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    <title>今西富幸の「思考する読書」</title>
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    <title>コラム「風」　Ｎｏ１０「再び、書き続けることの意味」：今西富幸</title>
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    <published>2009-11-14T03:36:24Z</published>
    <updated>2009-11-14T13:45:33Z</updated>

    <summary>　小説を読み過ぎて火照った頭を冷やそうと、恐る恐る手にした詩集に案の定、打ちのめされた。...</summary>
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        <![CDATA[<p>　小説を読み過ぎて火照った頭を冷やそうと、恐る恐る手にした詩集に案の定、打ちのめされた。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　決して"よき読者"とはいいがたいけれど、いまもわたしはときどき詩集のページをめくっているのであるが、詩に打ちのめされたなどという体験はもう久しくなかったことだ。<br />
　古賀忠昭さんの詩集『血のたらちね』（書肆山田）。気になって購入しながら手にはとらず、ずっと本棚に置いたままだった。いや、おそらく手に取る前から、決してこれは尋常ならざる決意がなければ読んではならぬと、詩集全体から発せられる無言の警告をすでにわたしの五感が察知していたのかもしれない。実際、本の帯にはこんな言葉が書きつけられてあった。<br />
　《30年の沈黙のときを解放した詩人が、命の底に溢れ出る絶唱の言霊を召喚する》<br />
　他言は無用。冒頭の「ちのはは」を引用する。<br />
　<br />
　もうすぐ　しぬので　こうこくのうらにかきます<br />
　しぬと　じごくにゆくので　かえってこれんので　しぬまえに　　こうこくのうらにか<br />
　きます<br />
　えんぴつば　なめなめ　かいとるので　じがきたのなるので　ごめんです<br />
　さきに　じごくとかきましたが　じごくにゆくことはあたりまえ　のことですけん<br />
　すこしも　しんぱいしておりませんが<br />
　じごくにゆくごたるこつばかりしてきたので　じごくにゆくことは　あたりまえで<br />
　じごくにゆくことは　ちっとも　えずなかけど　じごくにゆくことしかでけんもんが<br />
　こげなことをかいて　よかか　まようており　こまっており　まようて　おります</p>

<p>　ここまで書き写しながら、息苦しくなってきた。どうか、このあたりでご勘弁いただきたい。鉛筆で一字ずつ、まるでなにかをかきむしるように書きつけられた文字は、ご覧のとおり全部ひらがなである。恐ろしい。このひらがなが恐ろしいのである。文字霊がのたうちまわっている。「現代詩」か「詩」であるかなどという不毛な論議は、はなから拒絶されてしまっている。それがいい。すこぶるいい。そして、やっぱり恐ろしい。<br />
　作者の古賀忠昭さんは昨年４月、この詩集で丸山豊記念現代詩賞の受賞が決まった直後、授賞式を前にがんで亡くなった。古賀さんとはどんなひとだったのか。詩集の巻末に付された略歴を書き写す。</p>

<p>　《1944年、福岡県柳川市のはずれの干拓地に生まれる。25歳ころまで実家の農漁業に従事。その後、久留米にて廃品回収業を営み、現在に至る。》<br />
　<br />
　古賀さんは1974年、詩集『土の天皇』（私家版）を出して以来、ずっと沈黙を守ってきた。1970年代に「現代詩手帖」に発表した作品が「差別」にあたるとして、部落解放同盟から批判を受けている。そのことと彼の沈黙が関係しているのか、わたしにはわからない。そして、２００６年、古賀さんは約30年ぶりとなる『血ん穴』、翌2007年に『血のたらちね』を立て続けに刊行し、逝った。<br />
　ここでもまた、書き続けることの意味を考えないわけにはいかなかった。<br />
</p>]]>
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    <title>編集局からの手紙　２８「どうなるマスメディア４」：今西富幸</title>
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    <published>2009-11-09T15:10:00Z</published>
    <updated>2009-11-09T12:41:00Z</updated>

    <summary>　世の不景気はマスコミにおいても無縁ではない。かつてわたしが在籍した新聞社で40歳以上50歳未満の社員を対象に希望退職を募る形で大幅な人員削減が行われていることはすでに書いた。今回はその続報。実は経費...</summary>
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        <category term="編集局からの手紙" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<p>　世の不景気はマスコミにおいても無縁ではない。かつてわたしが在籍した新聞社で40歳以上50歳未満の社員を対象に希望退職を募る形で大幅な人員削減が行われていることはすでに書いた。今回はその続報。実は経費を減らすための「内制化計画」なるものがいま、ひそかに進められているのである。<br />
</p>]]>
        <![CDATA[<p>　いったい何のことかと思われるかもしれないが、読んで字のごとし。新聞社には記者が書く以外、社外に発注している原稿もある。こうした仕事を原則、社内で充足させようというものだ。たとえば、大学の先生など外部の識者に寄稿してもらうと当然ながら原稿料というものが発生するのだが、それを自社制作すれば経費は「ゼロ」。つまり"自給自足"の徹底ということのようである。そして、その号令のもと、どうやら新聞小説でもそれを実行するという話を聞き、さすがに驚いてしまった。現在、朝刊で連載中の堺屋太一氏の小説が終わる来年から、本気で記者に小説を書かせるらしい。<br />
　いうまでもなく、新聞小説は各社の売りのひとつだ。人気作家が受け持った場合、原稿料も年間で数千万円と破格の扱いになる。この経費を削減できるのだから、確かに名案かもしれない。一方で無謀な決断という声も聞いたが、古くは夏目漱石が小説を書くための専属社員として朝日新聞に入社したのは有名な話。『三四郎』『それから』『門』『彼岸過迄』など彼の傑作の多くは新聞小説において生み出されたものなのである。ここはぜひとも、職業作家には書けない傑作をものしてもらいたいものだ。<br />
　むろん、この英断の真価は経費がどれだけ削減できたかなどという内側の結果ではなく、あくまでも記者が社を代表して書くことになるその作品の中身によってこそ試されることはいうまでもない。<br />
</p>]]>
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    <title>編集局からの手紙　２７「めだかの話　その７」：今西富幸</title>
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    <published>2009-10-12T15:10:00Z</published>
    <updated>2009-10-12T15:45:18Z</updated>

