2009年8月13日
〓雑記帳〓〈38〉:鄭容順
―老人は働くのが趣味という首相発言―
先月25日に麻生首相は「高齢者は働くしか才能がない。遊びを覚えても遅い」
つまり「日本の高齢者、65歳以上の人たちは元気。介護を必要としない人は8割を超えている」と発言したうえで「高齢者は働くことしか才能がない。遊びを覚えても遅い」と言っ
よくこんな発言をしました。なんということを言うのですか。そのまえにこれを発言した理由を弁解されているが根底にあるものを筆者の見解で少し紐解いた。
麻生首相は福岡県飯塚市の出身、ここには筑豊炭田があった。麻生首相の先人が創設した会社、麻生炭鉱がある。肉体労働で生活構築している人が多かった。
明治・大正生まれの親たちは子どもたちに教えた。
「人間は働かなければ食べていけない。真面目に働くこと。働けば家族を養い生活ができて余裕もできる」
麻生首相の親や周辺は事業家や政治家たちである。どちらかというと低価格賃金で肉体労働者を雇用してきた。日本の国のリーダーをしたのは吉田茂元首相、麻生首相の母方の祖父に当たる。
ということは麻生炭鉱も日本政府と癒着した政治だったのか。汗をかいて働く雇用者の心がくみとれないのだろう。
日本は戦争に負け国敗れて山河が残った。廃墟になり何もないところからの国づくり、アメリカの占領軍が日本に入ってきた。
軍国主義からアメリカの民主主義政策に変わっていく。当時の大人たちは変わる政策に右往左往しながら巻かれて流されて生きなければならなかった。
男性たちは働いて日本復興をしなければならなかった。働けば将来が見えてくると確信して働いた。失業者であふれていた日本、それが運よく朝鮮戦争の軍儒景気に乗ってようやく日本経済の構築が見え出した。見え出して男性たちはさらにがむしゃら働いた。報酬があり事業にも見返りがきた。
そのとき麻生首相は幾つだったのか。1940年生まれ(昭和15年)、まだ幼稚園児で麻生炭鉱の長男、ぼんぼんで何不自由のない生活をしていた。
大人たちが這いつくばって経済構築している頃、麻生首相は就学児童で生徒だった。
吉田茂元首相にしての家柄、家族たちは日本政府と緊密な関係だった。当時、がむしゃらに働いた男性たちの気持をくみとることはできないだろう。朝鮮半島から強制連行や徴用された朝鮮人たちなど北朝鮮に送り込んだ。麻生炭鉱が日本植民地支配時代に朝鮮半島でしたもの。歴史や証言を抹殺する意図があったのだろうか。
そうした環境の中にいた麻生首相、寝食を忘れて働き日本国力を上げてきた市民たちの生活が見えない。デスクワークでしかも行政府しか見えていない物差しは現在置かれている高齢者の生活実態が見えないようだ。
筆者は8月の終わりに高齢者の仲間入り65歳になる。
筆者に毎月50数万円の預貯金が引き出せる生活をしていればもう働きたいとは思っていない。自宅で悠々自適の生活がしたい。好きなことだけして暮らしたい。女友だちと週1回はカラオケに行って昔懐かしい青春歌謡を歌いたい。
たまにはスポーツクラブに行ってプールの中を歩きたい。
季節のいい時は奈良公園を歩いて自然の風景をスケッチして水彩を書きたい。さらに時間があれば何か形になるものを書いてまとめてみたい。また気心の知れた友人・知人と昼ランチを週に1・2度はしてみたい。したいことがいっぱいある。現場と原稿書きとゲラ確認作業に追われ責任ある仕事から日夜、離れることができない。
現実は日々の生活1日1日をこなして時を刻み年月を刻んでいる。ほとんどの人の生活、これが普通である。
会社役員などして高級会社員や公務員や自営業者と違って年金受給者の生活は枠いっぱいの中でしている。体力は年々弱ってきている。
