着いたホテルである。
 既に範君の上司の強さんが待っていてくれた。このホテルレストランで、ほとんど味わうことのない伊勢海老の刺身をご馳走になった。刺身というと、大分前に食べてお腹を壊したことがあった。衛生面に問題があったらしい。むろん、今回は彼らの配慮で巨大な伊勢海老の刺身を一人で平らげたが、お腹を壊すことはなかった。衛生面は見事に解決している証拠なのだ。
 残った海老を粥にしてくれた。これがまたおいしい。つい何杯もお代りした。

 中国訪問の素晴らしい点は食事である。中国料理が嫌いな日本人はいないのだから、それだけで中国の旅は日本人に喜びを与えてくれる。餃子事件などは過去のことで、筆者はすっかり忘れている。来年の万博では同じ思いをする日本人ばかりであろう。
 デザートに新疆ウイグル自治区でたくさん採れるハミグワが出た。一度、10数人の仲間を率いて旅行したことがある。路上で山のようなハミグワを売っている場所にバスを止めた。2度と食べられないと思ったものだから、食べ放題食べた思い出のメロンである。なかなかの美味である。上海や北京には熟れる前に移送するため、本場の味とは違う。それでも、上海でのハミグワは懐かしい思い出を蘇らせてくれた。
 ウルムチでの暴動事件のことも。こちらは現地に行ったものでないと、なかなか真相はわからないものである。          2009年8月29日22時05分記

 生前の宇都宮徳馬さんが筆者の「日中友好活動」を支えてくれたようなものだが、その後も見識のある友人が現れてくれた。かくして、ジャーナリストとしての「訪中100回」という大目標は、昨今の経済情勢が影響してかなりきつくなったかに見えるが、それでも筆者の錦の旗であることに変わりない。その人物が「8月は行かないのか」とお尻を叩いてくれたのだ。さっそく北京や上海の友人に電子メールを送り、勉強会かシンポジウムはないか、と問い合わせてみた。無念にもどこからも誘いはなかった。

