'."\n" ?> チョン・ヨンスンの「ぽけっとジャーナル」:〓雑記帳〓〈27〉:鄭容順
チョン・ヨンスンの「ぽけっとジャーナル」

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2009年5月28日

〓雑記帳〓〈27〉:鄭容順

―何がおきているのだろうか

分からない国、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)、25日の朝に北朝鮮は核実権をしたという。その威力は長崎に投下された原子爆弾に匹敵するという。
しかも23日早朝には韓国の盧武鉉前大統領が自殺した。とんでもないニュースが世界中に流れた。そしてその翌日には北朝鮮の最高指導者が盧武鉉前大統領の訃報に弔電が送られている。そして、その翌日の核実権である。

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身の毛がよだつ。
どうしてこうなるのだろうか。
マスコミは「瀬戸際外交でなくて生きるための核実権」という。
何を意図にしているのだろうか。
北朝鮮に帰国した在日朝鮮人、今も生きている人がいるだろう。
どんな思いでこのニュースを聞いているのだろうか。
日本で生きた日本社会を知っている在日朝鮮人はこのニュースは「絵空事」として聞いているだろうと想像している。

25日、核実権のことは何も知らずに朝から大阪市生野区のコリアタウンに取材で入った。いつもよりは人影はまばらだった。
新型インフルエンザの影響なのか。歩いている人が少なかった。
高校生たちが郊外学習のフイルドワークでよく訪れているのにそんな高校生は誰1人も見なかった。すでにコリアタウンに住んでいるでもいる人たちはテレビのニュースで知っていたはずだがそんな話題はまったくでなかった。
身の毛がよだつ話題にはしたくなかったのだろうか。

ある喫茶店でインタビューを終えて一緒に70歳近い在日韓国人の男性とコリアタウンの商店街を歩いた。
ある喫茶店の前を通ったときにふと思い出したことがあった。
それで男性に「この店である人の悪口を聞いたことがあったのです」と話すと
男性は地元の人だからよく知っている。
「この商店街は総連系の金融機関がありそして破綻した。またこの商店街の多くは朝鮮総連に所属している人が多く当時の役員幹部は北朝鮮の帰国運動を推進、北に帰した人が多かっが現実が分かってしまった。そんなうらみつらみもこの商店街で暮らす在日コリアンにはあるのです」と話した。
こんな話をしていると御幸森神社の側に来た。
そしてここでまた筆者は在りし日の1世のハルモニ(おばあさん)の姿を思い出した。暑い日も寒い日も畳半分ほどの板の上に韓国の食材を並べて売っておられた。商店街にいけばたくさん他に商品がたくさんあるのに80歳をとうに越えた1世のハルモニが畳半分ほどの板の上に商品を並べて売っている姿が哀れでならなかった。まったく知らない人だったが思わず駆け寄っていった。
畳半分ほどの板の上に商品を並べている。韓国の薬味などが置いていたが1世のハルモニは「これは北朝鮮産ですよ」と言われた。
筆者は心の中で一瞬びっくりしたが生活の糧にしておられると思うと気の毒で確か1500円だったのか2000円だったのか、瓶入りの薬味を買った。食べられなかったとしてもおばあさんに筆者の気持を託した。
その薬味は食べたのか食べなかったのかそれも記憶にはない。
もう今から12年ほどの前のことである。
この哀れな1世は生活苦で露店をしていると思っていた。
この話を駐在する韓国政府高官に話したことがあった。そしたら政府高官は教えてくれた。
「あそこで物を売ってそのお金を貯めて北朝鮮に帰った子どもたちに送っているのです」と。
この話を聞いて現実の北朝鮮の実態を思い知らされた。
80歳をとうに越えた1世のハルモニが子どもたちのために送金している。
もう本来なら自立してこの高齢者の親に仕送りをするのが当たり前なのに自立できない国家の体制に1世の親が2世に仕送りしている現実にショックだった。
こんなことは特別なことをのぞいてたいてい親の仕送りがなくても子どもたちは自活している。
北朝鮮に帰ると生活がそれなりにできると思って帰国したのに日本で暮らしていた時よりもっと生活は悪くて食べられない。こんなはずではなかった。
日本は仕事の選択をしなければそれなりに食べていけた。差別や蔑視があってもそれを克服する能力を備えて2世は日本で暮らすことを可能にしてきた。
祖国建設というのは真っ赤な嘘だった。
在日コリアンは人質に取られたようなもの。朝鮮総連とのつながりも北朝鮮が独裁国家を維持するために活用したに過ぎなかった。