元気なうちにどこかに旅行もしたい。けれどこんな不景気な日本に無駄なお金は使えない。日々節約の暮らしである。働くのが趣味だからと言って働いているのわけでもない。働き蜂で働いて日本経済を支えた高齢者の居場所は家庭にもない。妻の城になっている。男性が働き蜂で働いた時代の主婦は専業主婦が社会世相だった。主婦業の傍ら趣味やボランテイア活動で居場所を作ってきたが男性には居場所がない。居場所は会社が1番落ち着く。だから会社人間にブレーキをかけることができない。会社人間にしたのは時の日本政府の方針だった。
けれどこれで若者たちの雇用に影響しているとは思わない。
働き蜂の横で漫画本を読み携帯メールに熱中し人の会話もメールでする怠惰人間が蔓延している。若者たちの雇用に人生体験者が指導しても1を聞けば10を知ったふりをする。パソコン機器使用の分からない年輩者の話を聞こうとしない。昔、働き蜂で働いた男性は1・2の仕事の指導に10になるほど仕事を探し新発想を研究し新しい開発に取り組んで会社経営の参画を担ってきた。すべて手作業で仕事の資料を作った。コピーもない時代すべて手作業だった。
手作業は体で覚えて頭に叩き込んできた。文化が発達して情報収集も資料作成もすべてコンピュター機器で出来るようになった。それでも手作業の体験はずっと技術として焼きつけられている。
現在の若者たちの全般、皆が皆とは言わない。1・2の物知り博士になったとしてもさらに研究して探究する心は萎えてしまった。それですべての仕事ができたと思いあがっている若者たちが大半である。
麻生首相、高齢者の生き方を批判する前にまず若者たちに本を読む習性と物を作る探究心という教育が先決課題である。漫画本は絵解きで物語が把握できるがそこから深く入っての深読みができない。考える力が作れない。現状のみ、のみこんで先を見る目が欠如、創造力がなくなった。漫画本の絵ですべて教えてくれる。コマですすむ漫画本の物語、枠いっぱいに書かれた絵からその場面の絵心がつかめてもコマとコマの間からは何も見えてこない。想像力を養うことができない。読書は文字と文字との間、行間からその著者の思考が見えてくる。創造力は思考を育み自分の考えをまとめていくことができる。そうしたものが人間関係のコミニュケシヨンに影響してきた。
1960年代、日本国力をつけ繁栄に向かっていた「黄金の時代」だった。
ハッスルした日本列島の中心は現在、高齢者になった男性たちだった。そして支えたのが家庭、内助の功があった。ホップ・ステップ・ジャンプ。1960年代のパノラマを作ってきたのが現在の高齢者である。
黄金の時代の幕開けを作り日本国内を新幹線と高速道路で結び経済が東西南北と往来して産業経済基盤を作った。若者たちが体力を酷使しないで利益を手にいれる手段に慣れてきた。これは何が原因か。小泉政権から市民たちの雇用・生活スタイルが一変した。いうなれば小泉・安倍・福田・麻生政権は2世議員。親が歩いた足跡をなぞってきただけで中味が何もなく自己満足の政治にしか過ぎなかった。雇用者を切り捨てた派遣切りは経営者が利益を生む規制緩和、格差社会を生み出した。正社員雇用が抜本的対策、雇用が安定すれば格差社会も改善して若者たちに働く意欲を育てていく。そうしたら高齢者は自分の居場所を見つけるために趣味を探究していく。
【写真説明】奈良市高円山に朝日が昇る様子の朝焼け。2009年新春に筆者が撮影。次の政権に日が昇る朝焼け、希望の持てる政治を期待。
2009年8月13日 00:50
ご意見・ご感想は読者の広場もしくは、下記のコメント欄へ
コメントする
なお、著作権上問題があるおそれがある内容、特定の個人・民族・法人等への誹謗中傷、またアダルト・サイトへの誘導などの書き込みがあった場合、管理人の判断で断りなく削除します。