    <summary> 　わが家のベランダに並ぶ水槽のなかに先日、片目の稚魚を発見したことは前回書いたが、こんどはなんと超肥満体のめだかを見つけた。...</summary>
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        <![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="s-PA100020.jpg" src="http://j-net.obei.jp/imanishi/s-PA100020.jpg" width="320" height="240" class="mt-image-none" style="" /></span></p>

<p>　わが家のベランダに並ぶ水槽のなかに先日、片目の稚魚を発見したことは前回書いたが、こんどはなんと超肥満体のめだかを見つけた。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　これがその写真である。一緒に写っている普通のめだかと比べれば、一目瞭然。まるで子ネズミのような体型に見える。めだかもメタボになるということは、腹八分目は人間ならずとも、あらゆる生物に共通の課題ということだろう。<br />
　それはともかく、今年のノーベル平和賞が米国オバマ大統領に決まったが、新聞の論調を見る限り、この受賞に関しては賛否両論が渦巻いているようだ。最も否定的な見解はわたしがかつて在籍した新聞社の意見に集約されるが、就任から日の浅い大統領への賞の授与はあきらかに政治的な後押しの意味合いが強いというものである。しかし、この意見には正直、首をひねらざるを得ない。平和に貢献したものに与えられるこの賞が政治的な色合いを帯びるのはある意味で当然のことである。むしろ重要なのは、その賞のベクトルが理にかなっているか否かであろう。<br />
　たしかにオバマ大統領にこれまでほとんど実績らしい実績がないのは事実である。しかし、名前をさえ出すのさえ倦厭したい前大統領の強権外交を改め、さきの国連総会において核廃絶に向けたアメリカの姿勢を全世界にアピールしたことの意義は極めて大きい。前任の大統領がしでかした厚顔無恥を考えれば、このアピールの意味は当然ながら倍加するといっても過言ではあるまい。<br />
　そもそも理念を語ることなくして、平和を実現することなどできはしまい。その意味でわたしは今回の授賞を決めたノルウェーのノーベル賞委員会の英断はもちろん、前大統領から一転、オバマ大統領を選んだアメリカという国の良識とダイナミズムに改めて、心から拍手を送りたいと思うのである。<br />
</p>]]>
    </content>
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    <title>コラム「風」　Ｎｏ９「『大阪人』について」：今西富幸</title>
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    <published>2009-10-09T15:47:07Z</published>
    <updated>2009-10-12T15:53:18Z</updated>

    <summary>　今回は『大阪人』について書く。といっても、信号が変わる数秒前から横断歩道に一歩、足を踏み出してしまう大阪人特有の気質のことについてではない。わたくしことで恐縮だが、縁あってこの夏から記事を書かせても...</summary>
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        <![CDATA[<p>　今回は『大阪人』について書く。といっても、信号が変わる数秒前から横断歩道に一歩、足を踏み出してしまう大阪人特有の気質のことについてではない。わたくしことで恐縮だが、縁あってこの夏から記事を書かせてもらっている月刊誌のことだ。<br />
　</p>]]>
        <![CDATA[<p>　大阪市の外郭団体が発行する雑誌で、その存在は以前から耳にしていたのだが、これまで手に取って読んだことはなく、てっきり地元のグルメスポットを紹介するタウン誌だとばかり思っていた。それがとんでもない勘違いであることを、仕事を請け負って初めて自覚させられたという次第である。<br />
　手前味噌ながら言わせていただくと、これはたいへんに面白い雑誌だ。毎回、大阪市のどこかを１箇所、特集エリアと決め、もちろん、老舗のグルメスポットも紹介するのだが、タウン誌と決定的に違うのは、店を商う人々の"来し方行く末"を簡潔に"物語化"しなければならないという点だろう。"簡潔に"というのがポイント。つまり単なる味の紹介で終わってはならないということであり、わたしはこれを勝手に「人生の異化作業」と呼んでいるのだが、それゆえに記事作成にあたっては相当高いハードルが求められることになる。<br />
　ちなみに最新の11月号は「千日前・法善寺」特集。今回取材したうちの１軒が法善寺横丁のすぐそばにある洋食店「末廣軒」である。ここの名物「ハイシライス」は文字通り、思わず唸ってしまうくらいにうまかった。それはともかく、まず驚いたのは、現在店を切り盛りする３代目店主、末廣修二さんの義父、つまり２代目がなんと連合艦隊の司令官、山本五十六に従軍したコック長だったということ。<br />
　さらにもう１軒、同じく法善寺横丁への参道「南地中筋」にある喫茶店「アラビヤコーヒー」の店主、高坂明郎さんの母親、峰子さんがなんと戦後、わが国にも一時期だけ存在した女子プロ野球の選手だったということだ。峰子さんは今年76歳。数年前、当時のメンバーに呼びかけ、「大阪シルバーシスターズ」という野球チームを結成し、いまでも週に１度、試合にも参加している。最近、英国ロイター通信の取材を受けたそうだ。<br />
　詳しくは記事を読んでいただく以外にないが、まさに市井の人々によって歴史はつくられているのだということを実感した。そんなことを書いていたら、米国オバマ大統領のノーベル平和賞受賞のニュースが飛び込んできた。この件については次回に改めて書きたいと思うが、それにしても日本と違って、米国の懐ろの深さをこのニュースでもって思い知らされた気がする。いまの日本に欠けているのはまさに、この種のダイナミズムではなかろうか。<br />
</p>]]>
    </content>
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    <title>編集局からの手紙　２６　「めだかの話　その６」：今西富幸</title>
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    <published>2009-09-21T15:00:26Z</published>
    <updated>2009-10-12T15:50:39Z</updated>

