2009年11月14日
コラム「風」 No10「再び、書き続けることの意味」:今西富幸
小説を読み過ぎて火照った頭を冷やそうと、恐る恐る手にした詩集に案の定、打ちのめされた。
決して"よき読者"とはいいがたいけれど、いまもわたしはときどき詩集のページをめくっているのであるが、詩に打ちのめされたなどという体験はもう久しくなかったことだ。
古賀忠昭さんの詩集『血のたらちね』(書肆山田)。気になって購入しながら手にはとらず、ずっと本棚に置いたままだった。いや、おそらく手に取る前から、決してこれは尋常ならざる決意がなければ読んではならぬと、詩集全体から発せられる無言の警告をすでにわたしの五感が察知していたのかもしれない。実際、本の帯にはこんな言葉が書きつけられてあった。
《30年の沈黙のときを解放した詩人が、命の底に溢れ出る絶唱の言霊を召喚する》
他言は無用。冒頭の「ちのはは」を引用する。
もうすぐ しぬので こうこくのうらにかきます
しぬと じごくにゆくので かえってこれんので しぬまえに こうこくのうらにか
きます
えんぴつば なめなめ かいとるので じがきたのなるので ごめんです
さきに じごくとかきましたが じごくにゆくことはあたりまえ のことですけん
すこしも しんぱいしておりませんが
じごくにゆくごたるこつばかりしてきたので じごくにゆくことは あたりまえで
じごくにゆくことは ちっとも えずなかけど じごくにゆくことしかでけんもんが
こげなことをかいて よかか まようており こまっており まようて おります
ここまで書き写しながら、息苦しくなってきた。どうか、このあたりでご勘弁いただきたい。鉛筆で一字ずつ、まるでなにかをかきむしるように書きつけられた文字は、ご覧のとおり全部ひらがなである。恐ろしい。このひらがなが恐ろしいのである。文字霊がのたうちまわっている。「現代詩」か「詩」であるかなどという不毛な論議は、はなから拒絶されてしまっている。それがいい。すこぶるいい。そして、やっぱり恐ろしい。
作者の古賀忠昭さんは昨年4月、この詩集で丸山豊記念現代詩賞の受賞が決まった直後、授賞式を前にがんで亡くなった。古賀さんとはどんなひとだったのか。詩集の巻末に付された略歴を書き写す。
《1944年、福岡県柳川市のはずれの干拓地に生まれる。25歳ころまで実家の農漁業に従事。その後、久留米にて廃品回収業を営み、現在に至る。》
古賀さんは1974年、詩集『土の天皇』(私家版)を出して以来、ずっと沈黙を守ってきた。1970年代に「現代詩手帖」に発表した作品が「差別」にあたるとして、部落解放同盟から批判を受けている。そのことと彼の沈黙が関係しているのか、わたしにはわからない。そして、2006年、古賀さんは約30年ぶりとなる『血ん穴』、翌2007年に『血のたらちね』を立て続けに刊行し、逝った。
ここでもまた、書き続けることの意味を考えないわけにはいかなかった。
2009年11月14日 12:36
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