<< ◆現代時評:「回勅レールム・ノヴァルムと米国発の市場主義」 Ken |メイン| 映写室 新NO.19エスター:犬塚芳美 >>
2009年9月29日
◆現代時評:「政治にも哲学的思考を」 ken
◆◆ 麻生内閣メールマガジン第44号 「私は、景気対策を最優先に、果敢に政策を進めてきました。・・・異常な状況には、異例の対応が必要です。このため、半年で4回の予算編成を行いました。役人主導では、決してできません。その結果、今年4-6月期の実質経済成長率は、年率で3.7%。先進国では一番高い成長を実現しました。経済対策の成果が出始めた、と思います。」
■■ 天声人語子が先般触れていたが、一昔前に中曽根元首相が鳩山由紀夫氏に対して「政治は動詞でやるもので、形容詞ではいけない」と意見したとのこと。 はやく言えば、政治は果敢な実行あるのみ、文学的な軟弱さはいけないということらしい。 言われてみるとなるほど、政治とは斬ったはったの修羅場で、鳩山由紀夫氏流の「友愛」から程遠い場にあると思えぬこともない。
■■ それかあらぬか、麻生首相は「私は景気対策を最優先に、果敢に政策を進め、実質経済成長率で先進国ではいちばん高い成長を実現しました」と負け戦のMMでなお自民党による経済戦線での勝利を誇っている。
■■ マスコミの世評でも、鳩山民主党首がしょっちゅう口にする「友愛」はどちらかといえば不評のようだ。 友愛などという実態の無い言葉は文士か詩人の用語で、政治家に不向きな形容詞であるとは、中曽根大勲位だけでなく、国民のほぼ総てがそう思っている。 「この厳しい経済環境では友愛どころではない」というのが国民大方の見解なのだ。 仕事を寄越せ、カネ寄越せの全国民による合唱は、いまも戦後の混乱期も少しも変っていないようにマスコミは報道する。 ならば日本はこの60年、いったいどうしてきたのか。 世界一の金持ち国家になったというのは幻想に過ぎなかったのだろうか。
■■ とここまで考えてきて、待て暫しとボクは思う。 この話、どこかおかしいのではないか。 ひょっとすると、今回のリーマンショック以後の日本は、政治の結果がすなわち経済の結果であると超短絡化してしまっているのではないだろうか。 経済がデフレであれば、それはつまり政治そのものが悪いということにしてしまっているのではないか。 政治イーコール経済、経済イーコール政治と、直結しているようだが、政治に責めを負わせられぬ経済の不調もじゅうぶんありうるのだ。 とくに最近のグローバル化経済のもとでは、いかに一国の政治が適切であろうと、それを越した国際経済に起因する突発事故が発生しないとも限らない。 そうした場合、景気悪化は政府が悪いからだ、仕事をよこせ、カネをよこせと国民が合唱するのは政府に対する無理強いというものではないだろうか。
■■ 18世紀英国の産業革命は労働力を商品化した。 世界の産業社会の運命はそれで大転換した。 それから200年、米国は金融と称するマネーゲームを産業化し、製造業と同列に位置づけた。 我々がいまなお苦しんでいる今回の国際経済危機は、その節度を失ったマネーゲームの産物だったことはいまさら言うまでもない。 ところがそれに懲りたハズの元凶米国政府は、もうすでに同じマネーゲームとしての危険な金融再建に懸命である。 その言訳けとして、景気回復への最短距離は金融産業のリバイバルにあると明言する。 これではワイマール政府変じてナチスドイツに急変身した第2次大戦前のドイツと同じではないか。
■■ もっとも現在の米国は航空機製造か農業以外の製造業が殆ど無くなっていて、金融くらいしか振興を図る産業がないという弱みを抱えている。 輪転機でドル紙幣を増刷して消費景気を図るにしても、米国民の懐へそのドル札を回すには名目が必要であり、そのためには配分方法に著しい不均衡があるのを承知の上で、なお危険きわまりない金融産業再建に頼らざるを得ないのが米国の弱みである。
