2009年11月13日
金曜インタビュー「耳塚」に対する無知を目覚めさせたいと願う韓国民団京都本部団長の王清一さん:カン・シニョン
ー京都には豊臣秀吉の朝鮮侵略で犠牲になった耳塚(註)があるということですが、民団も主催して慰霊祭を行っていると聞いています。
王清一 ほとんどの日本人は「耳塚」がここにあるということも、あるいは「耳塚」という言葉も意味も知りません。豊臣秀吉は太閤さんとよばれて、百姓から成り上がった庶民の人気者です。これは明治以降の日本の国策でしたが、江戸時代なら秀吉という名はタブーでした。明治政府が秀吉を英雄化したのは1910年に韓国を併合するための準備だったのです。来年は併合100年目にあたりますが、韓国の独立をめざした志士たちの声が聞こえてくるようです。
写真:耳塚の前で語る王清一さん
2009年11月 6日
金曜インタビュー「夜間中学を育てる会」再建に動き始めた豊嶋登さん:川瀬俊治
今月から毎週金曜日にインタビューをお届けします。市民運動を支える活動家、研究者など多くの方にインタビューし、現在の日本の姿をその方から浮き彫りにします。第1回は八尾市立曙川南中学校で講師を勤める豊嶋登さん(65)。現在休止している「夜間中学を育てる会」の再建に動き出した方だ。
写真:街頭署名活動を行なう豊嶋登さん(写真中央で署名を受けている男性)
2009年10月25日
金吉浩の日本日記 追悼金大中元大統領
日本で最も尊敬を受けた大統領だった。保守と進歩に関係なく金大中元大統領に対して語るときは、「大政治家」という修飾語がいつもついて回った。アジアだけでなくて世界的にも金元大統領と同じ様に波瀾万丈の政治経歴を積んだ方はいないとしとまた注釈を付けた.
夏史邦の「こりあ・とーく」/金大中さんを悼む/英雄が故郷に入れられるとき
8月23日、ソウルで行われた金大中さんの葬儀に参列させてもらった。月並みになってしまうが、まさに「巨星墜つ」の地響きに全身を打たれたという思いである。
国葬取材:長沼節夫(ジャーナリスト、写真も)
<ジャ同エッセー>訃報・金大中元韓国大統領 国葬取材で3日間のソウルへの旅
(写真1)韓国国会議事堂での金大中氏弔問風景(8月22日夜)。
巨星墜つ。韓国の金大中元大統領が2009年8月18日、死去した。1925年生まれの85歳。韓国の軍事政権化で民主化を叫び、それが理由で時の軍事政権から逮捕・軟禁・投獄・死刑判決など数々の迫害を受けながらも生き延び、ついに大統領に選ばれた人物だ。(本稿の一部は「週刊金曜日」8月28日号アンテナ欄とダブります。)
金大中さんの国葬に参列して;古野喜政
金大中さんが亡くなった。二〇〇九年八月二三日、ソウル・汝矣島の国会議事堂前広場で国葬が営まれ、参席した。
エッセー 「継いでいかなければ」:朴明子
「金大中」という名を知ったのは、多くの人と同じように1973年8月、日本に滞在していた金大中氏が東京のホテルから拉致された時である。
2009年10月24日
金曜インタビュー
市井の人物を取り上げてインタビューするコーナーです。インタビュアーは川瀬、北口そしてカンの各氏です。11月6日から毎週金曜日に掲載いたします。お楽しみに!
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