2009年10月25日
夏史邦の「こりあ・とーく」/金大中さんを悼む/英雄が故郷に入れられるとき
8月23日、ソウルで行われた金大中さんの葬儀に参列させてもらった。月並みになってしまうが、まさに「巨星墜つ」の地響きに全身を打たれたという思いである。
会場で、いろいろと回想にふけっているうちに、なぜか、20年前に金大中さんの口から直接聞いたある一言、
「英雄は、故郷には入れられない」
という言葉がその場面の情景とともに鮮明に思い起こされてきた。
1990年1月、ソウル駐在日本人特派員の一人として新年の懇談会に招かれた、その席でのことだった。金大中さんは、故郷に入れられなかった英雄の例としてキリストや釈迦を挙げ、「彼らは石をもって故郷を追われた...」と具体的に、熱を込めて説いたのだった。
当時、金大中さんは野党・平民党の総裁だった。87年暮れの2度目の大統領選挑戦に敗れて2年余、次への展望も決して明るいとはいえない状況にあった。「キリストや釈迦も...」という熱弁からは、自らをそこに重ねる自負と、韓国民に分かってもらえないことの無念さが伝わってきた。
そんな金大中さんが最後に何を思い、仮にこの国葬のことを知ったとすれば、どう思ったか。
歴史の大きな流れの中で「いま」を位置づけ、そこで自らの果たすべき役割をいつも意識していた人だった。そして、その役割のうちの最大のものが分断された国と民族の統一であると心得ていた。
「われわれは決して統一を放棄できない。1300年間、統一国家をなしてきたこの民族がどうして50年の分断で統一を放棄できようか」(2000年の「3・1独立運動」記念式演説)
「近代史の100年は、わが民族にとって過酷な試練の連続だった。日帝の植民地支配がそうだった。分断と戦争がそうだった。...すべては19世紀末の朝鮮王朝末期、民族的団結と近代化の改革を求める歴史の要請に顔を背けたところにその原因があった。...いま、この100年の間わが民族が流し続けた涙を止めるときがきたのだ」(00年6月14日、平壌での南北首脳会談の際の夕食会のあいさつ)
「首脳会談で南北は民族の問題を自主的に解決することに合意した。自主というのは外国勢力の排除ではない。世界、とくに周辺の米日中ロの4大国と協力して友好関係を維持するなか、わが民族同士でわれわれの運命を決めようという意味だ」(00年6月25日、朝鮮戦争勃発50周年にさいしての演説)
「統一」をめぐる主張は、民族主義をかき立てがちだが、金大中さんのそれは偏狭さとは無縁の「開かれた民族主義」といえるものだった。
金大中さんの非凡さは、一つには目標達成への執念と、その忍耐強さにあった。国会議員は、初出馬から10年をかけ5度目の挑戦で初当選を果たした。大統領は26年がかり、「4度目の正直」で射止めた。忍耐については、金大中さん自らその著書で「私の人生は耐える人生だった」と、次のように書いている。
「人は耐えなければならない理由、耐える意味を認識していれば、どんな苦痛が襲ってこようとも忍耐を放棄することはない」(金容権訳『新しき出発』)
高い理想の一方で、現実に即した柔軟さがあった。政治家の心得として後輩に「書生の問題意識と商人の現実感覚を」と説き、自らその手本を示した。
野党時代、反政府運動の先頭に立ちながら、過激に走る一部勢力を「敵を利するだけだ」と必死にいさめる場面が何度もあった。
4度目の挑戦となった97年の大統領選では、理念と経歴のうえで水と油ほども違う宿敵、金鍾泌氏と手を握るという離れ業で最後のチャンスをものにした。
大統領になって実現させた南北首脳会談では、その直前に北側へ5億ドルの「不正送金」があったことが後に明らかになったとき、「和解と協力のためには非公開に法の枠外で処理せざるを得ない場合がある」と釈明した。実際、北朝鮮を「反国家団体」と定めた冷戦以来の法の枠内では和解へのあの歴史的な一歩は踏み出せなかったといえる。
そんなもろもろの卓抜さが2000年6月の南北首脳会談と、そこでの「南北共同宣言」(「6・15共同宣言」)に結実し、ノーベル平和賞という評価に結びついたのだったが、韓国内ではそれが必ずしも正当に評価されてきたとはいえない。
最晩年も「後顧の憂えなし」というわけにはいかなかった。
昨年2月発足した李明博政権は、金大中さんから盧武鉉前大統領へと積み重ねた「太陽政策」と相いれない対北政策をとり、南北首脳会談の成果を無視あるいは否定するような態度をとった。結果、南北関係は破綻し、北朝鮮が再び核実験を強行するという最悪の状況を招いてきた。
金大中さんはそんな南北関係に心を痛め、李明博政権の対北政策を厳しく批判し、「6・15共同宣言」の実行などを求めていた。
北朝鮮の核問題など朝鮮半島の諸問題を平和的に解決するには、どう考えても「太陽政策」で南北関係を解きほぐすしかない。
金大中さんは、なぜそれがわかってもらえないのかという気持ちだったろう。あるいは、あの「英雄、故郷に...」という思いは最後まで残ったかもしれない。
国葬の席で、わたしはそんなことを考えながら金大中さんの遺影と向き合い、次のようなことも思った。
いま、この国葬の席に李明博大統領をはじめ金泳三、全斗煥両元大統領が列席している。北朝鮮の弔問団が運んできた金正日国防委員長からの弔花も金大中さんの遺影のすぐ近くで、金泳三元大統領と潘基文国連事務総長の弔花の間に並んでいる。
金大中さんが生前、「故郷に真に受け入れられた」時として思い描いたのは、あるいはこのセレモニーの中で実現した世界が現実のものになった時ではなかったか。
2009年10月25日 21:31
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