    <summary>　わが家のベランダに並ぶ水槽のめだかたちもようやく夏の産卵期を終えたようだ。稚魚水槽ではいま、100匹以上の子めだかが育っているのだが、先日、その水槽を観察していてある異変に気がついた。 ...</summary>
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        <![CDATA[<p>　わが家のベランダに並ぶ水槽のめだかたちもようやく夏の産卵期を終えたようだ。稚魚水槽ではいま、100匹以上の子めだかが育っているのだが、先日、その水槽を観察していてある異変に気がついた。<br />
</p>]]>
        <![CDATA[<p>　じつは稚魚のなかに片目のめだかが混じっていたのだ。それも、10匹以上はいるだろうか。視野のバランスがとりにくいのか、同じところをクルクルと回っているのですぐに目についた。幸い、いまのところ餌にも旺盛に食いつき、いたって元気に泳いでくれている。なぜ片目で生まれたのかはわからないが、このまま順調に育ってくれることを祈るばかりだ。<br />
　さてベランダから人間界に目を転じれば、さきの総選挙で圧勝して発足した鳩山内閣への期待値は新聞各紙の世論調査を見る限り、相当に高いようである。おそらく、小泉政権とは真逆の方向でさまざまな改革が進められそうだという予感がこの結果に結びついていることは間違いない。ある報道によれば、定住外国人への地方参政権の付与について、小沢一郎幹事長が前向きに検討しているとのことだ。現時点で拙速に評価を与えることは慎むべきだが、少なくとも自民党時代にはなかったある種の潔さ、失敗を恐れない前向きさ、そしてそれに伴う決断力を国民が肌で感じ取っているのではないだろう。引き続き、政治が真のダイナミズムを発揮することができるのか否か。前向きに、しかも注意深く見守っていきたい。<br />
</p>]]>
    </content>
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    <title>コラム「風」　Ｎｏ８　「政治は糾える縄の如し」:今西富幸</title>
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    <published>2009-09-11T15:30:00Z</published>
    <updated>2009-09-12T08:17:22Z</updated>

    <summary>　「禍福は糾える縄の如し」という諺があるが、今回ほどこの言葉の意味を身をもって実感させてくれた選挙はなかった。...</summary>
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        <![CDATA[<p>　「禍福は糾える縄の如し」という諺があるが、今回ほどこの言葉の意味を身をもって実感させてくれた選挙はなかった。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　ひとつはジャーナリストネットのメンバーの某氏が支持した社民党のＡ候補が当選したことだ。じつは自民党が圧勝した数年前の"郵政民営化選挙"の際、わたしは某氏に嘆願され、Ａ候補に１票を投じたひとりである。しかし、このときわたしは某氏に「死票になるのを承知で投票しましたよ」などと、嫌味めいたことを言ったものだった。実際、Ａ候補は落選した。死票になるのがわかりながら、１票を投じるのは積極的な棄権と同様、政治参加の実効性に欠けると思ったからである。つまり、政治選択の場において、自分の信念より人間関係を優先したというわけだ。であるからして、失礼ながら、今回もＡ候補が当選するとは夢にも思わなかった。だから、A候補の当選を伝える翌日の朝刊を読んだときは、しばらく開いた口がふさがらなかった次第である。<br />
　さて、ここからはお詫びである。このＡ候補が属する社民党について、わたしは「編集局からの手紙」のなかで「言っては悪いけれど、社民党の時代などすっかり終わってしまっています」と書いた。まずはそのことをこの場を借りて真摯に謝罪しておきたいと思う。某さん、ごめんなさい。<br />
　ご承知のとおり、今回の選挙ではＡ候補の躍進のみならず、社民党は連立政権の一翼を担うこととなり、福島みずほ党首が入閣することになった。あるいは"郵政民営化選挙"の際、当時の小泉首相に造反して党を離れた亀井静香氏の国民新党が与党側に回り、亀井代表の入閣が決まった。おそらく亀井代表自身、離党してわずか数年後、あまりにエキセントリックなおのが命運を思い描くことなど、とてもできなかったにちがいない。今回の成り行きにだれよりも驚いているのは、亀井代表なのではないか。そしていま、あのとき圧倒的な数の論理によって実現した「郵政民営化」が、今回も同じ圧倒的な数の論理によって見直されようとしている。<br />
　まさに「政治は糾える縄の如し」である。これも２大政党時代の必然かもしれないが、わが国の政治がダイナミズムに動き出すことをわたしはいま、久しぶりに心から期待している。<br />
</p>]]>
    </content>
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    <title>編集局からの手紙　２５「裁判員裁判について」：今西富幸</title>
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    <published>2009-08-11T12:39:24Z</published>
    <updated>2009-08-11T01:24:19Z</updated>