■■ 日本政府も負けてはいない。今回の衆議院選挙へのマニフェスト・インデックスでは民主・自民両党とも「国民の皆様」への阿諛迎合のためか、ばら撒き約束により要らざるインフレ策ばかりを図っている。 国民もまた、頼れぬ政府を頼りにして出来もせぬ景気振興を要求してはばからない。 要らぬものを造ってもしようがないし、要らぬ労働力を投入しても、不要なものは不要なのである。 だからボクはこうした官民こぞっての要らざる景気振興策にひじょうに大きな
疑問を持っている。
■■ だいたい今回のわが国における不況は消費と生産のインバランスが主原因である。 生産のほうは長年の生産性向上のお蔭で省力化が徹底し、殆どの耐久消費財を含む消費物資の過剰生産が想像以上に進み、それをさらに押し上げたのが中国からの消費財輸入であると考
えられる。 だから先般の軽井沢における財界の会議でも、日本の生産業は海外市場を頼らざるを得ぬと弱音を吐いたのである。
財界がああした発言をしたということを我々国民はもっと深刻に受 け止める必要がある。 財界や政府を咎めるばかりが能ではない。
■■ だいたい現在我々が適用している経済政策もしくは経済学は、いかにして生産性を高めるかをベクトルとしてその論理思考を積み重ねてきた。 ところがここに至って、その方向修正が必要である時代が来たと考えたい。 ちょうど人間が「エントロピー増大の方向を未来と名づける」としてきたのが100%逆にエントロピー減少の方向を未来と考える宇宙物理の必要が生じたようなものと思えばいい。
■■ 地球上の多くの国々はいまなお物資不足に喘いでいる。 しかし少なくとも日本という国では、モノ余りとか生産性向上による労働力過剰に悩む時代を確実に来させてしまった。 そうした時代にあって、なにをどれだけ多く造ろうか、どこの国へ売りつけようかばかりを専心考えていては、国民の福祉や豊かな生活とますますかけ離れた方向へ進むばかりである。 おまけに地球上の有限物資を浪費するばかりで、宇宙物理学者たちをして「このままでは地球上での生活はあと100年持ち堪えられない」と言わしめる状態になっている。
■■ かって10人で生産した物資をいまでは5人で生産する、ならば5人は余剰休暇を楽しめばいい。 かって原料50キロを必要とした産物は30キロの原料で同じものが造れる時代が来た、ならば余った30キロの原料やエネルギーは地球に還せばいい。 にも拘らず、従来と同じビヘビアで要らざる物資を2倍も造り、2倍の人員で2倍の報酬を社会から強奪しようとする。 言い訳として、「日本には年収200万円以下の低所得層が1000万人も存在する。そうした格差を無くせ」と、マスコミは煽動する。 そして職寄越せ、景気を良くせよ、給料を上げろの合唱である。 どこか間違っていないか。
■■ 豊かな日本であるのに、つい先般の各国別住み易さランキングでは、日本は世界の第45位とか報じられていた。 ならばもうこの辺りで日本の社会システムのパラダイムを変換し、年収200万円でもじゅうぶん文化的な生活ができる社会に造り替えるべきではないか。 現に先進諸国の中には年収200万円平均で文化的な生活をしている国もたくさん存在するし、ワークシェアリング・システムがほぼ完成したオランダやフィンランドのような国もあるのだ。
■■ 夢よ再びと、景気回復ばかりを政府に強請るのがよいかどうか、ボクら日本人は今ここでもう一度考え直して見ようでは無いか。 そのためには政治に於ける哲学的思考こそ必要である。鳩山由紀夫氏のいう「友愛」はなにも文士詩人だけのものではない。 いま中央ヨーロッパでひときわ目立ち輝いているのは、チューリップ革命で名をあげた詩人大統領のバーツラフ・ハベルのチェコという国で、そこでは国民の所得平均がいまなお年収200万円に満たないが、日本のようにがつがつしていない。
2009年9月29日 17:44
ご意見・ご感想は読者の広場もしくは、下記のコメント欄へ
コメントする
なお、著作権上問題があるおそれがある内容、特定の個人・民族・法人等への誹謗中傷、またアダルト・サイトへの誘導などの書き込みがあった場合、管理人の判断で断りなく削除します。
コメントする