北朝鮮のミサイルや核実権、日本からもひそかに科学技術者たちが北朝鮮に出向いて指導していると筆者の長年生きてきた知恵の見解である。
ミサイルにしても核実権にしてもすべて自国の技術や力量でしたものではない。
およそ朝鮮総連との連携で生まれていると考えている。
こうしたことが朝鮮総連の組織人に知ることになり組織離れがでている。
もう1つの組織離れは子どもたちの教育である。朝鮮大学を卒業してもその資格は各種学校である。それでは日本の大手企業などには就職が出来ない。
それで朝鮮籍のままでの外国留学も限られている。子どもたちの将来を見据えて韓国籍に切り替えて子どもたちは外国の大学に留学して大卒の資格を取って日本に戻ってくる人も多くいる。こうした人がもしかすれば表向きは韓国籍、しかし裏ではそうでない人もいると筆者は考えるがこんなこと、筆者には関係のないことで深く詮索しないことにしている。

こんな現実に日本がかつて北朝鮮に支援した政治団体もあったがはたしてそれは生かされていたのだろうか。まったくそれは死に金だった。
まして韓国が同胞のしがらみとして何がしを支援してきた。しかしすべてすべて無駄金で死に金だった。しかし支援したものが国民のために使われていない。独裁国家体制の維持のために使った。それが核実権でミサイル発射だった。
これが筆者の見解である。
「太陽政策」は人も水もない砂漠にお金を埋めてきたようだ。砂漠でも人が入って水を入れて木を植えて砂漠の中でもオアシスを作ればそれは生きたお金の使い方になる。しかし心のないお金は砂漠にお金を投げ込んだだけである。
「暗黒の砂漠政策」だったと筆者は思っている。
行けども行けどもあたりは暗闇で砂埃が吹き荒れているだけで何も見えない。突然にやってくる雨季の地形は崩れて翻弄されている。
それに似たような「暗黒の砂漠政策」である。
せめてそこに風が入り緑の木を植えて心の通うものがあれば「太陽政策」は息をして呼吸をしていくことになる。呼吸の合わない韓国と北朝鮮はリズム的な呼吸が出来ない。双方の呼吸は不整脈である。北朝鮮の指導者はまったく合わそうとはしていない。それを知らなかった周りの思惑に大きいな誤算があった。
「誤算」は何だったのか。
平壌の景色を見ただけで北朝鮮のことを全て理解していると思われていることは大間違いである。人に見えないところでは多くの人たちが飢え苦しんでいることを知らないといけない。

12年前に見た1世のハルモニ、もう7・8年前から80歳を越えた高齢者のハルモニは見なくなった。年も年だし亡くなっておられるだろう。高齢になっても御幸森神社前で立ち続けて北朝鮮に帰国した子どもたちに送るために食材を置いて販売していた。他の外国商品も置いておられた。
ここで立っていたハルモニ、日本を恨みそして組織を恨んでせつない思いでコリアタウンを往来する人たちを見ていただろう。いつも同じ黒い服を着てたっておられた姿が目に浮かぶ。自活できない北朝鮮にたとえ少しでも役にたてばと子どもに送っておられたハルモニの心情に涙が出そうになる。1世のハルモニが哀れでならなかった。
先日、在日韓国人の男性とこの商店街を歩いていたときに「帰国運動にかかわった人たちにまだ恨みをもっている人が多くいるからね」と言われた言葉はずっと忘れることはないだろう。そしてその脳裏には1世のハルモニの姿も焼きついているだろう。
筆者の父親が南北分断、一筋縄では統一しないと思ったから民団も総連も属さなかったことが少し分かるような気がする。

26日にも北朝鮮は短距離ミサイルを発射した。
アメリカに向かってこちらに振り向いてほしいと駄々をこねている子どもの仕草のようだ。
時代は変遷している。
新しい模索と建て直しが必要だろう。

全国各地のことは知らないが奈良では奈良県生駒郡斑鳩町は26日、金正日総書記に対して核兵器開発中止の抗議文を北朝鮮と朝鮮総連中央本部に送ったという記事が掲載されていた。また市民活動の団体も抗議フォーラムが行われた。
【写真】韓国から板門店を訪問したのは1995年の4月、展望台から北朝鮮の風景を撮影した。ベルリンの壁が崩壊、今すぐにも南北が統一するかと思ったがそうではなかった。

2009年5月28日 00:13

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