    <summary>　全国初の裁判員裁判となった「東京都足立区の隣人女性殺害事件」の判決がこのほど、言い渡された。懲役16年の求刑に対し、下された結論は懲役15年。この結果を知り、わたしはひとまず、動き始めたばかりのこの...</summary>
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        <![CDATA[<p>　全国初の裁判員裁判となった「東京都足立区の隣人女性殺害事件」の判決がこのほど、言い渡された。懲役16年の求刑に対し、下された結論は懲役15年。この結果を知り、わたしはひとまず、動き始めたばかりのこの制度に前向きな評価を下そうと思った。この欄で裁判員制度について書いた三室委員の結論とは異なる意見になるけれど、その理由を説明する前に少しばかりの寄り道をお許しいただきたい。<br />
</p>]]>
        <![CDATA[<p>　わたしが新聞社の司法記者をしていたのはいまからもう15年近くも前のことだが、そのころいまは退官した井垣康弘判事と知り合った。神戸連続児童殺傷事件の少年審判を神戸家裁で担当されただけでなく、日本の司法制度にさまざまな風穴を開けた"改革判事"として知られているひとだ。<br />
　その改革のひとつが、神戸連続児童殺傷事件における情報公開だった。判事は、当時はまだ非公開が原則だった審判の決定要旨を、加害男性の養育歴や精神状況にも踏み込んで公表した。社会的な耳目を集めた事件の少年審判では前例のない扱いだったが、それもいまでは少年審判の決定要旨は公開されるのが「常識」になった。また、加害男性が医療少年院に送致されたあとは「一生をかけて罪を償ってほしい」と、犠牲になった少女の母親の手記を読むよう熱心に勧めたのである。<br />
　さらに時代を遡れば、判事が大阪家裁岸和田支部に勤務されていたころ、わたしが在籍した新聞の大阪版で「裁判所の窓から」という連載が実現したことも、そうだろう。裁判官が新聞に寄稿することなど考えられなかった時代である。これは当初、判事ひとりで書いてもらうつもりだったが、結果的に４人の弁護士との持ち回りになったのは、最高裁に決裁を仰いだ判事から「連載が可能かどうか、答えが出るまで最低半年はかかるそうですよ」という裁判所の驚くべきシステムを打ちかえされたからだった。<br />
　そんな判事と顔を合わせるたび、わたしは将来に実現することになるかもしれない「市民参加型の裁判」についてよく話を聞かされたものだった。判事がそこまで市民参加型の裁判の実現にこだわったのは、法律の専門家であるがゆえの、職業裁判官だけでは見落としがちな欠点を「市民」の視点を導入することで克服できるはずだと考えたからにほかならない。<br />
　実際、司法記者を担当していた約４年間、わたしは本来果たすべき役割の低さから「２割司法」とまで揶揄された裁判所システムの「常識」の多くが一般社会の「非常識」であることを痛感させられた。たとえば、暴力団幹部が被告のある裁判では法廷に入りきれないため傍聴席に多くの部下が立ったままでいるのを事前に排除せず、そのまま暴力団の威力に屈したかのような前代未聞の審理をした裁判官がいた。あるいは、民事裁判の判決の中身がどう読んでも理解できなかったため、裁判官室に赴いて質問をぶつけると、「裁判官は書かれた判決以外に話すつもりはないそうです。どう読むかは記者さんの判断にお任せするとのことです」という答えを、本人ではなく広報部を通じて打ち返されたのをいまでもなかばあきれ返った感覚とともに覚えている。<br />
　「市民参加型の裁判」とはたとえば、このような裁判官の感覚を正すための方向としても決して間違っていないと思うのだが、いかがだろう。ただ、最大の問題はこの制度がまだ充分に浸透しないうちに見切り発車してしまった点にあるとわたしは考えている。つまり、市民参加という号令のもと、この制度への参入をなかば強制的に国民に強いる印象だけが一人歩きしてしまっているということだ。制度のスタートまでに最高裁はもっと国民への情報共有を真摯に行うべきだった。<br />
　この結果、三室委員が指摘したように、この制度に参加したくないと答えた国民は全体の８割近くにも上ることになった。なにもわからない司法とかかわりになるのだけはご免こうむりたいという意識の表れに違いない。一種の恐れであり、当然の感覚だろう。しかし、この結果をもって、裁判員制度が望まれていないと断するのは早計である。いうまでもなく、裁判員に求められるのは司法に精通した知識ではなく、まさに一般市民の感覚なのだから。法律の素人でいいのだ。<br />
　さて、ここで冒頭の話に戻ると、これまでの裁判では求刑の「８掛け」がいわゆる判決の相場とされていた。したがって懲役16年の求刑に対し、懲役12、13年というのが妥当なところだろう。しかし、今回、それを上回るより厳しい結果を裁判員は選択したことになる。もちろん、裁判員の懲罰感情だけを増幅させる審理は論外だが、これまでの判決に比べ、市民感覚がより如実に反映された判決だと思った。<br />
　「終わってほっとしたというのが正直な気持ち」とは、審理を担当したある裁判員の判決後のコメントである。わたしが現時点でこの制度に前向きな評価を下すことにしたのも、すべてはこの声を新聞で読んだからである。ひとを裁く怖さと同時に、より慎重な審理を行わなければならないという、いい意味での心理的な負荷がこの言葉に見事に結実しているのではないだろうか。全身全霊の審理であったと信じるに足る言葉だ。今後の裁判員裁判の審理を注意深く見守っていきたいと思う。<br />
</p>]]>
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    <title>コラム「風」　Ｎｏ７「書き続けることの意味」:今西富幸</title>
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    <published>2009-08-08T13:11:50Z</published>
    <updated>2009-08-09T23:22:33Z</updated>

    <summary>　Ｈ氏賞といえば、詩の世界では最も人口に膾炙した賞だ。だからというわけでもあるまいが、「詩壇の芥川賞」などといういささか俗物的な冠をつけてマスコミが報じるのを、現代詩になじみのないひとでも一再ならず、...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://j-net.obei.jp/imanishi/">
        <![CDATA[<p>　Ｈ氏賞といえば、詩の世界では最も人口に膾炙した賞だ。だからというわけでもあるまいが、「詩壇の芥川賞」などといういささか俗物的な冠をつけてマスコミが報じるのを、現代詩になじみのないひとでも一再ならず、耳にしたことはあるだろう。<br />
　</p>]]>
        <![CDATA[<p>　それはともかく、今年度のＨ氏賞の受賞者が福井県出身の詩人、中島悦子さんの『マッチ売りの偽書』（思潮社）に決まったのを知り、わたしは思わず快哉を叫んでしまった。もちろん、彼女と面識はないのだが、じつは約30年も前にすでにわたしは彼女の作品と出会っているのだ。<br />
　当時、わたしは高校３年生で、いわゆる熱心な"投稿少年"だった。中島さんの詩を読んだのは「高３コース」という受験雑誌の投稿欄で、わたしもそこに投稿していたのだが、新旧の３年生の作品が入り混じる号に１年先輩の入選作として掲載されていたのである。幸い、手元にその切り抜きがあるので全文を引用する。</p>

