2009年6月23日
編集局からの手紙「一枚の写真」:片山通夫
筆者はそんな写真を撮ったことすら忘れていた。その写真を見ても「自分が撮ったものだ」ということを思い出さなかった。
先日、おばの死にあって、彼女の葬儀に飾ってあった写真のことである。おばの息子や娘(つまり筆者の従兄弟たち)が「この写真が良い」といって引き伸ばした笑顔の写真である。「30年前の写真」だという。それでも思い出さなかった。その写真は初めての孫が生まれ、宮参りの日に筆者が撮ったもの(らしい!)。
「いささか古すぎる」と思ったようだが、この笑顔が最高だということで、この写真に決まったと従兄弟はいう。「いい写真を撮ってくれていた」とおじは涙を目に一杯ためてお礼を言ってくれた。
それでも筆者はまだ「ピン」とこなかった。
「ほかの写真もあるよ」といって、おそらく処理が不十分だったのだろう色の変わった数葉のモノクロ写真を見せてくれた。確かにその中の一枚には筆者も写っていた。「このときの写真か」ようやく思い出した。それは確かに筆者が撮ったおばの家族写真だった。
その昔、筆者は「ドキュメンタリー」とか「社会派」だとか、ご大層な御託を並べ立てて、カメラを持って走り回っていた。しかしたった一枚の記念写真が家族の絆を深め、感謝されたのは、初めての経験だった。写真は見るものの心を和ませ、幸せな思いにさせるものでもあるということに、今更ながら知った。
「一枚の写真」 それは筆者の眼を開かせた写真でもあった。やはりカメラは手放せない。
2009年6月23日 05:36