2009年11月12日
「特別展―雨森芳洲と朝鮮通信使」:鄭容順
―会期が11月23日(月・祝日)まで。後10日です―
場 所:高月町立観音の里歴史民俗資料館
滋賀県伊香郡高月町渡岸寺229
電話・FAX0749―85―2273
会 期:9月19日(土)~11月23日(月・祝日)
開館時間:午前9時~午後4時半
入館料金:大人250円(20人以上は団体割引)、小中学生は無料
儒学者・雨森芳洲は対馬と釜山を往来して江戸幕府との外交に貢献した。
雨森芳洲は「外交の基本は『互いに欺かず、争わず、真実を以て交わること』という言葉を残されている。
雨森芳洲は滋賀県伊香郡高月町雨森村の医者の家で生まれた。22歳の時、九州と朝鮮半島との中間に浮かぶ島、対馬藩(現在は長崎県)に仕えた。
当時の日本は鎖国時代だったが朝鮮とは「通信の国(よしみを交わす国)」として徳川幕府は善隣友好の交わりを結んでいたことから交流の窓口が対馬藩だった。
雨森芳洲は儒者として対馬藩に仕えた。31歳から朝鮮外交を担当する役職に命じられて数々の業績を上げた。
当時の外交は筆談外交だったが雨森芳洲は3年間釜山に留学して朝鮮語を収得した。44歳と52歳の時は朝鮮通信使の真文役として江戸往復の旅に随行、61歳の時、主君に上申した「交隣提醒」の著書には国際社会の現代に通用する「誠信外交」の秘訣が述べられている。88歳で生涯を閉じた。1万首の和歌作りを志し、「古今和歌集」1千編詠みを半年余りで完了、2万首の詠草を成し遂げた。雨森芳洲は生涯学習の先駆者だった。
今回の特別展に「東医宝鑑」が展示されている。「東医宝鑑」は今から400年前、朝鮮王朝が許浚に命じて作らせた朝鮮最高の医学書、江戸時代、八代将軍の徳川吉宗もこの医学書を好み周辺のものも好んで読まれたという。大名たちにも人気があった。どうして日本に伝わったのか様々に推測されているが筆者は正確なことはわからない。
高月町唐川に在住の布施巻太郎さん(医師)は世界各国の医学書を収集されている。その中に「東医宝鑑」も所蔵、世界各国の医学書などを後世に伝えていくことから布施美術館を設立して保存されている。今回の展示を通して1人でも多く朝鮮半島の優れた人材を知ってもらいたいと朝鮮半島とゆかりの深かった雨森芳洲展の関わりに借り受けて展示した。
「東医宝鑑」は全25巻、25巻全部揃っていて全25巻展示されている。
他に「朝鮮通史使絵巻」「朝鮮通信使騎馬図」「朝鮮紀聞」「朝鮮通信使接待用食器」「雨森芳洲画」など52点展示。
また近年、朝鮮通信使の経路から離れた高月からも朝鮮通信使に関わる古文書や通信使と交流をもった先人の交流も明らかにされた絵画や書跡等も紹介している。
アクセスはJR高月駅下車徒歩5分、車の場合は北陸自動車道「木之本Ⅰ・C」より10分。また近くには雨森芳洲庵がある。ここは雨森芳洲の生家で対馬・朝鮮・江戸を舞台にして活躍した雨森芳洲の残した資料など数多く展示している。ホームページはhttp://www.biwa.ne.jp/~kannon-m/
【写真説明】①高月町立観音の里歴史民俗資料館の建物、正面玄関です。②今回展示の目玉とも言える「東医宝鑑」、ガラスケースに入れられて大切に展示されている。
2009年11月12日 10:03
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