<p>　<em>鶏舎<br />
　　　　　福井・高志高卒　中島悦子</p>

<p>―女を喪失した女がぶみぶみ群がって<br />
つながれている。卵核のない女の牢獄。</p>

<p>私は女であるというだけで<br />
もう他には何もいらない気がした<br />
私の経血は老いるまで<br />
つきることを知らないだろうから<br />
女がよい子を産むために<br />
倫理と愛情の言葉は単純であるほどよい<br />
ただ、精核はすでに退化しているので<br />
あとはうまれた子が不具でも<br />
神の試しですとありがたがっていればよい</p>

<p>臨むだけ子を産めばよい</p>

<p>毎朝でも</em></p>

<p>　選者はいまや詩壇の象徴的な存在となった稲川方人氏である。この際だから、その選評も引いておこう。</p>

<p><em>　中島さんはこの欄の先輩というところか。新三年生と旧三年生の交換の号となる今月号に、去年度一年、秀作を書きつづけた中島さんの詩を記念として選んでおきたい。新しい三年生がどう読むか。この詩に見える世界が中島さんのひとりよがりではないことだけはまず知ってもらいたい。詩で発見し続けてきたものなのである。最後の二行の詩的ダイナミズムは豊かである。これからも、新しく展開する詩を！</em></p>

<p>　稲川氏の驚きが伝わってくるようだ。もちろん、新３年生であったわたしが一読してこの詩に打ちのめされたことはいうまでもない。世界と向き合うこの豊穣さはどうだろう。詩を世代論で評価することに意味はないが、それでもこの詩を女子高生が書いたことが信じられなかった。<br />
　以来、中島さんのこの詩は長い歳月を挟みながら、わたしの脳髄のどこかで執拗に生き続けてきたことになる。その証拠に、わたしは1990年に出された中島さんの処女詩集『Ｏｒａｎｇｅ』（土曜美術社）を購入しているのだ。だが、明らかに抒情が勝ちすぎていて、読後感は必ずしもよいものではなかったのを覚えている。それから19年もの歳月を重ねて登場した『マッチ売りの偽書』を読んだわたしは、約30年前のあの驚愕が再び蘇ってくるのを感じないわけにはいかなかった。これは近年稀に見る現代詩の収穫であると断言する。ここには稲川氏が期待を寄せた、まさに新しく展開する詩の世界が結実しているからだ。ほとんど全編が散文詩で綴られているなか、最も短い行わけ詩「武生」を引く。</p>

<p><em>武生</p>

<p>硝子の目を開いた蝋人形の<br />
前頭骨、涙骨、鎖骨、肋骨、尺骨、腸骨、仙骨、座骨、舟状骨までも<br />
すべて菊の花で埋めていく</p>

<p>「迷っても地獄、迷わなくても地獄」<br />
仮死を演じ続けるしか能はない</p>

<p>十六夜の月が黒い沼の中を駆けていく<br />
古い芝居小屋の戸口の前<br />
内臓のぬくみを探るようにたたずむと<br />
一体の自分の死体と向き合うことができる<br />
動脈は思うより体の奥を通っている</em></p>

<p>　これはまさに、わたしが打ちのめされた中島さんの世界である。ちなみに詩集の装丁を手がけたのは、当時の選者だった稲川方人氏である。この間、中島さん自身、どのような精進があったのか。あるいは、いかなる師弟関係が結ばれたのかは知る由もないけれど、書き続けることの意味を改めて思い知らされたような気がする。<br />
</p>]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>編集局からの手紙　２４</title>
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    <published>2009-07-13T16:22:00Z</published>
    <updated>2009-07-13T16:34:19Z</updated>

    <summary>めだかの話　その５ 　総選挙の前哨戦となった東京都議選で民主党が第一党となり、政権交代が確実となった翌朝、そのこととはなんの関係もないけれど、わが家のベランダでは発砲スチロールを代用しためだかの稚魚水...</summary>
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        <category term="編集局からの手紙" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<p><em>めだかの話　その５<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="s-P7130005.jpg" src="http://j-net.obei.jp/imanishi/2009/07/14/s-P7130005.jpg" width="320" height="240" class="mt-image-none" style="" /></span></em><br />
　総選挙の前哨戦となった東京都議選で民主党が第一党となり、政権交代が確実となった翌朝、そのこととはなんの関係もないけれど、わが家のベランダでは発砲スチロールを代用しためだかの稚魚水槽でホテイアオイが薄紫の花を咲かせた。それがこの写真である。<br />
</p>]]>
        <![CDATA[<p>　早朝、めだかたちに餌をやろうとして偶然、花に出会うというのはなかなかよいものである。花は３輪あった。驚いたことに、しばらく観察していると、最初はつぼみだった花弁がまるでスローモーションを描くように開いていくのだった。その瞬間、時間が止まったような錯覚を覚えた。<br />
　ホテイアオイは水生植物で、ひげのように繁茂した根が重りの役割を果たし、見事なバランスで水面に浮かぶ。写真では見えないかもしれないが、この水面下に１、２ミリほどの稚魚が泳いでいるのだ。<br />
　ところで、かつてある哲学者は人間世界がどんなに有象無象にまみれていても植物はそんなものには関係なく、春夏秋冬、季節の花を咲かせてくれるという意味のことを言ったものだ。この植物の潔さを、ぜひともいまの日本の政治に持ち込みたいとわたしは心から願うものである。<br />
　自民党が国民からそっぽを向かれたからといって、では現在の民主党に政権を任せられるとはとても思わない。東京都民が選択したのは民主党ではなく、あくまでも"反自民"というカードだ。その中心となったのが無党派の動きではないか。消費税導入に対し国民が「ＮＯ」を突き付けた力学によって無党派票が社会党に流れ、それが結果的にマドンナ旋風などと評されたのと同じことである。ただ、政権が交代することの意味は現在の日本にとってとても大きいと思う。その意味でわたしは総選挙において棄権すべきか、あるいは投票すべきかという二者択一の選択肢を真剣に考え始めている。<br />
</p>]]>
    </content>
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    <title>コラム「風」　Ｎｏ６</title>
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    <published>2009-07-11T05:16:29Z</published>
    <updated>2009-07-11T05:37:35Z</updated>