 経済危機はどこもかしこも同じなのだ。全ての活動が萎縮してしまっているのだろう。そう判断して8月以降の訪中をあきらめていた。ところが8月中旬も過ぎたころ、上海市文化交流協会から電子メールが届いた。こうして88回で中断していた訪中の機会が、突然、実現したのである。幸運は常に不意に訪れるものである。
 ただし、実質1日の滞在である。こんなことも初めてのことである。時間がないので、上海の友人らには声をかけないことにした。迷惑をかけるだけだからだ。
<羽田―虹橋2・5時間>
 「そのうちに成田空港は貨物空港になる」と公言していた自民党幹部がいたが、確かにこんな不便な国際空港は世界にはない。案の定、羽田空港の拡張が始まり、台湾便に加えて昨今は、中国や韓国路線が出来ている。
 羽田と上海の虹橋空港は、ビジネスマンにとって実に便利な路線である。日帰りも出来るらしい。片道2・5時間と短い。
 国交正常化以前は香港から鉄道を利用して大陸に入った。長い旅だった。正常化後も北京に入るのに朝鮮半島を迂回し、上海上空を経由しなければならなかった。韓国と中国の関係が正常化すると、随分と時間が短縮されたのだが、それでも成田にたどり着くまでが大変だった。成田から都心までも同じである。ヘリが飛び始めたようだが、庶民には無関係である。
<格安便で人・物の交流拡大>
 俄然、羽田からの上海便に人気が集まるのだが、これには苦言を呈したいことがある。それは格安便がないことである。日本機と中国機が共同運航している点に、どうやら問題があるらしい。航空運賃を談合しているのだろう。独禁法違反ではないだろうか。
 成田からのだと格安便があり、庶民は米機を利用したりして大助かりなのだが、羽田にはない。それでいて機内はいつも空いている。運輸交通官僚と航空会社の利権あさりと無関係ではあるまい。格安便を飛ばせば、羽田と虹橋の路線の利用者はさらに増えて、人と物の流れに弾みがつくだろう。こんなことは政治が容易に解決できる事柄である。
 知恵を出せ、といいたい。
<上海航空>
 電子航空券というのは、まことに便利である。パスポートだけ提示すると、航空券を手に入れられる。このサービスには驚かされた。上海航空のB767に乗ってみて、座席の前の間隔が広いのに気付いた。B767の新型機は皆そうなのか。筆者は上海人を連想した。
 中国人もいろいろだ。たくさんの民族がいる。そんな中で山東人と上海人の体は大きい。今回筆者を空港に出迎えてくれた範君は186センチの長身である。欧米人並みかそれ以上である。体長に合わせた飛行機を運航させている上海航空と理解したのだが、どうだろうか。
 女性乗務員も背が高い。しばらくして日本人乗務員が勤務していることが、機内案内の声ですぐわかった。日本から飛ぶ欧米機に日本人乗務員はいる。宮澤喜一元総理の一人娘は、ドイツ・ルフトハンザ機の乗務員だったことがある。しかし、日本人採用の中国機はそう古くではない。最近のことであろう。軽食が出てきた。その中に日本そばがあった。日本機並みの中国機なのだ。
<音楽サービスなし>
 筆者だけではあるまい。機内での時間つぶしは音楽や映画を聞いたり、見たりして過ごす。決まって美しい古典曲を探すのが楽しみの一つなのだが、残念ながら音楽サービスがなかった。2・5時間には不要と判断したのだろうか。それともコスト削減からなのか。
 一部のビジネスマンは機内にパソコンを持ち込んでいる。音楽どころではない乗客ばかりというのであろうか。時流に合わせているものか。ともあれ、音楽サービス以外では、申し分のない上海航空ではあった。
 むろんのことだが、ツンツンしている中国民航の乗務員のようなスチュワーデスを見つけることは、もはや困難だった。
<灰色の上空>
 B767が上海上空に舞い降りると、汚染大気が視界を遮ってくる。2000万人を超える人口は吐き出す息だけでもすごいだろう。そこにはちきれんばかりの自動車が排気ガスをまき散らしている。冷房からのものも加わる。
 このさまを見ると、いつも電気自動車のことを思い出してしまう。日本ではさまざまな利害が関係するため、電気自動車時代になるのに相当の時間を必要とするだろう。しかし、中国の特異な体制をもってすれば、即座に変革可能であろう。
 100回訪中が実現した暁の上海の空が青く澄みきっていないか。大気汚染から解放していれば、この上なく幸せな気分にしてくれるであろう。これも新たな夢である。 
<親切?実は狼男>
 飛行機は予定より早めに着いたらしい。手に持つカバン一つの旅である。わずかな資料のほか、洗面具と下着類だけである。荷物を受け取る時間が不要だから、すぐに到着ロビーに出ることが出来た。出迎えの範君がいない。
 電話機を探して、以前購入した電話カードを差し込んだ。かからない。かかるわけがなかった。既に使い果たしてあった。電話カードを売ってないものか、あたりを探したがない。まいった。範君と連絡がとれない。
 うろうろしていると中国人男性が声をかけてきた。むろん、筆者は意味不明である。
「インフォメーション」といって彼方のカウンターを指差した。親切なお兄さんに感謝しながら「電話をしたい」と範君の携帯を見せると、わかったらしくカウンターの女性に指示して電話機を目の前に置いて電話してくれた。範君とつながった。この間、数分である。
 親切な応対に感動、上海のすばらしい思い出になるはずだった。女性に電話代を払おうとした。すると彼女はチップという。それをかの親切なお兄さんに、というのである。
 困った。日本人にはチップの観念がない。「いくら」と尋ねると。彼は正体を現した。「100元」と言い出した。これで彼が親切な上海人でないことを悟った。ポケットにあった5元札を押しつけて、そこを逃げ出した。まだ午後の5時ごろである。事件化すれば大声を出せばいいだろう、との思いもあった。幸い、追いかけられることはなかった。手提げカバン一つという身軽さも、勇気をくれたらしい。
 一人旅は無理という事実を、改めて悟らされてしまった。
2009年8月29日11時20分記


<友愛外交への期待>
 鳩山家はクリスチャンと聞いている。同じクリスチャンでも、武力で自分の信じる価値観を押し付けるブッシュのような悪逆非道な人物は危険で怖いが、友愛を説いている新しい政権担当者は、戦争屋ではないはずである。ブッシュのいいなりになった小泉・安倍・麻生とも違うだろう。

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