2009年7月30日
〓雑記帳〓〈36〉:鄭容順
―出会い系サイトの危険―
また出会い系サイトで事件が起きた。千葉県から沖縄県那覇市で逮捕された事件。どうして安易にも出会い系サイトに知り合う機会を作って会って一緒に生活をしていく。筆者の年代では考えられない。
しかし暇をもてあまし毎日が平凡で過ごしている60代の主婦も出会い系サイトを利用している人がいると聞いた。女友だちの友だちそしてその友達で間接的に聞いた。
女友だちの話によると毎日退屈な日々をすごしている。夫も定年退職をして毎日日曜日と言う暮らしをしている。平凡な生活にせめて少しでも変化を求めたくてパソコンの「チャット」を開いてパソコンの中だけで恋愛をしているという。年は20歳も30歳も若くして写真は若いときの写真を公開していると言う。
この話を聞いただけで背筋が寒くなった。いい大人の高齢者婦人の時間つぶし。退屈な時間をもてあまして若い人と遊んでいる。擬似恋愛をパソコンでしていると聞いた。
相手は退屈な時間をもてあましている高齢の男性かもしれない。それとも若い人かもしれない。若い人だったらこれはよくないと怒りをこめて女友だちは話していた。パソコンの出会いサイト系を軽く見ていて危険である。
筆者はパソコンでそんなところを検索したこともなければ毎日入ってくる迷惑メールにもうんざりして見たその場で全部ゴミ箱に入れて削除している。
まして携帯電話の出会いサイトというのもどんなものかまったく知らない。関心も興味もない。人とのコミニユケーションは人と会って対話して関係を作っていくものと思っている。コミニユケーションは人と会って対話をして信頼構築をしていく。
筆者の携帯電話に登録しているのはプロ野球のサイトだけである。阪神戦の結果を見たいためにしているが阪神はとんと今年は弱いので見る機会がほとんどない。
このコーナーを書くためにその友だちが言っていた「チャット」となるもの初めて検索した。まあ公開画面があるわ。あるわ。「チャットの友だち探し」これも年齢別にも設定、なんと60歳以上もある。開くと書き込み欄があるが筆者はそんな気はまるでないので画面を消した。
そして18歳以上のコーナーに18歳以下のコーナーもある。「初心者中学生は-----」なんて書いてある。驚いた。
これではパソコンを開くことのきる思春期の中学生が見るとどうなるのか。つい見てしまう。危険が目の前にあると同じである。
こんなことが社会で何事もなく画面公開されている。こんなことがおかしいと誰も思わないのだろうか。筆者はそう思った。他に写真、大人の恋愛探しや友だち探し、そして入会金まで記述、無料もあれば金額も書いている。
これは見えない犯罪が潜伏しているようなもの。もっと厳しくする是正する手立て考えないといけない。
そもそも「チャット」というのはコンピュータネットワーク上のコミニュケーシヨン手段のひとつ。英語で雑談のことである。ネットワークの上のチャットも雑談同様、他愛もない会話を楽しむための手段である。
しかし近年は会話に無関係な書き込み、同じ発言の繰り返し、他人の感情を逆撫でるような発言を書き込む。参加者は不快そのもので常識的な人から批判を浴びていく。ルール・基本をさらに厳しくして自己責任下の維持に注視しなければならない。
女友だちの友だちの友だち、チャットにはまっていて写真を送ったりしていざ「会いたい」という申込があるとメールアドレスを変えたりしてその人とは縁を切っていくと聞いた。この話ももう3年ほどの前の話である。
今もはまっているのかどうか知らないが暇をもてあましている60歳以上の女性がチャット利用していることにまず筆者は驚いた。60歳以上ともなれば近隣に友だちもいる。加齢とともに友だちの数は少なくなっていくが本音で話し合える友だちになっている。そして60歳以上にもなるとチャットや出会い系サイトたるものは危険なものだと認識している。
それがはまっている高齢者婦人、一時の時間の持て余しに利用しているといえこれは罪な遊び、ゲームではありません。相手は人間まして男女になるとそこは世間一般の男と女を想像する。時間つぶしにしても罪な遊びです。
また自宅で毎日が日曜日という夫、妻を家に縛らないで解放して下さい。夫が妻を家に縛り付けることも1つの原因になっている。と、女友だちが話していた。
ということは近年、言葉を交わして友だちを作る術をなくしてしまったのだろうか。言葉、声が出せない会話は怖い。メールだけの会話の方がもっと怖いと思うのが一般の常識と思う。こんなこと言っている方が古い考えなのだろうか。
「出会い」にはいろいろの「出会い」がある。
人の紹介だったりどこかの集る場所で出会ったりする。
そこから赤い糸が動き出すとどちらかが手繰り寄せていく。絡まっていても本当に縁がある人は絡んでいた赤い人が解けていって縁のある人が結ばれる。
昔の人はよく言ったものだ。
「絡まっている糸をいくら手繰り寄せても解けないのは先祖さんが反対しておられる。そんな時は縁がないものとしてあきらめて本当に先祖さんに喜んでもらえる人に出会うことや」と。なるほど。今ならこの言葉が分かるような気がする。いくら手繰り寄せても1メートル手前で解けない人もいた。
「出会いサイト」や「チャット」、すぐに出会えてすぐに会うことが出来るが軽いノリはいろんな事件が起きている。
本当に恋をしたときは双方が会いたい。遠距離恋愛も可能にしていく。本当に人間の男女が恋するときはその人が宝物、家族も宝物、安易なことはしない。恋とは友だちから始まって恋して恋人になって愛して結婚していく。
恋をしないでいきなりにそのままに男女の中に入っていく。恋のプロセスなしにすぐに男女の仲になるというのが危険そのものである。
男女の仲はそんな簡単に物事は運んでいかない。順序を立てて恋は発展していく。だから双方が愛しくなってその家族を思う心が出てくる。
本当に相手を思う気持はその家族も大切にする。
昔、ある男女が恋愛をした。女性は両親の面倒を見ないといけない。それでも愛しい人なので結婚した。そしてやがて家族が高齢になってきた。その両親を引き取って最後まで面倒を見たという男性の話に驚いた。結婚というものは相手を思いやり家族を思いやっていく。恋も同じである。昔の親たちは背中で相手や人の気持を思いやる気持を教えてくれた。
何時の頃からか、お金が1番大事と言う風潮の世相に親の背中は働くところだけ見せてきたが子どもたちに対話をすることを放置してきた。
侘しい。寂しい。友だちを作れない。親子の対話がなくきた子どもたちは安易に出会い系サイトやチャットに飛びついていく。
「出会い系サイト」は危険がつきまとう。友だちの作りかたを家庭や学校教育で教えないといけない。家庭の役割が放置されているのだろうか。
高齢者のチャットの利用は日本社会の人間関係がすさんだ砂漠のような気がしてならない。日本の家庭構造の改革、親子が団欒できる生活構造の見つめなおしが必要になってきた。家庭教育の基本作りを早急にしないといけないという情けない日本社会になっている。
【写真説明】琵琶湖畔で見た親子、若者連れ、和やかな家族やカップルにまだまだ日本文化のよさが残っていると思う。そんな光景の1枚(2007年、9月撮影)
2009年7月30日 00:16
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