    <summary>モラルの爆弾④ 　そばとうどん。どちらが好きかと問われれば、わたしは間違いなく&quot;そば人間&quot;を自任しています。もちろん、うどんを食さないわけではないし、好きな店だってあるのですが、そのひとつが、本場に負...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://j-net.obei.jp/imanishi/">
        <![CDATA[<p><em>モラルの爆弾④</em><br />
　そばとうどん。どちらが好きかと問われれば、わたしは間違いなく"そば人間"を自任しています。もちろん、うどんを食さないわけではないし、好きな店だってあるのですが、そのひとつが、本場に負けないさぬきうどんを食わせてくれる「はがくれ」です。<br />
　</p>]]>
        <![CDATA[<p>　かのグルメ評論家、山本益博氏が絶賛したことで知られ、それまで隠れた名店であったのが、一躍大阪の行列店に名を連ねることになりました。大阪駅前第３ビルにあるカウンターだけの「梅田はがくれ」など、最も込み合う昼時なら、最低１時間の順番待ちは覚悟しなければなりませぬ。なぜうどんを食うためだけに、それだけの時間を空費せねばならぬのかと憤っている方もおられるでしょうが、まずはだまされたと思って、ここの「きじょうゆ」を食べていただきたい。茹で上げた麺を水にさらし、その上から生醤油と柚子をたらしただけのじつにシンプルなものですが、「うどん」はじつは「刺身」であったのだということを、文字通り身を持って思い知らされるはずです。<br />
　ところで、なぜこんなことを書いたのかというと、先日たまたま、「はがくれ」京橋店なる店で昼食をとる機会があったからです。もちろん、店員のサービスに看過しかねる落ち度があったわけではありません。だが、わたしは失望を覚えました。いうまでもなく、注文したのは「きじょうゆ」。だが、麺にまったく歯ごたえがなく、梅田店で食すのとは似ても似つかぬ代物だったのです。どうりで、出てくるのが随分早いと思いました。おそらく、茹でてからつくり置きしておいたものなのでしょう。「はがくれ」といえば、行列自体もうひとつの名物になっているくらいなのに、ここは昼時でさえ、いくつか空席も散見されました。多言は無用。なによりそれがすべてを物語っていたようです。<br />
　でも、これって明らかなモラル違反。いや、名店の名を借りた、ていの良い詐欺なのではないでしょうか。案の定、「梅田はがくれ」のホームページを見ると、「他地域の『はがくれ』は『梅田はがくれ』とは経営的にも完全に別の店舗になります」という断り書きがありました。<br />
　いまはただ、「はがくれ」京橋店の捲土重来を祈るばかりです。<br />
</p>]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>編集局からの手紙　２３</title>
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    <published>2009-06-16T03:47:57Z</published>
    <updated>2009-10-12T15:54:55Z</updated>

    <summary>どうなるマスメディア③ 　噂には聞いていたが、まさかこんなところで出会えるとは夢にも思わなかった。夜間中学の取材でなんども耳にした伝説的なテレビ番組「浮浪児マサの復讐」である。それを先日、ある集会の席...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://j-net.obei.jp/imanishi/">
        <![CDATA[<p><em>どうなるマスメディア③</em><br />
　噂には聞いていたが、まさかこんなところで出会えるとは夢にも思わなかった。夜間中学の取材でなんども耳にした伝説的なテレビ番組「浮浪児マサの復讐」である。それを先日、ある集会の席で偶然、見ることができたのである。ＴＢＳが1969年1月に制作した24分のドキュメンタリー。"切れば血が出る"という表現があるが、まさにこの言葉にぴったりの内容だった。真のドキュメンタリーとは何か。そんな課題が現代のマスメディアに突き付けられている気がした。<br />
　</p>]]>
        <![CDATA[<p>　浮浪児マサとは、大阪に天王寺夜間中学ができる礎をつくった髙野雅夫さんのことである。髙野さんは満州から引き揚げてくる途中、家族と生き別れになった戦争孤児。命からがら流れついた東京・山谷で在日朝鮮人のハラボジ（おじいさん）と出会い、自分の名前の文字を初めてイロハカルタで教えてもらう。「高」ではなく「髙」でなければならない文字。髙野さん自ら、野良犬から人間になったと語る体験だ。<br />
　そして21歳のとき、東京・荒川区立第9中学夜間学級（夜間中学）に入学し、奪われた文字とコトバを奪い返す運動に乗り出すことになるのは、当時、行政管理庁が夜間中学の廃止を勧告したからだ。荒川9中の夜間学級の生徒たちの姿を撮影した自主映画をつくり、それを上映するため、髙野さんは全国を行脚する。その途上で訪れた大阪では市内に夜間中学が一校もないことを知り、教育委員会へと乗りこんでいく。ドキュメンタリーはこのときの様子を撮影したものだ。<br />
　とにかく、髙野さんを追っかけて東京からやって来た女性ディレクターとのやりとりがスリリングだ。教育委員会にひとりで乗り込もうとする髙野さんに対し、女性ディレクターはその交渉現場の撮影をしたいと一歩も引かない。<br />
「カメラが入るとお決まりの答えしか返ってこない。俺たちはその身構えを突き破っていかないと」<br />
「テレビカメラがなければ、それができるというのですか」<br />
「そうです」<br />
「カメラがついていかなければ、その可能性があるということですか」<br />
「そうです」<br />
「わかりました。あなたの可能性をつぶしてはダメだから、私はここで待っています」<br />
　こんなやりとりのあと、髙野さんだけがひとり、市庁舎へと入っていくのだ。<br />
　また、こんなシーンもあった。夜間中学の増設を街頭で訴える髙野さんに女性ディレクターがマイクを向ける。<br />
「あなた、食べたり、寝たりはどうしているんですか」<br />
「僕にとっては食うとか寝るとかは二義的なことですよ。全力を尽くしている余力で食ったり、寝ているだけ」<br />
「まさか、泥棒しているわけじゃないんでしょ」<br />
「生きる権利がすべてに優先するんです。そのために泥棒をしなければならないのなら、やりますよ。僕の生きる権利を法律は守ってくれなかったんだから」<br />
　こうしたやりとりから浮かび上がってくるのは、マスコミがいつの時代も取材相手からストックフレーズを必死に引きだそうとしているということだろう。いわゆる、決まり文句というやつだ。しかし、髙野さんにはそうした論法はいっさい通用しない。生きるために文字とコトバを奪い返した彼の言語は、マスコミの言語とは明らかに違うのだ。そのギャップが面白い。そのギャップをギャップのまま提示したからこそ、この番組は面白いのだろう。<br />
　現代のマスメディアに共通する風潮はおそらく、「予定調和」というキーワードで語れるかもしれない。つまり、取材行為として投げるべきボールの球筋があらかじめ決まってしまっているのだ。最近のドキュメンタリー番組を見ても、このことがいえる。しかし、ストックフレーズに塗り固められたドキュメンタリーはもはや、ドキュメンタリーとはいえまい。ひとつの明確な意志にもとづいてつくられた虚構である。思えば、「浮浪児」という言葉さえ、いまでは使えなくなった。言語規制と予定調和のなかで生まれてくる作品はどんなものか。推して知るべし。息苦しい時代になったものである。<br />
　余談だが、この集会には髙野さん本人も出席し、約40年前の自らの映像に目を凝らした。そして、はからずも彼はこう言った。<br />
「この映像を見るのが恥ずかしい。いま現在、自分がどれだけ堕落しているかがわかりますから」<br />
　美化することの無意味を、彼ほど身をもって実践しているひとも少ない。<br />
この番組が放送されて5カ月後、大阪市内で初めて天王寺中学夜間学級（夜間中学）が開設される。くしくも、今年はその40周年という節目の年である。<br />
</p>]]>
    </content>
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    <title>コラム「風」　Ｎｏ５</title>
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    <published>2009-06-13T15:12:12Z</published>
    <updated>2009-06-13T15:22:29Z</updated>

    <summary>　モラルの爆弾③ 　なにを隠そう、私は回転寿司フリークを自任していて、けっこうあちこち食べ歩いてもいるのですが、ひと昔と違って、いまの回転寿司はうまい。正統派の寿司屋がどんどん、つぶれているのもうなづ...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://j-net.obei.jp/imanishi/">
        <![CDATA[<p>　<em>モラルの爆弾③</em><br />
　なにを隠そう、私は回転寿司フリークを自任していて、けっこうあちこち食べ歩いてもいるのですが、ひと昔と違って、いまの回転寿司はうまい。正統派の寿司屋がどんどん、つぶれているのもうなづけます。<br />
　</p>]]>
        <![CDATA[<p>　そう。今回のモラルの爆弾の舞台は回転寿司。京阪・香里園駅の地下１階にある大起水産グループが運営するお店です。じつはこのチェーン店の回転寿司、なかなかネタがいい。とくに目の前で焼いてくれる「焼き卵」はお勧めですよ。<br />
　それはともかく、その日、私がのれんをくぐったのは午後５時半ごろ。店内は個人客ばかり３人がめいめいカウンターに座っていました。そのときから嫌な予感はしていたのですが、案の定、店に足を踏み入れた瞬間、寿司屋なら「らっしゃ！」という元気な声が返ってきてしかるべきなのに、無言。寿司屋に入って無視されるほど情けないことはありません。それもそのはず、カウンターのなかで寿司を握っている店主の中年男（なぜ、この男が店主かは何回か通ううちに判明しました）は自分の目の前に座ったリクルートスーツ姿の若い女と話に夢中になっており、私が入店したことにさえ気づいていないのです。<br />
「あのー」<br />
　私は蛮勇をふるって声をかけました。<br />
「......」<br />
「すいません」<br />
「......」<br />
　私は正直、自分が透明人間にでもなった気分でした。そうしてもう一度「あのー」と声を振り絞るに及んで、カウンターの中にいた店主はこちらを振り向き、たったいま、私に気づいたとでもいうように、<br />
「あっ。お好きなとこへ」<br />
　と、平然と言いやがったのです。<br />
　このとき一瞬、テーブルをげんこつでぶっ叩き、椅子を蹴り上げた揚句、店を出ていってやろうかという考えが私の頭をかすめましたが、さすがにそれは大人げないだろうと静かに腰を落ち着けた次第です。そして生ビールも運ばれてきて、例によって大好物のゲソを注文しようとしたときでした。<br />
　余談ですが、ここのゲソもなかなか美味なのですよ。でも、ベルトコンベアーに乗ってやってくるネタはプラスチック製の蓋がかぶせられてあるとはいえ、すでに何回か店内を巡回したことが明らかなくらい表面が干からび始めているものも少なくありません。回転寿司とはいえ、新鮮なネタはやはり、直接握ってもらうのに限ります。ところが、この店主、私に背を向けたまま性懲りもなくまだ、若い女と夢中でおしゃべりを続けているのです。そこで私は再び、蛮勇を振るわなければなりませんでした。<br />
「あのー」<br />
「......」<br />
「あのー」<br />
「......」<br />
「ちょっと」<br />
　私はそこでついに声を荒げてしまいました。心のなかでは「こら、おっさん。ええかげんにせえよ」とつぶやいてしまったくらいです。すると、店主は、<br />
「はっ？」<br />
　と、頓狂きわまりない声を発しやがったのです。私の呼びかけに逐一反応するのがわずらわしいとでも言うかのように。<br />
「生ゲソ。あっそれにウナギもちょうだい」<br />
「生ゲソとウナギですか」<br />
「そう。生ゲソとウナギ」<br />
　むろん、私が少々ふてぶてしく応えたのはいうまでもありません。そうして、待つこと数分。私の目の前にようやく生ゲソの皿が登場したのです。まあ、そこまではよしとしましょう。ところが、生ゲソを食べ終えても、ウナギがいっこうに出てくる気配がない。ところが、店主はあいもかわらず、若い女と深夜、裸になって逮捕されたアイドルタレントの話に夢中になっているのです。<br />
「あのー」<br />
「......」<br />
　これ以上、この話を続けるのが息苦しくなってきたので、このあたりでやめます。もちろん、ウナギはその数分後、口にすることができたのですが、一事が万事。いったいこの店はだれのために、いやなんのために商売をしているのでしょうか。私は精神的拷問を受けながら、寿司を食べさせられている気分でした。ここの主人、ひとは悪くなさそうなのですが、とにかくしゃべり好き。それが災いしているのか、ひとりで食べにくるお客の心理への理解力がどうも乏しいようです。おそらく、私のみならず、この店で同じような体験をしたひとは少なくないはずです。<br />
　これで寿司ネタが悪ければ、自滅する以外ないのですが、そこそこ味がいいものだから、私も２週間に一度くらいは立ち寄ってみたくなるような店なのです。だから最近は店の前を一度は素通りしたうえで、店主がカウンターの中にいるかどうかをまず、確認します。もちろん、店主がいるときは後ろ髪を引かれる思いで別の店に行くことに決めています。こんな思いをお客に味わわせていることなど、この店主が知る由もないのでしょうが、こんな回転寿司、あなたは耐えられますか。<br />
</p>]]>
    </content>
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<entry>
    <title>コラム「風」　Ｎｏ４</title>
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    <published>2009-05-30T02:23:57Z</published>
    <updated>2009-05-30T11:30:29Z</updated>

    <summary>モラルの爆弾② 　 　「モラルの爆弾」の第２弾。今回は京阪・天満橋駅のビルにある家電量販店「ミドリ電化」でのほんのささやかな出来事をご報告させていただきます。 ...</summary>
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        <category term="その他" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="コラム「風」" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="思考する読書" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="編集局からの手紙" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://j-net.obei.jp/imanishi/">
        <![CDATA[<p><em>モラルの爆弾②</em><br />
　<br />
　「モラルの爆弾」の第２弾。今回は京阪・天満橋駅のビルにある家電量販店「ミドリ電化」でのほんのささやかな出来事をご報告させていただきます。<br />
</p>]]>
        <![CDATA[<p>　　訪れたのは平日の午後３時ごろを回ったころでした。入店した瞬間、嫌な感じを醸し出す店というのがあるものですが、ここはまさにその典型。店のスタッフがなぜかみな客に無関心なのですね。少なくとも私にはそう見えました。どのレジカウンターを見てもスタッフ同士群れ合ってなにやらひそひそ話に興じているようなのです。<br />
　ところでその日、私が買い求めようとしたのは、パソコンで作成した文書を保存するメモリースティックでした。ただ、売り場があまりにも広すぎてどこにあるのかわかりません。幸い、それほど急いでもいなかったこともあり、ブラブラと店内を探しながら歩いていたのですが、たまたま前から猪突猛進してくる若い男性スタッフがいたので彼に向って、<br />
「あのーすいませんが」<br />
　と声をかけたのです。ところが、そのスタッフは地球が明日にでも滅んでしまうかのような危機感を顔面に漂わせながら、<br />
「少々お待ちください」<br />
　と言い残したまま、疾風のようにどこかへ走り去ってしまったのです。もちろん私は少々お待ちくださいと申し渡されたとおり、馬鹿正直にもそこでしばらくの間、待っておりました。しかし、いっこうにそのスタッフが戻ってくる気配はありません。売り場は見事に閑散としていました。足早に走り去った彼が全身から醸し出していた気忙しさに呼応するような事態は、店内のどこを見渡しても生じていないのは明らかです。おそらくお客といえるのは当時、私ひとりだと言っても過言ではない状況だったのではないでしょうか。その大切なはずのお客を置き去りにしてまで、可及的速やかになにか他のことを成し遂げなければならない必然性があったというのなら、いったいこの店はだれのために日々、営業努力を続けているのでしょうか。<br />
　正直、私は怒りを通りこし背筋をつめたい刷毛でなでられでもしたような気味の悪さを感じないわけにはいられませんでした。ひょっとしたらこの店はすでに地球外生物に乗っ取られており、じつはスタッフ全員が私とはコミュニケーション不可能な宇宙人なのではあるまいか。そんな馬鹿げた夢想にまでとらわれてしまう始末でした。<br />
　それにしても、このような店は来店客でにぎわう土日や祝祭日を迎えた場合、いったいどのような状況になっているのでしょうか。いちど自分の目で確かめてみたいものです。でも、これってモラルというよりは接客サービス、経営努力の範疇に属する問題なのでしょうか。だとしたらこの店に限らず、単に非常識な店員が激増しているだけの話かもしれませんが、それはそれでまたちょっと怖い気がします。<br />
</p>]]>
    </content>
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    <title>ご挨拶：ジャーナリスト・ネット事務局</title>
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    <published>2009-05-14T13:33:12Z</published>
    <updated>2009-05-14T13:36:23Z</updated>

    <summary>新しいブログが完成しました。...</summary>
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        5年目に入ったジャーナリスト・ネットは更なる飛躍を目指してまい進いたします。２００５年５月からスタートしたジャーナリスト・ネットは５年目に入り、またメールマガジンも２００号を記録したことは、５年目というのが大きな節目になる年であることを示していると感じております。　個人ブログの集積をさらに進化させるとともに意見を双方向で交わす場がネットの特徴を生かし、読者の皆様からの様々な注文、批判、提言、激励を糧にいたしたいと存じます。　今後ともご愛読いただきますこと、御願い致します。 

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